エピローグ そして竜は羽ばたく

第92話 竜の王女と歩む未来

「なあ、フェルナール。荷物はここに入れれば良いのか?」


「ああ。適当に放り込んでくれれば大丈夫だ。壊れ物は入れるなよ。揺れるからな」


「だとさ、リリア。壊れて困る物は入れてないよな?」


「はい、エイジさん。ジーベン! そっちの袋をとって」


「かしこまりました、リリア様」


 屍竜との戦いから、一週間が経った。

 俺はバロワ近郊の草原にやってきていた。同行しているのはリリアとフェルナール、ジーベンさん、そしてフェルナールの飛竜である。


 俺たちは飛竜の背中に取り付けられた荷台に、荷物を押し込んでいるところだ。


「これで全部だ。積み終わったぞ」


 俺が声をかけると、フェルナールは荷台の様子を一瞥し、「大丈夫だ」というように軽く手を上げてみせた。


「では、参ろうか。かさばる荷物と道中の安全は私に任せてくれ。王都ハリアベルまでは馬車で六日ほど。少々時間がかかるが、我慢してくれよ。竜に乗れば半日もかからないのだが、ここにいる全員を乗せるのは、さすがに危険だからな。姫様にもしものことがあってはいけない」


「もちろんでございます。なに、の護衛はこの老骨めにお任せあれ。フェルナール殿には哨戒をお頼みいたします」


「心得た」


 ルアーユ教団によって蘇った屍竜とその眷属たち。やつらの襲撃は、バロワの街に大きな被害をもたらした。


 屍竜と魔獣たちの消滅が確認されると、バロワの領主——フェルナールの親父さんだ——は、事態の収拾へと動き出した。街中で起きていた戦闘と、それによる被害の把握だ。


 南の城門をはじめ、市街地のいくつかの建物がやつらによって破壊された。

 また城壁の防衛にあたっていた兵士たちには、二十名あまりの死者が出たという。バロワ城外での戦闘も含めると、少なくない数の兵士たちが命を落としたそうだ。死者の中に顔見知りはいなかったが、胸が締め付けられる思いがした。俺の手際が良ければ、数人は死者を減らせたのではないか……。


 不幸中の幸いだったのが、冒険者を含むバロワ市民たちに一人も犠牲者が出なかったことだ。

 怪物に立ち向かった冒険者や市民の中には、戦闘中に重傷を負った者もいたのだが、彼・彼女らは、により、を見せたのだという。

 別に意図してやったわけじゃないが、戦闘後に俺とリリアが上空を飛び回ったことで、何人かの命が救われ、けが人の治療に当たっていた医師や薬師、神官たちの負担は大きく軽減されたようだ。


 ちなみに、バロワ一帯に大雨を降らせていた雨雲は、屍竜が撃破されて間もなく、跡形もなく消え去った。もしかしたら、あの雨も屍竜の魔力が引き起こしたものだったのかもしれない。

 だとしたら、あの竜は間抜けなやつだ。雨さえなければ、俺たちは逆転できていなかったかもしれない。仮に逆転できたとしても、街にはより多くの犠牲が出ていたことだろう。


 まぁ、それはさておき。

 俺たちがいま何をしているのかといえば、ハリアの王都であるハリアベルに出立する準備である。

 ハリアベルに行く目的——それはリリアを、彼女の異母兄である国王に引き合わせることだった。


 屍竜を倒した後、俺とリリアはフェルナールの回復を待ち、南門を無事に守り通したジーベンさんも交えて、今後の身の振り方を議論した。


 その場ではまず、リリアがフェルナールとジーベンさんに、自分の身に起きたこととを語って聞かせた。

 母フローネアが神代の神聖竜の一族であったこと。フローネアさんと前王の出会い。リリアの誕生。そしてフローネアさんの死と、彼女がリリアのために残したもの。


 話を聞いたフェルナールは、信じられないといった顔で俺たちを見た。まぁ妥当な反応だな。

 対照的なのがジーベンさんで、「フローネア様が竜だったとは……。しかし、あのお方であれば不思議ではありませぬ」と呟き、遠くを見るような目をした。


 さて、問題だったのはその後。リリアをこれからどうするかについて。


 多くの市民が、竜に変化へんげした後のリリアの姿を目撃している。

 リリアが変身したところを目撃したのは俺だけだろうが、竜になったリリアの姿はフェルナールの竜とは似ても似つかない。いかに豪雨の中だったとはいえ、市民たちは「あの竜は何者で、どこから来たのだろう?」と不審に思うはずだ。


 真っ先にリリアが疑われることはないだろう。しかし、バウバロスがリリアのことを「竜の娘」と呼ぶのを聞いた人間は複数いる。いずれそれが噂になるかもしれない。


 もしリリアの素性が露見すれば厄介なことになる。

 リリアは半人半竜の存在であるだけではなく、ハリア前王の隠し子なのだ。もしこの二つがセットで発覚すれば、国を揺るがす騒動に発展しかねない。


 ちなみに、俺たちはリリアが人間に戻った後、もう一度竜の姿に戻れるかを試してみた。しかし、リリア自身も自分がどうやって竜に変身したのかを覚えていないようだった。剣に念を込めたりしてみたものの、再び竜に戻ることは出来なかった。

 とはいえ、リリアの身体に流れるフローネアさんの血が消えたわけではない。それは俺の〈コピー&ペースト〉で確認すれば明らかだった。


 それゆえに、今後の対応は慎重に行う必要があった。

 俺たちの持っている情報を総合すると、リリアが前王の隠し子だと知っているのは全部で六人。俺、リリア、ジーベンさん、フェルナール、現ハリア国王、そしていまは亡きリリアの両親だけである。

 ジーベンさんの話によると、前王は亡くなる直前、王太子——現国王にだけは、リリアの存在を伝えていたらしい。ただしフローネアさんの素性は教えず、「手厚く保護し、静かな生活を送らせるべし。いたずらに手を出せば国を巻き込む禍根となろう」と、ジーベンさん以外に口外することを禁じた。

 現国王はその遺訓を踏まえ、リリアの素性を探ろうとはしなかった。リリアが王家の血を引いていると知っているのはジーベンさんだけ。ならば藪をつついて蛇を出す必要はないと考えたのだろう。


 俺たちの話を聞いたフェルナールは、しばし考え込んだ末、リリアに尋ねた。


「リリア様は、今後どうしていきたいとお考えですか? その……漠然とした質問で恐縮ですが……」


「わたしは……。国王陛下——お兄様のご迷惑にならないようにしたいと思います。エイジさんや、ジーベン、フェルナール殿にも、心労をかけたくありません」


 そう答えてはみたものの、具体的なビジョンは浮かばないようだった。

 そりゃそうだ、当たり前の話だ。存在自体が爆弾みたいなものなのだから、リリアがどうしようと、何かしらのリスクは発生する。すぐに身の振り方を考えられるはずはない。


「エイジ、君はどう思う?」


「俺たちだけで対応できる問題じゃない。リリアの身体に流れるハリア王国の血と、竜の血。それらを悪用しようとする者からリリアを隠し、守るには、国王の協力が必要不可欠だ。国王にすべてを話し、協力を求めるべきだと思う」


 いや、「べき」ではなく、方法はそれしかないだろう。ただし、懸念もある。


「ジーベンさんとフェルナールは、国王の人柄をよく知っているんだろう? どういう人なんだ?」


 俺が気にしていたのは、国王の性格だった。果たして信用していい人物なのか。

 猜疑心が強いタイプなら、リリアの秘密を知れば、密かに亡き者にしようとするかもしれない。

 その場合は協力を申し出るにしても、情報の伝え方を熟慮しなければならない。


「ふむ……。陛下の人柄を評するのは不遜でございますが、あえて申し上げるならば英明にして無私。父君によく似ていらっしゃいます」


「それに加えて陛下は、公正と真実の守護者である主神ディアソートの敬虔な信徒であらせられる。神に祈り、奇跡を起こすほどの信心をお持ちだ。これで少しは安心できたかな、エイジ?」


 俺の懸念を見透かしたらしいフェルナールが、微笑みながら言った。


「ああ、十分だ」


 俺はリリアのほうを見た。あとは本人の意思次第だった。

 リリアは俺の視線をまっすぐ見つめ返し、大きく頷いた。


「お兄様にお会いして、すべてお話ししましょう」


 方針が決まると、フェルナールはすぐに対応に移った。


 まずは王都の国王へと伝書鳩を飛ばす。手紙の文面は「バロワの一件にて、内密にご相談したい儀あり。重大事にて、詳細はじかに拝謁して申し上げ候」とシンプルに。

 次にフェルナールは、父である領主に、「援軍として現れた白銀竜とその騎手は、自分の知悉する人物である。竜のことは国家の機密ゆえ、詳細は発表できない」と報告した。嘘ではないが、本当のことでもない。


 それに加えて、俺へのフォローも行われた。

 先の戦いでは、俺もかなり目立ってしまっている。街中でバンバン大魔法をぶっ放しているのだ。のちのち噂になるのは火を見るよりも明らかだ。

 そこで、フェルナールは「エイジは自分が招いた客人、異邦の賢者である。ゆえあって一時的に記憶を失い、リリア殿に保護されていた。このたび無事に記憶を取り戻し、バロワ防衛に協力してくれた。ついては、保護者であるリリア殿とともに王都に招き、労をねぎらいたい」と父に報告した。

 こっちの説明にはだいぶ嘘が混じっているが、うまく俺をダシにしてリリアを王都に連れて行く口実を作った形だ。


 ……という打ち合わせが行われたのが一週間前のこと。

 そしていま、俺たちは王都ハリアベルに向けて旅立とうとしている。


「さて、私は先に行くとしよう。竜がいると、馬が怖がるからな」


 バロワの城門の方角へ目を向けたフェルナールが、飛竜の首を軽く叩いた。竜は「グルル」と喉を鳴らし、主を乗せるために首を下げる。


 フェルナールの視線の先には、こちらに向かって駆けてくる馬車があった。俺たちを王都へと運ぶための馬車だ。

 手配をしてくれた満月さんによれば最高級の馬車だそうだ。四頭立てのそいつは車体が大きく、作りも頑丈そうだった。

 馬車の両脇には、二頭の馬が併走していた。馬上には、大柄な男と赤毛の女が乗っている。


「おおおーーーーい!」


 大柄な男——ザックが、俺たちに手を振りながら、大声で叫んだ。。


「オレたちもついていくぜ! センセ、護衛が必要だろ!」


「あいつ、どういうつもりだ……」


 俺の呟きを聞いて、リリアがクスリと笑った。


「ちょうど王都に行く用事があったんだ! タダで付き合ってやるぜ! センセには世話になったからな!」


「——と言っているが、どうする?」


 俺が一同の顔を見回すと、ジーヴェンさんとフェルナールは苦笑を浮かべ、リリアの顔を見た。


「わたしは構いませんよ。大勢のほうが楽しいですし」


 リリアはそう言って笑った。


「しかし、旅の途中で例の呪いが出たら……」


 俺がこっそり耳打ちすると、リリアは少し顔を赤らめて微笑を浮かべた。


「あの人たちになら、見られても恥ずかしくないですよ」


「いや、そういう問題じゃなくてだな……」


 こそこそ話をする俺たちに、ジーヴェンさんが鋭い眼光を向けてくる。突き刺さるような視線というのは、こういうものを言うのだろう。


「リリア様! 私はお先に参ります」


 俺たちの言い合いを遮ったのは、竜の鞍にまたががったフェルナールだった。


「少々ほこりが舞いますが、どうかご容赦を。ハッ!」


 フェルナールが手綱を操ると、竜は身体を起こし、静かに翼を動かしはじめた。

 ゆったりとした、それでいて力強い風が吹く。竜が羽ばたきを繰り返すと、小山のような巨体が宙に浮く。巻き起こる風は次第に強くなり、俺たちの髪の毛やマントを吹き上げた。

 竜は羽を打ち付けるように振り下ろし、空に向かって急上昇していく。

 俺たちは舞い散る土埃に目を細めながら、竜の姿を見送った。


「竜って、ああやって飛ぶんですね」


 遠ざかり、小さくなっていく竜の影を見ながら、リリアが感嘆の声を漏らした。


「わたしも空を飛んでいたと思うと、不思議な気分です」


「そりゃそうだろうな」


 俺はリリアを見た。つま先から全身まで。

 細く引き締まった、均整の取れた身体。この身体が巨大な竜に変化し、俺を乗せて飛んだんだよな。俺だって、いまだに現実感が湧かない。


「あまりじろじろ見ないでください」


「おっと、すまない」


 俺の不躾な視線に、リリアが顔を赤らめて微笑した。


「あの、エイジさん」


「なんだい?」


 リリアは「なんでもありません」と言って俺から視線を外すと、飛び去っていく竜に目を向けた。それに釣られて、俺も空を見る。

 てのひらほどの大きさになった竜が、暖かな陽光を浴びながら飛んでゆく。


「……また、いっしょに空を飛びたいなって、思ったんです」


 数秒の間を置いて、リリアが呟いた。


「そうだな」


 俺は空に顔を向けたまま返事をする。


「次は晴れていると日だといいな。雨の中でドンパチやるのはもうごめんだ」


 リリアはくすりと笑うと、俺の腕に自分の腕を絡めた。


「ええ」


 暖かい日差しとリリアの体温を感じながら、俺は未来を思い描く。


 俺の想像の中で、竜に変化したリリアが、雲一つない青空を飛んでいく。

 呪いからも、王家の隠し子だというややこしい出自からも解放されたリリアは、俺を背中に乗せ、自由気ままに羽を翻す。

 なにものにも縛られず、俺たちは飛んでいくのだ。


 きっと、どこまでも。

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