令和四年三月場所の極端な「荒れ方」

 令和四年の三月場所が終わりまして、僕は、あまりに厳しい展開にヘトヘトです。

 まず書くべきは、やはり若隆景の爆発ですね。これは凄かった。一番凄いと思ったのは、立ち合いで当たった時に相手に押し込まれても、土俵の上で後退するのに上体が上がらない。前傾姿勢を維持しながら下がっていくのは、ちょっと見たことがない。本人が口にする下からの攻め、おっつけ、はず押しも冴えてました。それととにかく辛抱するようになりましたね。引く相撲が無いのも目立った。

 他で特筆すべきは、僕がここのところ非常に気に入っている、豊昇龍。今場所はだいぶ苦しかった。黒星が先行する時が長かったですから、さすがに今場所は崩れるか、と思いました。それがなんだかんだで千秋楽に七勝七敗で、最後の相撲を勝ってちゃんと勝ち越す。こういうしぶとさが、豊昇龍の魅力です。相撲界では「勝って奢らず、負けて腐らず」みたいな言葉がありますが、豊昇龍は腐るどころか、常に攻めの姿勢、相手を倒す、とにかく倒す、という気配なので、そこが好きです。

 僕がここ数場所、常に頭に浮かぶのが「大関がいなくなるのでは」という気持ちで、今場所もなかなかスリリングだった。特に正代はもうダメかと思ったら、中盤から別人になりました。相撲ってのはわからないな、と実感した一つの象徴です。勝ち星が何よりの薬とはいえ、あの豹変には瞠目した。訳わからない。

 そんな具合で勝者の話を書き連ねましたが、僕が今場所を見ていて、背筋が冷えたのは、高安の不運です。終盤で先頭だったのに、終わってみれば決定戦で負けて優勝を逃すのは、不運という言葉では済ませられないものがある。優勝決定戦の中でさえ、むしろほとんどの場面で有利だったと思う。左差しの場面、最後に若隆景が引いた場面、ここにおそらく勝機があった。最後もあとほんの少しの押しがあれば、若隆景が俵を伝うことは出来なかったように見える。しかし実際には、土俵を飛び出したのは高安だった。

 まったく別の話題ですが、サッカーのW杯か何かの話題で、かなり前ですが、相手チームのゴール前でサイドからボールが放り込まれた時、そのボールが本田圭佑さんの前に転がって、結果、シュートがゴールに入るのですが、ある選手が「結局、ボールが本田の前に行く」という趣旨のことを話していた記憶があります。これが、つまり「運命」とか「宿命」と表現するしかないものだと、僕は感じました。

 大相撲でも、こういう正体不明の不規則な事態はたまに起こる。それは例えば、それまでの経験とか、稽古の量とか、身長や体重とか、そんな全てを超えた、ある種の「神秘」です。

 ただ、極端な不運がその一部として明確に存在する。貴乃花の膝だったり、稀勢の里の胸と肩だったり。

 今場所、というか、ずっと高安にまとわりついているのが、この手の「不運」のように思われて、あまりの残酷さに僕は恐怖を感じたりする。今までにも何度もチャンスがあったのに、何故か高安には天皇賜杯がやってこない。何故か? それが誰にもわからない。ただ「運」としかいえない。この場所だって、千秋楽で勝っていれば問題なかった。若隆景が本割りで負けたのだって、高安には改めてチャンスが転がり込んだはずだった。なのに、どうしてか栄光は高安にはやってこない。

 いつかは高安が優勝するはずなんですが、では、何をすればそれが確実になるかは、僕には想像もつかない。もはや全ては足りているのでは。残されたものはやっぱり、「運」になってしまうのか。

 ちょっと俯瞰してみますが、相撲というのは、僕が好きな小説の表現を借りれば、「シンプルな強制とその応酬」という側面がある。若隆景がおっつけで攻めてくるなら、それを使わせないように取ればいい。そうなれば若隆景はおっつけをもう一度目指すか、まわしを引くかしてくると思われる。相手は今度はそれが完全にならないように、また別のやり方で自分良しになるように強制する。今場所ほど、この「強制」が明確に出た場所は珍しい。それは、大栄翔や玉鷲が優勝した時のような「押し」を強制するというのとは少し違って、「四つ」同士の中での強制だった。それを若隆景を筆頭に、豊昇龍もやったし、琴ノ若もやった。あるいは後半の正代も、自分の形の四つ相撲を取ったわけで、強制力を取り戻した、と見ることができるかもしれない。

 ここのところの大相撲では、右四つか左四つかの応酬はやや見られなくなった。ここ数年の定番の、押しか、四つか、という勝負がまだ継続している様子が見える。今場所は若隆景の、四つの中でも回しを引かない形の相撲が冴え渡って、面白い場所になりました。押し相撲では貴景勝は角番脱出、阿炎、大栄翔が勝ち越していて、まだこの構図は維持されそうな予感ですが、半年後にはどうなっているだろうか。若くてイキがいいのがいるようですから、一年後には一人か二人、二十歳くらいの新入幕が現れそうではある。

 実は僕は若隆景は強いとは思ってましたが、優勝するとは思ってなかった。むしろ、豊昇龍の方が賜杯に近いとすら見ていた。他にも、琴ノ若より琴勝峰の方が出世して結果を出しそうだと思ったりしていた。なんというか、相撲っていうのは本当にわからない。

 ただ、わからないとしても、今場所ほど、不気味なわからなさ、怖気がする荒れ方は、ちょっと、いや、だいぶ恐怖でした。

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