第2話 冷たいパー
「じゃあいくよ、ジャンケン……」
「――待って!」
その声は、手を大きく振りかぶっていた女子の後ろから聞こえてきた。
顔を上げて確認すると、それはえらく前髪の長い女子。クラスメイトの花一文絵た。
「どしたの文ちゃん?」
「だめだよ石田さん。勝手に人のケーキ食べておいて無理矢理ジャンケンさせるなんて良くないよ。ごめんね手之内君」
石田と呼ばれた姦しい女子の頭を下げさせ、何故か代わりに謝る文絵。
だからこれはアイスケーキだと訂正しようとしたが、面倒なので説明しない。
「別に」
シャリシャリと凍ったフルーツを食べながら返答した。
その様子を見て、頭を下げさせられた女子は不満げな顔をする。
「ぶーぶー、試合が近いから一般の人ともジャンケンの練習したかったのにー」
「だからって無理に勝負するのは良くないよ。石田さんはここ最近負け知らずだから、挑戦してくる人には困らないでしょ?」
二人が何の話をしているのかさっぱりだが、人の席で長居されては迷惑だ。
「手之内君は知らないかもしれないけど、石田さんは校内のジャンケン勝負じゃちょっとした有名人なんだよ」
「まぁね、グラウンドの場所取りや文化祭の教室決めのジャンケンなんかじゃ負け知らずだもん」
聞いてもいない説明を受けて、キャッキャと騒ぎながらの談笑は続く。
このままでは別に聞きたくも無い話だけで貴重な昼休みの時間が終わってしまう。この状況を打開するべく、ある解決策を取ることにした。
「そんなに強いんだったら、ジャンケン……してみるか?」
「えっ!?」
「俺が勝ったら、さっきのケーキ代払えよ」
バサリと新聞紙を机に置いて、軽く握った手を見せ構える。
啓の構えを見て、女も同様に強く握った拳を前に突き出す。
「はっは~ん、やっぱりこの学年最強ジャンカー。石田栗子さんの武勇伝を聞いてうずうずしてきちゃった? いやー、手之内クンて冷めてる人かと思ったけどやっぱり男の子だね、強い相手と聞いちゃ黙ってられないってやつぅ?」
「…………」
人が出そうとしたやる気に栓をするような、そんなマシンガントークだった。
振り上げていた手を静かに下ろし、チラリと文絵の方を見る。
「……やっぱやめた、代わりに相手してやってくれ」
それだけ言って、まだ冷たさの残るウーロン茶を飲み始める。
「だっ、ダメだよ私なんか去年の文化祭での教室決めには文芸部の代表でジャンケンしたけど、人気の無い教室の半分どころかそのまた半分のスペースしか取れなかったし……」
どうやら栗子と違い、文絵はジャンケンに自信が無いようだ。代役を頼もうとしても、こう尻込みしてしまっては任せ難い。
「……文ちゃん、まさか貴女と戦う事になるとはね」
「ええっ、結局私がやるの? それに石田さん、そんな最後の敵が死んだと思っていたかつての戦友だったみたいな言い方しないでよ!」
「さすがは手之内クンだね。つまり『俺と戦いたかったらまずはこいつを倒してみよ! 最も、貴様ら人間如きがそう易々と勝てる相手ではないがな』って言いたいワケね」
「それじゃあ手之内君が完っ全に悪者だよ! それに人間じゃない設定なの!?」
ワイワイと無駄な盛り上がりを見せるが、正直さっさと勝敗を決めて静かにして欲しい。
……はぁ。
「そっ、それじゃあ一回だけだよ」
「オッケー。一本勝負ね」
英語交じりで答える栗子。
やる気満々の様子を見るに、どうやら誰が相手でも良いようだ。
「じゃあいっくよ、ジャンケン……」
前に突き出した拳をゆっくりと振り上げる。
「……グー、か」
シンプルなその構えは、最もポピュラーな出し方であるグーの型だ。この名前すら知らずに使っている者が大半だろうが、拳を握ったままの状態でそれを振り下ろす素早いグー。または出す直前で自分の手を変えてのチョキが有効な反面、パーを出すときは手の形が崩れるので、その際に高い技術が必要とされる構え方である。
只の素人か、それとも……。
「――ポンッ!」
大きな声と共に手を振り下ろした。
栗子のグーの型から握ったままの拳は、一本たりともその手を離れる事無く掌の中に収まっている。対する文絵は、二本の指が飛び出してしまっていた。
グー。
チョキ。
勝敗は一瞬で決まった。
「勝利のポーズ……決めっ!」
「あぁ、やっぱり負けちゃった」
決めポーズをして喜ぶ栗子と、ガックリ首を下げる文絵。
結果は残念だが、とにかく一勝負を終えたので今日のところはもうしつこく関わってはこないだろう。
「さぁ、次はいよいよ手之内クンだね!」
「……もういい、ケーキ代はまけとく」
勝った時の商品を前借りしておきながら、更なる勝負を求めてくる。もうこれ以上勝負する必要は無いだろうと説明するも、それで納得するような栗子では無かった。
「アタシが勝ったら、明日もケーキ頂戴ね」
「…………」
人の昼食を勝手に強奪しておきながら、次の日の分まで要求する暴君っぷり。これにはもう呆れるしかない。
「じゃあ俺が勝ったら、もう俺につきまとうなよ」
「わかったわかった、ケーキケーキ!」
人の説明をロクに聞こうとせずに、頭の中は明日のケーキでいっぱいの模様。
ワクワクしながらググッと拳を握り、手を前に突き出す栗子。それを見た啓も立ち上がり構えを取った。
「じゃあいっくよ……てえぇえっ!?」
「どうした?」
啓と向き合った栗子は、思わず驚きの声を上げた。
それもその筈、啓の右手は自身の左肩に置かれていたからだ。
「中段……いや、パーの型?」
一見すると気だるそうに肩を揉んでいるだけにも思える構えだが、ここから繰り出されるパーはグーの型とは比べ物にならないスピードを発する。しかし、パー以外の手は比較的簡単に見破られてしまうので使いこなすには非常に高い技術が求められる。
「早くしろよ」
「うっ、うん」
栗子は驚いていた。パーの型をまともに使える人間など、全校生徒を合わせても数えるほどしか居ないだろうが、啓のそれは並々ならぬ威圧感さえも感じてしまう。
ふぅっ。
息を整え、栗子は気持ちを落ち着けてから再び構え直した。
腕だけでなく右半身を少し前に押し出すような、教科書通りのグーの型だ。
「じゃあ……いくよ」
ゴクリ。
栗子も、ただこの勝負を見ているだけの文絵も、固唾を呑んでお互いの手に集中する。
「ジャン……ケン――」
栗子の右手は掛け声と同時に高く上がっていたが、啓は未だに動かない。
一つ間違えれば後出しになってしまうかもしれないが、啓はギリギリまで動きを見せなかった。
そして栗子の口が大きく開く瞬間、啓は肩口から手を滑らせた。
対する栗子は、大きく振りかぶっていた手を声と同時に勢い良く振り下ろす。
「――ポォオンッ!」
手の形は崩れていない……パーだ!
手を振り下ろす僅かな時間の中で、啓の手がパーであることを認識した。栗子の出そうとしていたのはグーだが、グーの型は直前にグーからチョキへと変える事が可能。
もちろんそれを熟知している栗子は、咄嗟にチョキでの対応を試みたが……。
ピキッ!
「っ!?」
栗子の指先が、右手が、凍りつくような冷気に包まれるような感覚を受けた。まるでアイスが詰まった冷凍庫の中に手を突っ込んだ時の冷たさだ。
「…………」
啓の五本の指は、大きく開かれていた。
そう来る事が分かっていた栗子だが、その指は一本たりとも動かす事が出来なかった。
グー。
パー。
勝敗は決した。
「て……手之内君が勝った」
二人の戦いを見ていた文絵は驚きを隠せなかった。
同学年には負け知らず。校内でも上位に位置する実力者が、まさか一度のあいこも許さず負けてしまうとは思ってもいなかったからだ。
「俺の勝ちだな、とっとと自分の席に戻れ」
一本一本大きく開かれた指を見せつけながら、冷たく突き放す。
栗子は握ったままの自分の拳を、ただ呆然と眺めていた。
「ま……負け」
ガックリと、膝から崩れ落ちるようにして座り込む栗子。
よもや自分が負けるとは思いもしなかったのだろう。駆け寄ろうとした文絵さえも、近寄るのをためらう程の落ち込みぶりだ。
「そうだ、お前の負けだよ。分かったらさっさとその手をしまえ」
シッシと追い払うように開いた手で、栗子を煙たがる。
「…………」
大きな手、真っ直ぐに伸びた長い指。人を突き放す為だけに開かれた手。冷たいパーだ。
屈辱。
自信を持って出した自慢のグーが、こんなパーに負けてしまった事が悔しい。
ギリッ!
「師匠っ!」
「はぁ?」
「今出した手之内クンのパーは確かに凄いけど、あんなパーは好きじゃない。だからアタシ、不本意ながら手之内クンの弟子になるよ!」
「何故そうなる?」
啓には栗子の言っている言葉の意味がさっぱり分からなかった。
敗北し、悔しそうに唇を噛み締めながら弟子にしてくれとはどういう事なのだろうか。
「だって弟子はいつか師匠を越えるもの。ライバルだったらお互いに認め合った者同士がなるものだけど、アタシは手之内クンみたく冷めてて缶にストロー差して飲むような人はぶっちゃけ嫌いだから、弟子として師匠を超えてみせるね!」
「嫌だね」
「拒否るの早っ!?」
啓は断った。だが、断られてもハイテンションなままの栗子は正直鬱陶しい。
「なるほどね、弟子と認めさせるのが最初の試練ってワケね」
「いや……お前、さっきの約束覚えているのか?」
「えっ?」
ここで、先程取り決めていた約束について話した。啓が勝ったらもうつきまとわないという事で勝負をしていたのを、栗子はすっかりさっぱり忘れてしまっていたのだ。
「またまた師匠ってばそんな事言って~……ってしまったぁあああああ! あんな約束するんじゃなかったぁあああ! どうして文ちゃん止めてくれなかったの!?」
「わっ、私のせいなの!?」
どうやら状況を理解したようだが、それでも栗子はしつこい。諦めるという事をしなかった。
ガシッ。
唐突に啓の腕を掴む栗子。
もう払いのけるのも面倒なので、啓は手に力を加えなかった。
「くっ、約束だからしょうがないか……えいっ!」
栗子は腕を引き寄せ、その大きく開かれた手を自分の胸に寄せた。
もにゅん。
「ちょちょちょ、ちょっと! 何やってるの石田さん!?」
「ふ……フフフフフ、これでさっきの約束はチャラ! 私はケーキを、師匠は私のおっぱいを触ったんだからあいこでしょ? これでアタシの師匠になってくれるよね!」
もにゅもにゅん。
栗子の胸を、啓の手が覆い尽くすようにして触れている。
それを傍観していた文絵はあわあわと顔を赤らめていたが、当人である啓の様子はまるで違っていた。
「嫌だね」
「えっ?」
「嫌だと言っているんだ、早く手を離せ」
パシッ。
照れるどころか、顔色一つ変えずに着席。そのまま弁当箱を片付け始める。
その落ち着きぶりに、栗子はジャンケンで負けた時よりも遥かに悔しがる。
「なっ……なんでよ! 約束通りアタシは好きでもない、いやむしろ苦手なタイプの人におっぱい触らせてまで師匠に認められようとしたのに。アタシよりも文ちゃんの方がおっぱい大きいし、そりゃあそっちを触りたかったろうけどアタシは文ちゃんじゃないから大きいおっぱいは文ちゃんなんだよ!」
「ちょっ、ちょっと石田さん! 言ってる意味がわからないし、私の名前でそんな事ばっかり連呼しないで」
はぁ……。
深いため息。
そんな人生に疲れた人間が出すそれと同じものを吐き出した文絵は、激怒する栗子を連れてそそくさと自分の席へと戻っていった。
やれやれ、これでようやく静かに過ごせる。
啓は再び広げた新聞に目を通すのだった。
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