第6話 予選開始!

 ――数日後。


 今日から校内ジャンケン大会の予選が始まる。


 約一週間もの間、しつこい部の勧誘は全て(主に栗子が)蹴散らした。


 この日は誰に声を掛けられるわけでもなく、のんびりと新聞が読める。


「イェーイ! いよいよ今日から予選が始まるね。師匠、何かアドバイスは?」


「ない」


 人の朝刊タイムを邪魔すべく、朝からずっとテンションの高い栗子が付きまとう。正直鬱陶しい。


「ヒューッ! 相変わらずのドライな対応だねー、人間の血が通ってない冷酷野郎だねー。さぁ文ちゃん、今日まで師匠に教わったこと全部出し切って本選まで残ろうね!」


「えっ、ほとんど何にも教わってないんだけど……」


 ノリノリの栗子とは裏腹に、文絵はどこか自信がなさそうだ。


 他のクラスメイト達の様子も、普段と違ってどこかナーバスになっている者が多い。


 こうしてジャンケン大会の予選が、静かに始まろうとしていた。




 ――放課後。


 何かしらジャンケン大会の知らせやルールを説明するための集会があるわけでもなく、普段どおりのペースで放課後に突入した。


 ガヤガヤガヤ。


 HRが終わるや否や、教室中がどこか落ち着きのない雰囲気。お互いの顔色を伺いつつ警戒する者が居るかと思えば、一目散に教室を出て行く者が数名。ちなみに栗子は誰よりも早く教室を飛び出して行った。


「えらく騒がしいな」


 その異変に気が付きながらも、啓は教室から一歩外へ踏み出した。


「――ジャンケンポン!」


「よーし勝負だ!」


「あいこでしょ!」


「フハハハハ、これで二連勝だ!」


 廊下では何人もの生徒達がひたすらジャンケンをするという異様な光景。


 ガラガラガラ。


 その勢いに押され、思わず扉を閉める啓。


 こんな状況では帰るのも一苦労だろう。


 さてどうしたものかと腕を組んで考えていると、まだ教室に居た文絵が話しかけてきた。


「大丈夫。予選は三回負けると失格になるから、すぐに落ち着くと思うよ」


「そうなのか?」


 文絵の言うとおりにしばらく時間を潰していると、段々と廊下から声が消えていった。


 代わりに、落ち込む生徒達の姿が数多く見られるようになった。


「やっと帰れるな」


 静かになった廊下を歩き、校門へと向かう。


 途中、何度かジャンケンをしている者達を見かけたが気にせず進む。


「――はぁい師匠! 本日すでに三連勝、史上最強の弟子。栗子の登場です!」


「じゃあな」


「ちょっ、ちょっといきなり帰らないでよ! アタシ、これから陸上部の人と試合なの。弟子の成長を見るのも師匠の努めだよ!」


「また今度な」


「同じ相手とは一回しか戦えないから今度は無いの、ほらほら飴ちゃんあげるからおいでよ」


 そう言って大阪のおばちゃんよろしく強引に飴玉を渡された。


 明確に断ったはずなのだが、グイッと腕を引かれてグラウンドへと無理矢理連行される。


 何故ジャンケンをするのにわざわざグラウンドまで来ているのかと疑問に思ったが、質問する間もなくそこに待ち構えていた男が口を開く。


「フッ、手之内君を助っ人に加える事には失敗したが、陸上部に負けは無い!」


「いいねその気合……でも、アタシも負けないから!」


 グラウンドのど真ん中。今日に限っては運動部も活動していないらしく、その場所は完全なる決戦の場と化していた。


「予選は一本勝負となります。双方準備はよろしいですか?」


 中央に位置する審判は巴だった。


 巴も啓の気配が分かったのか、軽く手を上げて挨拶する。


「こんにちは。啓君」


「ん、副会長って師匠と知り合いなの?」


「ええ、先日も啓君に家まで送って頂いたほどの仲良しさんです」


「クッ、アタシのおっぱいには無反応だった癖に……年上好きめ」


 一言も発していないのに栗子からの冷ややかな視線を浴びていると、辺りからざわついた声がこぼれ出してきた。


「おおっ! どうやら手之内は三年の三井先輩と只ならぬ関係みたいだぜぇ!」


「まじか、石田の試合を見に来たってぇのに思わぬ情報を手に入れちまったな」


「それよりこの試合、前評判だけで言えば石田さんに分があるけど……」


「陸上部のホープ。数学以外赤点の岩本も本日すでに三勝している実力者」


 ざわざわと周囲にギャラリーが集まってきている。


 その大半は栗子の試合を観にやって来た者だろうが、どうやらギャラリーの情報では陸上部の岩本もそれなりの実力があるようだ。


「それじゃあいくよ。ジャン……ケン――」


 栗子は真っ直ぐ大きく手を振り上げている。安定したグーの型だ。


 対する岩本も同様に手を大きく振り上げていたが、フォームがバラバラだ。素人のグーの出し方そのものだった。


「ポンッ!」


 大きな声と同時に振り下ろした栗子の拳は、その手の甲から力強ささえも感じるグー。


 一方の岩本も、指の形が崩れかけている不恰好なグーで対応していた。


「フフン、石田栗子。君の去年の大会データは全て知り尽くしている。君が僕に勝つ確率は内閣の支持率よりも低い!」


「たまたま一回あいこになっただけでいい気にならないでよね!」


 お互い体制を立て直し、再び構える。


「あいこでしょ!」


 グー。

 グー。


 またしてもあいこだった。


「ハハッ、やはり計算通り。君は去年の予選で五勝した時、五回ともグーで勝っている。つまり、僕はグーを出していれば負けは無い!」


「クッ」


 栗子が唇を噛み締める。


 それを見たギャラリー達は口々に盛り上がりを見せた。


「流石は数学以外赤点の岩本だ。統計に基づいたデータを駆使してるぜ!」


「数学以外赤点の岩本だけあって、そのデータの使い方はアホっぽいけどな」


「でも石田さんも『しまった!』って顔してるわ」


「石田さんは全教科赤点らしいわよ」


 そして三度目の勝負。


 グー。

 グー。


 やはりあいこ。双方一歩も譲らない戦いは続いた。


「あいこでしょ!」


「フッ!」


「あいこでしょ!」


「くっ!」


 グー。グー。グー。グー。グー。グー。グー。グー。グー……。


 もう何度目になるのか、ギャラリー達は愚か本人達でさえ数え切れない程のあいこを重ねても決着はつかなかった。


「お……おい、何で二人ともグーしか出さないんだ?」


「数学以外赤点の岩本はバカな作戦だとしても、石田はパーを出せばいいのに」


「……それは無い」


 ギャラリーがざわめく中で、飴玉をコロコロと舌で遊ばせながら啓が呟いた。


 栗子の使うグーの型。それは力強いグー、そこから鋭く変化するからチョキが最大の武器である。それは相手のチョキは勿論、グーを捕らえようとするパーに対しても優れたバランスの取れたフォームだ。


 しかし岩本の異常なまでのグー出しに釣られていた栗子は、今更相手を欺ける程のパーを出す体力も、それを行う技術も持ち合わせていなかった。


「ハァ……ハァ……ハァ……」


 栗子は苦しんでいた。


 一本勝負という事で、初手から全力でグーを出し続けていた為に体力の消耗が激しい。


「ムムムムム……おかしい、確率的に言えば僕が断然有利なのだが……ハッ、もしや僕の完璧な計算に狂いが!?」


 岩本も別の意味で苦しんでいた。が、腐っても陸上部のホープ。体力的には栗子と比べてまだまだ余裕があるように見える。


「あい……こで……しょっ!?」


 ふらっ。


 疲れで足元がふらついてしまった。右腕に力が入らない。


 初手の鋭さなど微塵も感じさせない弱々しいフォームで、栗子は力が抜けてすっぽぬけそうになった指先を辛うじて手の中に閉じ込めた。


 グー。

 グー。


「あいこ……ですね」


 栗子の体力が尽きかけたのを察してか、巴はチラリ。と啓の方を向いた。


「……やれやれ」


 スッ、と栗子に歩み寄る。


 両手をポケットに入れたまま、普段と同じく冷めた口調で栗子に話しかける。


「おい」


「え……師匠?」


 疲れからか、啓が声を掛けるまで栗子は呆然と立ち尽くしていた。


 そんな栗子を見て、はぁ。とため息を吐いてから一言。


「棄権しろ」


 そう告げた。


 すると栗子は、驚き首を振った。


「な、何言ってるの師匠……まだまだ……勝負の途中だよ?」


「もうまともに腕も上がらないだろ」


「いやっ!」


 もうこの場から退場させようとした啓だが、栗子はそれを強く拒んだ。


 動かない。


 体力が無くなって動けないのではなく、自分の意思でそこに留まろうと決めていた。


「フンッ、手之内君。勝負の最中に水を差すような真似はやめないか」


「あ……あい……こで……しょっ」


 グー。

 グー。


 もう何度この光景を見ただろうか。勝負はまたしても次戦へと先送りである。


「もういいだろ」


「よくないよ……負けてもないのに諦めるなんて……ちっともよくないよ!」


 引かない。


 きっとこのまま倒れようと、腕が上がらなくなろうと、栗子は勝負を止めないだろう。


「…………」


 あいこ。あいこ。またあいこ。グー。グー。そしてグー。


 延々と続くかと思われたこの勝負だが、ある時栗子に異変が訪れた。


「あいこでしょ!」


 未だに衰えを見せない岩本が、ハツラツとした声でグーを出した。


 ドサッ。


「!?」


 グー。


 その場に出されていた手は、岩本のグーだけであった。


 もう、立ち上がる気力さえ無いのだろう。苦しそうな栗子は地面に倒れたまま辛そうな呼吸音だけが聞こえてくる。


「フフフ、審判。これは後出し扱いで良いのかな?」


「……そうですね。もう一度後出しですと、二度続けての後出しとなり反則負けです」


 啓も、巴も、大勢のギャラリー達さえも、栗子が限界なのは分かっていた。


 よく戦った。もう十分だ。健闘を称える声さえ聞こえてきたが、当の本人は未だに諦めていなかった。


「はぁ……はぁ……ごめ……次は出し……す」

 途切れ途切れに返答し、ボロボロながらも拳を握りファイティングポーズを取る栗子。誰が見てもすでに戦える状態でない事は明らかだった。


「見てられないな」


「大丈……だから」


「どけよ」


「っ!?」


 栗子の手を引いて、岩本の前に立ちはだかる啓。


 その手はとても冷たかった。冷たすぎて、低温火傷してしまいそうな程の寒さを感じた。


「師……匠?」


「選手交代だ」


 パチッ。


 掴んでいた手を離す際、僅かに手の平と手の平が触れ合う。


「おおおっ! ついに手之内が登場したぜ!」


「これで一気に形勢逆転と見て間違いないだろうな」


「でも、予選の一本勝負って途中交代ありなのかしら?」


 ざわざわ。


 先程まで硬直状態だったあいこ合戦から一変し、ギャラリー達は再び盛り上がりを見せる。


「フヌッ、待て待て待てーい手之内君よ。予選の一本勝負で途中交代などあってなるものか!」


「え、ええ確かに……禁止事項には明記してありませんが前例がありませんね」


 抗議する岩本。


 審判の巴も突然の交代に戸惑っているようだ。


「一本勝負だ。あいこでだってお前の勝ちで構わない」


「なっ!?」


 困惑する巴らの思考を振り切るべく、啓は一本勝負を提案した。


 一度のあいこですら負けとする非常に不利な条件。これにより強引に勝負に持ち込む。


「おい、いくらなんでもあいこでも負けルールなら手之内不利じゃないか?」


「そうね、石田さんとの戦いでもあいこで食らいついてきた岩本有利ね」


 無謀な勝負だと口にする人々。

 

 それでも、この勝負を終わらせる為に啓は肩に手を置き構えた。


「フフフッ、いいのかな? そんな条件では本来勝ち負け三分の一、つまり約三割で勝てたり負けたりするはずのジャンケン。それを負けの確率はそのままに勝率を二倍にさせるという僕に非常に有利なルールで本当に良いのかな?」


「ああ、構わない」


 それを聞いた岩本は、ニヤリと妖しく微笑んだ。


 断然有利。当然勝利。


 数学以外赤点の岩本が唯一まともな点数を取れる数学的思考で、その答えを導き出した。


「フッ、先日石田栗子と戦ったデータでは君はパーを出して勝利。今回も同じ手だろう?」


「どうだかな?」


「ハハハッ、つまり僕はパーを出しておけば負けは無い。行くぞ!」


「ジャン……ケン――」


 勝負が始まる寸前まで、啓の手は肩に置かれたまま。理想的なパーの型を維持している。


 岩本の手を凝視。手の形がバラバラに崩れている。やはり宣言どおりパーを出す気だ。


「――ポオォオオオン!」


 グラウンドに、岩本の大きな声が響き渡る。


 それと同時に、どこからともなく冷たい空気が入り込んできた。


 ピュウウウウウ。


 冷たい風。乾いた風。


 そう、それはまるでドライヤーから流れる冷風のようだった。


「…………」


 岩本が、ギャラリーが、誰もが啓の手に注目する。


 パー。


 大きく開かれた五本の指は、紛れも無くパーの形を出していた。


「フフンッ、今回はあいこでも勝ちという特別ルール。つまり当然僕の手は……んんっ!?」


 自信満々の岩本であったが、自身の手を見て驚いた。


 グー。


 出す寸前まで開いていた岩本の指の一本一本が、手の内に収まりきっている。これはパーでも、ましてやチョキなどでもない完全なるグー。文句のつけようが無いグーである。


「なっ、何故だぁあああ!?」


「勝負あったな」


 パー。

 グー。


 永きに渡る戦いは、啓の勝ちに終わった。


「うぉおおっ! さすがは手之内だぜ、あの不利な条件で勝っちまった!」


「ああ、しかし何故岩本がグーを出したのかは謎だな」


「そうね、パーを出すって宣言していたのにどうしてかしらね?」


「数学以外赤点の岩本を倒した手之内啓……今後の戦いも見逃せないわ」


 勝負が終わり、ギャラリー達はゾロゾロと散っていく。


 残ったのは啓と岩本と巴、そして仰向けに寝ている栗子だけである。


「ハァ……ハァ……悔しいけど……やっぱすごいや」


「フッ、この僕ともあろう者が負けるとは。やはり君は助っ人に欲しかったよ」


 かくして決着は着いた。


 帰り際に岩本が握手を求めてきたが、そういうのは性に合わないと言い栗子と握手を交わさせる。


「啓君、倒れた石田さんの為に不利なジャンケンをするなんて……うふふっ、優しいんですね」


「そんなんじゃない。借りを作るのが嫌いなだけだ」


 帰り道。


 どこか上機嫌な巴と並んで歩く帰り道。


 もうすっかり溶けてしまった小さな飴玉の味を思い出しながら、啓は巴を家まで送った。





 ――自室。


 長時間に及ぶジャンケン勝負と、巴を送るのとで普段より遅い時間に帰宅。


「遅いぞっ!」


「うるさい、それとパンツ見えてる」


「なにぃっ!?」


「嘘だバカ」


 ポカッ!


 いつもの調子でチーコをからかい、ようやくジャンケン大会予選一日目が終了した。

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