第九話 「超ヘイワ的措置」


「よし、そろそろ出発するぞカレン」

「うん」


 まだ日差しがやわらかい早朝。

 きちんと後始末をし、荷物をまとめ、森を抜けるべく出発した。

 半日も歩けば森を抜けると聞いたので、昨日のうちにと思ってはいたのだが。


「ねぇアレン! あの鳥はなんて鳥?」

「あの鳥はたしか、ホトトトキって鳥だったかな」

「この実はなんて実? 食べれる?」

「これはサライブドウと言ってね、食べると…………」

「……アレン? ねぇアレン!? もしかして死んだの!?」


 このように度々足や心臓を止めてきたので、丸一日経った今でも景色はほとんど変わらない。

 ただ、人里に近いこともあってか危険な猛獣や魔獣などは一切見当たらなかったのが唯一の救いだ。 

 俺以外の血の匂いもしなかった。


 とはいえ森の中が危険であることには変わりないので、カレンには辛いかもしれないが少しばかり歩を早くしようと思う。


 それから黙々と土を踏み続け、曲がりくねった道を辿り続け、大体六時間程度だろうか。

 まだ太陽が真上にある内に深緑の終点が現れた……だけならよかったのだが、ツイてないな。ここまで気配すらなかったというのに。

 

「あそこに何かいるけど、見える?」

「見えるとも」


 森の出口で待ち受けるように子供の背丈ほどの影が三つ、小刻みに揺れている。


「……あれは犬、だよね?」

「そうだよ。あぁ、運が悪いなぁ……」

「運が悪い?」


 一見オオカミと間違えてしまいそうな大き目の野犬が三匹。

 その足元には血に塗れたウサギか何かの小動物の亡骸が一つ。

 よく見るとあばら骨が浮き出るほどに痩せ細った野犬がジッと見据えるは、俺とカレンという二人の人間。


 以上の事より導き出せる思考は一つ、


「あの犬っころは今『ハラヘッタ、ニンゲンタベタイ』……なんて思っているだろうね」

「……なによそれ。犬の言葉が分かるの?」


 獣の言葉など分かるわけがない。

 ただ、どの本能が働いているかは経験を元に推測できる。

 あの目をした獣には幾度となくハラワタを食されてきたのだから。


 それをカレンに話すと、少し引きながらも納得してくれた。


「なら早く逃げようよ!」

「無駄だよ、すぐに追いつかれる。仮に木の上に登ったとしても彼らは死ぬまで待ち続けるだろう」


 稀に登ってくる奴もいるし。 


「というわけで、だ。今から三つ選択肢を与える。一番マシだと思うものを選びなさい」

「……うん」

「その一、焼いて食べる。昼飯は犬鍋だ」

「やだ! かわいそう!」


 一方的に狩れる鳥や小動物相手ならともかく、自分を殺しにくる相手に慈悲の心を向けるか。

 それが許されるのはある程度の力を持つ強者か、本当に命を捨ててもいい覚悟のある者だけだというのに。


「ではその二、これは平和的な解決法だ」

「うん!」

「俺とカレンが素直に餌になる」

「もっとヤダァ!!」


 首を左右に激しく振り、カレンは頑としてこれを拒む。

 殺すのは嫌、殺されるのも嫌ときたか。


「いつの時代も子供というのはワガママなものだ」

「当たり前でしょ!? 子供じゃなくても嫌に決まってるわよ!」


 もちろん俺が言う子供とは、五千歳の不死者から見た子供だ。

 具体的に言うと三百歳以下の者のことである。


「それじゃ、消去法で三つ目に決まりだな」

「待って! それはどんなやり方なの!?」

「何、心配することはない。腹を空かせた犬畜生が満足して、我々も幸せな気持ちになる。それでいて誰も死ぬことのない超ヘイワ的措置さ」

「それならいいんだけど……」


 想定通りにカレンの同意を得ることができたので、始めるとしよう。


「ではカレン、少しの間俺の手を持っていてくれ」


 カレンに向けて左腕を伸ばす。

 少し困惑しながらも俺が言った通りに支えてくれた。

 これで安心して左肩から先の神経を遮断することができる。


「《マト薄氷ハクヒョウ》」

「えっ?」


 一つ魔法の言葉を唱える。

 すると右手の小指の先から手首までにひやりとしたものが纏わり、肉を切り裂く刃へ変わった。

 

「フゥー……。よし、やるか」

「ちょっと待ってよ! それで何を――」



 ――スパッ、と。



 カレンが言うよりも早く、俺は肘関節に刃を落とした。

 前腕が切り離され、一人残された上腕がだらりと下を向いて赤い涙を垂れ流す。

 

「ひっ!? なっ……あ……」


 カレンの顔からも、俺の上腕から血が抜けていくのと同じように血の気が引き、口をパクパクとさせている。

 そして僅かな時間だけ支えていた俺の左腕を手放した。


「ねぇ! ウソでしょ!? まさかこれを餌にするつもりなの!?」

「その通り。何本か俺の腕を切り取って彼らに与える。ほら、次も頼むよ」


 新しく前腕を生やし、神経を遮断しているために腕を動かせないので肩を差し出してサインをするも、カレンはそれを支えてはくれない。

 どうやらこれ以上はアレン肉を生産してほしくないようだ。


「気に病むことはない。この通り左腕の感覚を無くしてあるのだから、痛みだって感じやしない」


 何も俺の腕を切断しろと強要しているわけじゃない、ただ持って支えるだけだ。

 例えるならそう、薪割り台に薪をセットするだけの仕事と同じだ。

 今のところ人肉を切り裂く感覚というものを教えるつもりはないのだから。


「それでも嫌だというのなら、俺が一人で行って食われてこようか。それともまとめて焼き殺してあげようか?」


 ある程度強くなるまで、犬畜生共には少なく見積もっても二千回は食われてきたんだ。

 俺も何度か君達を狩って食したことはあるが、君達の先祖に食わせてやった分はまだまだ清算しきれていないぞ?

 望みとあればいつでも借りを返してやろう。


「……わ、わかったわよ」


 俺がそこまで言うとカレンはぎゅっと目を瞑り、それから俺の左手を掴んで引っ張ってくれた。


「はやく、おわらせてよ……」

「善処しよう」


 カレンが震える声で懇願する。

 俺はそれに応えるために一振りで確実に骨と骨の間に刃を入れる。

 そうして切り離した反動が伝わると、これまたカレンは体をビクッと震わせて、アレン肉を足元にドサッと落としていく。

 そして新しい腕を生やす。


 これらを繰り返すこと早十回。

 

「……さて、これくらいあれば十分か」

 

 地面に並べられた十本の前腕が、血溜まりを作っている。

 

「やっと、終わったの……?」

「もう終わりだ。よく我慢したなカレン、えらいぞ」


 今のでカレンは大分憔悴してしまったようだ。

 だから俺は新品の腕でそっと抱き寄せ、赤毛混じりの黒髪を優しく撫でてやった。


「いやぁ、すまないね。昔だったら痛覚だけを遮断して一人で出来たのだけど、最近はめっきりやってなくてねぇ……。あとで練習しておくから」

「そういう問題じゃない…………ばかぁ」


 俺が抱き寄せたものの、この状態で詰め寄られて囲まれても困るので一旦カレンを引き離す。

 そして並べた前腕の断面を炙って止血し、根菜や魚にするのと同じように手首を紐で縛って束ねた。

 これで獣用アレン肉の加工は完了だ。


「いいかカレン、絶対に怯えを見せてはいけないよ? 恐れで足を止め、背を向けた瞬間に彼らは襲い掛かってくるからね?」

「……うん、わかった」


 決して歩を早めることも緩めることもなく。

 通常通りの歩幅で森の出口――飢えた獣が待ち構える場所へ向かう。


「グルルルル……」


 あと十歩進めばその鼻先に触れられるところまでやってきた。

 獰猛さを強調する唸り声がハッキリと聞こえ、死臭混じりの獣臭さも嗅ぎ取れるほどの距離だ。

 そこで俺とカレンが歩みを止めると、二頭の野犬がにじり足で少し広がる。

 血に汚れた鋭い牙をむき出しにして、「絶対に逃がさない。必ず両方喰らってやる」という意志の籠った動きを見せてくる。

 それだけ追い詰められているのだ、何日もまともな食事にありつけていないのだろう。


「ァ……アレ、ン……」

「ふふふ、どうだ怖いか? 村で飼われていた子犬なんかとは一味違うだろう?」


 パパにしがみついてもいいんだよ。

 なんて冗談を言ってあげてもカレンはピクリとも動かない。命無き鉄の人形のように固まって動かない。

 それでも野生の殺意を真正面から受けて、気を失わずに立っているだけでも大したものだ。粗相すらしていないとは!


「さーて、餌の時間だぞー!」


 このまま野犬が襲い掛かってくるのが先か、カレンの精神が擦切れるのが先かを待ってみるのも一興だが、それをすると終わった後で酷く怒られそうなので、素直に餌やりを済ませることに。


「ほれ、ほれ、ほれっと」


 腕束から三本抜き取り、奪い合うことのないようにテンポよく彼らの目の前に投げつけてやる。

 しかしすぐには食いつかない。

 待ち伏せして囲む程度の知能と警戒心はあるのだから、いくら飢えているとはいえ、突然与えられた餌に即座に食いつきはしない。


「ね……ねぇ、アレン。もしかして生きた肉にしか興味がないんじゃ……」

「おや? 冗談まで言えるようになるなんて、ずいぶんと余裕じゃないか」

「じょ……冗談じゃないってば」

「まぁ黙って見ておきなさい」


 そのまま一分程度待つとついに、一番左の野犬がそれに齧りついた。

 前腕の一番太い部分を豪快に食い千切り、ほとんど噛まずに飲み込む。

 そうして毒がないことを確かめると仲間の顔を見て軽く吠え、それを受けて残りの二頭もアレン肉を貪り出す。


「今のうちに、逃げるっていうのは」

「できないよ。よく見るんだ」


 命を繋ぐ肉をガツガツと貪っているが、夢中になってはいない。

 三頭のうちの必ず一頭が俺達をチラチラと見ている。

 真ん中のリーダーらしき犬に至っては顎が地面に当たるほどに姿勢を低くして、常にこちらを見上げながら肉を食べている。

 まるで川の水を手で掬い、周囲を警戒しながら啜る用心深く優秀な戦士のようだ。

 となればそう簡単に逃がしてはくれないに決まっている。


 そうして観察しているとアレン肉の骨が少しずつむき出しになり、食べれる部分が少なくなってきた。


「次、カレンもやってみるかい?」

「あ、あたしは別に……」

「カレンが平和を望むならこれを多用することになるのだから、今のうちに慣れておいた方がいい」


 などと軽く言いくるめ、半ば強引に食用腕を一本持たせた。

 まだ温かさの残る新鮮な腕を手にして、あどけない顔をひどく歪ませている。

 

「投げるんだ」

「うぅ……えいっ」


 カレンが投げた腕は縦に回転しながら綺麗な弧を描き、見事野犬の目の前に突き刺さった。


「はい次、あと二本!」


 二本目三本目と、カレンの狙った通りに腕が突き刺さり、野犬達がそれに食らいつく。


「ねぇ、もういいでしょ?」

「あぁ……うん、よくやったな。残りは俺がやるよ」


 いやはや、当たり前のように投擲の才能を持っているとはな……。

 全くもって末恐ろしい子だ。仮に暗殺者として育てても、投げナイフの名手として大成するだろうよ。

 などとカレンの成長した姿を想像していたら、二本目の腕も骨だけになっていた。

 少し和らいだものの、相変わらず獰猛な目がこちらを睨みつける。


「そう焦らなくても、おかわりはありますからねー」

「アレンっ!?」


 そこで俺は追加の腕を携え、カレンを置いて彼らに歩み寄った。

 突然距離を詰めてきた俺に警戒して低く唸るが、気にせずに三本目をそれぞれの前に置いていく。


「さぁ、お食べ」


 それからしゃがんで目線を合わせ、自分でも吐き気がするほどに慈愛で満ち溢れた表情を作ってみせた。

 これでダメなら新しく生産しなくてはならないのだが、俺の計算通りなら……


「すごい……。犬がみんな、森の中に」


 彼らは揃って三本目の腕を咥え、ガサガサと音を立てながら深緑の奥へ消えた。


「はぁぁー……」

「おや、どうしたんだい? 大人なレディとやらはどこにいるのかな?」

「…………うるさい」


 ここまで耐えただけでも大したものだが、それでもさすがに緊張の糸が切れたらしく、ペタリとへたり込んでしまう。

 しかしながら中々に子供らしくなかったのが鼻についたので、少し意地悪な言葉を投げかけてやった。


「いかがだったかな? 誰もが幸せになれる、とても穏やかでヘイワ的なやり方だったろう?」

「あんなに自分を傷付けて、どこがヘイワよ! どこが幸せなのよ!」

「俺の不死者としての力が役立って、可愛い娘が生きている。それだけで十分幸せだが?」


 仮とはいえ俺の娘だ。傷一つ付けさせるつもりはない。

 子のためなら腕の一本や十本程度くれてやる、それが親だ。


「……バカ」

「馬鹿で結構。ほら、そろそろいくよ」


 カレンの手を引いて立たせ、残った腕肉を食材袋にしまって歩き出す。

 結局あの犬達が戻ってくることはなかったが、森を抜けた直後に一声、アオーンという遠吠えが木霊した。


 その遠吠えは、感謝と餞の言葉だと俺は知っている。


「彼らにもきっと、腹をすかせた子供がいたのだろうね」

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