天国ノ泪

緑茶

天国ノ泪

 しめさばと思ってあの子が食べていたものは、実はらっきょうだった、それだけの話。

 それをあたしが指摘したら、あの子は顔を真っ赤にしてあたしに殴りかかってきた、それだけの、話。

 あたしの頬はそのときから腫れているけれど、あたしはなんとも思わない。

 お父さんお母さんからも、避けられている。機械のような子供だ、と言われる。

 だってあたしはゾンビだから。

 あたしはゾンビだ、とろとろのゾンビだ。


 だけどあたしは、あたしがほんとうにゾンビかどうか疑っている。もっと別のなにかかもしれない、と。でも結局は考えることをやめて、とろとろな毎日のなかにそのうたがいは埋もれていく。あ、でも、そもそもあたし、考えるのやめてるのかな? もしかしたら、まだいろいろ考えてるのかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。ああ、とろとろする。


 思考がとろとろしてわけがわからなくなると、あたしはうちの窓から外を見る。鉄の塔がぎゅうぎゅう詰めで生えて、その壁面を映画みたいに、文字列とか、映像とかが流れていく。その二次元と、塔達による三次元の合間をぬって、ヒモみたいに、たくさんの高速道路が通ってる。空からは汚い、紫色と土色を混ぜたよな雨がざあざあと毎日のように降っている。

 だけどそんななかでも、色とりどりのネオンサインは、自己主張を頑張ってる。めだつって、素敵なことだ。あたしも学校でめだってる。だけどそれがいいことか悪いことか、うれしいことか悲しいことかは、あたしには分からない。そもそもわからないことをわかってるのかどうかも、分からない。

 ……とにかく、そうして外を見ると、そんな景色が広がっている。でも、ごくたまに、ほんとうにごくごくたまに、酸性雨がやんだとき、鉄塔の満員電車の隙間から、『丘』が見える。それは漠然とした『丘』でしかない。灰色と黒色で塗りつぶされた、ぼんやりとした『丘』のカタチをした影がみえるだけ。

 私もとろとろで、世界も、ゆっくりと、とろとろとおわりに近づいてるのに、それが『丘』だってことだけは、なぜだかゆずれなかった。


 ネオンサインたちは頑張ってる。だけど、いくら頑張っても、人はどんどん少なくなっていく。みんな、遠いところへ逃げていく。戦争があるらしい。でもとろとろのゾンビなあたしはそんなことどうでもいい。

 街は、鉄がぎゅうぎゅう詰めの廃墟たちでいっぱいだ。だけど、残ってる人達は、そんな中でも生きてる。

 あたしのお父さんお母さんも、かなり頑張ってるみたいだけど、あたしにはよくわからなくて、あたしは家のなかに閉じこもっていつもふわふわしてる。雨がやんで丘を見るためにたまに外に出たら、いつも誰かが地面にかがんで、何かを探したり、埋めたり、また別の誰かが、廃墟によじのぼったり、こわしたりしている。

 みんな、よくわからないふしぎな表情で、そんなことをしてる。だけどあたしは、みんながすごくきらきらしてるように見える。とろとろしていく世界のなかで、みんなきらきらしてるように見える。

 ……だけどそのきらきらととろとろは、すごく似ているのかもしれない……し、そうでないかもしれない。あたしにはわからない。何もかもがわからないことがわからない。

 あたしは、ゾンビだから。


 ロボットと人間は、戦争をやっていた。おこった原因をお父さんお母さんから聞いたような気がするけど、覚えてない。覚えてても、たぶん、なにも思わずに、そのままどこかへ消えていくだろう。あたしはゾンビだから。


 街から人がいっぱいいなくなったのは、このあたりにロボット軍団が攻めてくるといううわさが流れたからだ。

 でも、どんなに街から人がいなくなっても、あたしには、あの丘はずっと見えていた。


 ある日、ロボットたちが街に攻めてきた。

 そのときもあたしは家のなかで、何をするでもなくとろとろしていたかもしれない。

 ただ、すごい音が外から響いたことは覚えてる。

 その音は一瞬であたしたちの家を呑み込んで、あたしはそのあと気を失ったことも覚えてる。

 

 目を覚ました時、お父さん、お母さんは死んでいた。あたしに手を伸ばしたまま、うつぶせになって死んでいた。

 あたしはお父さんお母さんのすぐ近くにいたのに、なんであたしだけ助かったのだろう。ほんとうならお父さんお母さんと同じ場所で、一緒に死んでいるはずなのに。

 しばらくお父さんお母さんの死体を見つめていたけど、私はとろとろとした思考のまま、なんとかして家の外に出て、歩き始めた。

 

 廃墟たちの間をくぐっていく。周りの人がどんどん死んでいく。ついその前まで、生きていたものが、生きるでなくなっていく。それはすごく妙なこと。なのかもしれない。

 火とか、爆風とかは、あたしを避けているようだった。あたしに当たるはずのものが、ほかのいろんな人にあたっていく。そして、死んでいく。

 すごくこげた臭いがする。廃墟の表面に浮かんでる画面はぐちゃぐちゃの、意味の分からない文字のようなものが楽しそうに踊ってる。踊りまくったあと、消える。

 ネオンサインたちも、はじめはついていたのに、だんだん消えて行く。


 あたしは歩いている。あたしの歩いているまわりには、破壊が溢れかえってる。だけど、あたしだけは、なにか道みたいなもので守られてるみたいだった。そしてその道は、あの丘につながっていたんだ。……視界を破壊で覆われても、それは分かった。あたしはゾンビなのに、なにかを分かったんだ。

 あたしの周りは、機械の出す鳴き声とか、人工筋肉道のきしむ音とか、逃げ惑ってる人達の声でいっぱいだ。だけどあたしの通る道は、まるで音なんてしない。あたしのところだけ、すっごく静かな世界。あたしはいつもそうだった。いつも、静かなところにいた。あたしのいる場所に、音なんてなにもなかった。

 煙や炎が霧みたいに立ち込めている。なおも続くロボットに寄る虐殺と破壊のなかで、それらはあたしの目の前に立ちふさがると息の根を止める。

 

 道による静かな導きのはてに、あたしは『丘』にたどり着いた。周りは暗い。丘はぼんやりと丘だった。どんなもので出来ていて、どんなカタチをしてるかなんて、分かりゃしない。ロボットたちの街への攻撃はまだ止みそうにない、丘の全体像が分かる頃には、あたしはもう丘を登り切ってるだろう。……だから、丘はとろとろのままでいい。なんだかわからないけど、丘なら丘でいい。あたしはゾンビなんだから、はっきりしたところに登ることなんて、できない。

 あたしは、ぼんやりの丘を、ぼんやりと登りはじめた。

 

 一歩一歩、のぼっていく。どんな感じで登っていくなんてわからない。だってあたしは感じる心がとろとろだから。もしかしたら、本当はわかってるかもしれない。でもそのかもしれないさえ、あたしには理解することができない。だってあたしは、とろとろのゾンビだから。人間のふりをした、ゾンビだから。


 そして登っていくうちに、あたしはあることを思い出した。それは思い出したというよりは、とろとろしてたものが急にはっきりと見えるようになっただけなのかもしれない。

 あたしがゾンビなのは、自分で自分をゾンビだと言っていたのは、あたしがゾンビだからじゃなくて、お父さんお母さんにそう呼ばれていたから。人の心を理解できない、感情のないお前なんか、人間じゃないと、そう言われていたから。あたしはゾンビだ。自分でもそう思ってる。でもあたしがあたしをゾンビと認めるなによりの原因は、あたしの外にあったんだ。今登っているなかで、あたしは気付いた。気づいてしまった。あたしのとろとろが、すこし、消えた気がした。


 だけど――。あたしは――。

 なにか、新しい疑問みたいなのが、出てきそうな気がした。でもそれは、結局あたしの前に現れることはなかった。


 あたしは丘を登り切った。と思う。だって、それ以上足をかけるところもなくて、目の前に斜面が立ちふさがることもなかったから。

 丘の頂上のまんなかに、何かがあった。近づけば近づくほど、その影は鮮明になっていく。

 それはロボットだった。

 傷だらけで、膝をかかえて、うずくまっていた。

 そしてそれは、あたしを見た。


「こんにちは」


 それはそう言った。ぼろぼろなせいか、雑音は混じってるけど、その声はきれいだった。

 ――こういうときはなにか言葉を返すものだ。だけど、あたしはその方法を知らない。

 あたしが無言でいると、それは口をひらいて(いるように見える)、語りはじめた。


「僕は立場上はあなたがたの敵ですが……こうなってはもう、関係がありませんね。僕は戦いを命令されましたが、逃げてきました。そうしてここにやってきたのです。もっと早く来たかった、戦いがはじまる前にここに来ておけばよかった、だけどそれは出来なかった。――そうして僕はいま、ここに居るのです」


 それは泣いていた。――泣く、がどういうことかはわからないけど、泣いていた。

 だって、それ自身が、僕は今泣いています、と言ったんだもの。

 そしてそれは、こうあたしに言った。


「何故泣くの、と僕に聞いてください」


 あたしは従った。――あなたは何故泣くの、と声を出した。

 それは答えた。


「ここに居れば、神様が僕を見てくれるかもしれないからですよ。……下の街よりは、空に近いから」


 神様はこれのことを知っているのかな、と思った。すると、それは、あたしの頭の中をひょいと覗きこんだ。


「知ってもらうためにここに居るのです。ここなら、空が見えるのです」


 他のロボットは、どうしたのだろう。


「他のロボットたちは、神様に見てもらおうなんて、思いもしませんでしたよ。……思いもしないということすら、彼らは思いもしなかった」


 だけど、あなたもロボットだから、『思う』なんて――。


「そう。僕はロボットだ、感情なんてない。だけど僕は、自分が思うことが出来ないことを知っています」


 それの発するのは、もう音じゃなくて声だった。

 声はあたしに問うた。


「あなたはなぜここに来たのです、人間さん」


 ――火から逃げてきたから。


「あなたは泣かないのですか、ここはこんなにも神様に近い場所なのに」


 ――泣くって、なに。泣くってことをあたしはちゃんと知らない。それがなんなのか、何回頭を振ってみても、何回うんうん唸ってみても、分からない。


 沈黙があたしとロボットをつつむ。だけどその沈黙は、この丘だけ。沈黙の外では、人が、ロボットが、たくさん死んだり、壊されたりしている。家を潰されたり焼かれたりしている。――あぁ、やっぱりこの丘は、違うんだ。全然違う場所なんだ。あたしはとろとろのゾンビだ。だけど、それは分かった。


 ――家族が、みんな死んだの。

 ――だけど、全然悲しい気持ちが出てこない。死んでも、なんとも思えない。それが苦しいの。


 くっ、くっ、くっ。

 悲鳴のような、きしみのようなそれは、ロボットの笑い声だった。ロボット自体が、自分は今笑っている、と言ったから。その笑いは、なにか、不思議な感じだった。何十年も月日を重ねたような、ただよう霧みたいな笑い声。


 ――なぜ、笑うの。


「あなたが悲しくなれないということを、あなた自身が知っている。それを――見ててわかるからですよ」


 ――涙を流しながら笑うなんて、変だわ。それはとてもおかしなこと。


「えぇ、僕は変です。変だからこそ、ここに居るのです」


 そして。

 ――――――轟音。

 それはあたしたちを包み込み、つらぬいた。

 丘のとろとろが、消える。

 そこから見えてきたのは。


 ――ああ、そこから見えるのは。

 赤をすこし薄めて空に溶かしたような色の下にあるのは。

 たくさんのがれき、たくさんの残骸。――たくさんの、死骸。

 静寂のした、戦いの終焉がつくりだしたおびただしい結果達が、眼下に横たわっていた。

 死んだ、みんな死んだのだ。人間は負けた。

 子供もお年寄りも、犬や猫も、みんな死んだ。うつぶせになっていたり、黒焦げだったり、目を見開いて硬直していたり。その死体は重なり、崩れ、ひしめきあっている。死だ。すべてが死で満たされていた。


 そしてその中には――父さん母さんもいた。いや、もう、いた、じゃない。あった、だ。もう生きては居ないのだ。

 ――ああ、死んだ。あたしの知る人間が、みんな死んだ。あたしはいつも一人だった。それはみんながいて、それから取り残されていたからだ。みんなが居なくなってしまった。――――あたしはもう一人ですらなくなってしまう。


 足がふるえて力をなくし、しゃがみ込んだのを、あたしはハッキリと自覚した。

 自覚した。あたしは自覚した。

 そして夕日は眼下の惨状にふりそそいだ。


 かたちをなくした廃墟、かたちをなくしたいきものの身体。

 赤に空を混ぜた色を注がれ、光っている。

 その光は、遠くになるにつれ、輝きを増していく。

 ――あの色を、なんと呼ぶのかしら。

 ロボットは答える。


「オレンジです。――橙色とも呼びますが、オレンジです」


 オレンジ色。――あたしはその色を知った。

 そして、あたしはその色が持つものを知った。

 その色は――暖かかった。

 みんな死んで、とても静かななかで、その色は、とても、とても暖かかったんだ。


 そのとき。 

 ――頬に。

 一筋の、雫。

 ――あっ、これは。

 なに、これ――。止まらない。

 流れ続ける。止まらない、止めようがない、とめどない――。


「それは――涙ですよ」


 ロボットは笑う。

 ――どうして笑うの。


「貴方は悲しんだ。だから、夕日を見て泣いたのです」


 そうだ、あたしは悲しんだ。――こんなにたくさん人が死んだことが、街が焼け野原になったことが、とても悲しい。

 だけど、その悲しみを、暖かい夕日が照らした。 

 ――綺麗、綺麗。夕日が、こんなにも綺麗なんだ。


「悲しさを知らないと、この綺麗さもきっと気付かずに消えていた。貴方は取り戻したのです。自分自身が、『いきている』ということを」


 世界はこんなにも悲しいことで溢れてる。だけど、だからこそ、世界はこんなにも美しいんだ。

 あたしにはなにもなかった。とろとろのゾンビだった。悲しみを持たなかった。だから、喜びも持たなかった。


 きっとそうだ、あたしは、この夕日を見るために、ここに来たんだ――。悲しさと美しさ、両方を見つめるために。

 夕日が顔を照らすなかで、あたしは涙を流し続ける。胸が苦しくなる。

 父さん母さんは――この夕日だ。父さん母さんは、家の崩落からあたしを助けた。それはきっと純粋な善意で、愛だったに違いない。父さん母さんは――最後の最後で、この夕日になれたんだ。


 あたしがとろとろだったころ、あたしは――自分に音がないからこそ、周りに音が溢れているということを、既にわかってたんだ。でも、わかってたことを、わかってなかったんだ。

 あたしはもう――ゾンビなんかじゃない。

 この夕日の下で、天国に近い丘で、あたしは人間になれたんだ。


「僕はもうすぐ――」


 ロボットが話し始めた。あたしはこのひとの隣に座り、耳を傾けた。


「機能停止します」


 ――そんな。せっかく、出会えたのに。


「残念がることはありません。僕は――機能停止することが『できる』のですから」


 胸がまた、苦しくなる。視界がぶれ始める。ああ、これは――。

 ――あたしも、もう――。

 ――あたしは病気だったんだ。いつ死んでもおかしくなかったんだ。それに今、気付いたの。だから。

 ――あたしも、もう凄く眠いの。


「眠くなることが、できるのです。――そう、できるのですよ」


 ――聞いてなかったわ。あなたの、名前は?


「エディです。――僕は――女性型レプリカント【エディ】です」


 ――そう、エディ。

 あたしは彼女に顔を近づける。そして、人間とまるで変わらない、煤けた頬にキスをした。

 エディは凄く赤くなった。


「な、なにをするの、ですか――」


 ――悲しいことを知ったから、こうしてキスも出来るの。それは凄く素敵なことよ。


 息が苦しくなってきた。ここの丘は標高が高いからだ、と思った。

 あたしはエディの手を取り、彼女の肩に寄りかかった。

 顎までまっすぐ切りそろえられた黒い髪が、当たる。――人間だ、まるで人間だ。

 夕日はきっと、黄昏だ。やがて世界は、死者たちを包み込んで、例外なく終わりに向かっていくだろう。

 無数の死体が、眼下に佇んでいる。かつて生きていた者達。父さん、母さん――。

 一体、あたし達と、何の違いがあるというのだろう。死ぬことって、生きることなんだ。


「こコのなマえを、まダ言っテまセンでシタね――」


 既に呂律が回らなくなっているエディが、言う。

 あたしは耳を傾ける。


 聞かせて、ここの名を。神様の見下ろす、天国に望むこの丘の名を。


 ああ、その名前はまさに――。

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