白鵬時代の終焉

 2021年の九月場所について、まず書きたいことがありました。それは、この場所は宮城野部屋の全力士が新型コロナの関係で休場になったことについて、初日の解説で舞の海さんが「こういう形で休場になったのは白鵬には渡りに船ではないか」と口にしたことで、流石にこれは酷い、ということを、書きたかった。最大限の理性を発揮して舞の海さんとか書いてますが、僕の中では敬称をつける気持ちが全滅するほど、はっきり言って舞の海さんのことは信じられないし、尊敬もできなくなった。

 それよりも、です。

 九月場所の千秋楽の翌日、いきなり、白鵬が引退する、となりました。僕はすぐには信じられなかったけど、次第に、もうここまででも良い、というような気持ちになりました。

 僕ははっきりと「白鵬を応援している」と周りに口にしていましたが、世間的に見ると、最近ではそんなことはなかなか公言できないような空気でした。ラジオ番組「問わず語りの神田伯山」で、講談師の六代目神田伯山さんが「暗黒面に落ちた」とふざけて口にしても真っ向から否定できないほど、白鵬の取り口は、ここのところは褒められるものではないのは、確かな事実でした。

 僕が白鵬を応援する理由は、強いこと、負けないこと、という簡単な理屈なのですが、ただ、これはここ数年の相撲を追いかけている人とは、ちょっと違うところから来ている気もする。僕は十五年は相撲を見ていて、白鵬の全盛期の始まりからを知っていると、白鵬はある種の別格的な力士で、常勝、不敗、という表現しかない力士だった。その「負けない白鵬」を見続けていると、負けないで欲しい、勝ち続けて欲しい、と念じるようになり、白鵬が実際に勝つと、安堵と満足感、感動みたいなものがある。何かの薬物にありそうな、解放感さえもあった。

 白鵬について語る時、どうしても否定的になってしまうのが、たった今、2021年の九月末の感覚ですが、記録として偉大という以上のものが、土俵上の白鵬にあったと僕は思っているし、そこを誰かに評価して欲しい、と思ってます。

 白鵬の相撲の形である、右四つ左上手は、ここ十五年の中で最も完成された、完璧な相撲の形でした。その形になれば絶対に負けない、そして、必ず自分の形に持っていく、という二つが高いレベルで融合した相撲でした。さらに言えば、左四つでも取れる、離れても取れる、力士としての完成された技術もありました。白鵬以降の横綱、日馬富士、鶴竜、稀勢の里を見ても、白鵬以上の取り口を身につけた人はいなかった、となります。照ノ富士はどうなるか、今後に注目ですが。

 僕が今、一番気になっているのは、白鵬の相撲の技がどう継承されていくのか、ということです。というより、継承されて欲しい、という願望があります。もちろん、相撲の技は基本的にその人独自のもので、弟子に完全に継承されることはありません。大関朝潮の頭から強く当たる相撲を朝青龍が主力の戦法にはしなかったし、横綱千代の富士の速攻相撲は千代大海とは無縁だったように、力士は自分の型を磨くことになります。そうなると、僕が見ていて心を震わせた、白鵬の完璧と言っていい相撲は、二度と見れない、ということになる。これがじわじわと、そして深か過ぎるほど深い喪失感に落ちていく坂道では、と思うと、怖い。あんなに凄い技術が、消えるなんて、損失でしかない。でも、誰もそれを身につけられない。

 相撲は、ひと夜の夢、なのかもしれません。

 これは少し前から折りに触れて考えていましたが、白鵬の時代の相撲を見続けてしまったら、もう二度と相撲に満足できないのではないか、という感覚があります。白鵬より強い横綱が、生まれるのか、と考えると、ほとんどあり得ない。白鵬の記録を塗り替える人はきっと僕が死ぬまで現れないし、白鵬より相撲が上手い人もきっと、僕が死ぬまで現れない。そんな、夢の中の夢、理想の中の理想が現実化した、してしまった、奇妙な時代が白鵬の時代だった、と言える気がします。それはもしかしたら、双葉山が勝ち続けた時代を見た人より、悲惨なことになるかもしれない。2021年の九月場所は新横綱の照ノ富士が十三勝二敗で優勝しましたが、白鵬が全勝とか、一敗とかで勝ち続けているのを見ていた身としては、二敗で優勝が凄いのか、そうじゃないのか、分からなくなってしまう。感覚がもはや、根底から崩れていってしまいそう。

 僕は、白鵬が優勝インタビューで訳わからないことを喋ったり、観客と一本締めをしたりするところを見てきて、やり過ぎだな、おかしいな、と思ったことも再三でした。土俵入りでも、部分的に勝手に省略して、それをそのまま続けたりもしました。それでも白鵬は偉大だった、と感じます。記録、数字ではなくて、僕の中にある相撲感みたいなものに一番、強く深い影響を与えたのが、誰でもない白鵬だからです。

 それにしても、いい時代だった。朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜、稀勢の里という横綱がいて、大関には琴光喜、琴欧洲、把瑠都、琴奨菊、豪栄道、高安、とか、黄金時代というしかないです。全てが白鵬中心で、白鵬に誰が勝つのかが全てという、凄い時代だった。

 これから白鵬が親方になるのか、なったとして、どんな弟子を育てるのか、何も分からないし、社会とか、相撲界、日本相撲協会がどんな風に白鵬と関わるのかは見通せないけど、土俵の上にいた白鵬という横綱は、巨星と呼んでも足りない、太陽のようだった。強い光を放って、最後には影を伴い、そして、ふっと消えた。

 変な話ですが、白鵬が引退したことで、時代が変わった、本当の意味で平成が終わって令和になった、という気がします。節目というか、歴史の流れがバッサリと断ち切られたような。

 これからの相撲で、僕は何を見たらいいんだろう?

 と、嘆きつつももう、なんだかんだで面白い奴を見るんですけどね。豊昇龍、若隆景、霧馬山、そんなところかな。この場所における豊昇龍と若隆景の割りで、豊昇龍の網打に若隆景が、堪えた後、豊昇龍が逆に二丁投げと一本背負いの合わせ技に行ったのが凄かった。驚異的な体と判断力と思い切りと、執念だった。

 こういうところから、僕はそのうち、白鵬を忘れるのかな。

 忘れたく、ないなぁ。

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