第10話 企画
「馬鹿野郎っ!」
振り下ろされた大塚先輩の拳が頭に激突し、僕はぐあっ、と崩れ落ちる。愛ある拳にしてはいささか乱暴な、体の細胞が一割くらい死んだような一撃だった。
頭を押さえて立ち上がると、大塚先輩が腕を組んでデスクチェアに腰かけていた。
「少しは頭冷えたかよ」
冷静になれたという意味と、自分がしでかしたことの重大さに気づけたか、という意味を含んだ質問。
「はい」
「ならいい」
頷く僕に、先輩は続ける。
「だがもうこれっきりだ。次やったら退部させるからな」
「わかってます」
ふん、と大塚先輩は鼻息を吹いた。
土曜日の
「あの、もう良いですか?」
そんな空本が、先輩に声をかけた。
「ああ。悪かったな、時間をとらせて」
「……いえ」
大塚先輩は立ち上がり、部屋の隅に追いやられていたホワイトボードをがらがらと運んできた。
僕と彼女はその正面に椅子を持ってきて、少し離れて座る。部員が一人増えたから、新たに一脚パイプ椅子を置いてもらったのだ。
掛けているメガネをくい、と整えて大塚先輩は切り出す。
「んじゃあ、現在の進捗状況から話していくか」
ホワイトボードに書かれているのは、企画の『新聞作り』が上の方に大文字としてあり。その下に『星雨』。その下に点を縦に連ねただけで具体的な内容はまだ決まっていないらしい。
「見てわかるようにこれから『星雨』の何について調べるか。具体的な内容を決めていこうと思うんだよな。……実際はもう一週早くやれるはずだったが」
最後の言葉に、僕は肩身が狭くなる。
彼女がなぜか咳払いをしたので、大塚先輩は進行を再開した。
「とはいえ、前回の打ち合わせの段階で『三人まとめて同じ話題を取り扱うのはよくない』という意見が空本から出てな。俺もそうだと思うんだが、一人ずつやるのも内容が浅くなりそうなんだよな」
顔をしかめる大塚先輩に、彼女は言った。
「あの、でしたら『ちぎり絵』はどうでしょうか」
「ちぎり絵? 何で急に……」
彼女は立ち上がり、部屋の隅に佇む──丁寧に布を被せられたキャンバスの前に立った。
「会議の後、少し見させてもらったんですが……」
そう言って布をスライドさせる。
現れたのは去年の星崋祭に間に合わなかった例の流れ星の画だった。実は完成させるまで描き切っていたみたいで、大きな星から羽衣のように伸びる虹色の軌跡を描いたものが描かれている。
線だけで書くならとても幼稚に見える、けれど多彩な絵の具を駆使して彩られたそれは紛れもなく美術の画だった。
空本は大塚先輩に向き直る。
「これはオリジナルですか?」
「? まあな。……モデルはあるが。こんな大きな星はないだろ」
肩をすくめた大塚先輩に、そうですね、と彼女は頷いた。
「なら──同じように星雨の画を描いてもらえませんか」
大塚先輩の顔が曇る。少し怖い声色で訊ねた。
「それはメインとしての企画か? それとも──」
「新聞作りは諦めるべきです。提案した者として言うのも何ですけど、資料と目に止まる記事が少なすぎます」
「……まあ、確かにな」
二人とも調べてはいるみたいだけれど、めぼしい資料はまだ見つかっていないみたいだ。興味をそそられるような、そんな資料が。
「なら、新聞は後回しにするべきです。まずは目を引く、宣伝になるものを作ってから新聞を作りましょう」
クラスでも宣伝班の男女がまず取りかかったのも、インパクトのあるポスター作りだった。そのことを言ってるのだと僕は思った。
「……だがな、これ作るの結構時間かかったんだよ。しかも切り絵だろ。……間に合うのか?」
腕を組んで難しい表情をする大塚先輩。彼女の表情も固い。
「わかりません。けど、私はこれがやってみたいです」
その言葉を聞き、僕は言った。触発されたかというよりは、力になりたいと思った。
「僕も、三人でやりたいし、三人でならやれると思います」
言ってから彼女の方を見た。少し驚いている顔をしていた。……こういうこと言うのって、意外なのかな。
うーんうーんと顔を伏せる大塚先輩が、ばっ、と顔を上げる。
「わかった。時間がかかるのは塗りだからまあなんとかなんだろ。けどお前ら、土日は平日よりキツくなるから覚悟しろよ」
なかなか強みのある言い方。僕と、たぶん彼女の体がぶるっと震えた。けどぐっ、と唇を噛む。
「やってみせます」
***
昼過ぎになったところで、時計を見た大塚先輩が言った。
「んじゃ、今日はこのぐらいにしとくか」
会議できるところまでは会議しようと、僕たちは大まかなスケジュールを立てた。
まず、どの画を参考にするかを大塚先輩がネットの画像から調べてくることを最優先として。その間にちぎり絵に使う
「俺はここで調べものするけど、お前らはもう帰っていいぞ」
そう言って大塚先輩はパソコンを立ち上げた。
お邪魔虫、とまで言われてる気はしないけど、まあ邪魔かな、と思いすぐに出た。
「お疲れ様です」
彼女も一緒に出てきて、そのまま数秒そこにとどまる。
朝、まだ開いていない部室の前で会って。そこからろくな会話もしないまま中に入ったから、本当に気まずい。
「じゃあ、お疲れ様」
朝の、しかもぎこちない「おはよう」を含めても二言目の会話になる。どうにもよそよそしくなってしまう自分に呆れるけれど、それは彼女もだと思う。
「お疲れ様」
まったくその気のない返事。別に気にしないけど。少し戸惑いを感じた声色だった。
ばつが悪くなって先に帰ろうとすると、後ろから呼び止められた。
「ちょっと待ちなさいよ」
無言で振り向く。何と罵られるのだろうか。
そう思っていたけれど、それは思い過ごしだった。けど───、
「そこまで避けなくてもいいでしょ」
核心をつく一言。だからこそ言い返すこともできない。うん、とか、そうだったねごめん、とか言えるものなら言ってみたい。
「頑張るよ」
何を。
内心そう思った。避けないように?
あまりにも不甲斐ない返答に呆然とする。
「そう。……頑張って」
言葉は他人事だけど、声色は戸惑っている。変なことを言ってしまったと、僕は手を振りながら言った。
「じゃあ……また月曜日」
彼女はぽかん、としながらも手を振り返した。
家に帰ると、電池が切れたように自室のベッドで横になった。疲れただけで、眠気はまだない。ただ茫然と天井を見つめていた。
何もなかったようで、あった一日。まだ半日しか経っていないのに、疲労感がある。それはたぶん、充実した日々を送っていなかったから。ずっと週末みたいな生活をしていたせいで、いざそんな週末に学校に行ったら普段は動かない時間帯で動いてしまったから疲労を感じるのだと冷静に思う。
ただ、眠くはない。少し興奮している、楽しみにしている自分がいることが新鮮だ。切り絵なんて久しぶりで、いつもならつまらないことだと投げやりになるはずなのに。
そうやって寝転んでいると、すぐ側で充電していた
なんだと思い、電源を付けて見ると『明日、ちょっといいかしら』の一文。
高校入学を機にクラスラインというものの存在を知った。だいたいクラスのリーダー的な人がそれを立ち上げて仲のいい人と絡み合ったりしている。だから通知はオフにしている。
たぶん最近だ。誰かからこのラインのことを教えられて入ったのだ。でなければあり得ない。
僕のアイコンは富士山の絵だ。対して彼女のそれは、今じゃ考えられないからいとてつもなく良い笑顔の──幼少期の写真だった。口を大きく開けて、無邪気に笑っている。そんなアイコンのとなりに、こんな丁寧な言葉。異色すぎる組み合わせだ。
僕は『追加』をタップして返信した。
『なに?』
漢字よりはひらがなの方が良いと思った。漢字は語意が強すぎる気がするから。
既読がつき、返信が返る。
『その』
『ちょっとあなたが星雨を見たっていう山に連れて行ってほしくて』
それに、僕はあることを思い出した。
──雨は、好き?
思い出に新しい、夏の記憶。忘れたくても忘れられない酷い嵐の夜を明かした朝に出会った不思議な少女。
あの時の彼女は、君だったの?
そう、明日訊くことを決意して僕は返信を返した。
『いいよ』
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