第十話 「救難信号」

 鬱蒼とした森、野犬の検問を抜けたその先には。


「わぁ……!」


 先程とは打って変わった景色を目にしたカレンが息を飲む。

 道の左右、そして地平線の果てまでそれは続く。

 刈り入れどきの麦畑、黄金色の絨毯が風によってざあざあと揺れる。

 澄み渡る青空の下、陽の光に照らされて輝きを放っている。


「こんにちはーっ!!」


 カレンが突然麦畑に向けて声を張り上げ、手を振り出す。それは遠く離れた場所で刈り入れをしている人に対してだった。

 男性はかなり離れた場所で作業をしていたが、上手い具合にカレンの声が風に乗って届き、片手に黄金を掴んだまま手を振り返してきた。

 少し視力を上げて男性の顔を窺うと、額に汗をにじませながらも涼しげで晴れやかな表情をしているのが分かる。

 

 この時代は中々に苛酷で凄惨なものになっていると聞いていたが、アレはいたずらに盛っていたのだろうか。


「なんかこう、気分がいいわね!」


 これまた気持ちを高揚とさせたカレンは、麦穂に手を当てながら前に後ろに駆け回っている。

 なので手を切らないように注意だけはしておく。

 それにしても、ついさっきまで酷く落ち込み、一歩も動けないほどに怖がっていたとは思えんな。

 しかしまぁ、切り替えが早いのは良いことだ。生きていく上で大変役に立つ。

 不死者ポイントを贈呈。


「あぁ、懐かしいなぁ……」

「懐かしい?」

「遠い昔の、故郷を思い出すよ」

 

 今もあるかどうかは分からないが、南の島の小さな村。

 まだ俺が百に満たない頃の灰色の情景が思い起こされる。いや、このような情景を見るたびに思い起こすようにしているのだ。

 村のみんなの血はまだ受け継がれているのだろうか。

 もっとも、親の顔と名前以外はほとんど忘れてしまったのだが。今では親でさえどんな声だったかも覚えていないし。


「ねぇ、アレンの昔話をもっと聞かせてよ! 結婚したことはあるの?」

「いやぁ、最近は物忘れがひどくてのぅ……。記憶にはございませんな」

「それってつまり、五千年間ずっと独身……」

「おっと! その言い方だとまるで俺が全然モテない男のように聞こえるな。違うぞカレン、これには致し方ない複雑な事情があるのだ」

「聞いてあげるわ」

「まず第一に、俺は先輩方から結婚だけはやめておけと教わってきた」


 長命の者と短命の者、寿命の差が大きい二人が苦難の果てに結ばれたとする。

 たしかに彼らは何年、何十年かは幸せであろう。

 しかし、だ。

 あっという間に幸せな時間は過ぎ去り、短命の者は朽ち果てる。老いからは、死からは逃れられない。

 自分だけは若さを保ったまま、愛する者の老いる姿を見たい者がどこにいるだろうか。

 

「いいかアレン? お前は千歳以下の小娘とは契るなよ? 必ず後悔するからな? ……これは今は亡き師匠の言葉だ」

「へぇ……」

「第二に、子を作るという行為が俺には必要ない」

「どうして?」


 雄と雌が結びつき、子を作る。

 これは何かを後世に残し、受け継がせるための行為だ。

 血を、技術を、伝統を、歴史を。

 古より受け継がれてきたものを断絶させないために全ての生命は子を成す。

 しかし輪廻に還ることのない俺は、いつだって受け継ぐ側の立場なのだ。


「でも、忘れちゃったものはいっぱいあるんでしょ?」

「それは、まぁ……。何かの拍子で頭でもぶつければ思い出すだろう」

「ふぅーん」


 五千歳も年下の少女が、少しばかり馬鹿にしたような顔を俺を向けてくる。

 ……くそぅ、絶対に思い出してやるからな。

 君が十年分の記憶を思い出す前にこっちは百年分思い出してやるからな。


「まぁいいわよ。次の理由は?」

「最後の理由はだな……笑うなよ?」

「内容によるわ」

「怖いんだ」

「怖い? 何が?」


 生まれてきた子が、己と同じ異質な存在であるかもしれないことが。

 善を尽くしても疎まれ、悪を行わずとも身を焼かれ、俗世から離れて山に籠っていたとしても、不死者を便利な道具として欲しがる奴らが迎えに来る。

 逃げるのは当たり前。逃げた先で裏切られることだって当然ある。そうして力を持たぬうちに捕まってしまえば最後、実験動物のお仲間だ。

 そんな死よりも辛い思いをしてほしくない。

 だから何かの間違いで子を作ってしまった際には、心身ともに一晩で都市を滅ぼせるくらいには鍛えてやるつもりだ。


 それと仮に何の力も持たない普通の人間として生まれたとしても、不死者の子というだけで迫害は免れない。

 いつだって大衆は蛙の子は蛙、化け物の子は化け物だと決めつけるのだから。


 そして子はいつか両親を含めた、自分以外の全てに憎悪を向けるに違いない。


「それが怖いんだ」

「あたし、それをなんて言うか知ってる。キユウって言うんでしょ?」

「よく知っているな、偉いぞ。だけどこれは杞憂ではなく、実体験に基づく極めて正確な予測なのだ」


 俺の知っている長命の者で、闇堕ち経験のない者は数えるほどしかいない。

 さらに言えば闇堕ち経験のある者の中で、複数回堕ちた者は俺を含めて半数を超える。

 

「とにかくそういうわけで、俺がモテないわけじゃないんだからな? むしろ男女問わず多種多様な組織や人物が、俺を確保・収容・保護しようとするくらいにはモテるんだぞ」

「あっそ、つまんないの」


 カレンは馬鹿にするを通り越して、呆れ切った顔を俺に見せてくれた。

 ……ちくしょう、悔しい。


「で、次の話はさ」

「もう何も話す気はない」


 せめてもの報いに、しばらくの間口を閉じてやることにする。


「大人気ないわね。それでもほんとに五千歳なの?」

「……」


 もういっそ、村に着くまでは鼓膜も破っておこうか。

 

「ところでさ、あの煙は何なの?」

「……煙?」


 自分の両耳に指を突き刺そうとした瞬間、カレンが妙なことを口走った。

 うつむいた顔を上げて前を見ると、村の辺りから蛇のような白煙が一つ、天高く伸びているのが目に入った。 

 なんだ、ただの救難信号か。


「なんだろ。焼き芋でもやってるのかな」

「あれは狼煙と言ってだね、外敵に攻め込まれたりして助けが欲しい時に上げるものなんだ。覚えておくといい」

「へぇー、そうなんだ…………えっ!?」

「それでどうしたい? 急いで助けに行って焼き芋を食べさせてもらうか、それともゆっくり歩いて村人の焼肉をいただくか」


 危険な行動を強制させたくはないし、そもそも赤の他人事なので関わらないという選択肢も与えた。

 それは長く生きるためには決して間違った選択ではない……のだが、この子がどちらを選ぶかは聞かずとも分かりきっている。


「助けに行くに決まってるでしょ!!」




 ♦♦♦




 黄金に挟まれたあぜ道をカレンの全力に合わせて走り、粗末な平屋の立ち並ぶ村に到着した。

 目に見える範囲に二階建て以上の建築物はないド田舎の農村だ。

 そういった村では普通、日中のこの時間は男達は畑仕事をしに行き、子供達は鼻水を垂らしながらそこら中を走り回り、女達はその様子を見守りながら井戸端会議をしているものだ。

 

 そのはずだが、通りのどこにも人の姿はない。


「誰もいない、よ?」

「……おそらく家の中に隠れているんだろう」


 所々炊煙が上っているし洗濯物だって干されている。

 そして完全に戸締りされた家々の格子の隙間や窓の隅より、こちらを覗き見ている住民を何人か確認できた。

 もちろん俺と目が合うとすぐに顔を引っ込めたが。

 誰も彼も息を止め、じっと身を潜めている。しかしながら子供の泣き声すら漏らさないとは、ずいぶんと避難慣れしているようだ。


 しばらく人気のない通りを歩いて、村の中央広場らしき場所にやってきた。

 平時は市場が開かれ賑わっているはずの場所だが、今は品物だけ置かれた無人の露店が立ち並び、避難時の騒乱の跡が残っている。

 その中でただ一つの異質な存在が、店の前で何かを貪っていた。


「ねぇ、あれって……」

魔猿イビルコングだな」


 それが何かを端的に示すならば「猿の化け物」という言葉がしっくりくるだろう。

 褐色の剛毛と漆黒の皮膚。

 露店の屋根を優に超える背丈。

 丸太か何かと見間違えるほどに太い腕が四本。

 

「ひっ!? ……ば、化け物!」


 俺とカレンの気配に気付いたそれがぐるりと振り向いた。

 ギョロっとした三つの赤い眼でこちらを睨みつけてくる。

 いかにも小僧っ子の落書きを具現化したようなおどろおどろしい生命体だ。

 

「カレンは魔獣を見るのは初めてかい?」

「アレが……魔獣なの?」

「そう」


 魔獣や魔物などと呼ばれるそれは、人間が飼い慣らしたり共生できるような、一般的な動物と呼べる生き物ではない。

 封魔大陸つまり魔界を造り、そこに魔人を住まわせた暴虐の神ヴィールタス。魔獣は人間と動物に敵愾心を露わにした彼女の創造物である。

 その一つである魔猿はこちらをじっと睨みつけながらも襲ってくるわけでもなく、四つの手に持った野菜をただひたすらに巨大な歯でバリバリと噛み砕いている。


「もしかして、草食なの?」

「いいや、アレは雑食だ。コース料理よろしく先に新鮮な野菜を食い散らかしてから、肉を貪るのだろう。少なくとも二十回はヤツのメイン料理にされた覚えがある」

「なら! 早くやっつけようよ!」

「まぁ待ちなさい」


 いくら凶暴な魔獣とはいえ、何の話も聞かずに殺すというのはよろしくない。教育上よろしくない。

 話の分かる奴だって極稀にいるのだから。


「よう魔獣さんや。お前が食った分は俺が立て替えておくから、そろそろ帰ってくれんかの?」


 まずは敵意を見せることなくゆっくりと寄り、きっと人語は通じないだろうが提案した。

 怯えて媚びるわけでも、高を括って嘗めるわけでもなく、あくまで対等の立場であることを示して。

 そして魔獣は答える――


「――ヴボォオオオオオオーッ!!」


 答える、と言うよりは吠えると言った方が正しいか。

 二本の腕で自身の胸を激しく叩き、残りの二本を使ってただでさえ巨大な図体をより大きく見せて威嚇してきた。

 そしてその際に口から吐き出された粘液が、べちょりと嫌な音を立てて俺の愛着するポンチョにへばりついた。


 ……いい度胸だ。


「答えはいいえ、だな? ならば……無銭飲食及び器物損壊及び俺に汚いものをぶっかけた罪、その命で払ってもらうぞ!」

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