第10話 僕は神に嫌われている

 どうやら神は、本当に僕の事が嫌いなようである。不幸のどん底に叩き落としたいようだ。


 自分の人生に絶望した僕は今より30分前、サイフと電話だけを持って、酒を飲むことによって悲しみを忘れるべく夜の街に繰り出した。そして、行きつけのとある居酒屋へと足を運び、愚痴をこぼしながら酒を飲み続けていた。


 ああ、なぜこんなことになってしまったのか。子供の頃はあんなにも夢と希望で胸を膨らませていたというのに、何故に今僕は、悲しみと苦しみで胸をいっぱいにし、破裂する間際で耐え忍んでいるのか。そんな事をぼやき、涙を流しながら、僕は一人酒を飲み続けていた。


 目に入る全てが灰色に見えるとはよく言ったものだ。今僕の視界に入るものは全部真っ黒である。昭和のテレビのように白黒で、『色あせているとはこういうモノなのだ』と思い知らされる。そんな有様だけが、僕の網膜に映し出されていた。

 本来なら透き通るように透明であるはずの日本酒も、僕の心を反映してか、泥水のように濁って見えた。しかし、そんな濁った酒でさえ、僕はお構いなしに口に運ぶ。ピリピリと痛む喉。アルコールで体が燃え上がるような感覚。それだけが唯一、僕の心を癒やしてくれるのだった。


 ふと、隣の席に座るカップルに視線を送る。彼らはどうやら京大生のカップルのようだった。良い大学に通って、なおかつ付き合ってる奴がいるなんて、良いご身分だなおい。その幸せ、ここにいる可哀想な男にもわけてくれよ。ほら見て。僕こんなにも悲しそうな顔してるよ? パグみたいにしわくちゃな顔してるよ? ほんの少しだけで良いから君らの幸せ貸してくれないかな? もちろん返すつもりはないけど。

 そのカップルは、酔っていた所為でよく聞こえなかったが、どうやら今晩どっちの家にお邪魔するか話し合っているようだった。

 あーあ、リア充め。飲んだ酒が体内で発火して、セル第二形態みたく爆発しないかなぁ。もしくは、今この場にどっちかの不倫相手が現れて修羅場になれ。不幸のどん底にいる僕に幸せを見せつけるヒマがあるなら、可哀想な僕を楽しませるためのエンタメを提供するのだ。その様子じゃどうせ1ヶ月後には破局しているだろうし、それならば予定を1ヶ月早めて、僕に余興を提供するのがWinWinと言うものだ。さあ、早く爆発しろ。さあ、さあ、さあ。


 しかしまあ、そんな極悪なことを考えても、現実はそう上手くはいかない。結局そのカップルは、別に爆発することもなく、彼女の家に行くことになったようだった。一発ヤるつもりなのだろう。穴の空いたコンドームでも渡してやろうか。


 ああ、くそ。本当にクソだ。この世界はクソだ。なんとクソだろうか。クソ、クソ、クソ、クソである。本当につまらない。何も面白くない。クソ・オブ・ザ・クソである。

 なにが悲しくて、僕はこんな人生を歩まされているというのか。何をやっても幸せにはなれず、他人には幸せを見せつけられる。悲しすぎるにも程がある。のび太君でももっと幸せだぞ。


 こんな居酒屋で自暴自棄になって飲んだくれ、他人の不幸を妄想し、自らの憐れさに涙を流す。ほぼ間違いなく、現在この世界で最も不幸なのは僕だろう。途方もなく死にたくなってくる。しかしながら、実際は死にたくないし、死ぬ勇気も全然無い。


 ああ、今この瞬間に太陽が爆発して、人類絶滅しないかなぁ。自分一人で死ぬ勇気は無いけれど、全人類が一緒に死んでくれるというのなら、それはそれで望むところだ。

 ……そうか、今わかったぞ。僕は幸せになりたいのではなくて、単に他人の幸福が妬ましかっただけか。自分より幸せそうな奴を見たくなかっただけか。


 京都大学に通うチンパンジー共の、勤勉とは程遠い姿を見て絶望したのも、テニスサークルFrendsに憧れたのも、友情を欲したのも、自堕落な生活を志したのも、よくよく考えれば全て、自分より幸せそうな者達を見て、妬ましく思ったからだ。


 つまるところ僕は、幸せになりたかったのではなくて、妬ましかったのか。自分より幸せな者達のことが。だから、彼らよりも幸せになろうとした。そしてそれが叶わないとわかるや、今度は彼らが自分と同じかそれ以下の不幸のどん底に落ちるのを夢想している。

 はは、なんだ。僕は最低な人間だったんだな。他人の幸福を妬み、彼らが不幸になることを望む、最悪の人間。悪を志すまでもなく、僕は元から悪人だったのか。くはははは。


 うん、いいぞ。なんだかそう思うと、段々と気が楽になってきた。


 僕は幸せになれない? そりゃそうだろう。僕はこんなにも悪人だったのだ。勧善懲悪、遏悪揚善、悪の栄えた試し無し。悪人が幸せになれないのは世の常だ。僕が幸せになれないのも、至極当然の理と言ったところだろう。人の幸福を妬み、他人の不幸を渇望する僕が、幸せになれる理由も、なって良い道理もなかったのだ。

 僕は別に神に見捨てられたわけではなかった。単に悪魔に魅入られていただけだったのだ。



 人間不思議なものだ。さっきまであんなにも世界に絶望していたというのに、いまや心に羽が生えたように晴れ晴れとしている。現状はさっきまでと全く違っていないというのに、ただ『自分はそもそもとして幸せにはなれなかったのだ』と理解しただけで、気分がとんでもなく軽くなった。このまま昇天してしまいそうだ。いっそ昇天してしまおうか。フランダースのワンちゃんの様に、裸の天使達に天の国へと連れて行ってもらおうか。うん、それが良い。そうだそうだ、そうしよう。



 すると、そんな狂ったことを考え始めた僕の隣の席……すなわち、つい先ほどカップルが出て行ったその席に、新しく男女二人組が腰を下ろした。どうやら席が空くのを待って、店の外でこの寒空の下突っ立っていた別のカップルらしい。前の二人組がようやく出て行ったおかげで、やっと店で休めたようだ。二人は立ちっぱなしであった所為で凝り固まった自分の足を手で揉みほぐしながら、お冷やを持ってきた定員に注文をしていた。

 そして……そのカップルの女の方の顔を見て、僕は驚愕した。


 その女こそ、テニスサークルFrendsのヴァルキリーにして、ドS根性全開の金的攻撃と毒舌で、入会希望の男共を悉く退けた女、上野琴音だったのである。

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