第4話 勧誘の嵐

 ――翌朝。


 起床朝食洗顔着替え。全てを済ませた啓は準備万端の状態で出かけた。


 だが、その行き先は学校とは反対の方向。とは言え徒歩一分の短い距離だ。


 ピンポーン。


「――うぁあああああっ! 今すぐ行くから上がって待ってろ!」


 今すぐ行ける状態ならばわざわざ上がる必要など無いだろうと言いたい所だが、準備に時間が掛かるから上がって待っていろという事なのだろう。


 まだ始業時間まで余裕がある為、言われるがままにチーコの家へお邪魔する。


 ガチャ。


 中に入りまずは真っ直ぐ進んでリビングを見ると、朝食を食べ終えて出しっぱなしになされている食器類を発見。流しに入れておく。


 次いでチーコの部屋へ行くと、そこには開けっ放しのクローゼットと牛乳か何かを飲み終えた白いコップを発見。クローゼットを閉じてコップは流しに入れておく。


 そして先程からバタバタと足音がする洗面所へと向かうと、制服姿のチーコが鏡の前でうんうん唸っているのを発見。これも流しに入れておく。


「うぉいっ! わたしまで流しに入れようとするな!」


 どうやら洗い物を流しに片付けていた事を知っていた模様。


 だが、いかに万能な流しさえもチーコは入らない。チーコを運ぶのを止めた。


「待ってろと言っただろ! 片付けはいいから大人しくしていろ!」


 特別片付けが好きなわけでは無いが、散らかっている物が気になったので片しただけだ。


 そもそも人を呼びつけておいて待たせるのはいかがなものかと思ったが、それを言おうとした時にチーコは再び鏡の前で真剣な顔をしていた。


「何をしている?」


「こ……こんたくぅ……とおっ!」


 ズズッ。


 目をパチクリさせて鏡と向かう。ちょっぴり出た涙と鼻水を袖で拭いつつ鏡と向かう。


 チーコがコンタクトにしたのは高校に入ってから、つい最近の事だ。


「泣くほど痛いならメガネにしろよ」


「ちょっと涙が出ただけだ! それより行くぞ!」





――通学路。


 自宅から学校までは二十分もあれば着く距離なので、往復の移動手段は徒歩である。


「おいっすおはよう!」


 行き交う人々の中、校舎が見え始めた辺りでチーコと同じ一年生女子の姿が見えた。


 元気良く挨拶をする女子生徒に、チーコは手を挙げて返事をする。


「おはようさっちゃん」


 何度か顔を見たことのある人物。チーコのクラスメイトだ。


 それを確認した啓は、無言でスタスタと速度を上げて歩き出した。





 ――二年C組。


 チーコと別れ、自分の教室に入ろうとした啓。だが、人が多くて入れない。しばらく待つ。


 ザワザワザワ。


 何故か教室の前には人だかり、何か事件でも起きたのだろうか。


「あっ、手之内だ!」


 無礼にも人を指差す輩。そしてその声に反応する群集。


 とてつもなく面倒な匂いがぷんぷんしてきたので、教室に入る前にトイレに向かう。


「逃げたぞ、追えぇええい!」


 ドドドドドド!


 集団は何故か走ってこちらに向かってくる。廊下を走るなという注意書きに喧嘩を売るようにして走ってくる。


「…………」


 逃げ回るのもそれはそれで面倒なので、啓はやはり教室に向かった。


 その様子を見るや否や、走っていた生徒達はピタリと足を止めた。


「フッ、ようやく我が陸上部の助っ人として参加してくれる決心がついたのかい?」


「ねーよ」


 スッ、と人々の間をすり抜けるようにして教室に入る啓。


 しかし、教室に入ってからもしつこい勧誘は続いた。


 男子、女子。一年生から三年生まで、部活動に所属しているであろう様々な生徒達からの勧誘活動。HRの時間まで落ち着いて朝刊を読む暇さえ無い。


「フンッ、いずれアタシに倒されるとも知らずにスター気取り? 良いご身分ね師匠」


「誰が師匠だ」


 朝っぱらからやかましい奴が絡んできかと思えば、それはやはり栗子だった。各部の勧誘文句がBGMであることから、何やら不機嫌な様子。


「元はといえばお前が負けたせいだ、こいつら何とかしろよ」


「クッ、ちょっと立場が上になったからって面倒な事はすぐ下の人間を使う……まぁ、ここで逃げたらアタシまで冷たい人間だと思われちゃうから嫌々ながら助けてあげるよ」


 ワイワイガヤガヤ。


 啓の周りに群がる人々。その数は昨日よりも増えていた。


 拒否。反対。無視。無言。


 何をしてもめげずに勧誘を続けるしつこい連中に、啓はうんざりしていた。


「さて……ここは定石通り、これしか無いよね!」


 グッと親指を立てて歯を見せる。


 バンッ!


 ざわついた騒音を一喝すべく、机を思い切りグーで叩く。


「みんな聞いて! 今度の大会では師匠の実力を一番近くで見るために、師匠はアタシの助っ人として参加する。これはいずれ師匠を倒すために必要な事だから……それでも師匠を助っ人に加えたいのなら、弟子であるアタシに勝ってからにしてよね!」


 声高らかに言った。


 すると、やかましい勧誘とは一変して静かなひそひそ声が漏れ始めた。


「おいおい……石田栗子に勝てるか?」


「勘弁してくれよ……石田に勝てるなら手之内を勧誘するわけないじゃん」


「師弟関係……の割りには手之内君に敵対心があるみたいだけど何故かしら?」


「昨日のおっぱい触った事からして……あの二人って何かあるみたいね」


 静かになった教室で、無駄に多いギャラリー達はお互いの出方を伺っているようだ。


 栗子は得意げに「どやっ」と胸を張る。


「どうどう? アタシ今いいこと言ったよね?」


「そうか?」


 やかましさは減少し、早々に勧誘を諦める者達も出てきた。


 先程よりは幾分過ごしやすくなった所で、今朝の朝刊を取り出した時だ。


「――おい啓っ!」


 人ごみの中から女の子の声がした。


 その声に反応した一同は、ススッとその人物が通れるように道を空けた。


「誰だこの女はっ! それと弟子とか師匠って何なんだ!?」


 飴色の玉ねぎヘアーに青い瞳、それらフランス成分を兼ね備えた小柄な少女。チーコである。


 どうして部活に所属していないチーコが教室にやって来た真意を問い詰める間もなく、ツカツカと啓に歩み寄り、ガサッと新聞を取り上げた。


「この小さい子が最初の挑戦者か……だけどアタシ、全力で行くからね!」


「ん、何だ?」


 師弟関係の事情を聞きだそうとしたチーコだったが、栗子はすでに拳を握り締めていた。


 それを高々と上げ、声を掛ける。


「ジャン……ケン――」


「なななっ、何だぁ!?」


 ビュンッ!


 高速で振り下ろした栗子の拳が、綺麗に直線上を通ってチーコの目の前に繰り出される。


「――ポンッ!」


 ジャンケンの掛け声に反応し、咄嗟に手を出すチーコ。


 だが、そんな心構えの者が偶然で勝てる程ジャンケンは甘くなかった。


 グー。

 チョキ。


 勝敗は決した。


「貴女が弱いんじゃない……私が強すぎただけだから」


 フッ。


 どこか遠い目をして、栗子は勝利の感覚に浸っていた。


 一方、負けたチーコは何故か無性に悔しがっていた。


「くっ、くそっ……おい啓っ、敵を討て!」


「嫌だね、自分の教室へ帰れ」


 ジャンケンをしている間に新聞紙を取り返したので、それを読み始める啓。


 だが、この勝負がきっかけで教室内は再びヒートアップする。


「うおおっ! やはり強いぜ石田栗子!」


「流石だな、謎の小さな挑戦者が一瞬にしてやられたな」


「あの子一年生? 外人さんかな?」


「それより手之内君の事を下の名前で呼んでたわよ、もしかして彼女ぉ?」


 やはり素人のチーコでは相手にならない。栗子の実力は確かだった。


 そして、目の前でチーコが敗北した事により新たな挑戦者は現れなかった。


「啓、おい啓っ! さっさとこいつを負かせ!」


「すでに昨日鼻たらして泣くほど負かしたからパス」


「そうか、ならいい」


 チーコは納得した。


 すると栗子は手でバツ印を作って口を挟む。


「勧誘の嵐から助けてあげた人の温情を忘れて嘘を吐く……最悪な師匠だね。まぁおっぱい触られちゃった時はちょっと泣きそうになったケド」


「こっ、こいつが昨日言ってた変態おっぱい女か!?」


 驚きつつも栗子の胸をまじまじと確認。そして「フッ」と鼻息を漏らす。


「なっ、何?」


「ああ気にするな、大した大きさじゃないと思っただけだ」


「いやそれ気にするよ!」


 背丈こそ小柄な割りに大した大きさを持ち合わせているチーコに貶され、栗子はちょっぴりショックを受けた。


「くっ……こんなおっぱい以外は小さい子を刺客として送り込み、弟子に精神的にダメージを与えるなんて汚い。さすが師匠汚い」


「言いがかりだ」


 そうこうしている内に担任の教師がやって来たので、ゾロゾロと各自は自分たちの教室に戻って行った。


「……全然読めなかった」


 HRが始まるので、読み始めたばかりの新聞にしばしの別れを告げた。

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