朝乃山の不祥事から見えてきた、「感動を返せ」の感覚と錯覚
これを書いている今日、漫画家の三浦健太郎さんが亡くなられて、それについても書きたいのですが、それは別のエッセイに譲るとして、この件は何時間経っても気持ちがうまく整理できないので、とりあえずまずは、大相撲のお話を記録として書いておきます。
今日、五月場所の十二日目でしたが、大関の朝乃山が今日から休場。定められた期間に協会の定める新型コロナ対策のガイドラインに違反する行為があった。少し正確に書けば、接待を伴う飲食をした、ということです。
今場所はこれで負け越しで、来場所はおそらく出場停止、もしくはその次の場所も出場停止では、と僕は見ていますが、つまり大関から陥落するはず。
僕がこのニュースに触れた時、心の一部が瞬間的に「せっかく応援してたのに」、「応援を無碍にした」という思いに傾きました。これはおそらく「感動を返せ」に近い感覚で、なんとなくその言葉を口にする理由がわかった。わかったけど、次には、これは違うな、と思い直したので、そのことを書いていきます。
僕が朝乃山の相撲に感動したのは事実。僕が朝乃山にいずれは横綱へと期待したのは事実。国技館に行って、拍手したのも事実。
では、僕はそれ以上の何かをしたのかといえば、何もしてない。朝乃山の後援会に入ってもないし、高砂部屋の後援会に入っているわけでもない。そもそも朝乃山と会話したこともないし、握手したこともない。すれ違ったことすらない。
ただテレビとか、客席というものすごく遠くから、視線を送っていただけ。
僕が感動したのも、横綱になって欲しいと思ったのも、ただの僕の願望なんですよ。朝乃山に勝って欲しい、朝乃山に横綱になって欲しい、それはただ僕が望んでいるだけで、僕自身にはなんの責任も伴わない、第三者の、無関係の人間の、願望です。これはきっと、朝乃山と食事とかができるタニマチとか、朝乃山に取材して記事を書いた記者とか、そういう形の人が持っている、朝乃山への期待、ともやはり違う、なんの努力もせず、なんの支援もせず、本当に無責任な人間の持つ願望なんです。
僕は今、その自分の無責任で自由すぎる期待に、ちょっと具合が悪くなりそうなほど、自分自身に嫌悪感を持っているところです。
本当に稽古したのは誰かと言えば、朝乃山です。本場所の土俵に上がっているのも朝乃山。地位の重圧とか周りからの期待に応えようとしているのも朝乃山。
僕は何をしたかと言えば、見ているだけです。
見ているだけがいけないわけではないとしても、やはり「感動を返せ」みたいな意見は、見当違いではないか。そう思うほど、自分をが応援する存在に、実際的な何かを差し出した人は極端に限られると思う。
むしろ僕たちはスポーツ選手や芸能人の人生に、ほとんど何も関わらないのに、そんな人たちにただ期待や願望を重ねて、それが裏切られると失望して落胆するけど、僕たちは何を失ったんだろう?
前にも別のエッセイで書いた気がしますが、ミュージシャンが犯罪で捕まっても、音楽自体の質が下がるわけもなく、仮にその事件の後に音楽が変に悪いもののように聞こえるなら、それは音楽を聞いていたわけではなく、ミュージシャンを見ていた、と同義だと思う。それはそれで良いけれど、例えばCDを買ってミュージシャンの懐にいくばくかのお金を入れたり、ライブに行ったりして、それで満足していた気持ちが、問題行為で満足できなくなるのは、僕からすればちょっと怖い。創作者はみんな創作活動をしながら、自分自身もどこかで創作しないといけないのか。僕たちは清廉潔白な人物ではないと、何も認められないのか。ほんの少しの汚点でも、誰かを引き摺り下ろす格好の手がかりなのか。
朝乃山に対する僕が向けた希望は、おそらく見る人から見れば「裏切られた希望」となると思う。では僕が裏切られたと思うかといえば、落胆はあっても、裏切られたわけではないと思う。裏切られたのは僕の一方的な期待だし、僕は何も差し出してはいないから、僕自身が勝手に体を預けて、勝手に倒れただけだ。裏切られたのは勘違いしていた僕で、朝乃山にはなんの責任もない。
むしろそこまで朝乃山に寄りかかっていた自分が不思議にもなった。僕が叶えられない正体不明なもの、社会的成功とか、周りから尊敬される存在になること、あけすけに言えば、認められること、そんなものを朝乃山に見ていたのかもしれない。それって、よく考えてみれば変な話で、朝乃山がどれだけ成功しても、僕が成功するわけではない。彼がこれから横綱になっても、何十回優勝しても、僕には一ミリも影響がない。
こうやって、他人に夢を見ることは悪いことではないし、「孤独じゃない」という状態の一形態だろうけど、僕は他人の人生を自分の人生とピタリと寄り添わせたり、その自分が支えにしている他人の人生がおかしくなったことで、自分の人生に傷がついたというようなこととか、どうこう言いたくはない。
僕はきっとまた朝乃山を応援すると思う。今回の件で、彼も人間だな、普通の人間だな、と思えるし、なんというか、僕は自分が虚像をひたすら見ていたと分かった。幻を具現化している人が確かにこの世にはいるけど、幻を信仰し始めると、次第に焦点がずれてしまう。人ではなく、幻ばかり見てしまう。
超然とした人はなるほど魅力的で、眩しいかもしれないけど、僕はその光だけを頼りにせずにいたい、とも思ったなぁ。
なんか、長くなってしまいました。そしてまとまりがなく、支離滅裂ですみません。
まだ、五月場所は終わってませんが、令和3年も、激動の年になりそうです。ちなみ今場所で良いな、と思ったのは若隆景と豊昇龍です。このくらいの体格の人が真っ向勝負でやってるのは、まさしく気風が良い。
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