第二十三話 「歪んだ決意」

 訳ありな師匠の訳ありな弟子としての旅が始まった。


「見よアレン。これこそが東の果ての醍醐味、世界で最も早い夜明けだ」

「はぇぇ……」


 大きな背中を追って世界の端から端まで旅して。


「見ろよアレン、アレが魔界名物《竜哭き峰》だぜ。あそこに張り付いてんのは全部竜か亜竜だ、すげえだろ!?」

「すっげぇ……!」


 約束してくれた通り、二人は広い世界を見せてくれた。

 普通の人間が七度生まれ変わっても知ることのないようなものと出会い続けた。

 もちろん、お客様気分で遊覧していただけではない。

 偉大な二人の弟子として、心身ともに一人前になれるよう鍛え上げられた。


「ほんとお前は弱っちぃなぁ! そんなんじゃまたすぐに捕まっちまうぞ?」

「師匠が、強すぎるん……です、よ…………」

「おい馬鹿者、死なない程度にやれと言っただろうが」


 ライノには主に武というものが何たるかを骨身に叩き込まれた。

 彼はかつて魔界の四将にまで上り詰めた戦士であり、めっぽう強かった。

 しかし力加減が致命的に下手くそで、何度余計に殺されたことか。


「いいかアレン? 自分を守るためにやる喧嘩はガキの喧嘩だ。自分以外を守るためにやる喧嘩がオトナの喧嘩ってもんよ!」

「なるほどなるほど……」

「フッ、誰彼構わず相手を見つけては殴り掛かっていたお前が言うようになったものだ」

「あぁ!? 喧嘩売ってんなら相手になるぞアイヴァラ! かかってこいや! 魔法は使うんじゃねえぞ!」

「ちょっと師匠! やめてくださいってば!」


 力を与えてもらっただけではなく、その正しい使い方も教えられた。

 ライノは基本的に見本にはしたくないダメな男ではあるが、不思議とついていきたくなるようなカッコいい漢でもあった。

 対してアイヴァラは非の打ちどころのない人物であり、指導者としても申し分ない。

 唯一の欠点を挙げるとすれば、三人の中で飛び抜けて頑固だということくらい。


「師匠、俺にはやっぱり無理ですって」

「無理なことなどない、風を読め。具体的にはそうだな、的の向こうにあるあの枝が揺れた時に少し上を狙ってみるといい。……今だ」

「…………当たった! できましたよ師匠!」


 彼には弓の扱いや魔法についてはもちろんのこと、長命の者に必要な処世術を教授された。

 となるとアイヴァラにだけ師事していればよいのではとなるが、そういうわけでもない。


「なーアイヴァラ、それはさすがにやりすぎなんじゃねえか?」

「馬鹿者、今やらないでいつやるというのだ。明日我々が生きている保証はないのだぞ!? アレン、できるな?」

「……はい、やれます。やらせて、ください!」

「どう見たってこれ以上はできねえって顔してんじゃねえかよ!」


 そう、死んだ方がマシだと思えるほどアイヴァラの稽古は辛く厳しいのだ。

 その時点で俺に出来ることと出来ないことを正確に見極めているため、常に限界ギリギリを要求される。

 アイヴァラの過失で死んだことは一度としてなかったが、三十年間の苦痛を経験しておらず不死者でもなければとっくに逃げ出していた。


「また私の教え方が間違っているとでも言いたいのか? お前は弟子の力を信じていないのか?」

「お前のやり方は間違ってねえけど間違ってんだよバカ野郎!」


 涼しげな瞳の奥にはいつだって己を焼き焦がすような情熱が潜んでおり、それが時折表に出る。

 もちろんそこに悪意はなく、俺の将来を本気で考えてくれてはいるのだ。

 そのせいで俺が断れないのをいつもライノが止めてくれた。

 アイヴァラが厳格で妥協を許さない父親だとしたら、ライノは逃げ道を用意してくれる気の良い叔父であった。


 そんな二人の元で四百年もの時を重ね、二人に出会う前に形成されたものは大いに塗り替えられた。

 根っこの部分が取り換えられたわけではないが、幼い頃に持ち合わせていなかった価値観や生き方を手に入れた。


 幸せだった。

 この旅が永遠に続くようにと星に願った。

 三十年間の地獄の日々と裏切り者に感謝さえした。


 だけどついに、別れの日が訪れた。


「でっかくなったなぁアレン……。昔はちょっと抱きしめただけで死にかけてたっつうのに……うぅっ!」

「ははは、師匠に鍛えられたおかげですよ」


 わんわんと泣いて涙と鼻水を垂れ流す大男にきつく抱きしめられて、俺が泣くわけにはいかないと思った。


「まったく、こんなどうしようもない男に四百年も師事して大変だったろうに」

「それは自分のことを言ってんのか? 泣きてえならすぐに泣かしてやるぞ」

「どうしたライノ、顔が赤いぞ? 悪い血が溜まっているようだな。今すぐに抜いてやろう」

「ちょっとちょっと師匠! 最後なんですから仲良く、ね!?」


 何百何千回と繰り返してきたやり取りも今日限りでおしまいになる。

 

「ではアレンよ、最後に一つ言わせてもらおう」

「どーせいつものあんまためにならねえ長ばな「――《タカラウブムスベ》」


 アイヴァラはライノを氷漬けにして黙らせ、それからいつも通りの真剣な目でこちらを向いた。


「押し潰され引き伸ばされ引き抜かれ縮められ捻じ曲げられ吊るされ折られ、刺され斬られ裂かれ打たれ焼かれ溺れ貪られ貪らされ毒され飢えさせられ嗤われそして、裏切られて。お前は痛みをよく知っているはずだ」

「はー、よく噛まずに言えるもんだなぁ」

「我々に絞り上げられたのも含め、この世界にお前より辛い目に遭った人間はいない」


 すぐに抜け出したライノが茶化すのを構わずに言葉を続ける。

 そこからいつものように長々と話が続いたが、最後にこう言った。


「お前の気が向いたらでいい。我々がしたように、自分がされたように、苦しみ喘いでいる者がいたら助けてやってほしい」

「それは、弟子への命令ですか?」

「いいや、命令ではない。対等な立場の者に対する頼みだ」

「……いいでしょう、承りました」


 俺の答えを聞いて二人は満足気な顔をする。


「さらだば」

「じゃあなアレンーッ! お前はもう一人前だぜーッ!」


 気の済むまで手を振ってから二人の進む方向とは逆に進み、三度目に振り返った時にはその姿は消えていた。

 だからようやく涙を流せた。

 弟子入りを決意したときと同じようにびぃびぃと泣いて。

 泣いて泣いて泣き尽くしてから、自分だけの道を歩き出した。


「さぁて、どこに行こうかなぁ」 


 再び師匠達と会うのはそれから二百年以上も後になる。

 二人は侵入者として、俺はそれを迎え撃つ魔人の王として。




 ♦♦♦

 



 新たなる希望と共に一人旅が始まった。といっても三人で旅していた頃とそう変わりはない。

 己を鍛えつつ自由気ままに幸福と興奮を求めて世界を巡り、遠くで泣き叫んでいる誰かを助けることはできなくとも目の前で苦しんでいる者がいれば手を差し伸べる。そして美味い飯をいただく。

 世界は広く未知に溢れているので、十年百年とそうしていても飽きなど来ない。


 しかし、またしてもツキが離れる時期がやってきた。


 何をやっても失敗が続くようになり、巡り合わせが悪くなり、裏切られる頻度も高くなったのだ。ついでに言えば頭に隕石が当たりもした。

 そんな日が続いて、狂ってしまうことさえなかったが、少しずつ擦り減っていく。

 誰よりも痛みを知っているからといって、誰よりも頑強な心を持っているわけではない。


 ほとほと疲れてしまったので、休息を取るためにほどほどの村を見つけてそこに住み着いた。

 アイヴァラから教わった技術を用いて老けることによって怪しまれずにも済んだ。

 我ながら上手くやっていたと思う。

 さらなる不運に塗りつぶされるまでは。


「――また殺されたのか!?」


 俺が住み着いてから二十年ほどして、村人が死ぬ事件が短期間に何度も起こった。

 それら一つ一つは獣に食われただの病気で急死しただの、魔が差して殺してしまっただのぼけた老人が村の外で飢えて死んだだのといった、なんてことはない不幸である。

 しかし人々はそれを祟りかはたまた村人の中に化け物が紛れ込んでいると言うようになり、疑心暗鬼に陥ってしまう。

 

「やはりあの男の仕業ではないのか?」

「あぁ、よそ者のアレンか」

「たしかにアイツは怪しすぎる」


 誓って俺は何もしていない。

 何か悪いものを呼び寄せたわけでもない。

 しかし人々はよそ者というだけで俺をやり玉に挙げた。

 公衆の面前で縛り上げられて、申し開きをさせられた。


「俺は化け物なんかじゃない! そもそも元からそんなものはいない! どうか冷静になってくれ!」

「……と言っているが、みんなはどう思う?」

「そいつのせいに決まっている」

「お前がやったんだろ! 正直に言ったらどうだ!」

「ためしに心臓に杭を打ってみればいい。それで生きていたら化け物で、死ねば潔白だ」


 二十年間という、普通の人間にとっては長い時間をかけて関係を築いてきた者達に揃って裏切られた。少し前まで笑いあっていたのに、誰一人として擁護してくれる者はいなかった。

 そうなったのは俺の関わり方が悪かったからではない。

 裏切った者が悪いというわけでもない。

 強いて言うなら人族を臆病な生き物として創造したボルトイカスピードが悪い。

 

『アレン、お前はこの先どれほど善いことをしようとも十人に裏切られるだろう。百人に裏切られるだろう。だけどもし百人の中に一人、千人の中に一人でもお前を信じてくれる者がいるのなら、その者のために許してやってほしい』


 師匠の頼みごとが脳裏を過ぎった。

 

「……分かりました。もう好きにしてください」

 

 どうせもう覆すことは無理だなと諦めて、殺されてからすぐ逃げることに決めた。


「だけど最後に一つだけいいですか?」


 ずっと後ろの方で黙っていた者を呼び寄せ、一つ尋ねる。


「君だけは俺が化け物じゃないって。何も悪いことをしていないって、信じてくれるよな?」


 今年子供をこさえたばかりの彼は、村の中で最も仲の良かった人物だ。

 なんたって二十年前に命を捨てて救い、そのせいで俺が不死者であることを唯一知っているが今の今まで誰にも漏らしていない。

 だから信じてくれるという確信があった。

 百人の中の一人、千人の中の一人であると信じていた。

 彼のために他の者全てを許してあげようと考えていた。

 

 だけど世界はそう甘くなかった。


「あんたは…………化け物だよ」

「え……」


 言葉に出してハッキリと拒絶され、そこから先はよく覚えていない。

 心臓に杭を刺されて意識が切れる前に別の何かがぷつりと音を立てて切れて。

 冷静になった時には村の人間は一人残らず死んでいた。


「……そっかぁ」


 これまで俺を裏切ったのは全て悪人だった。

 だけど今回は、善人と称せるような相手に裏切られた。


「そういうことかァー。……うん」


 周りには誰も考えを修正してくれる者がいないので、それはもう捻じ曲がったまま固まっていく。


 悪人だろうが善人だろうが人族は皆臆病だ。

 自分を傷つけないために平気で他人を傷つける。

 このような卑劣な種族が増え広がってしまえば他種族に害をなし、いずれ世界を壊してしまう。

 そうなってしまう前に俺が責任を持って減らさなければ、いいや、


「滅ぼそう」


 新たな決意をした次の行動は早かった。

 一人では時間もかかるし滅ぼしきれないかもしれないので、配下を得るために一直線に魔界へ向かった。

 途中で出会う人間を殺し、通り道にある村も町も国も滅ぼし、最後に北端の防衛地を半壊させてから封魔大陸へ渡った。


 毒の煮えたぎる沼を越え荒れ狂う嵐を抜け、魔界で最も堅牢な城の門を破って、襲い掛かってくる魔人を全て叩きのめして進み。

 そしてついに全ての魔人を統べる王、人間が魔王と呼ぶ者の元へ辿り着いた。


「その目は……人族の勇者などではない、見捨てた者の目だな。我に何の用だ?」

「いやぁ、ちょっとね? 君が人間を減らすペースが遅いから、俺が代わりにやってあげようと思ってサ。――《掌念爆砕ショウネンバクサイ》」


 これを百度の自爆を以って打ち倒し、俺は晴れて魔王となった。

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