第2話 気性の荒すぎる薩摩人の話~伊東巳代治

 伊東巳代治いとうみよじは初代総理大臣・伊藤博文の懐刀ふところがたなである。

 

 19歳の時にその英語の才能と筆力を伊藤に見出された巳代治は、伊藤が明治10年代に工部卿こうぶきょう内務卿ないむきょう歴任れきにんした頃からそのかたわらにあって、伊藤の手紙の代筆から琉球帰属問題りゅうきゅうきぞくもんだいまですべてをこなしてきた。


 記憶力が良く、弁舌べんぜつが立ち、20代前半にしてそれなりの役職についた才覚さいかくのある伊東巳代治にも苦手なものがある。


 それは腕力に訴えてくるタイプの人間である。



 河島醇かわしまあつしという薩摩藩出身さつまはんしゅっしん官吏かんりがいる。

 今は官吏だが、元々は戊辰戦争ぼしんせんそうにも従軍した薩摩隼人さつまはやとだ。


 一日でも喧嘩をしないと気分が悪くなるという喧嘩好きで、体重80kgを越す明治時代とは思えない大男。

 薩摩の『ぼっけもん』そのままである。


 巳代治みよじは九州の生まれであるが、長崎県の出身。

 しかも、親が外国人相手の仕事をしていたし、自分も8歳の時から外国人の英語塾に通っていて、ハイカラが服を着て歩いているような男だった。


 その巳代治と河島がある日たまたま討論になった。


 巳代治は仲間である井上毅いのうえこわしや上司である伊藤博文と話しているときと変わらぬ感覚で、さわやかな弁舌でどんどん畳みかけていく。


 どんな反論が返ってきても、ねじ伏せる自信が巳代治にはあったが、掴まれたのは言葉の端でなく、服の襟だった。


うな!!」

 

 怒りで顔を真っ赤にして、河島が巳代治に組みつく。

 巳代治はそこそこ背はあるが、生粋の文官である。


 周りはまずいと思ったが、負けず嫌いの巳代治は謝らずに受けて立ち、取っ組み合いになった。


 物音を聞きつけて、周りが騒ぎ出す。


「おい、止めろ止めろ!」

「誰か呼んで来い!」


 騒ぎを聞きつけ、巳代治と同じ伊藤派官僚である井上毅いのうえこわしが部屋に入ってきた。


「何があった」

「あ、井上さん、ちょうど良かった。巳代治が……」


 複数の人間が興奮する河島を抑える中、河島に組み伏せられて喉笛のどぶえを締め付けられた半死半生の巳代治が喉を抑えて座っていた。


「大丈夫か、巳代治」

「……」


 なんでもないですよ、といつものように強気な言葉が返ってくるかとこわしは予想していたが、喉を締め上げられた影響か、巳代治は声が出ないらしく、こほっと苦しげに咳をした。


「……見せてみろ」


 喉を抑えている巳代治の手を毅ががしてみると、巳代治の華奢きゃしゃな首にくっきりと絞められた指の痕が残っていた。

 

 言葉を失う毅に、後ろで見ていた書記官が声が出ない巳代治の代わって説明した。


「河島さんに組み付かれて、首を締められたんですよ。河島さんが巳代治を組み伏せて乗っかって、上から両手で力を込めて首をぎゅうぎゅう本気で締めるから、うっかりあのまま絞め殺すかと思うほどでした」


 明治時代の前半は、酒に酔った薩摩の黒田清隆くろだきよたかが、うっぷんを晴らしに大砲をぶっ放して、民家に直撃させて死傷者を出すような時代である。


 絞め殺すという言葉が、割と洒落しゃれにならない。


「立てるか?」


 心配して手を差し出す毅の手に弱々しく手を差し出しながら、巳代治は口を開いた。


「……だから嫌いなんですよ、薩摩人は。野蛮で」


 負けたとか苦しいとかそういう言葉を口にしない巳代治に、毅はちょっと笑ってしまった。


「巳代治も相手をやり込め過ぎだ。弁が立つのはいいが、すきなくやり込めてしまうと、言い返す能力のない相手は手を上げるしかなくなる。だいたい年上なのだから少しは遠慮しろ」

「毅さんは一回り以上年下の僕が何を言っても、手を上げないじゃないですか」


 引っ張り上げてもらいながら、巳代治は口をとがらす。


「私は巳代治に弁舌で負けることはないからな。動けるか? 今日は午後は帰って休むか?」

「動けます。尻尾を巻いて逃げたと言われるのは嫌ですから、昼休憩が終わったら仕事に戻ります」


 けほっと咳をしながら、強気に巳代治が答える。

 

「あと僕も毅さんに弁舌で負ける気はありません」

「そう思うなら自慢の喉は潰さないようにしろよ」

「気をつけますが、僕は陛下と老母と伊藤さん以外に折る膝は持ち合わせてないので」


 負けず嫌いで気位の高い若い同僚に半ば感心、半ば呆れながら、多少は身の安全は配慮してやろうと毅は思うのだった。

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