令和四年一月場所で見えた僕の個人的願望

 まず何から書けばいいか、と迷うのが令和四年の一月場所の感想です。御嶽海に関しては一番最後に。

 この場所は番付がいよいよ分からなくなった、という印象です。横綱の照ノ富士は安定してましたが、大関の貴景勝の怪我はともかく、大関の正代はどうしちゃったんだろう。

 僕の感覚だと、ここ数場所、三役から幕内上位は全く顔ぶれが変わらなくて、戦国時代というか、群雄割拠というか、力が伯仲している。四股名を挙げると、明生、隆の勝、若隆景、大栄翔、豊昇龍、この辺りが九番勝ったり、八番勝ったり、負けても一つの負け越しとか、細かく番付を上がったり下がったりで、しかし大きく負け越さない、というように見える。ここから大関がいずれは出るんでしょうけど、もう分からない。来場所はここに阿炎とか琴ノ若が乱入してくることもありそうですし、混戦です。

 しかし相撲自体はなかなか面白くなりましたね。白鵬時代の四つ相撲しかないような感じではなくなった。逆に小兵による足取りが激増してますが。これは技とは違いますが、この場所で凄かったのは、正代と豊昇龍の一番で、豊昇龍が顔から落ちて同体取り直しになり、取り直しはしっかり勝っていくのは、なんというか、気迫を感じた。いつだったか、朝青龍が豊昇龍に「殺す気でいけ」と発破をかけていたけど、この一番での豊昇龍は、殺気というか、もう殺すという感じだった。これが凄く怖いんですけど、格闘技云々ではなく、勝負に徹する姿勢の一つのあり方がこの殺気、殺意なのかな、と思いましたね。

 さて、御嶽海について考えてみますが、先場所で十一番勝っていたので、先場所の直後には笑い話として「次の場所に十三勝二敗で優勝できたら大関だな」というネタを僕は結構、多用していた。でもこれはその時点では本当に冗談で、不可能ごと、だと思ってた。しかしこれが現実のものになるわけで、相撲の神様っていうのは確かにいるし、めちゃくちゃ気まぐれというしかない。

 そもそも御嶽海が十三番「勝てない」と僕が想像したその第一の理由は、ムラッ気がありすぎる、ということでした。相撲自体の質は安定してるのですが、何故か、急に弱い相撲を取る。このムラが解消されない限り、十三番は難しいし、ムラが解消されるかどうかはもはや本人にしか分からないし、本人もわからないかもしれないし、蓋を開けてみなければ分からなかったかもしれない。それくらい見通しが効かないのが、御嶽海のムラだった。

 この場所で終盤に入ったところで星を落とした時、僕はもうここから崩れるのではないか、と気を揉んだというか、悲観的にすらなった。ただ、これは全くの想像ですが、終盤で照ノ富士も星を落としたので、御嶽海も楽になれるシチュエーションだったかもしれない。もっとも優勝よりも十番、十一番勝つことは、かなり重いプレッシャーだったと思う。

 これは僕が見ていて感じることですが、綱取りはかなり厳しいハードルで、挑戦する大関は優勝か準優勝の次の場所は、本当に一番も落とせない重圧を最初から抱える。しかし、大関取りも実はすごい圧力なのでは。まず一場所十一番勝って、次の場所になるわけですが、ここで十番は欲しい、と普通は考える。これが終盤に六勝四敗で入ると、まだ可能性はあるけど、二つ落としたら厳しいとなるので、最終盤までプレッシャーがのしかかる。仮にここで十番勝って次の場所となるとしても、その場所でも同じ苦しみがある。それどころか、中盤で五つ星を落としたら大関取りは次の場所次第になり、さらにここでもし七番落としてなんとか勝ち越しになると、大関取りが実質、白紙に戻る憂き目にあう。綱取りは二場所で結果が分かるのに、大関取りは三場所、半年の間、圧力に耐え切る気力が必要で、この難しさが御嶽海の大関昇進で変に意識されました。

 御嶽海が横綱になれるかは、ちょっとわからない。やっぱりムラッ気が出てきそうな気がする。ただ、僕の世代は稀勢の里が大関に上がって変化していった様子を目の当たりにしたわけで、御嶽海も大関になって精神的に変化するかもしれない。この辺りの、誰がどう突き抜けるか、わからないのが大相撲の面白いところです。

 僕が一番、返答に困る問いかけは「御嶽海に横綱になって欲しいか」という問いかけです。これは照ノ富士を見てても感じますが、どうしても白鵬の幻が横綱という地位にまとわりつく。横綱は負けない、という印象が強いので、今場所で照ノ富士が三敗したことも、どんな風に評価するのが良いのか、分からない。全勝優勝がどれだけの困難を伴うのかとかも、白鵬を見てしまったら、変に容易に見えてしまう。かなり難しいはずなんですが、うーん、どれくらい難しいんだろう? 白鵬の時代を見てしまうと、次に誰が横綱を張り、横綱に上がるとしても、物足りなさ、不足を感じてしまうのが、今の僕の感覚です。懐古主義的かもしれませんが、きっとこれは大鵬の時代、北の湖の時代、千代の富士の時代にもあったのでは。貴乃花の時代は僕もうっすら知ってますから現実と地続きで、貴乃花を超える朝青龍、その朝青龍を超える白鵬、というような時代の流れの一部として見えてます。これは、僕だけでしょうか……。

 今場所を経ることで、僕の中にある感覚ははっきりしてきて、つまり、照ノ富士にも御嶽海にも、正代にすら、白鵬以上を求めてしまう。これが残酷な願望なんですが、どうしようもない。そしてきっと自分自身で自らの願望に気付いていて、おそらくそれが叶えられないと悟っているから、「勝ち負けよりもいい相撲が見たい」などと思っているふりをしている。

 僕はどうやら、本当に強い人を求めている。誰にも負けない人を求めている。それが分かってしまったのが、令和四年の一月場所でした。

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