第2話「食べたい」






   2話「食べたい」




 花霞と椋が結婚式を挙げた後。

 花霞の体調を考慮して、新婚旅行には行かなかった。どうせ行くならば、海外でゆっくりしたいとう考えがあったので、今は無理をしなくてもいいと2人で決めたのだった。


 花霞は仕事に復帰していたけれど、時々体調が悪くなる事があった。それは傷跡の事もあるが、仕事や家庭の環境が変わったことが大きかったようだった。



 椋の警察官を辞めてからの仕事は謎に包まれていた。けれど、彼に聞くと「起業したんだ」と、あっさり教えてくれた。警察官を辞めてから椋が選んだ仕事。それが、要人や、一般企業の役員などのボディガードだった。始めは普通の会社に入社して仕事をしていたという。けれど、警察の頃から椋の活躍は噂されていた。

 そのため、ボディーガードになった椋の噂であっという間に広がり、仕事が殺到したのだ。

 それして、椋はすぐに独立した。それだけではなく、椋がスカウトしてきたボディーガードを自分の会社に入社させて、ボディーガードの派遣会社を設立した。


 自分でも「エリート警官だったんだよ」と話していた椋だ。警察を辞めてからも、あっという間に地位を確立していったようだった。



 そして、ボディーガードを仕事にしたのには、いろいろ理由があったと聞いた。

 まずは、警察官だった時と同じように、勘や動きを鋭いままにしたかったという事だった。毎日緊張感に包まれている警察の仕事と同じようにしなければ。すぐに感覚が鈍り、檜山を捕まえる事は出来ないと思ったようだった。

 そして、もう1つは情報収集だった。要人や有名人、そして役員が集まる場所になると、重要な話題も耳にする事が多い。

 もちろん、麻薬などの話も出ることもあるだろうと考えたのだ。


 会社にしてからは、自分に依頼が入らなければ時間は自由に使えるようになり、椋は檜山について調べる事ができるようになっていたのだ。



 そして、その会社を人に譲るとなるとやはり大変だったようだ。椋が居るからと仕事を依頼する客も多かったようで、残されて社員であるボディーガードは不安になっていたそうだった。それでも、椋は客達に挨拶をしてまわり、何とか顧客を固定させたまま、自分の会社社長を辞任したのだ。


 そのため、椋はとても忙しく夜遅くまで帰宅しないこともあった。


 そして、花霞も多忙な時期を過ごしていた。

 親友であり上司でもある花屋の店主の栞が、SNSで花霞のブーケを載せてところ、あるモデルがそれを気に入り、自分の結婚式場の花を考えて欲しいと依頼されたのだ。

 今まで経験もしないことがないような大きな仕事に戸惑っていたけれど、栞や他のスタッフの力を借りて、挑戦してみることにした。

 想像以上に大変で、何度も挫けそうになったけれど、花霞の大好きな花の仕事、そして楽しみにしてくれる人がいる事、そして椋のサポートがあって、無事に仕事を終わらせる事が出来た。

 依頼してくれたモデルさんの結婚式に少しだけ顔を出したけれど、とても喜んでくれたのを見て、花霞は感激して泣いてしまったぐらいだった。



 そんな事が重なり、2人はなかなか時間も合わなければ、休みも合わずにすれ違いの日々を送っていた。そのため、花霞は時々体調を崩したりしていた。


 それが梅雨の間の事だった。

 そんな忙しい中でも、椋は花霞の事を見守ってくれていた。椋の帰宅時間が遅いこともあり、朝御飯は作らなくていいよと伝えていたけれど、椋は夜のうちに、簡単なご飯とお弁当を作ってくれていた。そこには必ずメモ書きがあって、「お疲れ様!今日は大好きなポテトサラダ入れたよ」や、「帰ってきた時に可愛いから寝顔にキスしたら、笑ってたよ」などと朝一番に椋からのメッセージを見るのが楽しみになっていた。


 そして、夜はなるべくは彼を待って一緒に食べるようにしていたけれど、それでも遅くなる時は、今度は花霞が椋に夕食を作り、手紙を残していた。

 お互いにこの手紙を残していると知って、笑ってしまった事もあった。






 それでも、2人の時間が取れなくなってしまい、花霞は溜め息をつく日が多くなった。

 警察官になった椋は今以上に多忙になり、そして夜勤も始まるだろう。それを考えると、今まで以上に寂しくなる。

 それを考えると不安になってしまった。


 その日は、彼の帰りを待っていようと決めた。次の日は休みなので少しぐらい夜更かしをしてもいいだろう。そう思って、花霞は彼に買ってもらった花の図鑑を見たり、スケッチブックを開いてブーケやリースのデザインを考えたりしながら夜を過ごした。窓から見る景色は、キラキラとしており、その光の下では家族や恋人が一緒に過ごしていたりするのだろうか。ほんな事を考えてしまう。リビングはシンッとしており、花霞はますます独りきりのような気がして、切なくなった。



 「うぅー………寂しい………早く椋さん帰ってこないかなー」



 花霞は色鉛筆を置いて、リビングのソファにドサッと横になった。小振りのふわふわしたクッションを抱きしめながら、ゆっくりと目を閉じる。クーラーの冷気を感じ、花霞は身を丸める。そういえば、最近椋さんに抱きしめて貰ってないな。

 結婚して、退院もして一緒に住んで居るのに、どうしてこんなにも悲しくなってしまうのだろうか。

 花霞は、涙が出そうになるのを我慢するために目を瞑り続けた。本当ならば、椋が帰ってくるまで起きていよう。そう思ったのに、涙を我慢したせいで、ウトウトとしてしまう。

 少しだけ。ほんの少しだけでも、夢の中で椋に抱きしめてもらう。そんな淡い期待をして、花霞は眠りについた。





 頬に温かい感触があった。


 夢で怖い夢でも見たのだろうか。花霞は泣いている夢を見て起きると、現実でも泣いているという事がよくあった。

 そのため、涙を流しているのだろうか。どんな夢を見たのかは覚えていない。けど、怖い夢は見たくない。きっとそれは、椋と離れてしまう夢だから。


 そう思って、ゆっくりと目を開ける。

 照明の光が眩しくて、花霞は目を細めた。

 目が慣れてくると、目の前に心配そうに顔を覗き込む椋の顔があった。

 ずっと待っていた、愛しい彼。



 「ぁ………椋さんだ。おかえりなさい」

 「うん。ただいま。遅くなってごめんね」



 そう言うと、椋は少し眉を下げたまま、花霞の唇に小さいキスをした。

 その微かな彼の感触を感じただけでも、体がキュンッとしてしまう。



 「椋さん………」

 「うん………花霞ちゃん、泣いてた?」

 「………ぇ………」


 

 椋は花霞の目尻に触れて、心配そうにしている。先程感じた温かさは彼が触れたものなのだろう。

 彼に泣いているところを見られてしまった。けれど、理由を話してしまえば、彼に迷惑がかかる。寂しいと言ってしまえば心配する。花霞は、そう思って開きかけた口を閉ざした。

 

 すると、椋は「花霞ちゃん」と、優しく問い掛け、体を横にしている花霞の耳元にキスを落とした後、耳元で囁いた。



 「話して………それはきっと俺には嬉しいことだから。君の本当の気持ちが聞きたいんだ。花霞ちゃんの言葉でね」

 「…………ん…………」



 花霞はくすぐったさから、身を震え微かに声が漏れてしまう。それを見て、椋は嬉しそうに微笑んでいた。

 自分の気持ちは彼にお見通しなのだろう。それがわかり、彼には敵わないなと思った。

 花霞は、ソファで寝ていた体を起こしてから、ゆっくりと話し始めた。



 「………あのね。最近、椋さんと会えなくて寂しいと、椋さんがいなくなる夢を見ることがあるの」



 椋が家から出ていってしまう夢。

 そして、あの事件に花霞が間に合わずに、椋がここに帰ってこない夢。

 そんな過去と繋がっているような夢を見る。それがあまりに鮮明すぎて、夢を見ている花霞がそれが現実のように感じてしまうのだ。


 そして、涙を流す。

 彼と会えない事が悲しくて辛くて………。



 「………おかしいよね。椋はここに居るのに」

 「…………ごめん。俺が忙しすぎたよね……。」

 「そ、そんな事ないよ!私も自分の仕事があったし………椋さんはやっとやりたかった事が出来るんだから」

 「………俺も寂しかった」

 「………っっ………」



 椋の切ない声を聞き、花霞は身が震えた。

 その言葉を、花霞は求めていたのかもしれない。花霞はそう思った。


 自分だけが彼を求め、彼は夢に夢中でそんな事は気にしていないのではないか。そんな事を考えては切なくなってしまっていた。


 


 「もう少し時間を作って君に触れるべきだった」



 そう言うと椋は、花霞の体をゆっくりと抱きしめた。花霞が求めていた温かで甘い彼の体。それを感じ、花霞は一気に幸せを感じる。先程までの冷たかった気持ちが、彼のぬくもりを感じて安心してしまう。



 「花霞ちゃん………体が冷たい」

 「あ……クーラーで少し寒くなっちゃったかな………」

 「じゃあ、温めなきゃね?」

 「………ん………」



 花霞の顎に触れ、少し下に引くと椋はそのまま深いキスを落とした。

 花霞の声がもれる。久しぶりの感触に花霞の背中はゾクッとした。



 「………あの………ごはんは…………?」

 「花霞ちゃんを食べたいかな。………って、これはベタすぎるか………」


 

 キスとキスの間に、花霞がそう言うと椋はニヤリと笑みを浮かべながら、そんな甘い言葉を言った。


 花霞は「食べて欲しかった……」などと言えるはずもなく、恥ずかしそうに椋を見つめていると、椋は受け入れてくれたと判断したのか、また本当に食べてしまうかのような深い深いキスをした。



 その夜は今まで触れられなかった分を取り戻すかのように、彼との戯れは朝方まで続いたのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る