第3話 幼馴染 来客

 ――キーンコーンカーンコーン。


 のんびりと新聞を読んだ昼休み。退屈な午後の授業を終えての放課後。


 部活や委員会に属していない啓は、特に誰と「さよなら」の挨拶を交わす事無く教室を出て帰ろうとした。


「おっと待ちな」


「嫌だね」


 そんな安っぽい台詞で待つ啓ではない。教室を出た。


 しかし、その忠告を聞かずに教室を出た啓を待っていたのは数にして二十はあろう人だかりだった。


「手之内だ……あの石田栗子に勝ったらしいぜ」


「一度のあいこも出させずに圧勝だってよ」


「俺はジャンケンで負かして石田のおっぱい揉んだって聞いたぜ」


「何でも近くに居た花一さんの胸も揉んだみたいよ」


 ザワザワザワ。


 いくつかの誤報を得た多くの人間の視線が突き刺さる。それ自体は別段何ともないが、行く手を阻まれていては帰るに帰れない。用が無いならさっさとそこをどいてもらいたい所だが、何か言いたい事があるようだ。


 はぁ……。


 全く、何だか知らんが面倒なことになりそうだ。


 帰ろうとした矢先、どういうわけだが行く手を阻まれているので仕方なしに邪魔する奴らに「どけよ」と声をかける。無論その一言で道を空けてくれるのならばこんな所にわらわらと集まっているはずも無いだろうが、一応声をかけた。


「フッ、そう冷たくしないでほしいな。僕らは君に協力してもらいたくてね」


「嫌だね」


「まだ用件言ってないんだが!?」


 面倒くさそうなので断る。用件も聞かずに断る。


 だが、聞く耳持たない啓に対して連中は勝手に語り始めた。


「ハッ、部活に所属していない君は知らないだろうが校内で定期的に開かれるジャンケン大会。その成績で各部活や同好会の地位と名誉と部費の増減が決められているのだ」


 いかにも説明するのが好きそうなメガネ男子が、同じクラスに居たと思うがイマイチ名前を思い出せないメガネ男が、クイッとメガネのズレを直しながら語り続ける。


「フフン、そして運動部は普段練習で使うグラウンドを、文化部は文化祭での教室などを優遇される他にも大会で好成績を残した同好会には人数関係なしに部として扱われる特典満載のイベント。それが校内ジャンケン大会だ!」


「……そうか、じゃあ勝手に頑張れよ。科学部の綾小路」


「ちっがう! 僕はこう見えても陸上部、しかも綾小路じゃなくて岩本だ!」


 おそらく明日には忘れているであろう情報を訂正される。


 名前と部活を間違えられてヒートアップしたのか、岩本はまだまだ語ることを止めない。


「フフッ、来週から始まる予選を勝ち抜き本選へ残るには五つの勝ち星が必要。しかしその間に三敗してしまえば即失格。運だけで勝ち残るのは非常に困難」


 だからどうしたと言いたい所だが、奴の言わんとしている事に見当がついた。


「フフフ、ちなみに部に入っていない者は助っ人として任意の団体に参加出来るのだよ。そこでだ手之内君、わが陸上部の助っ人として――」


「嫌だね」


「しっかり説明したのに拒否!?」


 予想通り面倒そうな話だった。そんな事に付き合う気はさらさら無い。


 キッ。


 他の連中に目を向けると、すぐに道が開くと考えていたが甘かった。


「ちょっと陸上部、手之内君はウチら料理同好会の助っ人になるのよ!」


「何言ってんだ、手之内は俺らアメフト同好会の為に活躍してもらうぜ!」


「あっは~ん、水泳部を手伝ってくれたら女の子の水着が見放題よ~」


「小生の漫研なら萌え萌えぷるんたんのポスターを贈呈するでござるなりぶー」


 新入生の勧誘期間はとうに過ぎているというのに、熱く勧誘する各部活の面々。


 こうもわらわらと迫られては正直鬱陶しい。さてはてどうしたものかと腕を組んで考え始めると、何を勘違いしたのか連中のテンションは益々上昇した。


「おぉおおおおお! どこの助っ人に入るのか悩んでるぜ!」


「俺だ!」


「いいえ私よ!」


 どのようにしてこの場を去ろうかと考えていたのだが、こうも熱の入った場は苦手だ。


 窮地に追い詰められたと言ったら大げさかもしれないが、ほどほどに困った状況を打破する者が登場した。


「――師匠っ!」


 栗子だ。


 先程の落ち込みようはどこかに忘れていったのか、元気な声を浴びせてきた。


「石田だ! 前大会本選出場、学年最強と謳われる石田だ!」


「石田さんだわ! 手之内君に負けて辱めを受けた石田さんだわ!」


「石田だ! 手之内の事を師匠って呼んでいたけど、どういう関係なんだ?」


 注目の対象が啓から栗子へと移り変わった。


 殺到する質問攻め。グイグイと詰め寄る大衆。


「ちょっと何なの、アタシは師匠に話が……ってあれ、師匠はどこ?」


『なにぃっ!?』


 無論、助けるメリットも無ければ義理も無い。皆の興味が栗子に向いた瞬間に啓はその場を立ち去っていたのだ。




――自室。


 ようやく安らぎの空間へと帰還した所で、一先ず本日の夕刊に目を通す。


 ガサッ。


 あたかも全て真実が書かれているような記事を疑いながら読み続ける。すると下の階、つまりケーキ屋の方から母親の呼ぶ声が聞こえてきた。


「啓―、ちょっとこっちに来なさいよー」


 用件も言わずにただ来いとの命令。


 当然それに従うわけも無く、黙々と夕刊の続きを読み始める。すると……。


 バタバタバタバタッ!


 激しく階段を駆け上がる音。


 それが聞こえてすぐに、ドアの開く音がやってくる。


 ガチャッ!


 ハァハァと息を切らしてやって来たのは、青い瞳の少女だった。


「チーコか、何だ?」


 小谷千香。


 啓より一つ年下の幼馴染であり、チーコという愛称で呼ばれている。


 飴色の髪をやや後ろで縛ったヘアスタイル、玉ねぎと遜色ない髪を持つ小柄な少女。フランス人の血を引いた青い瞳が特徴的な少女。それがチーコだ。


「何だじゃないだろ啓っ! お前わたしに言うことあるんじゃないのか!」


「ないね」


 チーコに対して何かした覚えの無い啓は即答した。


 読みたがっていたマンガを処分してしまった時や、借りていたゲームのセーブを消してしまった時ならばともかく、今日は特に告げるべき連絡事項は無い。


「おっ、お前学校で女子のおおお……おっぱい触ったらしいじゃないかっ!」


「ねーよ」


 色白の顔を頬だけ赤くさせながら問い詰めるチーコだが、啓はすぐに否定した。


 それを聞いたチーコは「そうか、ならいい」と納得しかけたが、ハッと首を振りもう一度同じ質問をしてきた。


「でもでもっ、同じクラスのさっちゃんやみっちゃんだってそう言ってたんだぞ! 本当の事を言わないと怒るぞっ!」


 もうすでに怒っているだろうと指摘すれば、怒りが更にこみ上げることなど把握しているため、面倒だが少し詳しく答えてやる。


「チーコ、俺の腕を持ってみろ」


「ん? こ、こうか?」


 向かい合って座るチーコに、右肘辺りを下から支えるようにして持たせる。


 こうして腕の軌道が自由にならない事を検証して見せ、また次の指示を出す。


「そのまま自分の方に引っ張ってみろ」


「よっと」


 もにゅん。


 自由の利かない啓の腕はチーコの胸部に向かって真っ直ぐ伸び、大きく開かれたその手はおっぱいへと辿り着いた。


「まぁこんなワケだ」


「どんなワケなんだ……って、ドサクサに紛れてわたしのおっぱい触ってるじゃないか! このヘンタイ!」


「じゃあ放せよ」


「お前が放せ! スケベ啓!」


「だからお前が腕押さえてるから動かせないだろうが」


 パチィイイン!


 激しい音と同時に、頬にチーコの手形が付いた。


 理不尽。あまりにも理不尽な叩かれ方をしたが、これでようやく右手が解放された。


「まっ、全くエッチな奴だ。エチエチ啓だ」


 人を叩いておいてブツブツと罵倒する。それにしても酷い言われようだ。


 ようやく声を止めたと思えば、真っ赤になった顔をズズイとこちらに近づけてきた。


「……むぅ」


「何だよ?」


 照れも焦りもしない。顔色一つ変えない啓を見て、チーコは口を尖らせる。


 フンッ。


 鼻息荒く、そっぽを向いた。


「何でもないっ!」


 そう言って、ガサゴソと鞄から教科書やらノートやらを取り出す。


 数学Ⅰ。


 黄色い表紙のそれと共に、問題が詰まったプリントを啓に見せ付ける。


「今日は数学の宿題が出た」


「そうか、頑張れよ」


「無理、お前も手伝え」


 戦う前から諦める。事前に宿題の難易度と自分の学力を比べる分析力は立派だが、だからと言ってすぐに他人を頼るのはよくない。そのようにチーコを諭した。


「ぐっ……じゃ、じゃあ分からないところ教えろ」


 妥協案が通り、チーコは部屋の中央にある四角いテーブルで宿題を始めた。


 家庭教師のバイト代を貰っているわけでもないのに分からない問題の度にチーコに教え、ケーキ屋の客でもないのに母親が店から持ってきたケーキを与える。


 しばらくして、チーコはシャーペンを置いてゴロンと横になった。


「……終わった~」


「そうか、良かったな」


 宿題を終えた達成感と開放感でリラックスしていたチーコだが、ハッと何かに気が付き飛び起きた。


「トイレか? 漏らす前に早く行けよ」


「ちがうわっ!」


 どうやら違ったようだ。だとすれば一体何なのだろう。


 黒い色をした無糖コーヒー。通称ブラックコーヒーを飲み干し聞き返す。


「じゃあ何だ?」


「さっきの話だ! お前はどうして女子のおっぱいを触ってたんだ!」


 ぷんすか怒るチーコに対し、やれやれと啓は腕を伸ばして手を開く。


「チーコ、俺の腕を持ってみろ」


「ん? こうか……ってこれはさっきもやっただろ!」


 もにゅん。


「つまりこういう事だ」


「わけわからんわ! バカッ!」


 パシィイイン!


 自分の理解力が乏しいのに人を馬鹿呼ばわりするチーコ。その上で人に平手打ちをするチーコ。どうにも落ち着きが無い奴だ。


「まっ、全くお前はスケベだな。スケベ啓だ」


 再び叩いてから罵倒する流れ。またしても酷い言われようだった。


「……今みたいに腕を掴まれていただけなんだがな」


「なっ!?」


 ぼそりと言った啓の呟きを、フォロワーでもないのに聞いたチーコは耳まで真っ赤にして驚いた。


「だだだ、だったら始めからそう言えばいいだろバカバカッ!」


 ポカポカポカポカッ!


 頭、腕、肩、その他色々と叩かれる。まぁ平手打ちと違ってダメージがあるわけでもないので気にしない。


「いちいちわたしの胸を触る必要ないじゃないかバカ啓っ……あっ」


 人をポカポカと叩いている最中、ふと思い出したように部屋の時計を確認するチーコ。


 六時五十五分。


 七に限りなく近い短針と十一に合わさった長針を見て、チーコは叩いていた手を止めた。


「そろそろ晩ご飯の時間だ。今日は帰る」


「ああ」


 いそいそと勉強道具を鞄にしまい、それを持って部屋のドアに手を掛ける。


 ギィ。


「あっ、明日も迎えに行くからな。遅れるなよ」


「お前こそな」


「あとっ、もしわたしが遅れてもちゃんと待ってろよ」


「多分な」


「たっ、多分じゃダメだ。絶対だ」


「……早く帰れ」

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