世界の果てに

はなかげ

第1話 倭古




 目が醒めた。光が眩しくて、開けた目を直ぐに閉じる。眩しくて、一面が白かった。頭が重い。息が、苦しい。全ての動作が久しぶりにするようで、動作の一つ一つに意識が向く。


「ああ、良かった。気がついたんだね」


 聞き慣れない、男性の声がした。顔を向ければ、寝ている私の傍らに立っている。白い服と、その向こうに見える薄緑の布。


「ここがわかるかい?」


 音が、上手く認識出来ない。ただ、何か反応した方がいいのだろうと声を出そうとしたが声にならない。空気だけが、口から漏れた。


「ああ、喉を怪我していたんだね」


 声が出ない。重たい手を動かす。私は、どうして。ここは何処だろう。


『良かった、倭古ちゃん目が醒めたのね』


 漸く聞きなれた音が耳に入る。顔を右に振れば、風が入ってきた。

(風…)

 倭古、そうだ私の名前だ。聞きなれた言葉に漸く安心する。

『最後に覚えてるのはどこ?無茶するわ…貴方、姫を庇って』

(そうだ…襲撃されて…姫様は?姫様は無事?)

『えぇ、貴方のお陰でね』

 風が教えてくれる。良かった、姫様が無事ならば安心だ。

(それで、ここは何処?)

 村にこんな家、あっただろうか。姫様が居ないのは兎に角、側に居たのは見慣れない男性だ。

『貴方…姫様を庇って、ずっと封印されてたのよ…ここは貴方が封印されて千五百年がたった世界よ』

(千、五百年…?)






 私は、風使いだった。山に閉鎖された村には予知をされる姫様が一人。私はそこで育った。友達が居て家族が居て、そして恋人だっていた。

「倭古、今日は姫様の見張り?」

「リン姉さん!えぇ不寝番なの」

 答えながら、脇に置いていた薙刀を掴む。

「無理しないのよ…」

「大丈夫、私が頑張らないと。行ってきます!」

 リン姉さんは、私の三つ上の友人だった。妹のように可愛がってくれる彼女を私も慕っていた。村一番の弓使いだ。屋敷を出て、見張り台まで走る。軽い準備運動だ。見張り台の上の人影を見つけて手を振る。

「ケイさん、変わります」

 持ち場に居たのはリン姉さんと同い年の男性のケイさん。彼は武術がとても強い人だった。

「あぁ、今日は倭古だったね」

 梯子を降りながらケイさんが笑った。

「今日は風が冷たい…気を付けてね」

「ありがとう。でも風なら大丈夫よ」

「倭古が見張りだと姫様も安心だろう」

 姫様は私の一つ上。姫様の見張りを受け持つ中では、私が一番歳が近いこともあり仲良くさせてもらっていた。

「ねぇ…本当なの?他の村と合併するって」

「長老達はそう考えているらしい。姫様を妃として送り出すつもりなのだろう」

「そんな…姫様にはコウがいるのに」

 姫様の見張りをするのは村の若い衆だが、姫様に意見するのは村の長老達だ。姫様は、同い年のコウという青年に恋をしている。若い面々は皆知っていた。コウは、私達の中でトップレベルの強さを持った頼れる仲間だった。姫様のピンチを守ったことも、何度でもある。私達はそんな二人を微笑ましく思っていたが、長老達は違うのだろう。

「それが、最善だとしてもつらいな…」

「そうね…」

「倭古も、あまり無理をするなよ。姫様を守るのはお前だけじゃない」

「分かってる、わよ…」

 ドキリとしながら、薙刀を握った。

「それでも、私の使命であることは変わりないから」

 それは私の本心だった。姫様を守る。私の、唯一にして絶対の使命。

「自分を大事にな、倭古」

 ケイさんはそれだけ言って、屋敷に戻っていった。



 夜もふけた時だった。ビュッと風が吹き荒れる。

「賊?」

『屋敷に近づく奴がいる、あっち』

「分かった!」

 見張り台から風を纏いながら飛び降りる。風の勢いで落ちるスピードを緩和させて、地面に降り立った。そこから走り出す。屋敷を背に、森の中に入った。

 木々の間を足音を消して進めば、黒い着物を纏った男か一人隠れもせずに立っていた。

(お願い…!)

 風が砂地を巻き上げる。男が手を上げた所に、走り込む。私の振りかざした薙刀を掠めて男は後ろに飛び退いた。

「何奴!」

 男は頭にも黒い布を巻いていた。顔は影になっていて分からない。

「へぇ…面白い能力だ…」

「ここから立ち去れ!」

 鋭い風が、鎌鼬となって男の衣服を切り刻む。それでも血が出ない。なかなかに着込んでいるようだった。

「面白い能力だけど、ちょっと厄介だね」

 男の右手が光る。こいつは危ない奴だと本能的に感じた。

「貴方には消えてもらおう」

「っつ!」

 撤退なんてもっての他だが、反射的に地面を蹴っていた。危険だ。一人で対処できる相手じゃない。

「賊よ!」

 煙幕を打ち上げて、森の出口に走る。今は、兎に角応援を呼ばなければ。その時ドンと地響きが鳴る。今のが、彼の力?だとしたら規模が大きすぎる。

「ここじゃあ…姫様まで…」

 森の出口の手前で、足を止める。これ以上、屋敷に近づくわけにはいけない。私が、やらなきゃ。だって私が任されたんだもの。

「最大!」

 風が吹き荒れる。ごうごうと耳が痛くなる。ピシリと頬が切れた。それでも、強く、強い風を集める。大木が、音と共に倒れる。

「ここから先には行かせません」


「成る程ね。相性が悪かったな」


 背後から声がした。首筋に、刃物が当たる。

「ぐっ…」

 血飛沫が飛んだ。息が、苦しい。姿勢を立て直したところで、更に首を絞められる。

「厄介な事には変わりがない上、これは…呪いも仕込んだか。殺した者を呪う呪い…守り人としては上出来だ」

「な…そ、を…」

 左手で持ち上げられる。足が浮いた。

「永遠に眠れ…」

 腕が光る。男の向こうに、駆けつけてくれるコウが見えた気がして手を伸ばす。


「倭古!!」






 それが私の最後の記憶だ。あっさりと敵の手に落ちて、負けた。敵の力も、何も分析出来なかった。あの後、コウは無事だったのだろうか。姫様が無事だったらしいから大丈夫だとは思うが、申し訳なさがつのる。

(千五百年、か)

 眼下に広がる見慣れない景色。それが、時の流れを表していた。千年。それだけの時間が経った。勿論、私が知りうる全ての人はもういない。

 …どうして、殺してくれなかったのだろう。私一人生きて、どうしろと言うのだろう。

『倭古、医者が呼んでるわよ』

 風に言われて振り返れば、白い服を着た男性が一人(白衣というらしい)立っていた。言葉が慣れなくて、どうも上手く認識できない。起きてから、風に通訳してもらってどうにか、と言ったところだ。

「何か、思い出したことはあるかい?」

『倭古、首を左右に振って』

 言われた通りに首を振る。風曰く、記憶が無いことにした方がいいと言われたから、それ関連の質問なのだろう。その後も質問は続いたが、私は風に言われるがまま首を振った。何かを書いていてた医者は、立ち上がって言いにくそうに口にした。

「君を、養子にしたいという方がいてね…」 (なんて?)

『倭古を引き取りたいって人がいるみたい』

 なんだその怪しい話は。

「良ければ君に会いたいって言っていてね」

(ねぇ、これ首振っていいんだよね)

 ここまでのやり取りで首を振る、というのが拒否を表すのはなんとく分かった。けれど首を振ろうとして待ったがかかる。

『そう悪い話じゃないと思う。会ってみるのもいいんじゃない?』

(何言って…)

『大丈夫、悪いようにはならないわ』




「さ、此方に」

 看護師に案内されて、個室の一つに辿り着く。面会が決まって、ほんの少し憂鬱な日々を過ごしながら言葉を覚えたから多少なら風を還さないでも言っている意味が分かるようになってきた。書き文字はまだ少しわからない。平仮名だけはどうにか、だ。それでも、筆談擬きができる安心感はある。

 案内されて入った部屋には中年の恰幅のいい男性が一人。神坐祐一、というのが彼の名前らしい。

「君が、倭古さんだね」

 笑顔で言われる。人の良さそうな笑顔に、何処か不思議に落ち着いた気分になった。

「私は神坐祐一、この辺りの地主で和紙職人をしている」

 そう言って机の上に細い紙が置かれる。指を伸ばして伺えば、一つ縦に首を振ったので手に乗った。ザラザラとしながらも柔らかい紙。病院で見たどんな紙とも違うし、どこか馴染みがある。

 少し表情が柔くなる。神坐氏は笑っていた。

「私の家には古くからの言い伝えがあってな…それが全てに置いていかれた子供を保護しろ、という物だった」

(それは…)

 ああ確かに私の事だろう。けれどそんな都合のいい言い伝えがあるのだろうか。

「必ず、君の力になろう。倭古さん」

"自分を大事にな、倭古"

(あれ…)

 どうして今ケイを思い出したのだろう。そこで神坐氏の顔を、漸く観察する。確かに太い眉、瞳、何処かケイを彷彿させなくもないが、そっくりという訳ではない。少しつり目なのは寧ろリン姉さんに近い。

(待っ、て…)

 さっきから、二人が過るのはもしかして。いや、それこそ、都合が良すぎるというものだろう。

『ね、言ったでしょ』

(知ってたの…?)

 彼はあの二人の、子孫なのだろう。

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