第90話 フローネアの記憶を

 バロワの街全体から、歓声のようなどよめきが上がった。

 その響きを耳ではなく身体全体で感じながら、俺たちはしばしバロワ上空をぐるぐると飛び回った。


 下を見れば、屍竜の消失とともに魔獣たちも力を失ったようだった。

 街の外壁に殺到していた魔獣たちが形を失い、崩れてくのが見えた。下の魔獣たちに力を供給し、統率を取っていたのは屍竜だったということなのだろう。

 だとすれば、街中に入り込んだ魔獣たちもいまごろ崩れ散っているはずだ。

 バロワの街を襲う悪意は、ここに終焉を迎えたのだ。


 北門の上空を通り過ぎたとき、大勢の人がこちらに手を振っているのに気がついた。

 暗くて距離があるのでハッキリ見えないが、集団の中心には一際大柄な男が立っているのが分かる。男の傍らには、遠目にも鮮やかな赤髪の人物が立っている。

 北門の門扉は半壊寸前だったが、打ち破られてはいなかった。ザックとイリーナの率いるマルセリス戦士団は、見事に務めを果たしたのだ。


『街の心配はしなくてよさそうですね』


 俺の心に、安堵の色を含んだリリアの声が響く。


「ああ、きみのおかげだ。リリア」


 白銀の鱗に覆われた首筋を撫でると、てのひらからリリアの喜びの感情が伝わってきた。


『いいえ、エイジさん。わたしの力ではありません。すべては、わたしを導いてくれたエイジさん——そしてお母様の愛のおかげです』


 お母様——その言葉を発したときのリリアの声は高揚していて、どこか誇らしげだった。


「お母様って、フローネアさんのことがなんか分かったのか? リリアがこうなったのは、お母さんが助けてくれたってこと?」


『はい。わたしが竜の力を扱えたのは、この身に半分流れるお母様の血。もう半分は、お母様が残した——』


 リリアが最後まで語り終わらないうちに、彼女の身体が淡い光を放ちはじめた。


「これは……!?」


 俺の目の前で、竜と化したリリアの身体が光を放ちながら縮んでいく。


『うふふっ、竜の力が解けかけているんです。でも、急に落ちたりはしないので安心してください』


 俺の目の前で、リリアの身体が竜の形から人の形へと戻っていく。

 リリアから抜け出した光が膜となり、泡のよう俺たちを包み込んだ。泡は俺たちを覆ったまま、ゆっくりと地面に落下していく。


「エイジさん!」


 完全に人間の姿に戻ったリリアが、生まれたままの姿で俺に抱きついてきた。

 服越しでリリアの身体の柔らかさと体温を感じると、次第に勝利の実感が湧きあがってきた。

 俺が両手をリリアの背中に回して強く抱きしめると、リリアも負けじと腕の力を強めてきた。


「……!」


 不意に視界が暗くなり、唇に柔らかいものが触れるのを感じた。

 リリアが俺に口づけをしてきたのだと理解できたのは、それから数秒経ってのことである。


 俺は血流で顔が爆発しそうになるのに耐えながら、リリアのスキル欄で赤く輝いていた〈フローネアの記憶〉をコピーし、役目を終えた〈騎乗(竜)〉の上に貼り付けた。

 他人の記憶と書かれたスキルをコピーするのは、勝手に心の中を覗くようで後ろめたくはあった。しかし、これからリリアといっしょに暮らしていくためには、見ておかねばならない気がした。

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