文化祭
第5話 星崋祭
夏の終わりを告げる生ぬるい風が吹き始めた八月、教室ではあることが議題に挙がっていた。
それは───文化祭。
夏休みが終わってすぐにこのイベントの準備が始まるのは、この辺りでは
「今年も星高名物
文化祭実行委員の男子が淡々と話を進める。たぶんだけど、去年もやっていたのだろう。できることなら、来年もお願いしたい手際の良さだ。
星崋祭でやるイベントは少し特殊で、毎年内容が変わる。ある年は、一学年丸々メイド喫茶をやったりして売り上げを競ったという話まである。配られたアンケート用紙にやりたいことを書いて、なければ下にある幾つかの項目から一つ、ジャンルを決めるという仕組み。具体例ではなく方向性を先に決めるための、伝統的な方法だ。
僕は特にやりたいこともなかったから、とりあえず教室内でできることというジャンルに○をつけた。そして文化祭に参加するしないの項目の、しないに○をつけて『部活動の展示により』と理由を付け加えた。これも参加人数をはっきりとさせるものであり、途中で参加することはできても、抜けることは許されない。おそらくここに入学した生徒の大半が、この星崋祭に参加したいがためにこの高校を選んだであろうから、熱意がよく聞く普通の高校の文化祭とは違っている。
用紙を前に渡し、最後に実行委員の彼が集めて枚数を確認する。匿名ではないから、名前だけ抜けていたりした場合すぐに見つけてもらえるし、あるいは無記入の場合は、集計の邪魔になるから破棄するため、無理強いはしない。参加しないならしないで、迷惑をかけるなという学校の方針だ(無記入なんてほとんどないけど)。
「集計結果は二日後発表します。また新たに何かを企画したいと思っている人は、三棟一階の文化祭実行委員本部室前の追加申請用紙に記入、提出してください」
慣れたように説明を終え、男子は席に戻る。窓際に背中を預けて見守っていた岡本先生が教壇に戻り、手をついて話し始めた。
「職員会議でも議題に上がったが、まあ今年も屋台をやっていいということだ。だが全クラスメイド喫茶とかはもうあの年以来ないと思えよ」
全クラスじゃなければいいんですか、 と誰かが聞くかと思ったけれどそんな生徒はいなかった。去年もメイド喫茶をやりたいというクラスはたくさんあり、各学年1クラスだけという某年の事件以後にできたルール作りに乗っ取り、くじ引きやじゃんけんなどで決められた。そして買ったクラスは、大抵売り上げで他のクラスを圧倒する成績を叩き出す。アニマル喫茶など近い系統はダメかという意見もあったけれど、喫茶店というジャンル被りがあるとのことで却下された。
そしてこのクラスも当然、メイド喫茶をしようという空気になっている。
「服作りとかどうする?」
「私去年裁縫係だったから少しならできるよ」
まだ何をするかは決まっていないが、だいたいの担当をあらかじめ決めておこうということだろう。去年の一年生は初めてということもあり、どのクラスも散々な結果だったからその失敗を活かそうと今年は燃えている。
「そろそろ一限目だからなー、相談もいいが授業もちゃんと受けろよー」
まるっきり放置の態度で、岡本先生は教室を後にした。星崋祭は例年、生徒主導で行われるから当然といえば当然だけれど。
うぃーっすと軽く返事をしたのは何人かの男子。
そんな時、ポケットの中が振動した。ケータイのバイブレーション機能だ。
僕はバレないように机の下でケータイを操作する。それは───大塚先輩からのLINEだった。
『新入部員候補見つかった。放課後部室に来い』
今日は何もないから来なくていいと言われていたのに。僕は少し残念な気持ちになった。けれど行かないと面倒なことになることはもう知っているから、早めに返信した。
『了解です』
***
放課後。
周りで星崋祭の話し合いが行われている中、悠然と抜け出すような心の強さを僕は持ち合わせていない。何かいわれないか、変な目で見られていないか、そんなことを考えながら恐る恐る席を立つ。
「あれ、星太。もう帰るの?」
扉まであと三歩のところで、奈月に声をかけられた。
「いや、部活だよ。先輩に呼び出されててさ」
「あ、そうなんだ。じゃあ明日はちゃんと参加してね」
「あ……」
明日は無理、と言いそうになり、僕は慌てて口をつぐんだ。 じゃあ明後日は? と訊かれることが予想できたからだ。そんな調子では周りの人に参加する気がないことが公になってしまう。
「星野くんは部活の展示らしいので、参加できないみたいです」
向こうで男子を束ねていた実行委員の彼が、近づいて奈月に告げる。
「……そっ、か。じゃあ仕方ないね……」
あからさまに残念がる奈月に、僕は言葉を見つけられない。けれどそんな中、赤場が後ろの輪から外れて近づいてくる。
「今年もか?」
そう言う赤場の顔は、今にも殴りかかってきそうな迫力があった。
「去年も参加してなかったよな」
「部活の展示があって──」
「そうじゃなかっただろ」
遮った赤場の言葉は、全てを見透かしていた。
「休んでただろ。体調が悪かったかしらんけどな」
なんで知って───。
「何でそんなこと知ってるのよ」
口に出る前に奈月が訊ねた。
「去年の実行委員だからな。当然だろ」
全部知っているらしい。僕が嘘をついていたことも。
僕が天文部に入ったのは二年になってからだった。一年の時は帰宅部で、文化祭の時は適当に理由を付けて休んでいた。
「ごめん、でも本当に部活の展示があって……」
ガン! と一瞬何が起こったのかわからなかったけど、気づくと僕は胸ぐらを掴まれながら教室の壁に押し付けられていた。
「ふざけんなよお前っ! 何のためにここ来たんだよ!」
「っ……」
「太陽っ!」
奈月の叫ぶ姿と、それよりも僕を睨み付ける赤場の顔がやけに目に刺さった。
息も苦しい中、半目に僕は霞んだ声で言う。
「家が……近かったから……」
赤場は手を離した。なぜか困惑しているような顔で、くそっ、と吐き捨て教室を出ていく。
「星太……」
奈月の声が何かを伝えたかったように耳に響く。
「ごめん、部活があるから……」
そう言い残して、僕は逃げるように教室を出た。
***
「遅かったじゃねーの」
部室の扉を開けていきなり、大塚先輩が腕を組んで待っていた。
「すみません、ちょっと色々あって……」
「……まぁいいけどよ、あんまクラスの奴とはモメない方がいいぞ」
事情を悟ったのか、僕が左腕を押さえているのに気づいたらしい先輩がそう言った。
「別にモメたわけじゃ……」
「なんだ、一方的にお前がやられたのか?」
「違いますよ。ただ、別に悪い事したわけじゃないので、怒られる筋合いは無いと思って」
「何やったんだよ」
「……何も」
大塚先輩はため息をついた。
「何かしたから怒ったんだろ、そいつは」
「何もしてませんよ。ただクラスの集まりに参加しなかっただけで」
「それだよ、それ」
先輩は僕に指を差した。
「嬉しそうじゃねえか、参加できないってのに」
「……え?」
「文化祭以外ここの誇れるものなんてほぼないって言われてるくらいなのによ。……なんでお前はここに入学したんだ?」
問われて僕は答えを探す。けれどやっぱり見つからなくて。
「家が近かったからです」
「本気で言ってんのか?」
「……嘘です。本当は歩いて二十分以上かかります」
近所には歩いて五分近い高校も一つある。けれど周りがほとんどそこを受験することを知っていたから、あえてこっちを選んだ。
大塚先輩は長い鼻息を吹いた。
「あのなぁ
そんな顔とは、どんな顔だろうか。
僕は頬に触れた。涙は流れていない。ならどんな表情なのか、ひどく汚い笑みを浮かべているのかもしれない。
「まぁいいわ、とりあえず今日は帰れ。そんで明日また来い」
先輩はそう言って僕に掌を返した。
「わかりました……」
「クラスの奴らとちゃんと仲直りしろよ」
視線を下に向けたまま僕にそう言う先輩の姿を、扉を閉め切る瞬間まで僕は虚ろな目で眺めていた。
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