第17話 本心
空本と雫が交代する周期的なものは存在しない。ふと気づくと打って変わって静かになったりおかしくなったりしている。
昨日と同様ビラ配りを終えると、制服に着替えた彼女が更衣室から出てきた。
「お待たせー」
雫の方に変わったらしい。昨日の教訓を生かしてこまめに水分をとりながら歩き回る。気づけばいつの間にか、僕は彼女に連れ回されていた。
「次はあっち」
体育館でやっているブレイクダンスを見に行った。熱気がすごくて火傷しそうだった記憶しかない。
「次はこっち」
なぜかクイズ大会に参加させられた。結果は惨敗。どこからやって来たのか他校のクイズ研究会に全問を正解され、あえなく撃沈した。けれど彼女は嬉しそうだった。
「次は……」
「ちょっと待って」
どこかに指を向ける彼女に僕は言う。
「ちょっと休もう。疲れたよ」
「えー」
「そんなに行きたいなら一人で行けばいいだろ」
「美少女一人出歩かせる気?」
「空本に代われば誰も近づいてこないよ」
「バカ」
言った後からおずおずと訊いてくる。
「どこで休むの」
「特別棟の方。人も少ないしできれば今日一日は向こうで過ごしたいよ」
「……わかった」
渋々受け入れた様子で彼女は付いてきた。
僕もここまで連れ回されるとは思っていなかった。アトラクションを全て回るような勢いだったから、言いたくないけどなかなかハードだったのだ。
ただ僕にも、見たいものがないわけじゃない。頑張って作った千切り絵だけはちゃんと目に焼き付けておきたいのだ。
特別棟一階、予備教室。やっぱり人のいない気配に閉ざされた空間にひっそりと置かれたその絵に、僕はじっと視線を向けていた。
「結局、初日は誰も見にきてくれなかったみたいだったからね」
大塚先輩からの報告だった。特別棟に足を運んだ、いやこの場合は辺境に迷いこんだ人はいなかったというべきか。案内役はしっかりと機能しているらしい。
「こんなにいい絵なのに、もったいないよね」
独りごちるように、僕は言う。彼女は黙っていたのかと思うと、急に口を開いた。
「それで、あなたはどうしたいの」
「どうもしないよ。ただちょっと残念だったと思ってるだけ」
苦労が報われないのは悔しいけど、僕だけでもそれをわかってやれればこの絵も少しは報われてくれると思う。
「心にもないことを言うのね」
彼女、いや空本は呆れたようにそう言い放った。
「何が言いたいんだよ」
「あなたは何か自分が変わったと勘違いしてるんじゃないの?」
分かりきったようにそう言う。
「おこがましいにも程があるわ。何も変わっちゃいないわよ。気づいたところであなたの本質は何も変わっていない」
「何を根拠に」
「目を背けて此処に来たことが良い証拠じゃない」
そう、言い放った。
「確かにあなたは少しだけ周りに目を向けるようになったわ。けれどそれだけよ。そして、だからこそ気づいたんでしょ。内面は変わらず、あなたは周りと距離を作っていることに」
無意識だったと言って、信じてはもらえるだろうか。言われて納得したのが良い証拠だ。
「私は、あなたのそういう所が嫌いよ。わかったふりをして、けれど本当は全然わかってない。その現実を受け入れようとしないあなたが」
「別に、受け入れようとしなかったわけじゃないよ」
ほんの少しばかり気づくのが遅かっただけだ。けれどそれに気づいた時には、もう見えないところまで彼らは進んでいた。
「昔の方が大事な思い出がたくさんあって、今振り返っても昔の方が居心地がよかったんだ」
周りに友達がいて、仲間がいて、自分がその中心で。けれどそう思っていたのは、僕だけだった。
「違うわ」
彼女は否定する。
「あなたは甘んじてるだけよ、過去に、昔の自分に。周りが新しい世界に目を輝かせた時、あなただけが──まだ子供だった。ただそれだけ」
子供。幼稚。うん、そうかもしれない。けど、空本に気づかされるなんて、何だか変な感じだ。
目の前の絵から視線を外し、僕は後ろに立つ空本に振り返った。
「ねえ」
君は、僕よりも僕のことを知っているみたいだ。亡くした記憶の欠片をわざわざ拾いあげて、持ってきてくれたように。
「君は───昔の僕を知ってるの」
「……知らないわ、あなたのことなんて」
彼女はそう言ったきり教室から出ていく。それからもう、戻ってはこなかった。僕は言われたことを頭の中で反芻した。
今の僕は、まだあの頃から卒業してはいなかった。周りを見始めて気づいたこと、感じた楽しいことも、どこかで物足りなく感じていたんだ。
「もう戻れない」
出てきた言葉は、なんてことはない。ずっと後ろを振り返って、何度も心の中で呟いた言葉だった。
雨が、降った。
***
泣いちゃだめ。泣いちゃだめ。
そう思っていても涙は自然と溢れてくる。彼の、諦めてしまった後ろ姿が、いつも見ていた碧のものに重なって、泣きたくなってしまった。
外は雨が降り始めていた。わたしの雨だ。悲しくなるといつも降る。わたしの弱さをわたしに見せつけるように。
ごめんね、嫌なこと言わせちゃったね。
せっかくの文化祭、碧には楽しんでほしかった。けれど彼女は今、どうしようもない罪悪感に苛まれて閉じ籠っている。
わたしのせいで。
「ねえ、これどう思う?」
『いいんじゃない。うまくできてるよ』
そう、わたしが貼った所を見て彼女は言う。無感情に、ただそれだけでいいと言いたげに。
碧は、自分はいいからと、わたしに体を譲ってくれた。気を遣って。──でも、本心では自分もやってみたいと思っていたはずだ。だって同じ学年で行える文化祭は、人生で一回しかないんだから。
それでも彼女は自分を圧し殺して、あのひ、学校に行くことを決めた。それから文化祭なんかと、私に残った分の高校生活を全てあげると言ってきた。そんなことわたしは一度も、望んではいなかったのに。
けれど碧はずっとわたしを待っていた。彼女の方こそ、昔のわたしに囚われてしまっている。
わたしはそのことが、すごく哀しい。申し訳ない。彼に言った一言一言が、全部自分に返ってくるとわかっていても、気づいてほしいと覚悟して言ったことを。
校内放送が響いた。
『雨天の天候になりましたので星崋祭は本日中止と致します。傘をお持ちの方は速やかに正門から出て頂き、お持ちでない方は体育館に移動してください。緊急におきましては、本棟一階にて傘の貸し出しを行っておりますので、必要事項をご理解の上、記入してもらうよう、よろしくお願いします』
わたしのせいだ。わたしが、碧の心に留まってしまっているから。
頭を冷やすように雨に打たれているのに、一向にそうなる気配はなくて。むしろますます、罪悪感は募っていく。
人目につかない場所に行こうとしたところで、人影にぶつかった。
「きゃっ」
岩みたいにびくともしない感じがして、倒れたのはわたしだけだった。よろよろと後ろに倒れて、手をつく。
「悪い、大丈夫か」
目を開けると黒い服を着た男子。こんなところで何をしているのか、衣装がびちゃびちゃだ。
わたしはボロを出さないように無言で手を取る。
「お前は……」
引き上げられて顔に視線を向けると、わたしは息を呑んだ。
なるべく視線を合わせないようにしていると、彼は周りを気にした。
そしてわたしの目を、じっと見つめてきた。
「お前は、
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