第1話「再出発」






   1話「再出発」



 高台には温かい風が吹いていた。

 け青空を見上げると、ゆっくりと雲が流れ、視界の端には新緑の木々たちが揺れている。


 花霞は、視線を下ろし、青々とした草花を見つめながら、小さな花畑のようだなと思った。緑の中に点々と咲く小さな野花は、様々な色合いで咲いている。ゆらゆらと揺れて「気持ちいい」と喜んでいるみたいに思えて、花霞は思わず微笑んでしまう。



 「花霞ちゃん!」

 「あ、はーい。今行くよー」



 愛しい人の声が聞こえ、花霞は振り向き声の主のところまで駆け寄った。

 そこには、黒いスーツを着た背の高い男性が花束を持って立っていた。

 花霞は、ニコニコと笑顔を見せながら彼に近づくと。



 「悪い、遅くなった」

 「ううん。大丈夫だよ。ここの景色、すごく綺麗だからずっと見てられるもの」

 「そうなんだよな。ここから遠くの海まで見てるんだよな」

 「うん。とっても素敵な場所だね」

 「あぁ…………よし、行くか」



 花束を持った男、花霞の夫である鑑椋だ。

 持っているブーケは花屋で働いている花霞が作ったものだった。

 花束を持っていない手で、椋は花霞の手を握りしめる。少し熱くなっている彼の体温を感じ、急いで来てくれたのかなと思い、嬉しくなる。


 「どこで待っていてくれてるの?」

 「ここより高いところだ。」



 そう言って静かな場所を歩く。

 今日は初夏でも暑い気温のはずなのに、ここは澄んでいるからか少しだけ涼しく感じる。

 しばらく坂道を歩くと、椋の足が止まった。



 「ここだ………」

 「うん。」



 椋と花霞が見つめる先には、白く輝く平らな石が地面に埋められていた。そこには、「HARUTO」と刻まれている。



 「初めまして、遥斗さん。………でも、初めましてに感じない、ですね」

 「………久しぶりだな。来るの遅くなって悪かったな」



 花霞はその場にしゃがみ、ジッとその墓石を見つめる。椋は立ったまま彼に話し掛けた。




 今日は2人で休みを取り、ある場所に来ていた。椋の後輩であり、椋を「ヒーロー」だと呼び、彼を変えてくれた大切な仲間である遥斗のお参りに来ていた。

 


 そこは街の高台にあるキリスト教徒の墓地だった。彼はキリスト教の信者であった。けれど教徒になった理由は「この場所が、好きなんです。だから、死んだらここからみんなを見ていたいなって思って。」という、何とも彼らしい理由だと椋は教えてくれた。罰当たりな事なのかもしれない。それでも、彼の部屋から使い古した聖書や讃美歌が出てきたという。両親も同じキリスト教徒だったので、幼い頃はしっかりと讃美歌を歌い祈っていたのかもしれない。



 花霞は、手を合わせながら遥斗に語りかけた。

 

 「あの日、私を助けてくれたのは遥斗さんですよね。まだ、ここに来ちゃいけないよって椋さんのところに戻してくれたのは、遥斗さんだって………。ありがとうございます。遥斗さんのおかげで私は彼の元に帰ってこれました。今、とっても幸せなんです。本当にありがとうございます」



 花霞は言葉を紡ぎながら涙が溢れてきてしまう。椋を追って銃で撃たれてしまった後、緋色は生死をさまよっていた。そんな時に、ここじゃないよと背中を押して帰る場所を教えてくれた男の人が居たのだ。


 それは、ただの夢なのかもしれない。

 けれど、椋が「それはきっと遥斗だよ」と教えてくれた時、花霞の心はふんわりと暖かくなったのを今でも覚えている。彼の言ったように、きっとそれは遥斗なのだと、花霞も感じた。


 遥斗の墓参りをしたいと言ったのも、花霞からだった。命を助けてくれた人、そして椋の心を動かした人。そんな2人にとって大切な彼に会いたかったのだ。そして、お礼を言いたかった。

 その話しをすると、椋は少し複雑な表情を見せた。彼にとって遥斗は大切な人で、守れなかった人でもある。

 きっと椋は後悔をしているのだろう。

 遥斗を死なせてしまった事を。


 だからこそ、すぐに「行こう」とは言ってはくれなかった。そして、かわりに「俺も行かなきゃいけないと思っている。………だけど、あと少し待ってくれないか。あいつに会うために、俺も決めなきゃいけない事があるから………行くタイミングは俺に任せて欲しい。」と、言われたのだ。



 それが結婚式の前の話しだったので、あれから2ヶ月以上も過ぎていた。

 けれど、「遥斗に会いに行こう」と言った彼の表情はとても晴れやかだった。






 泣いてしまった花霞の頭を、椋は優しく撫でてくれる。花霞が涙を拭いて彼を見上げると、椋は優しく微笑んだ。

 そして、花霞がつくった白と緑のブーケをプレート型の墓石の上に置いた。そして、緋色の隣に座り片ひざを着いて、墓石に触れた。


 そして、しばらくの間、椋は遥斗の事を見つめていた。さぁーっと風が吹く。彼の髪やジャケットなどが揺れている。それが、遥斗と彼の会話のように花霞には感じられた。



 「遥斗。俺、結婚したんだ。まぁ………知ってると思うけど。花霞ちゃんを助けてくれて、ありがとう。そして、悪かった………」



 椋はそう言うと少しの間、言葉を止めた。


 助けられなかった事。そして、復讐のために動いていた事。彼がどちらについて謝って知多のかわからない。もしかしたら、どちらの事も考えていたのかもしれないし、どちらでもないかもしれない。

 それは彼と遥斗だけが知る事だ。



 遥斗が亡くなり、彼の復讐をしようと決意してから、椋はここには来ていないと聞いていた。復讐が終わる頃には、自分も遥斗のところへ行けると思っていたのだ。


 けれど、今はそれもなくなり、椋は花霞と生きていく事を決めた。遥斗がそれを後押ししてくれたと、花霞も椋も思っていた。



 「おまえとの約束した夢を叶える事にした」

 「…………ぇ」



 椋の言葉に、花霞は思わず顔を上げた。

 椋は遥斗に1番かっこいいものが何かを教えてもらった。それになるために、椋は頑張ってきたのだ。

 けれど、遥斗が亡くなり復讐心からそれを辞めてしまったのだ。



 「椋さん………もしかして…………」

 「あぁ………俺は警察に戻るよ」

 「………っっ…………」



 彼の幼い頃の夢。

 遥斗との約束を2人で叶えた夢。


 それを椋はまた叶える事にしたいのだ。


 きっと、それを決めるまで遥斗に会うのを躊躇っていたのだろう。だがら、ここに来るまで時間がかかってしまったのかもしれない。



 けれど、花霞は知っていた。

 椋が警察に強い憧れを持っているのを。

 結婚式で滝川や昔の同僚と話しをしている時の彼はとてもイキイキとしていたのだ。

 

 だが、彼の中で警察に戻ることへの葛藤もあるはずだ。

 大切な後輩を守れなかった不甲斐ない自分。

 警察の真似事をして檜山を追っていた、復讐心に囚われていた自分。

 

 1度夢を諦めてしまった自分。



 きっとそんな想いが彼を悩ませたはずだ。



 けれど、椋は新しい夢の形を決めたのだろう。

 彼がまた前を向いてくれた事が嬉しくて、夢を追ってくれた事が幸せで、花霞はようやく止まった涙がまた溢れだした。

 椋はそんな花霞を見て微笑み、抱き寄せてくれる。花霞は彼の腕に包まれながら嬉し涙を流した。



 「良かった………よかったよ………椋さん………」

 「心配かけて悪かった。また警察官として頑張っていくから、花霞ちゃんに支えてもらいたい」

 「うん、もちろんだよ。………頑張ろう、ね」

 「あぁ……………」




 泉は花霞の頭を撫でながら、「頼りにしてる」と小さな声で言った。



 そして、遥斗の墓石を見て、真剣な表情で語りかけた。



 「だから、見守っててくれ。遥斗。おまえが目指した警察になるから」

 「私も椋さんを守るから、遥斗さんは安心して見ていてくださいね」

 「俺が花霞ちゃんを守るんだよ?」

 「私だって椋さんを守りますっ!」



 少し言い合いになるけれど、目が合うと自然に笑ってしまう。



 「まぁ、見ててくれよ。俺達が幸せになるために頑張るところを」



 椋と花霞は笑顔で遥斗の名前を見た。





 すると、大きな風が吹き、白と緑のブーネがゆらゆらと揺れていた。



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