第5話 もう一人の幼馴染

 ――昼休み。


 騒がしい朝の後、午前の授業がようやく終了し昼食の時間に入る。今日は飲み物を持参している為、わざわざ外まで買いに行くという愚かで非効率的な行動はとらずに済む。


「文ちゃん、とーっても悪いんだけど今日のお昼は師匠と食べよっ!」


「えっ、私は良いけど手之内君……良いの?」


 昼休みが始まって間もない頃。何故だか栗子と文絵が席へとやって来た。


 その提案に対して特別賛成するわけではないが、わざわざ追い払う無駄な労力を使う気も無いので同席を許可する。


 ガサッ。


 昼食のアイスチョコレートケーキ。水筒に入れて保温していた紅茶と共に、今朝読み途中だった朝刊を取り出す。


「手之内君……お昼いつもケーキなの?」


「ああ」


 水筒からコポコポと紅茶を注ぎ、そこにストローを差して飲み始める。


「うわ出たそれ男らしくない!」


 昨日も聞いたような台詞をスルーし、ガサガサと新聞を拝読しつつケーキをパクリ。


 物欲しそうな目で見つめてくる食い意地の張った栗子の視線を感じたが気にしない。


「ふぉれで師匠ぅ~、ふぃっふぁふわざなんだけどふぁ~?」


「何の事だ?」


 おにぎりを口の中でもぐもぐさせながら喋る行儀の悪い栗子。それを見かねた文絵が慌てて注意したので「ごくん!」と米粒を飲み込んだ。


「ぷはっ、ジャンケンの必殺技だよ。一応師匠なんだから教えてよ、手之内クンの事好きじゃないしむしろ嫌いだけどアタシだってそこは割り切って修行するから教えてよ」


「お前が勝手にそう呼んでいるだけだろ」


 師匠であることを否定した。


 しかしそれが聞こえなかったのか、栗子は腕を組んで考え込んでいる。


「いやー、こないだ師匠が放ったパー。キレは良いけどあんなのアタシ好みじゃないから、あれとは別のやつ教えてね」


「私も大会に参加するから、勝つコツとかだけでも教えてくれると嬉しいんだけど……」


 どうやら二人とも大会に向けてジャンケンの極意を知りたいようだが、人に物を教えるのは面倒だ。チーコの宿題だけでも多いくらいだ。


 しかし、断る理由を述べても理解しないであろうバカを前に教える以外の選択欄は用意されていなかった。


「……仕方ないな」


 スッ。


 右手を大きく広げ、二人に見える位置にパーを出す。


「ジャンケンって、どうやって勝つか知ってるか?」


 バカにしたようなこの質問に、栗子はドヤ顔で答えを出した。


「それくらい知ってるよ。相手より強い手を出したら勝ちに決まってるじゃん」


 それを聞いて、文絵もコクコクと頷き賛同する。


 しかし、啓はスッと手を下ろし。


「五十点だな」


 バサリと新聞に手をかける。


 栗子と文絵は顔を見合わせ、互いに首を傾げる。


「残りの五十点は自分で考えろよ」


「もうっ、そこはしっかり教えてよ!」


「嫌だね」


 結局この昼休み、啓が二人に教えたのはこれだけだった。





 ――放課後。


 またしても各部の勧誘部隊が啓を狙っていた。


 トイレや空き教室を経由して、時には栗子を囮にすることで無事に校門という名の安全地帯まで辿り着いた。


「師匠ずるいっ! 荒ぶる勧誘員と何回もジャンケンさせたんだから、そろそろ必殺技の一つや二つ教えてよ!」


「断る」


 必殺技という響きに憧れてか、栗子はしつこく教えをせがむ。


 しかしジャンケン大会までもう一週間も無いというのに、そんな一朝一夕で会得出来てしまう必殺技に意味はあるのかと問いかける。


「でも逆にさ『こ、この技をこんな短期間で修得するとは……』みたいに凄い潜在能力をアタシが持ってたらカッコよくない?」


「ねーよ」


 潜在能力を、カッコイイという点と共に否定する。


 栗子は頬を膨らませてぷんすか怒りながら、啓とは別の方向に歩き出した。


「いじわる、じゃあね師匠」


 ぶんぶん手を振って別れを告げる。


 啓も自宅への帰路を歩みだそうとした時、ふと背後から声が掛かる。


「啓君……今からお帰りですか?」


 普段の啓ならばこのような問いかけにも気にせず歩き続けるのだが、聞き覚えのある声だったのでその足を止める。


「……ああ」


 振り向き、そう答える。


 啓の想像通り、そこに居たのは両目を閉ざした女子生徒だった。


 三井巴。


 啓たちと同じ高校に通う三年生。啓やチーコとは昔から付き合いのある、いわゆる幼馴染である。目を閉ざしたままの彼女は盲目。しかし生活能力は健常者と大差ない。事実、巴は登下校時において白い杖などは持ち合わせていなかった。


「啓君、ジャンケン大会に参加するようですね」


「いいや、面倒だ」


 帰り道。


 二十分かけて歩く帰り道。それを巴のペースに合わせて並んで歩く。本来ならば人の歩幅に合わせて歩くなどという面倒な歩き方はしないのだが、やはり巴の目が見えない事を考慮して並んで歩く。


「石田さんの助っ人として参加するらしいと聞いていますよ。本人から」


「あいつが勝手に言ってるだけだ」


「そうなんですか? 石田さんに師匠と呼ばれていたじゃないですか?」


「あいつが勝手に呼んでるだけだ」


 車の音や振動。人の気配や風の匂いなどを敏感に察知しながら歩く巴を連れて、危なげない様子で家の前まで到着した。


「啓君の家に着きましたね」


「ああ」


「天気予報では雨は降らないと言っていましたし、ここまでで結構ですよ?」


「ああ」


「……ですが槍が降らないとはお天気お姉さんも言っていませんでしたので、やはり家まで一緒に行きましょう」


 啓は家に入ろうとしなかった。


 それを察して、巴は良く分からない理由を付けて啓と共に再び家路を歩く。


「啓君のような強い方が参加してくれれば大会も盛り上がるので、私としては石田さんの助っ人で参戦していただけると喜ばしい事なのですけどね」


「そういや生徒会だったな」


「ええ、それも副会長ですよ。大会では審判もやっちゃいます」


 行く手を阻む電柱や、段差のある階段も話をしながらスイスイ進んでいく。それでも、啓は巴から目を放さずに同行した。


「そろそろ着きますね。久しぶりに家に寄って行きますか?」


「いや、えっと……」


 どうしたものかと戸惑う啓。


 そんな雰囲気を察してか、巴はスッと開いた右手を見せ付ける。


「迷った時はジャンケンしましょう、啓君が私に勝ったらおいしいお茶とお菓子をごちそうしちゃいます」


 その提案に賛成し、その場で右手を左肩に置く。


 巴も同様に、自身の肩を軽く掴む様な姿勢を取った。


「じゃあ行きますよ。ジャンケン――」






 ――自室。


 店の裏口からすぐの階段を登り、自分の部屋へと入る。


 ガチャ。


「うわっ!?」


 ドアを開けてすぐ目に飛び込んできたのは、ベッドの上でだらしなく寝転びながらマンガを読んでいるチーコの姿。


「いきなり開けたらびっくりするだろ! ノックぐらいしろ!」


 半身を起こして怒鳴るチーコ。自分の部屋に入る時にまで人にノックを強要するチーコ。実に自分勝手な要求である。


「うるさい、それと足を閉じろ」


「ん? 何でだ?」


「パンツが見えてる」


「っ!!!」


 バッと素早く下半身を防御したかと思えば、ズンズンと歩み寄るチーコ。


 パチーン!


 叩かれる。自室にノックせずに入り、だらしのない格好で居るのを指摘しただけで叩かれる。腑に落ちない。


「全く、啓はいつもエロい事ばっかり言うな。エロエロ啓だ」


 叩かれた上に罵倒される。いつも通りの流れを経由して啓は今日の夕刊を手に取る。


 するとすぐにチーコが勉強を教えろと言ってきたので、自分で努力することの大切さを教えてやった。


「そんなのいいから問題教えろ」


 ありがたい言葉を右から左に受け流され、仕方なく宿題を見てやる。


 正直な話、そろそろ家庭教師のバイト代をもらってもいい気がしてきた。


「チーコ、ジャンケンするか?」


「何だ急に? 啓はジャンケン強いから私とじゃ勝負にならないだろ」


「強い……か」


 開いた右手をジッと見つめる。


 何度もジャンケンで勝利してきたパー。どんなグーも蹴散らしてきたパーだ。


「ジャンケンポン」

「わっ!?」


 パー。

 グー。


 唐突に勝負を始めた啓は、見事に勝利を収めた。


「いきなりなんてずるいぞっ!」


「俺の勝ちだ。冷蔵庫にあるアイスを取ってきてくれ」


「なにっ! アイスがあるのか!?」


 バタバタと勢い良く階段を駆け下りるチーコ。


 勝利の後だというのに、啓はどこか冷たい表情のまま自分の右手を見つめ続けていた。

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