大相撲が100倍面白くなるかもしれない注目点

 僕はほぼ一人きりの部屋で相撲を見ています。

 それで、たまに食事と重なると祖母と相撲を見る形になるのですが、そこで飛び出る言葉にだいぶ驚く。

 まず山梨県民なので、山梨県出身の竜電という力士に注目してるのですが、この力士が負けると「気持ちがのんびりしているから」とか「前に押さないとダメだ」と言い出す。

 おそらく相撲を何も知らない人は、荒々しい相撲とか、相手が吹っ飛ぶ相撲、派手に転がったり投げられる相撲を楽しみにすると思いますが、実は相撲を楽しむ余地は、淡白な相撲にこそある、と僕は思う。

 相撲をよく知らない人が押さえるべき初歩的な要素は、「差し手」です。もっと限定すれば、右手か左手か、どちらが相手の脇に入っているか、それを見るだけでも、淡白な相撲が面白くなる。

 そもそも相撲には「下手」と「上手」があって、差し手というのは、つまり下手のことです。

 ちょうどいい例は朝乃山でしょうか。朝乃山は立ち合いで当たってから、ほぼ必ず右下手を差そうとします。そこから煽っていきながら、左上手を引く。ここで寄っていくか、上手投げがありそうな勝ちパターンになります。

 さて、では、朝乃山の対戦相手に注目しましょう。誰が最適かはすぐ浮かびませんが、力士Aは同じ右下手が欲しい力士、力士Bは左下手が欲しい力士とします。

 力士Aと朝乃山が対戦する時は、おおよそお互いに右の下手を差していくわけで、これはあとは些細な形の問題になりそうではある。先に書いた「差し手」の問題は、ここでは力士Aが頭を朝乃山の顎の下あたりにつけて、朝乃山に右を差させず、左の上手を遠ざける、というやや複雑な形になるかもしれません。こうなると動きがおおよその場合は止まるので、熱戦に見えるかな、とは思います。この形になると、振りほどくか、無理やり頭を起こさせるか、ですが、最後の決着はその相撲によって変わるでしょう。

 では力士Bの場合。この場合は、朝乃山の右と力士Bの左がぶつかって「差し手争い」と呼ばれる事態になります。この差し手争いを理解すると、相撲は俄然、面白くなります。

 朝乃山としては力士Bに左を差されたくない。何故なら力士Bの右が下手を引くことを大抵の場合、甘受しているからで、右を差し負けると、朝乃山は力士Bに「双差し」を許してしまう。というわけで、右を固めたりして、この差し手争いが最終的な決着を決めるわけです。

 それで、この差し手争いが、朝乃山の右が入った、となって決着ではないのですね。表現としては「おっつけ」とか「絞る」と呼ばれる腕の使い方で、力士Bは朝乃山の右を十分に差させず、むしろ窮屈にしようとする。この技が顕著なのは御嶽海の右手であったり、遠藤の左手だったりします。

 この激しく絞る動きに耐えられなくなって差し手を抜いてしまうと、これは差し手争いに負けたのと同じことです。

 つまり何を言いたいかといえば、淡白な相撲というのは、差し勝つか、差し負けるか、相手の差し手を殺せたか、殺せなかったか、を見ることで、意外に楽しめる、ということです。

 絞る技術やおっつけの技術はそれだけで勝負を決めるわけではなくて、自分有利に持っていく経過の技なので、なかなか分かりづらいですが、面白い要素です。

 少し触れると遠藤という力士は淡白な相撲を取りますが、この人は左を差す相撲で、なかなかうまく左四つと呼ばれる形に持っていきますし、右で上手を引いても上手い。最初から左を差さなくても、おっつけで左を差す技は、一番うまいかもしれない。朝乃山が遠藤を苦手にするのは、朝乃山が根っからの右四つ、右を差さないと相撲にならないからで、遠藤の左からの攻めが苦手なんでしょう。朝乃山にはそういう、左四つが苦手、という弱点が今の時点では明確にあるような気がしますね。しかし最近は差さないで押したりして、意外にうまく対応できるようになるかもしれないです。

 一番初めに話を戻して、どうして僕が竜電の相撲が精神論や単純な理屈で解釈できないかを、書いてみます。

 僕はあまり真剣に見ていませんが、この力士の取り口は、当たって両前回しを取る双差しのような形で頭をつける、というものです。それが僕から見ると、体格に合っていない。竜電はおおよそ190センチくらいの長身なんですが、その体格で双差しに行くのは、やや難しいのでは。自分より背が低い相手の懐に入ろうとするわけで、双差しより上手を引く相撲をやった方がいいのでは、と僕は思う。これは精神論ではなく、純粋な技術の話で、がむしゃらに前に出る、というわけにはいかないのが、幕内だと思う。相撲は突進力とか闘争心を競っているわけではないので。

 もしこの記事の真偽が気になる方は、次の場所で竜電の相撲を見てほしいところです。大勝ちしたら、僕はいい笑いものですね。

 相撲の技はいろいろありますが、体格と技の相性は必ずあるというのは、事実だと思う。炎鵬や照強に白鵬みたいな相撲を取れるわけがないし、貴景勝だって白鵬みたいな相撲は取れない。照強は激しく当たる相撲ですが、貴景勝のような感じにはならない。白鵬と朝乃山という同じ右四つの人でも、上手の取り方はまるで違う。みんなそれぞれに体に合った技、術を身につけて勝っていくわけで、これが相手による研究とか、あるいは怪我で使えなくなったりすると、どうしても一線を退くしかない。

 ただ、相撲が本当に面白いのは、背の高さや体重とかで勝負が決まらないことなんですよね。今回、ここに書いたように、片腕が相手の脇の下に入るか入らないか、入れさせるか入れさせないか、それだけの些細な技術や駆け引き、対処能力が、最後に土俵に立っている人を決めるのです。

 それにしても、僕は照強と炎鵬なら炎鵬の方が好きですが、照強のあの負けん気と闘争心、激しさ、思い切りの良さは、見ていて気分がいい。あの背丈と体格で真っ向勝負は、体格と技の合致とは言えない気がしますが、やはり心がモノを言うのかな。

 いやはや、結局、最後は精神論でしたね。


 令和2年の九月場所は正代が優勝して大関になりました。

 僕が注目してるのは琴勝峰と豊昇龍の同期同学年の二人です。まだ、21歳かな?

 なんか、琴光喜と朝青龍みたいで、良いなぁ、と勝手に見てます。琴光喜の方が出世は先だったけど、朝青龍は横綱になって、そして徹底的に琴光喜を土俵に転がし続けたわけで、若い二人はこのあと、どうなるのだろう。

 それにしてま豊昇龍は本当にしぶとい。一番一番もしぶといですが、場所を通してもしぶとく粘って、勝ちを重ねてくる。

 怪我しないといいなぁ。足腰の強さが武器ですから、とにかく、怪我には注意です。

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