第11話 快速特急、乗り換え可

 なんと言うことだ。まさかあの上野琴音に、こんな所で出くわすとは。しかも彼女に、こんなお付き合いしている彼氏がいたとは。まったく知らなかった。

 僕はこれまで一度たりとも、上野琴音に男がいるなどという話を聞いたことがない。というか、もし仮に男がいると知っていたならば、そもそもFrendsに入会しようとは思わなかっただろう。……いや、もちろん僕は別に上野琴音が目的だったわけではないのだが。


 しかしこの状況……上野琴音が男と二人っきりで居酒屋に来るというのは、どう考えても“そう”と考えるしかない。この男、上野琴音の彼氏である。羨まし……いやいや、けしからん。上野琴音は僕の……ゴホン、学内にいる男共のアイドルなのだ。そんな彼女を独り占めにしようだなんて、なんと強欲極まりない男か。すぐさまその股間にぶら下がる棒を切り落として出家すべきだ、この色欲魔め。


 怒りに打ち震える僕は、男に掴みかかりたい衝動を抑えつつ、恐る恐る男の姿を全身舐めるように見まわす。


 灰色で、いかにも高そうな布で作り込まれた、古風な和服。そして、足には下駄を履き、100年程前の、明治や大正期の学生を思わせる風貌。なるほどこの男『昔ながらの格好をしてる自分、格好いい』と思っている可哀想な奴か。


 京都大学は世間一般にもよく知られているように、奇人変人の巣窟である。例えば、円周率を数千桁覚えている変人や、源氏物語を丸暗記している変態、自然と一体になるために三日に一度しか風呂に入らない奇人などなど、数多くの天才なのか馬鹿なのかわからない問題児が生息している。

 そして、その中でも特に憐れで見るに堪えないのが、目の前のこの男のように、和服に身を包み時代錯誤の格好を恥ずかしげも無く披露する者達である。


 これをファッションだとでも思っているのだろうか? こういう者達はそのほぼ全員が、和服に身を包む自分の事を『格好いい』と思い込んでおり、中二病の高校生となんら変わりない精神年齢を有している。

 彼らの着る和服は、現代の機能性重視の衣服が隆盛する時代にあって、それに逆行するかのような、恐るべき低機能性を備えている。

 夏は暑さで汗を垂らし、冬は寒さで体を震わせる。しかしそれでもなお、彼らは和服を着続ける。なぜなら格好いいと思い込んでいるから。彼らにとって機能性は二の次。見た目こそが第一なのだ。しかし悲しくも、彼らの姿は殆ど……というか周りの全員の目には、滑稽にしか映らない。“古風”であることと“古臭さ”を間違えた、憐れな時代錯誤の中二病患者にしか見えないのだ。


 そんな憐れな男。しかして、僕の目の前に居るその男は、そんな憐れな見た目であるにも関わらず、京大男子のアイドルである上野琴音を我が物としていた。なんたることか。

 いや、僕がこんなことを言うのもあれではあるが、上野琴音はもう少し、相手を選ぶべきではないか? ファッションなど微塵も気にかけたことがない僕であるけれど、それでもわかるぞ。君の目の前に居るその男は間違いなく、かなり残念な感性をお持ちだ。きっと結婚などしようものなら、君に小っ恥ずかしい格好をさせるに決まっている。バニーガールなどの変態的コスプレをさせられるぞ。いや、和服なんて着てるこの男のことだ、芸者や花魁のような格好をさせられるかも知れない。見てみた……ゴホン。今すぐにでも別の男に乗り換えるべきだ。もっとマトモで、品性があって、君に釣り合うような男と。


 ちなみにだが、君の隣の席に座っている男。彼は良いぞ。紳士的な性格の持ち主だし、極めて優等生だし、なにより和服なんて着ていない。現代人らしい文明的な洋服に身を包んでいる。悪いことは言わないから、すぐにそちらに乗り換えるべきだ。その男の方はもう、君に乗り換えて貰う準備は出来ているから。各駅停車待ったなしである。


 しかし本当にどういうことなんだこれは。なぜ上野琴音ともあろう、あの毒舌のクールビューティな御方が、こんな男と付き合っているのだ。そこは君、こんな男に言い寄られても『家にある和服全部燃やしてから出直してきなさい』くらい言うべきだろう。なんで付き合っちゃってるんだ。


 ……! まさか上野さん、君はこの男に、なにか弱みでも握られているというのか? だから仕方なく、こんなかっこよさのかけらもないイタい男と渋々付き合っているのか? だとしたら大変だ! 皆のアイドルである彼女が、そんな脅迫を受けているとあっちゃ、見過ごすわけには行かないぞ。いくら僕が他人の不幸大好きな悪人でも、これを無視するのは人間失格だ。悪”人”ですらない。仁義を欠いた著しき蛮行である。僕は彼女を助けねばなるまい。


 ……決めたぞ。悪人はもうやめだ。僕はこれから正義の側につく。この得体の知れない和服男に脅されている上野さんを救うために、彼女だけの正義の味方となるのだ。何としてでも彼女だけは救い出す。今そう決めた。

 神よ見ていろ。世界よ見ていろ。京都大学よ見ていろ。今からこの世界に、最高の善人が爆誕するぞ。女のために奮闘するスーパーヒーローの誕生だ。きっとスーパーマンも真っ青になるだろう。



 ……しかし、救うとは言ってもどうしたものか。上野さんがこの男に脅されて嫌々付き合っているのは間違いない(証拠は全くの皆無であるけれど)が、しかし僕は、上野さんが一体何を恐れて、コイツに従っているのか、それを知らない。そして、それがわからないことには助けようもない。もし何もわからないまま、その場のノリで助けたとしても、最悪の場合僕の所為で、上野さんが報復を受けて被害を被る可能性だってあるのだ。慎重に事を進めなければならない。そうするとやはり一番にやるべきは情報収集? 上野さんが何をネタに脅されているのか知るのが先決か。だけど、どうやって情報を探れば……


 ガタッ


 頭を悩ませていた僕の隣で、上野さんとその彼氏と思わしき男の二人が突然立ち上がった。どうしたというのだろうか?


「すいません、少し用事が出来たので、私達帰ります」


 ……! なんと言うことだ! この二人、帰るつもりらしい。まだ何も食べていないのに!

 ずっと外で並んでいたにもかかわらず、結局何も食わずに店を出ようとする二人に、当然ながらそれを聞いた店員は「は、はぁ……」と怪訝な表情を見せる。しかしそんな店員に上野さんは「また今度、時間が出来たら来させていただきます」と笑顔で伝えた。その可愛らしい笑顔に、怪訝そうにしていた店員も思わず顔をほころばせる。僕も顔をほころばせる。くそぅ、この和服姿の男、こんな可愛い笑顔を自分だけのものに出来るなんて、なんと羨まし……いや、けしからん奴め。もし僕が警察官だったなら、お前を『上野さんの笑顔独占禁止法違反』で逮捕する事が出来たのに。


 しかしこれは困ったぞ。なんの用事かはわからないが、僕が上野さんを救う手段を考えつかないうちに、まさか二人で帰ってしまうとは。まずい、非常にまずい。このままでこの二人を逃がしかねない。

 もしここで逃がしてみろ。この二人、これから間違いなく京都の繁華街に乱立するラブホテルに足を運ぶに決まってる! いいや、きっとそうだ! 違いないね! なんというふしだら! おぞましい! 羨ましい!


 しかし、そんなことはこの僕が許さないぞ! そんなマネ誰がさせるものか! 全力でこの二人の“お持ち帰りフラグ”をへし折ってやる! 何としてでも上野さんを救い出すのだ! 上野さんの貞操を守りきるのである! 


 僕は二人が店を出ていったのを見ると、すぐさま立ち上がり、店主に向かって大声で「会計を頼む! 大至急!」と叫んだ。


「お、あまちゃんどうしたんだよ、そんなに慌てて。おめえらしくもねえ。それにまだ全然飲んでねえじゃねえか。もっと飲んでけよ」

「ほっとけ! 今は飲んでる場合じゃないんだよ! こちとら推しのアイドルが処女喪失するか否かの瀬戸際なんだ!」

「……なに言ってやがんだ。飲み過ぎで頭おかしくなっちまったのか?」

「ええい、もういい! ここに5000円置いておく! 釣りはいらないぞ! これで嫁さんになんか美味いもんでも食わせてやれ店主!」


 僕はそう言うと、椅子にかけておいた上着を手に、店を飛び出そうとした。


「ちょい待ちあまちゃん!」

「なんだよ!? だから釣りはいらないって言って……」

「いや、そうじゃなくて足りねえんだよ。消費税の上がった2%分」

「……っ!」


 ぬあああ! 忌々しい消費税め! 僕は財布を取り出すと、すぐさまその中身から足りない分を取り出そうと試みた。全くもって余計なタイムロスである。もしこれで上野さんの貞操を守れなかったら、僕は絶対に消費税を許さないぞ! 税率0%の国に亡命してやる!


「……ぬぁっ!」


 しかし、すぐに気がつく。サイフの中によりにもよって、福沢諭吉しか入っていないことに。

 ぐ、ぐぅぅぅ……! ゆ、諭吉センセェ……! なんでこんな時に限ってあんたしかいないんだ! お釣りを受け取る時間をロスしたら、大人の階段を今にも上ろうとする二人を見失ってしまうじゃないか! かといって、1万円のお釣りは、捨てるにはあまりにも額が大きすぎる……!

 しかし時間が無い……ええい!もう知ったことか! 明日からは豆腐生活じゃい!


「店主! 諭吉先生を置いていく! 釣りはいらねえコンチキショウ!」


 僕はそう言い残して、サイフの中に一枚だけ存在していた諭吉先生を投げ捨て、店を後にした。

 僕が店を出ていった後、店主は「なんであいつ、5千円の方も置いてったんだ?」と不思議そうに首をかしげるのだった。

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