第二十一話 「苦痛」
一度死を経験し、己が不老不死であると自覚したからといって、そう劇的に生き方が変わったわけではない。
まだ百年も生きていない青二才であっても、不死者というものが普通の人には気味悪がられ疎まれることを知っている。
だから極力普通の人間であることを装い、他人を俺の命と引き換えに助けられる時以外は極力危険を避けて行動していた。
そのように平穏に暮していたのだが、突如としてツキに見放された。
「ンンーッ!!?」
どこぞの国に滞在して、酒場で飲み比べでもして眠りこけて、そして尋常ではない激痛で目を覚ました。
目を覚ました時に俺の身体は台座に縛り付けられていて、猿轡をかまされていた。
見覚えのない部屋にあるのは物々しい実験器具や薬品の数々。
そして心臓に刃が刺さっていることに気付くのと共に意識が遠のいた。
「――おぉ! 話は本当だったのですね! おはようございます!」
全ての痛みが消えさって自分は今まさに死んだのだと自覚し、同時に喜び舞い上がる見知らぬ男を視認。いや、正確にはついさっき酒場で一度は目を合わせていた。
「いつかあなたのようなヒトが来てくれるんじゃないかとずっと夢に見ていました! これからよろしくお願いしますね!」
男は知的な容貌で子供のように目を輝かせて語る。
彼の話とおぼろげな記憶を頼りにどうしてこうなってしまったかはすぐに結びついた。
『酔っぱらって不死者であることをゲロってしまい、たまたまその場に国のお抱え研究者様がいた』
最も明かしてはいけない秘密を漏らしてしまったこと、たまたまそれを研究者に聞かれてしまったこと、その研究者が倫理観の欠けた人間であったこと、三つの不幸が完璧に噛み合った。
要するに五千年の人生で間違いなく五本指に入る大事故である。
「では早速、実験を始めましょう」
地獄の日々が始まった。
一日の始まりは決まって解剖からだ。それも生きたままで行われる。
一応は消毒されてあるナイフで腹を掻っ捌いて、一度俺が死ぬまで時間をかけてゆっくりとまさぐるのだ。研究者である男はまるで宝の山を漁るかのように嬉々として人の腹の中をいじくりまわす。俺が想定より早く死んで身体が修復された時は、だいたいもう一度腹を裂かれる。
それが終われば今度は器具や薬品を使った実験が始まる。
無理な体勢を何時間続けていたら身体に異常をきたすか。
どれほどの強度で引っ張れば腕や脚、首と身体を引き離せるか。
新作の毒薬を飲ませたらどのような効果が出るか、致死量はどのくらいか。
そして一日の終わりには、もう一度解剖される。
基本起きている間は痛いか苦しいか、あるいはその二つが同時にのしかかる。
唯一安らげるのは眠っている時間だけ。……ううん、眠っている間だってイヤな夢を見ることが多くなった。
「我が国は他と比べて小さく、当然科学力も技術力も他より劣っている。ですが、あなたが来てからその差がぐんぐんと縮まっています! 私の評価もうなぎ上りですよ! 何か食べたいものでもありますか?」
「……やめてくれ。たのむよ、なぁ。もう痛いのはいやだ。あんたも同じ人間なら分かる……だろ?」
「同じ人間だって? ご冗談を」
この頃はまだ痛みの和らげ方や痛覚を完全に遮断する術を持ち合わせていなかった。
今とは違って経験もほとんどなく、百度死のうが千度死のうが慣れることはなかった。
早く死なせてくれ。
二度と蘇らないで死んだままでいさせてくれ。
もう不老不死の力なんていらない。
なぁカミサマ、俺の声が聞こえてるだろ?
そのような願いは全て血と涙と一緒に排水溝に流れていった。
そしてそれは三年が経ち、この苦痛は永遠に続くのだなと諦めかけた頃だった。
「……なんか、上が騒がしいな」
地下にある研究室からでも分かるくらいに、老若問わずの悲鳴が聞こえてくる。
「戦争ですよ戦争。敵軍がもう都市に攻め入ってきているんです」
「負けたのか?」
「そのようですね」
地上では今まさに国が蹂躙されているというのに、男は何食わぬ顔で身支度を整えて出立の準備をする。
「あなたを連れて行けないのが心残りですが私は隠し通路で逃げます。今まで楽しかったですよ。あなたのことは忘れませ「――どこに逃げるっていうんだ?」
何の前触れもなく、研究者の胸から刃が飛び出し血が噴き出した。
いや、俺だけは音を消してこっそりと近づいてきた別の男の存在に気づいていた。
よほど的確に急所を刺されたのか、俺と同じ目に合わせてから殺したいほど憎かった男は一言も発することなく絶命した。
「よう兄ちゃん、ひでえ顔してるけど大丈夫か?」
研究者の死体を踏み越えてこちらに近づく男の身なりからして兵士だということはすぐに分かった。
俺が一度逃げ出した時に捕まえにきた兵士のとは違う紋章が描かれてもいた。
「俺はヤンコっつうんだ。そっちは?」
「アレン……です。あなたはもしかして敵国の」
「そ。お前さんの敵の敵、つまりは味方ってことだ」
ヤンコは俺にかけられた拘束をガチャガチャと手際よく解いていく。
「これでよし、と。自力で立てるか?」
味方という言葉の通り労わってくれる。
「ありがとう、ございます。ヤンコさん」
「そんな堅くならなくていいって。歳もほとんど変わらないだろ?」
ニハハと、歯を見せびらかして笑う男を俺は信じてみようと思った。
できるなら恩返しをしようとも。
「アレンさ、家族は? 故郷は?」
「家族は全員死にました。故郷に戻るつもりもありません」
「そっか。……じゃあ、ウチくる?」
だから、まんまとついていってしまった。
「ようヤンコ、弱そうな奴隷捕まえたもんだな」
「おめえそっちの気があったのかよ。もう近寄るんじゃねえぞ」
「ちげーよバーカ、こいつは俺の大切な客人だ」
戦争が終結して国に帰るまでの間、ヤンコは俺を戦利品の奴隷としてではなく、一人の人間として扱ってくれた。
国に着くまでに二日もかからなかったが、昼も夜も目を離さずに守ってくれていた。
俺が不死者であるという馬鹿げた話も、疑うことなく親身になって聞いてくれたのだ。
「着いたぜ、ここだ」
それは軍事演習場に隣接した、家というには大きめで彩りのない角ばった建物で。
しかし俺は恩人に言われるがまま、疑問の一つも持たずに入ってしまった。
「おぉい! いるかジジイ共ーっ! 連れてきたぞー!」
ヤンコが俺の肩に手を置いた状態で奥に呼びかけると、家族にしては似ていない顔の男共がゾロゾロと出てくる。
「おぉ! やっと来たか」
「まさか本当に持ってくるとはな」
「その男で間違いないな?」
「コイツで間違いねえよ。俺が嘘は嫌いなのは知ってんだろ? いいから早く金をよこせ」
本当に持ってくる? 俺で間違いない? 金をよこせ?
男達とヤンコの会話が何を意味しているのかが、全く理解できなかった。
盲信が頭の回転をほとんど停止させていた。
「先に確認してからだ。やってみろ」
「……はぁ」
ヤンコが溜息を吐き、間髪を入れずに俺の身体に激痛が走った。
あの男が殺された時と同じように、胸から刃が生え出ていた。背後から刺されたのだ。そして今それが出来る人間はただ一人。
「なん……で……。信じて……たの……に」
「騙しちまって悪いな。だけど俺は嘘は吐いてねえぜ? んじゃ、元気でな。たまに顔出す――」
裏切り者の言葉を最後まで聞くことはかなわずに意識が途絶えた。
そして次に目が覚めた時、三日前と同じように実験台の上に拘束されていた。
「おぉ! 噂は本当だったか!」
「これから長い間よろしくアレン君!」
「一秒たりとも無駄にせずに研究させてもらうよ!」
「あぁ……そうですか。やめてください、と言ってもするんでしょうね。知っていますよ」
絶望と失望、諦観やら悲痛やら憎悪やらがないまぜの負の感情に見舞われた。これを下回るものはそうそうないだろう。
犬に食われて初めて死んだ時も絶望と諦観はあったが、同時に幸福感や達成感を感じていたのだから。
「嘘は吐いていない……か」
裏切り者は最後にそう言った。
暗い闇の底で冷静になって考えてみるとたしかにそうだった。
俺は彼に大金をもたらし、研究によって国を発展させることから国民にとっては味方でもある。だから大切に扱ってくれたのだ。
「はっはーっ! こりゃ傑作だ! これ以上の馬鹿はいねえ!! ハハハッ! アァーハッハッハッ!!」
そこでついに精神を狂わせてしまったが、次蘇った時にはやはり元通りになっていた。
♦♦♦
新天地で始まった被験者生活は、それはもうあの三年間が生易しいと思えるくらいの凄絶なものだった。
うん、あまり深く思い出すのはやめよう。マニックとコウヒさんに記憶を見せているだけとはいえ、さすがに耐えられなさそうだ。
その代わり端的に言えばこうだ。
『なまじ国が大きいだけに、技術力も高く研究者の数も多い』
『豊富な薬品や器具の使用はもちろんのこと、新造兵器や魔法の試行にも俺の身体が用いられた』
『少しでも時間を無駄にしないように昼と夜で人が代わり休みなく実験が行われ』
『睡眠薬の投薬以外で夢の世界へ逃げることすら許されない』
『週に一度は演習場に駆り出され、そこで新兵を育成するために何度殴っても何度殺しても許される人形として扱われる』
『それが三十年間続いた』
もしも物語の主人公のように、非道な実験の産物で魔導の力を覚醒させたり、何度も殺されるうちに相手の技を盗んで強くなれたならと何度も夢に見た。
アイツの魂を持っているのだから、不老不死以外の何か特別な力があるんじゃないかと模索した。
十年もかけずにそんなものは何一つないのだと把握し、全てを諦めた。
演習場で抵抗しても、新兵の一人として引退させることはできなかったさ。
俺は何のためにこの世界で息をしているのだろう。
六大神とアイツは遠くから俺の姿を見て何を思っているのだろう。
アイツが来たという、世界の向こう側には何があるのだろう。
耐え切れない苦痛に泣き叫びながらも、そのような哲学染みた問答を頭の中でする余裕が生まれた頃だった。
――ズドン!!
堅牢な研究所内にズドンという豪快な音が響き渡った。
それは極めて質量の大きい何かが衝突したと思わせる轟音で。
新しい兵器の実験でもしているのかなと思ったが、そのような考えはすぐにかき消された。
「おい……」
「なんだアレ……」
研究者達の手が一斉に止まっていた。
彼らは皆揃って俺ではなく別の一点を集中して見ている。
(何があったんだ?)
辛うじて動かせる首だけを回して同じ場所を見ると。
分厚いコンクリートの壁が割れて大穴ができ、人為的な光しかなかった実験室に陽の光が入り込んでいた。
パラパラと剥がれ落ちる壁と、煙のように舞い上がった砂埃で向こう側がよく見えないなぁと、ぼぅっと眺め始めた刹那――
「ィヤッハァーッ!」
大きな黒い影が雄叫びを上げて室内に飛び込んできた。
「しゅ、襲撃だッ!!」
「兵士共、我々を守……れ……」
それはとても強く、気付いたら警備兵を全て打ちのめしていた。
獣のような動きを止めてようやく人の形をしていると分かった。
ただ、普通の人間とは違って二本の角が生えていた。
「――《
穴の向こうからまた別の者の声がすると、床を突き破って生えてきた緑に逃げようとしていた全ての研究者が足の先から頭の上まで拘束された。
それから流麗な金髪を肩まで伸ばした美青年が大穴を通ってやってきた。
彼も人族とは違い、長い耳を持っていた。
「なーアイヴァラ。こいつらもやっとくべきじゃね?」
「そうだな」
角のある方に言われてアイヴァラが背中から短弓を取り出し、何の躊躇いもなく緑に包まれた研究者達の心臓に次々と矢を命中させていく。三つ数えるよりも速かった。
それを目の当たりにした俺が言葉を失っていると、二人してこちらに寄ってきて、ニッと笑ってみせた。
「
「助けに来たぜ!」
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