第6話 新入部員
扉の前に立ち尽くす。案の定、昨日の夜固めた決心が揺らいでいた。
中から笑い声が聞こえてくる。僕は、やっぱり来るんじゃなかった、と踵を返そうとした。
けれど、一歩も踏み出すことはできなかった。
なぜなら、
教室から離れようと走り出そうとした方向に、静かに僕を見つめる空本の姿があった。
「空本さん……」
きっ、と僕を睨みつけると彼女は通り過ぎ教室の扉を開けた。僕は中からは見えないように立っていたから、中の様子は確認できないけれど、彼女が扉を開けた瞬間に「……空本?」と一人の男子の声が聞こえた。
そこからはいくつもの足音が響き、なんとなくクラスのほとんどが彼女に群がっているのが想像できた。
こっそりと中を覗くと案の定だ。席についた彼女の周りを取り囲み、一人の生徒が質問していた。
「ねえ空本さん、空本さんは星崋祭のこと聞いてるの?」
「聞いてる、けど……」
「よかったら参加してくれないかな……。長い間休んでて勝手がわからないとは思うんだけど、空本さんが参加してくれるなら私たちがサポートするし。たぶん、今年しかこの全員でやれることはないと思うから」
三年になれば受験などもあり、満足に参加できない人も出てくる。最初からそうなるとわかっている人はきっと『参加しない』に◯をつけるしかない。だからこそ、人一倍今年の出し物には熱心になってしまうのだろう。
「別に、いいけど」
「ホント!? ありがとう空本さん!」
他からも「ありがとう」という声が多数彼女に向けられる。昨日とは空気が大違いだ。僕のせいだから仕方のないことだとはわかっているけれど。
結局、教室に入ることはしなかった。あの雰囲気の中、堂々ともそそくさとも入っていけるような心の強さを僕は持っていなかった。
帰ることも考えたけれど、大塚先輩に怒られるのだけは避けたいから、時間を潰そうと保健室に向かった。
扉を開けると眼鏡をかけ、白衣に身を包んだ保健医の女の人がこっちを向いた。
「どうかした?」
「ちょっと体調が悪くて……」
そう申し出るとその人は「早退する?」と訊いてきた。だから。
「いえ、少し休めばよくなると思うので」
そう言ってなんとか一人になれる場所を確保した。カーテンを閉めて、自室のよりも少し大きめのベッドと布団に僕は身をくるめた。
今頃、教室ではどんな話し合いが行われているだろうか。でもきっとそれは、僕がいなくても全然問題ないことだと思ったから、僕はとりあえず寝ることにした。
***
──小心者。
私は内心小さくそう呟いた。誰のことかと言われれば、あいつのことだ。
もしかしたらまだ教室の外でこっちの様子を窺っているか、もうとっくに家に帰ったであろうそいつの。
さっき──詳しく言えば一分くらい前──目があったあいつは、なぜ、という顔を私に向けてきた。
来ちゃ悪いの?
言葉には出さずに私は彼を睨み付けた。なぜ、なんて思われたのもむかついたし、変におどおどしているのも見ていて腹立たしかったから。
今、私の周りにいる彼らは気づいていない。「ここにいる全員で」といった中に、あいつがいないことに。
それもそれでなんか嫌な気分だ。らしくないのだ。らしくない。
私は小さく嘆息した。
「じゃあお願いね。今日の放課後からだから」
「ごめん、今日はちょっと用事あるからダメかな」
「あ、そうなんだ。部活とか?」
続けて「あ、ごめん……」とその人は言った。気を遣わせてしまったらしい。
「まあうん、そんなところかな」
「……そうなんだ。明日は大丈夫?」
「今のところは……」
「じゃあ明日ね」とその人は言った。 思ったより優しい人みたいだ。
不意にスカートのズボンが微動した。私は周りが去った後で気づかれないようにスマホを取り出した。
『放課後、この前の場所で』
はいはい、と鼻を鳴らして私は返信した。
『わかりました』
***
チャイムが鳴り放課後になったと知ると、僕はたった今起きたふりをしながらカーテンを開けた。実際のところは、起きて眠るを何度か繰り返して時間を潰していたけれど。
「すいません、体調がよくなったと思うのでそろそろ──」
誰もいなかった。たぶん、職員室にでも行ったのだろう。生徒を放っておけるわけないだろうし。
僕は『体調が良くなったので帰ります』と置き手紙を残して保健室を出た。そしてクラスの誰かに姿を見られないように周囲に気を配りつつ不審ではないように廊下を進んだ。
部室がある特別棟に着くと二階に上る。
人の声はしない。まだ来ていないということか。けれど大塚先輩は集中するとまったく音を立てないから、まだいないと決まったわけじゃない。
僕は恐る恐る部室の扉を開けた。
「……いない。まだ来てないのか」
僕は少し安心した。いきなり説教されるかもしれないと内心ドキドキしていたからだ。まぁ怒られるのが先伸ばしになっただけで、何の解決もしていないけれど。
そういえば、大塚先輩より先に部室に来たことなんてなかったよな、と僕は大塚先輩がいつも使っているデスクに視線を向けた。上にはパソコンがある。これは部活の私物だ。
少し罪悪感はあったけれど、いつも大塚先輩の近くにあって見せてもらえないから、僕は電源を付けようと近づいた。
ガラガラガラと、少したてつけの悪い扉を開けた音が聞こえ、僕は振り向く。
「何やってんだ、お前?」
「……別に何も」
怪しみながら入ってくる大塚先輩。僕はデスクを背に横歩きで移動した。バレてはいない、と思う。
「まあいい。……それよりも重要な話がある」
「何ですか?」
入って来い、と大塚先輩は言った。 開けっ放しの扉からすっ、と髪の長い女子生徒が入ってきた。俯いていて顔が確認できなかったけれど、その、なんともいえない独特な、知っている空気感から察した。
「新入部員の空本だ。お前と同じ学年だから、顔見知りかもしれねえけど」
顔見知りどころか、同じクラスなんですけど……。でも彼女がこっちを睨んできて、僕はなんとなく、喋るな、と言われてる気がした。
「いえ、初対面です」
「そうなのか。じゃ、自己紹介な。部長の大塚大悟だ、改めてよろしく」
「
先を越された。僕はなるべく平静を装って頭を下げた。
「
ちっ、という音が微かに聞こえた気がした。頭をあげると二人は変わりないので、気のせいだと放っておく。
「じゃ、本題に入ろうか。天文部は去年と同様──新聞作りを行う」
大塚先輩に以前教えてもらった話では、去年は流れ星について調べていたそうだ。そして同時に、巨大なキャンバスに流れる画も展示するつもりだったらしい。結局は間に合わず、誰にも見られることはなかったらしいけれど。
「何か提案はあるか?」
そう言われても、そんな簡単に思い浮かばない。調べる内容の難しさを考えると、マイナーなトピックは選ぶべきではないだろう。
「はい」
「なんだ空本」
「私は『星雨』について、調べてみたいと思います」
言われて僕の背中が凍った。──最悪だ。よりにもよって最も予期していなかったものを。
「んー、まぁいいんじゃねえか。面白そうだ」
乗り気な先輩を見ると悪い予感しかしない。この人はどこかズレている。やるとなったらどこまでもやる。
「まぁでも、俺も受験あるからな。スケジュールは少なく済ませたい」
「わかりました。私もクラスの出し物があるので、その方が都合が良いです」
勝手に、話が進んでいく。僕の望まない方向へと。
話し合いが終わると先輩は「ちょっと用事あるから」と言って先に
重苦しい空気が部屋の中に籠り、なんだか息苦しい。立ち上がろうとして呼び止められた。
「ねえ」
「な、なに」
「明日の放課後、あなたも参加しなさい」
「……何に」
立ち上がり、すっ、と音もなく目の前を通っていく。
帰り際、無視すると思っていたけれど返事が来た。もしかすると僕は、最悪な選択をしてしまったのかもしれない。
「クラスの集まりよ。来なかったらあの人に言うから」
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