第十話 「娘をください」
「聞いたところによると、賃金に見合わない働きをしてくれているそうじゃないか」
千切れかけた親子の絆を修復してからちょうど十日経った日の夜、俺とカレンは食後に雇い主の私室へ呼び出された。
大机を挟んで座る髭もじゃのお館様が苦味の強いコーヒーを啜り、俺とカレンに一方的に話を続ける。
隣には腹心の二人が屹立し、トラスアの言葉を一言一句聞き漏らさないようにしている。
「なんでもアレン君は短期間で皆の実力を飛躍的に向上させ、カレンも皆の士気を大いに高めていると耳にしたのだが。これは全て事実かね、コウヒ君」
「間違いありません」
「私の部下の中で最も実力の高いマニックが手酷くやられているとも」
「……その通りです旦那。百度やろうが相棒には勝てる気がしません」
俺とカレンが涙したあの日以降、屋敷での仕事のノルマを早めに終わらせ、それから地下に潜って仲間達を鍛え上げるという日々が続いている。
遅れてカレンもきて皆を励まし自身も稽古に参加し、もはやそこにいるだけで周囲の人間が力を得られるような存在と化していた。
「ずいぶんと同志らの信頼を勝ち取ったそうじゃないか」
「いやぁー」
「それほどでもぉー」
「ねー、えへへ」
「ねー、ぐひひ」
俺がカレンと息を合わせて笑うと、なぜか相棒が気持ち悪いモノを見る目でこちらを睨んでくるが気にしない。
「私の目に狂いはなかったようだ。君達は本当に素晴らしい人材だ!」
俺の経験上、仕事のことでべた褒めされた後は「用済みだ、消えろ」か「ではもっと大変な仕事を請け負ってもらおう」のどちらかを言い渡される場合が多いのだが、どうやら今回は後者のようだ。
口角が常に十度上がっているトラスアの顔からは、商人特有の打算と期待の感情が見て取れた。
「だからこそ屋敷仕事をさせておくには勿体ないと思ってね。これからは私の側で働いてもらいたい」
ずいぶんと我々を買ってくれているようだ。お目が高い。
「しかし、我々のような新入りがトラスア様の側付きになってもよいので? 他の仲間の反感を買うなんてことは」
俺とカレンの大抜擢に嫉妬し不快感を抱き、その腹いせに革命の計画を国に垂れ込むなんてことをする者が出てくる可能性がある。
感情だけで動いて全てを台無しにする人間というのは、いつの時代も少なからず存在するのだ。
「なに、心配は無用だ。同志達は全て私が直接人となりを見た上で引き入れた。であるからして、つまらん文句を吐いたりましてや裏切るような者はおらんよ。もし仮にいたとしたら此度の私は笑い者として無様に死に、来世にまた試みるとしよう」
「トラスア様、縁起でもないことを……」
諌めるコウヒさんを尻目にわははと笑う。
その気質にはたしかに人を惹きつけるものがあった。
この男が選んだ人間ならばきっと問題はないだろう。
「それで明日から早速だが、私とコウヒ君と共に来てもらうよ」
「あれ? マニックは来ないの?」
「彼は……コウヒ君と同様に最も信頼してはいるが、見た目が少々厳つくてね。表立った仕事には連れていきづらいのだよ」
「あぁ、たしかに。貴族と商人は評判第一ですからねぇ」
俺がニヤニヤとしてマニックを見ると、お前絶対許さねえからな、というめらめら燃える怨念が生じたのが分かった。
「それと、もう一つ頼みたいことがある」
不意にトラスアは神妙な顔をしてゴツゴツとした両手を机の上につき、
「お義父様! あなたの娘を、カレンを私にください!」
とんでもないことを口走って頭を下げた。
「トラスア様!?」
「旦那!? いきなり何を!?」
「え? あたしをくださいって、それってつまり……えぇっ!?」
突然のトチ狂った発言に場は一瞬で混乱に飲まれた。
それでも俺は真意が何か分かっているので、あえて乗ってみることに。
「この子を幸せにする覚悟があるのかね?」
「はい! 命に代えても!」
「……うむ、いいだろう。持っていくがよい。カレンも、父のことは忘れて新たな人生を歩むのだぞ」
「ちょっとアレン!? 何言ってるの!? また毒キノコでも食べたの!?」
カレンの心配を無視して、理解してもらえるようにさらに言葉を続ける。
「それでは、短い間ですが娘をお貸しします。カレン、俺はもう君の家族ではないんだ」
「カレン、これから革命が終わるまでの間だけでいい。私を父親だと思ってくれ」
そこまで言うとマニックとコウヒが理解し、狼狽え続けるカレンにゆっくりと説明を始めた。
それを最後まで聞いたカレンが不安げにつぐんでいた口を開く。
「……つまり、あたしはトラスアの娘のフリをすればいいってこと?」
「そういうこと」
「なるほどなるほど。……うん、わかった! あたしやるよ!」
そのお礼にと、トラスアがティーカップの隣に置かれた自身の菓子をカレンに渡した。
カレンはそれを喜んで受け取り、義理の親子関係が成立。
……いや、俺とて血のつながった親ではないので、義理の義理の親子ということになるか。
「ったく、旦那も人が悪い。相棒はもっと悪い、最悪な野郎だ」
「いやはや、一度言ってみたかったのだよ。ふはは」
「演技だと分かっていても中々にくるものがありますねぇ」
このままカレンの本当の親が見つからず俺が親を続けるとしても、いつか誰かと結ばれて俺の元を発つ日は必ずやってくる。
送り出すその時、笑って手を振れるだろうか。
俺はついてゆけるだろうか、カレンのいない世界のスピードに。
♦♦♦
「こちらは娘のカレンです。先日留学を終えて帰ったばかりでして、本日は私の跡継ぎとしての目を養わせるため連れて参りました」
「はじめまして、カレンと申します」
「おぉ! ダルボ殿にこのような可愛らしい御息女がいらしたとは――」
取引先や支援者、友好関係にある貴族の元へ赴いて毎度似たような辞令のやり取りをする。
革命に必要な資材や道具の調達、そして援軍。王権側が籠城したり長期戦に及んだ場合の補給のあてなど、我々の助けとなる者との関係を確認し強めることはとても大切なのだ。
「……ねぇトラスア。あたし本当に何もしなくていいの? どこに行ってもただ座ってお菓子を食べてるだけで」
七軒目に向かう馬車の中で、隣のカレンが珍しく殊勝な言葉を発した。
「ほう、ただ座ってお菓子を食べていることが悪いという自覚があったのか。君は本当にカレンなのかい?」
「うっ、うるさいわね! 悪いの!?」
「いえいえ。滅相もございません、カレンお嬢様」
また絶交宣言をされても困るので、教育係としてこれ以上のからかいもとい進言はしないことに。
そう、今の俺はカレンの父親ではなく教育係だ。
淑女のしの字も知らないカレンを立派、とまではいかないがボロを出さない程度に仕上げる役目を承った。
「あぁ愉快愉快。君達には一月と言わず、革命が終わってからも私の下で働いてもらいたいものだね。それでカレン、何もしなくていいのかと言っていたね」
「うん」
「そう、何もしなくていいのだよ。ただ私といるだけで大いに役に立ってくれている。本当だ」
カレンが場にいるだけで空気が暖かいものになり、商談がトラスアに有利に傾き、融通が利くようになる。
早い話が可愛い子の前では無理をしたくなる、恰好を付けたくなるということだ。
中にはいつかカレンを自分か息子の嫁にと企んでいる者もいるだろうな。
しかし我々は後一月も滞在しないので、求婚するならお早めに。……まぁ、最低でもアルビン以上の男でないと見合いすらさせるつもりはないがね。
「ついでにトラスア様が言いにくい事を代わりに言うと、何かされても困るのさ」
急遽教育係となった俺は、カレンに淑女のなんたるかを暇さえあれば叩き込んではいるのだが、なにぶん時間が足りない。
なので突貫工事で本当に重要な点だけを抑え、表面を塗りたくって誤魔化すことに決めた。当然貴族令嬢らしい作法などは一割も身につけていないので、余計なことをされると確実に不信感を抱かれる。特にカレンは致命的な粗相をしかねない。
それならば何もせずにじっと座って、いつもの半分以下の速さでお菓子を啄んでもらう方が断然良い。
「はいはい、どうせあたしは問題児ですよーだ」
ふんっ、と鼻を鳴らして外の景色を眺めるカレンを大人達は微笑ましく見ていた。
「そういえばアレン君、ここまではどうだったかね?」
緩んだ空気の中で緩んだ表情のままトラスアが俺に尋ねた。
「はい、今のところは問題ありません。……が、デリエン卿は叛意とまではいかずとも、トラスア様に対して少なからずの不満を溜め込んでいるようです」
カレンの教育係である俺が雇い主の側に立ってする仕事は、読心術を用いて協力者を見極めることだ。
もしも裏切りやそれに通ずる後ろめたいものを読み取れた場合には詳しく問いただし、屋敷か地下へ御案内して軟禁するだけの簡単なお仕事でもある。
「そうか……」
すぐに緩んだ表情から眉をひそめて少し残念そうな顔に変容した。
どこで間違ってしまったのかと思い巡らしてもいるようだ。
「しかし彼は良くも悪くも物質主義者であるため、多少高価な贈り物でもしておけば裏切るようなことはないかと。それで次回対面した際に変わらないようであれば屋敷へお連れします」
「うむ、ありがとう。ではコウヒ君、明日にでも二百年物の火酒を三本ほど見繕って贈り届けてくれ」
「かしこまりました」
トラスアはこれでよしと呟いてドゥマスク柄のハンカチーフで額を拭いた。
いやぁ、難儀なものだ。
当然協力を求める側は生きるか死ぬかの覚悟を決めて臨むが、協力を持ちかけられる側としても二つの選択と四つの結果を迫られることになる。
革命に協力して見事成功した暁には権力と富を増す。
協力したが失敗に終われば、諸共どん底に落ちる。
協力しなかったが革命は成功してしまった場合には、自身の地位をいくらか低くされる。
協力せず革命も完了せず、現状を維持。
最後も現状を維持とはいえど、逆恨みで殺される可能性が生まれてしまう。
俺が革命を起こすのであれば王を洗脳するか力で脅すかして、誰の協力もなしにヘイワ的に遂行できる。
カレンがトラスアの立場であったのなら類まれなる輝きで皆を惚れ従わせ、そして御伽話の主人公の如き巡り合わせとをもって完遂する。というか革命などせずとも大国の一つや二つは建てられるだろう。
しかし、そうでない普遍なる者達は、いついかなる時も悪手を打ってはいけないという重圧で神経をすり減らし、裏切られたりはしないだろうかという不安に怯え、ついには神々にもすがる。
一般庶民からすれば余裕綽々の表情で涼風を受けているように見えるだろうが、その心には嵐が吹き荒れている。日に一度しか食事のとれない貧者よりも困窮しているのだ。
「ねぇトラスア、大丈夫? 具合でも悪いの?」
「大丈夫だ、どこも悪くはない。私はいたって健康である。……ただ、寿命がちと擦り減ってしまったようだ」
「それ全然大丈夫じゃないよ!?」
「冗談だよ冗談、貴族ジョークさ。わはは」
実に難儀である。
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