第11話 放課後の保健室
ジャンケン大会予選四日目。
どうやら明日までの五日間が予選期間で、来週から本選が始まるらしい。
まぁ日程を知っていようが知っていまいが、啓にとっては割りとどうでもいい。今日もチーコを連れて校門までの道のりを歩く。
「――千香さんっ、おはようございますっす!」
「おはようございます小谷さん。今日も良い天気ですね」
校門前。
待ち構えていたように二人の人物がチーコに近づいてきたので、そそくさと校舎へ入る。
「むっ、なんすか君は。千香さんと同じメガネを掛けているなんて図々しい奴ッすね」
「貴方こそ、小谷さんに対して下の名前で呼ぶなんて馴れ馴れしいですよ」
坊主頭の野球部男子と、黒フレームメガネの女子がやんややんやとわめいている内に啓は自分の教室へと足を運んだ。
――教室。
チーコがコンタクトをやめてメガネに代えたので、普段よりも早めに到着した教室。ガラリと教室のドアを開ける音、おはようと挨拶を交わす者達の声をBGMにのんびりと新聞に目を通す。
「おおおっ、おはよう手之内君っ」
少し上ずった声。僅かに視線を向けるとそこには文絵が居た。
わざわざ挨拶をしに来るとは珍しい。
そう思いつつも啓は新聞をめくりながら返答する。
「……ん、ああ」
気の無い返事。
しかし文絵はそれでも懸命に話しかける。
「あのっ、昨日勝てたよ。まだあと三勝必要なんだけど、私頑張るね」
「ああ」
その後も文絵は昨日戦ったのが誰だっただの、栗子がサッカー部の奴と足ジャンケンをして本選出場を決めただのと色々と話題を振ってきた。
話を聞く啓は相変わらずの態度だったが、文絵の声はどこか弾んでいた。
「ねぇ……あれちょっと、教室の前を見て!」
「えっ、どうしたの……ってええっ!?」
「あっ、あの人は!?」
「うぉおおお! こいつぁ朝から何かありそうだぜぇえええ!」
何やら朝っぱらからやかましい教室。多くの人は何に対して騒いでいるのだろうかと視線を向けたりもするだろうが、啓はマイペースで新聞を読み続ける。
「おはようございます、啓君」
ガタッ!
クシャリと新聞紙を握り、慌てて声の主を確認する。
「あ、ああ……おはよう」
目の前に居たのは巴だった。
上級生の巴が啓の教室に一体何の用事があるのか気になったが、周りは次々と勝手な妄想を口走っている。
「て、手之内がまともに挨拶してる……だと?」
「ウソッ、上級生は疎か先生にすら挨拶しないあの手之内君が!?」
「朝も早くからわざわざ会いに来るって事は……?」
「おぉおおお! これは手作り弁当でも渡す流れなのかぁああ!?」
上級生が一人来ただけで教室中はヒートアップ。普段余程娯楽の無い生活をしているのではないかと疑いたくなるようなテンションの上がりっぷりだ。
「すみません、お弁当は作ってきていないのですがちょっと用がありまして」
最初から弁当など期待していない啓は「そうか」と変わらぬ態度で返答するが、クラスメイトと言う名の野次馬は途端に落胆する。
「フッ、残念だったな手之内君」
「あはは、師匠には副会長の作ったお弁当なんて勿体無いよ」
手作り弁当展開を期待していた野次馬とは裏腹に、あざ笑う者が二人。いつの間にか教室に入っていた栗子と岩本である。
「おっはよーございます副会長。今日は師匠に何の用事ですか?」
「ええ、啓君にはしばらくジャンケンを控えてもらおうと伝えに参りました」
ザワッ!?
がっかりとテンションの落ちていたクラスメイトが、その一言で今度はヒソヒソと静かに盛り上がる。
強すぎてジャンケン大会へ参加するなとの生徒会からの圧力か。もしくは助っ人参加のルールが改定されたのか。はたまた数学以外赤点で追試を受けるからなのか。
「って、最後のは僕の話じゃないか!?」
数学以外赤点男はともかく、啓は巴の忠告に頷いた。
それにより教室中は再び静かなざわめきに包まれるが、巴は満足そうにその場を去って行った。
「師匠……一体どういう事なの?」
「どっちにしろ俺はジャンケン大会に参加するつもりなんて始めから無かったんだ。どうでもいいだろ」
バサリ。
教室中の視線を集めたまま、HR開始まで新聞の続きを読む事にする。
――放課後。
授業の中休み、昼休み。栗子を始めとしたクラスメイトの面々が朝の件について質問攻めするも、啓はそれに答える事無く放課後を迎えた。
「帰るか」
「てっ、手之内君。私、これから岩本君と試合だから良かったら応援に――」
ガララララッ!
いそいそと荷物をまとめて帰る準備をしていると、文絵が声を掛けてきた。が、それと同時に勢い良く教室のドアが開いたので良く聞き取れなかった。
そして朝と同じように教室中が騒がしい。今度は誰が来たのかと、思わず確認したくなる者もいるだろうが啓は違う。
「啓君」
名前を呼ばれる。声の主は今朝と同様に巴だ。用件はすでに分かっていたので、啓はすぐにそちらへ向かって行く。
「……ああ」
普段の気だるそうな態度とは違い、巴に連れられ足早に教室を後にする。その行き先は想像が付いている。
「あっ……」
巴と共に教室を出て行く啓を、目で追うことしか出来ない文絵。
呼びかけようとした口をつぐんで、伸ばした手がだらんと垂れる。
「もう師匠てば冷たいなぁ、せっかく文ちゃんが試合だって言うのに」
「私じゃ……ダメなのかな?」
うつむき、寂しそうな顔をして呟いた。
――廊下。
勝負の場所はグラウンドと聞いていたので、トボトボとそこへ向かう文絵。しかし下駄箱の側から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「うふふ、啓君。では、始めましょうか」
巴だ。啓の声は聞こえなかったが、恐らく一緒に居るのだろう。これから一体何を始めるのだろうか。気になった文絵は声のする方向に歩いていった。
「ここ……から?」
保健室。
ドアの前で立ち尽くしていると、中から声が聞こえて来る。
「ふふっ、恥ずかしがらなくて良いですよ。私が脱がせてあげますから」
一体何をしているのだろうか。いや、そもそもこんな所で聞き耳を立てていても良いのだろうか。
保健室の前で頭を悩ませる文絵の事などお構い無しに、中では着実に事が進んでいく。
「はぁ……はぁ……うっ!」
どこか荒い息遣いの啓。そこに居る巴も、どこか耽美な声色に聞こえてきた。
「あらあら、啓君のココ。とっても硬くて熱いですね」
「うっ!」
「あら、敏感になっていましたか」
「はぁ……はぁ……」
スッ。
好奇心。
そんな生易しい気持ちでは無い。確信に近い嫌な予感。文絵は音も無くゆっくりと静かに、そーっとそーっとドアを開けると、そこにはワイシャツを脱いだ啓の背中が見える。
「っ!?」
その格好を見ただけで、思わず声をあげそうになった。息を殺したまま啓と向かい合って座っている巴を見ると……。
フフッ。
気のせいだろうか、目の見えないはずの巴と目があったような感覚。それどころか、こちらに対して微笑んだような気さえする。
「ねぇ、啓君」
「ん……んんっ!?」
ガバッ。
ベッドの上に座っていた啓に、巴が抱きついた。それと同時に、二人の顔と顔。唇と唇の距離が0になる。
「っ!!!」
悲しみを感じた人は、こんなにも早く涙を流せるのだろう。その光景を見た直後に文絵の目からは涙が零れていた。
不意を突くような抱擁から、流れるように自然なヴェーゼ。それが目の前で行われてしまった事が悲しいのではなく、それを啓が受け入れている事に涙したのだ。
タタタタタッ!
見たくない。聞きたくない。居たくない。早く忘れてしまいたい。
「わああああああああああああああああっ! ああああああああっ……あっ、おえっ、ごほっ、がはっ……オウェエエエエ」
短い叫びはすぐに嗚咽へ、そして嘔吐へと変わっていく。気持ちが悪いからではない。気分が最悪だからだ。
分かっていた。気付いていた、こうだろうとは思っていた。
ジャーッ。
駆け込んだトイレ。鏡に映った自分の顔はボロボロだ。バシャバシャと荒々しい音を立てて浴びるように水を自分にぶつけるが、冷たさも痛さもそこには無かった。
「…もう、どうでも良いや」
顔だけでなく髪まで濡れているのが鏡を見なくてもわかった。ハンカチを取り出す事すらせず、手で拭うのすら億劫だ。ビタビタと水の滴るまま、とぼとぼとトイレを後にした。
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