第2話 父
二
(本当に…来てしまったけど)
身体一つ鞄一つ。目が覚めたら千五百年が経過していると分かって一ヶ月。私は今、日本家屋の前に立っていた。
結局、私が気を許したことが分かったのだろう。とんとん拍子に話は進み、彼の養子と成る。手続きだとか、私の検査だとか一ヶ月ほどかかった。その間に彼は私が退屈しないように多くの本を届けてくれた。それは奇しくも文字に慣れない私には宝のような物で、コミュニケーションならもう問題ないだろう。勿論まだ読めない感じもあるのだが。
だから鞄に入っているのは彼に買い与えられた少しの衣服と、たくさんの本達。
彼が地主、と言っていただけあって広い家だ。この大きさが世間一般ではないことは、道中しっかり学んだ。インターホンを押せば直ぐに彼は出てきた。
「倭古、迷わなかったか?」
頷きを一つ。彼に続いて玄関をくぐる。土間で靴を脱いで上がる。畳の匂いがした。ホッと息を吐く。
「君の部屋は此方だ」
廊下を進んだ先、襖を開く。八畳の和室。東側には出窓もある。押し入れがあり、文机に箪笥、姿見が置かれていた。病室のテレビで見た他国風の家が今は一般だと思っていたが、和風と言うのだろう。これなら馴染みもある。気に入ったか、と聞かれたので頷く。
嗚呼でも、これが私の為に用意されたのだとしたら何と申し訳ない。私は、これからどうしたらいいのかも分かっていないというのに。
「細かいものは用意してなくてな。好みもあるだろう。これから買い物に行こうか」
(すごい…)
地域の大型商業施設へと案内された。病院の外に出たのも初めてだし、こんなに人がいるのを見るのも初めてかもしれない。ここまで来るのに使った車というものも、大変快適だった。
「好きに選ぶといい」
衣類に下着は勿論、細々とした生活小物まで。一つの建物の中で全て揃うとは素晴らしい。
(好きに、選べと言われても…)
お金という概念は理解した。それが貴重であることも分かっている。そうなると今なんの手段のない私では申し訳ない。それでも一般的な格好をしてなければ、彼の責任となってしまう。いつかこの恩を返さねばならないと決意しながら手に取っていく。
勿論、私がどうして生きているのかその答えは分からない。けれど生き残った身としては、生きねばならないのだ。私を知る人が、誰も居なくても私はここで生きていく。
もし彼が本当にリン姉さんと、ケイさんの血を持っているのなら彼の家に伝わっていた言付けも彼らが発端になっている可能性がある。それが本当で千五百年も代々伝えて来たのなら、すごいことだ。私は今も、二人に守られているのかもしれない。
(あ…)
服を見ていて、ふと顔を上げたら彼の姿が見えなかった。そんなつもりはなかったけれど、場所を移動してしまったらしい。辺りを見渡して、気がつく。こんな時に声が出ないのは大変に不便だ。
(困った…)
風を使って探しても良いけれど、窓の開けられる病室や個室なら兎も角こんな人も物も有るところで使うのは良くないだろう。
(流石に、この辺にはいると思うんだけど)
商品棚の間を抜けながら探せば、程なくその後ろ姿を見つけることが出来た。しかし向こうは此方に気づかない。ポンと背中に手を伸ばせば、大袈裟にその背中が跳ねた。
「おお、そこに居たか」
振りかえって、視界に入ったことで気がついたのだろう。そう言われて納得する。
(あ…気配消してたのか、私)
そもそもだ、無言でいきなり叩かれたら誰だって驚くだろう。もう少し方法を考えなければいけない。
「ふむ…」
神坐氏は顎に手をやりながら、少し考えて
ややあってそうだと笑った。
「先ずはこれで良いだろう」
チリリ、と鈴が鳴る。彼から貰った鞄につけられたキーホルダー。音があれば分かるだろうと言われて、取り敢えず鈴を着けることになった。
「後、此方を渡していなかったな」
小さな機械を渡される。
「携帯電話、スマホというものだ。ここを手でなぞると電話が出来る」
(おお…テレビで見たやつだ)
「と言っても君に電話は意味がないだろうから、こっちを主に使うといい。文字でやり取りが出来る」
基本的設定はしてあったのだろう。言われた通りに手を動かす。文字の入力が慣れなくてもこれなら隣に居なくても、自分の思っていることを伝えられる。何と便利な物だろう。
「買い物は、取り敢えず一段落だな」
大荷物になってしまったので、取り急ぎ必要な物は車に入れて後は郵送するらしい。生活に必要な物は揃えたが、思い出してメモを引っ張り出す。
"本が欲しい"
「本屋だな。何が欲しいんだ?」
"学校、に行くと聞きました"
私の年齢は15になる。だから、地元の高校と呼ばれる場所に行くのだと聞いた。
だから、問題がある。高校とは本来、小学校、中学校を経由するらしい。ならば、その2つでの学習経歴を持たない私は知識を補わなければならない。
本屋に到着し小学、中学で学ぶような事が書いてある本はあるのかと聞けば、彼は参考書と呼ばれる本のある場所へと案内してくれた。
先ずは小学校の範囲を網羅するための本の買い込んで、夜。今は3月と言われる時期らしく、もう一月もすれば学校に行くらしいが流石にそれは辞退した。
流石に彼の面子もあるだろうかと危篤したが、彼は笑ってそうしようと賛成してくれた。目標は夏前(それより遅いと追い付けないだろうという配慮だ)に学校に顔を出すことにできないか掛け合ってくれると言う。
風呂上がり。鈴を紐に通して、腕に巻く。大きな屋敷は、迷いそうだと思いながら彼を探す。先にお風呂場を使わせて貰ったのだ。
この家で一番広い和室を見るが、姿がない。隣の自室を覗けば、空いた襖の隙間から姿を見つけた。
チリリ、鈴が鳴ると彼が顔を上げた。
「あぁ、お帰り」
彼が手招きしたので部屋に入る。二三歩歩みを進めて、彼の座っていた目の前にあるものに気がついて足を止める。
仏壇だ。若い女性の写真が飾ってあり、線香が添えられていた。
「…妻だよ」
彼はポツリと言った。
「結婚して、直ぐに病気が見つかってね。あっさりと…あまり苦しまなかったのが救いだったな」
写真の女性は30代程だろう。
「もう…独り身の時間の方が長いが、忘れられない物はあるな」
嗚呼、なんだ。彼も同じだったのだ。いつも笑って明るく構えている彼の忘れられない物。
「私の家に伝わっていた伝承が書かれた巻物を見つけたのは、その後だった。それが私の使命ならば、とこうして生きていた。結局、君を私の自己満足に付き合わしていると言われても仕方ない…」
私は静かに首を振った。
『その頃には、この揉め事も片付いているだろう。そうしたら、祝言を上げよう』
私にも、そう言ってくれた人がいた。大切な私の恋人。彼の死の瞬間だけは、何年経とうと覚えている。
線香を一本取って、蝋燭の火に翳す。上っていく一筋の煙。そっと線香を立てて、手を合わせた。
それを、私が非難できる訳がない。だって私はまだ、自分の使命を分かっていないのに使命を見つけて生きた人間を非難できる資格がない。それに、彼が私を案じている気持ちに嘘がないのは充分に分かっている。
"先に寝ます"
"お休みなさい、"
ペンを止める。握り直して、続きを書いた。
"お休みなさい、お父さん"
「あぁ、おやすみ」
そう笑う顔は、やっぱりどこかケイさんのようでその気遣いはリン姉さんのようで、今私が居るのはあの時と繋がっている世界なのだと少し嬉しくなった。
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