第14話「大切な人」






   14話「大切な人」




 「すみませんっ!俺、帰りますっっ!!」

 「おいっ、鑑っ」



 咄嗟に立ち上がり、すぐにでも彼女の元に向かおうとすると、滝川の手が椋の腕を掴んだ。



 「っ!離してくださいっ!」

 「落ち着いて行動するだ、鑑っ!」

 「俺は冷静ですよっ」

 「…………何かあったらすぐに連絡をしろ。先ほどおまえが言ったように少しでも違和感があったらでいい。おまえの勘や考えは、俺も信用している」

 「…………ありがとうございます」



 椋は我を失っていた事を恥て、滝川に小さな声で謝罪の意味を込めてそう言った。

 滝川が気づいてくれなければ、花霞は警察ではないから花霞は大丈夫だろうという意識があったので、もっと遅く気づく事になっていたはずだ。それなのに、滝川は椋の態度に怒ることもなく、助けると言ってくれている。

 やはり、この先輩は自分にとっては大きい存在だった。


 椋は滝川に小さく頭を下げた後、すぐに駆け出した。


 滝川はそんな椋を見送った後、すぐにスマホを取り出して電話をかけていた。その相手はもちろん夜中まで働いている仲間であり、サイバー課の人間だった。





 同じ頃。

 椋も、滝川と同じように電話をかけていた。走りながら、必死に「出てくれ………」と祈りながら電話をかけていた。

 虚しいコール音が続くだけで、花霞の明るい声は聞こえてこない。

 コール音が10回続いてから、椋は通話を切った。



 「…………花霞ちゃん………」



 夜中だけれど日付が変わる前の時間。

 今日の花霞は閉店までの勤務だったはずなので、まだ寝ていないはずだと椋は思った。

 もしかして、お風呂に入っているのかもしれない。そう思いたかったけれど、椋はそれは違うと気づいていた。


 椋の帰りが遅くなるのはいつもの事だけれど、必ず花霞に連絡は入れていた。

 連絡なしにこんな時間まで帰らないと、花霞は心配しているはずだ。そんな彼女からのメッセージもなく、そして電話にも出ない。

 どうしてなのか。


 花霞が電話に出れないような事が起こっているのではないか。

 そう考えるのが自然だった。




 「何が………『俺が守る』だよ………」



 花霞と結婚した時。

 そして、花霞が傷付いた時。

 椋は彼女に守ると誓った。


 それなのに、いざ彼女の身に何かが起ころうとしていると何も出来ない。

 仕事が忙しいから?そんな事は、理由にもならない。


 椋は仕事を全て捨ててでも彼女を守ると決めていた。警察として、そんな事はありえない考えなのかもしれない。


 けれど、椋にとって今1番大切なのは彼女なのだ。

 花霞がいるから、警察でまた働こうと思えた。そして、死にたくないと思えたのだ。


 そんな何よりも大切な彼女の安全を脅かすようなメールが届いた。たかがメールと思っていたのが甘かったのかもしれない。


 椋は、急いで自分の車に乗り、自宅まで急いだ。その間、何度もスマホを見るけれど彼女からの連絡はなかった。

 自宅に戻るが、部屋は真っ暗で花霞が帰宅した様子もなかった。花霞の職場の上司である栞に連絡をしたけれど、少し前に帰ったという事だった。

 花霞の帰り道を辿れば会えるかもしれない。椋は車で行くか徒歩で行くか迷ったが、車では夜道で花霞を見落しがあるかもしれない。

 それに駅などに行くときは、車が邪魔になる場合が多い。

 そのため、椋は徒歩で花霞を夜道の中探すことにした。


 走りながらも、彼女にスマホに電話をするが、相変わらず花霞が電話に出ることはない。

 時間が経つにつれて、椋の焦りは大きくなる。



 花霞に何かあったら………。

 その事ばかりが頭を支配していた。



 「電車の中で寝ちゃったの」「スマホを職場に忘れてしまって……」「心配かけて、ごめんね」、申し訳なさそうに謝りながら、椋の前に現れてくれればいいのに。


 椋は夜道を走り回りながら、花霞の無事を祈るしか出来なかった。










   ☆☆☆




 「遅くなっちゃったな………」



 花霞は、夜道を走りながら独り呟いた。

 閉店間際に来店したお客様の予約が大量だったため、店を閉めて退勤したのは、いつもより大分遅くなってしまったのだ。

 けれど、お店をとても好いてくれる常連様で、花霞も馴染みのお客のため、とても有意義な時間だった。華道の先生であるお客様とお花の話をするのは楽しみであり、勉強になる事が多かった。


 けれど、遅い時間になると電車の数も少なくなる。ますます帰宅時間が遅くなると椋は心配するかなと思ったけれど、彼からメッセージは届いていなかった。

 きっと、椋も忙しいのだろう。余計な心配をかけるのはよくないと思いスマホを閉じようとした時だった。


 急にスマホがブブッと震えた。

 そして、画面がロック画面から動かなくなったのだ。



 「あれ………どうしたんだろう?」



 花霞は不思議に思いながら、1度スマホの電源を落としてバックに閉まった。



 それから、夜道を一人で歩く。

 駅周辺は人も多いが、マンションがある辺りは住宅地になっているため、深夜になると人が少なかった。

 真っ暗で静かな道を独りで歩くのは、やはり怖いものだった。

 花霞はギュッと鞄を握りしめて、少し早足で夜道を急いだ。



 そんな時1台の車が後ろからライトを照らして花霞の方向に走ってきた。花霞は少し壁側に移動して歩く。すれ違う時は少しドキッとするな、と思いながら歩き続ける。

 と、その車は花霞の真横で突然急停止したのだ。


 ハッとした時には、すでに大きな車から人が降りてきていた。



 「見つけた」



 ぞっとするほどに低く、そして恐ろしい声だった。車から降りてきたのは、ニット帽を被り黒いマスクをした男だった。目元だけが見えたが、その目が冷酷に微笑んでいるのがわかった。

 花霞は恐ろしさのあまりに固まってしまったけれど、その黒マスクの男の手が自分に伸びててきたのを見て、咄嗟にその男に向かってバックを投げつけた。

 


 「っっ!」



 それが黒マスクの男に当たる。

 バックの中身が道路に散らばり、様々な音が響く。けれど、男は何事もなかったように、それを無視して、花霞の腕を力強く掴んだ。



 「やっ!!」



 本当に怖いことと直面すると人は声が出なくなるのだ。花霞はその事を初めて知った。


 黒マスクの男が花霞の腕を引っ張り、車に引きずり込もうもした。花霞は震える体で抵抗するけれど、男の力に敵うはずもなく、ずるずると車の中に体が引き寄せされていく。



 誰か…………助けて………。

 椋さんっ!!!



 花霞はギュッと目を瞑って、心の中で愛しい人の名前を呼んだ。


 このまま車の中に入れられてしまったら自分はどうなるのだろうか。そして、この男は誰だろうか?


 …………もう、椋と会えなくなってしまうのか。


 一瞬のうちで様々な事が頭の中を巡り、花霞の瞳に涙がたまっていった。




 「おいっ!!何やってんだよっ!」



 突然肩を抱き抱えられ、花霞の体は先ほどとは逆の方向へと向かう。

 予想しなかった事に、花霞は驚き、体がふらついてしまう。けれど、花霞を助けた者が体を支えてくれて、転倒せずにすんだ。



 花霞は、その相手を見上げた。


 椋と同じ黒髪。けれど、長めのストレートヘアをまっすぐに切り揃えている。片耳からはシルバーのピアスが髪の間からのぞいている。

 切れ長の綺麗な瞳は、花霞ではなく車にいる黒マスクの男を睨み付けていた。



 「さっさっと失せろ………」



 その男の口からは聞いたことがない、ドスの効いた声が発せられた。



 「蛍………くん………?」



 花霞は思わず別人じゃないかと思い、彼の名前を呼んだ。



 すると、名前を呼ばれた蛍は花霞の方を向いて、いつもの優しい笑みを浮かべたのだった。





 

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