第66話 パルネリア世界の竜

 疲れ果てていたのだろう。次にリリアが目を覚ましたのは、太陽が沈んだあとだった。


「いけない!」


 突然ベッドから跳ね起きたリリアはぱっと目を見開き、周囲を見回した。絹糸のような金髪が寝乱れて顔に貼り付いている。少し腫れたまぶたと相まって、強烈な色気を感じさせる。


「疲れは取れたかい?」


 俺が笑いかけると、リリアは「はい……」とうなずき、恥ずかしそうに顔を赤らめた。


「起こしてくれたら良かったのに……」


「起こせるわけないだろ」


 リリアは俺が目を覚ますまで、ずっと見守ってくれていたのだ。こちらの都合で起こすなんて恩知らずなことはできない。それに、俺はリリアの可愛い寝顔をずっと見ていたかったのだ。


 俺は椅子から立ち上がり、ベッドサイドのテーブルに置かれた水差しを手に取った。いっしょに置かれていた木のコップに水を注ぎ、リリアに差し出す。


「エイジさんはもう大丈夫なんですか?」


「まだ身体は十分には動かないが、おかげさまで。立って歩くくらいなら問題ない。だが、しばらくは静養が必要だそうだ」


「ゆっくり休んでください」


「お互いにな」


 リリアが俺の手を引いた。いっしょにベッドに入れということらしい。

 それにしても、マルセリス教団の人たちはなぜベッドが一つしかない部屋を俺たちにあてがったのだろう。ベッドは広いので、二人で寝っ転がっても十分に余裕があるのだが、男女二人が同衾するのはマズいと思わなかったのだろうか。

 もしかして、イリーナのやつが教団の人に何か吹き込んだのだろうか……?


 俺はリリアに誘われるままベッドに入って寝転んだ。リリアも俺に合わせて身を横たえる。お互いの顔が近い。月明かりがリリアの美貌を照らし、俺は心臓の鼓動が早くなるのを感じた。疲れているからか、性的な衝動はまったく起こらず、俺は純粋にリリアを美しいと思った。


「そういえばさっき、どなたかお客さんが来ていたんですか?」


「フェルナールという男が来た。明日、俺たちを呼んで話がしたいんだってさ」


 フェルナールが話していたことを語って聞かせると、リリアは少し考え込む様子を見せた。俺が「どうかしたか」と尋ねると、


「フェルナール殿は切れ者として有名です。内密というからには、何か重要な話をするつもりでしょう」


 フェルナール本人は自分のことを穀潰しの次男坊、ディアソート神殿の居候だと言っていたが、実際はそんなことはないらしい。なんとなくそんな気はしていたが。


「あの方は、ハリア王国でも五人しかいない竜騎士の一人です。出身こそバロワですが、いつもは国王陛下から任務を受けて、各地を飛び回っているのです」


「竜騎士……というと、竜に乗って空を飛んだりするのか?」


 間の抜けた俺の質問に、リリアは「はい」と首を縦に振った。


「この世界の竜というのは、どういう存在なんだ?」


 話の流れに乗って、気になっていたことを聞いてみることにした。

 バーバラさんの家で読んだパルネリアの伝承には、たびたび竜が出てくる。姿形は俺のイメージする竜に近いらしいが、この世界の竜には、何か特別な意味があるように感じられた。


「難しい質問ですね……。竜と一口に言っても、さまざまな種類がいます」


 リリアが思案しながら答える。


「フェルナール殿のような竜騎士が駆るのは、竜の中でも年若く、力が弱いものです。人間に近い知能を持っていますが、魔法は使えません。それでさえ、一騎の竜がその気になれば、一つの都市を一日で灰に出来ると言われています」


 たった一騎で都市を陥落せしめるほどの戦力か。とんでもない話だ。となると、フェルナールはハリア王国にとって、切り札のような存在というわけか。


「それでも弱い部類なんだな」


「はい。より強い竜は、人間をはるかに凌駕する知恵を持ち、強力な魔法を操る者もいるそうです。その力は国一つを簡単に滅ぼせるのだとか。古代魔法文明以前からパルネリアに存在していたと言われています」


 そういえば、バーバラさんの家で読んだ古文書の中には、神にも匹敵する力を持ち、神々に叛逆した竜というのもいたっけ。

 名前はたしか、イゾームといったはずだ。パルネリア全土で暴れ回り、七つの国を滅ぼしたが、主神ディアソートの妹に率いられた人々によって倒されたという。


「ただし、力ある竜は人と交わることを好まず、人里から遠く離れた山野や砂漠、海、湖で静かに暮らしていると言われています。もっとも、それほど強大な竜を直に見たという人はほとんどいません。本当にいまも存在するのかどうかは、誰にも分かりません」


 なるほど。強大な竜については、伝承や古文書でしか知られておらず、おとぎ話の中の存在にすぎないかも、ということか。


「リリア」


「どうかしました?」


「遺跡で出会ったルアーユ司祭——バウバロスは、きみのことを〈竜の娘〉と呼んだ。これはいったいどういう意味なのだろう?」


 俺がずっと気になっていたことを口にすると、リリアは黙り込んだ。どう答えて良いか分からず、困惑している様子だった。


「……わたしにも分かりません」


 しばらく間をおいて、リリアが答えた。


「竜の中には、人に化けるものもあると言います。ですが、わたしはずっとこの姿です。竜が化けているわけではありませんよ」


 苦笑を浮かべながら、リリアは言う。


「〈竜の娘〉と言われても、意味が分かりません」


 リリアはそう言いながら、俺の手を握った。リリアの掌は少し汗ばんでいて、小刻みに震えていた。


「ご両親は、普通の人間なんだよな?」


 不安を和らげるつもりで言った冗談だったのだが、リリアは黙ったまま答えなかった。

 俺たちの間に、長い沈黙が訪れた。やがて、リリアは声を震わせながら「……分かりません」と言った。


「わたしは父母の顔を知らないのですから」

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