第06話 どうやら夢じゃない

 リリアの案内にしたがって、えっちらおっちら山道を進んでいると、やがて遠くに小さな集落が見えてきた。


 そのころになると、俺はこの世界が夢なんかじゃなくて、どうやら本物の異世界らしい、と思い始めていた。


 なぜなら、めっちゃ疲れるからだ。

 女の子とはいえ、人一人をかついで一時間近くは歩いたので、すっかり息が上がり、顔は汗まみれになっていた。

 このリアルすぎる疲労感、絶対に夢ではありえない。

 それに、背中から伝わってくるリリアの生々しい体温や柔らかさも、とうてい夢とは思えなかった。


「ひとまず、ここまで来れば安心かな」


 坂を下りた二十メートルほど先に、村の入り口らしきものが見えた。入り口の前には村人が立っている。

 畑を含む集落の周りは、浅い堀と粗末な木の柵で囲まれており、なにやら物々しい雰囲気だった。


 道すがらリリアに聞いた話によると、彼女はこの村に雇われた冒険者だという。

 最近、この村ではゴブリンによる襲撃、略奪が相次いでおり、調査と討伐を依頼されたのだとか。

 リリアはゴブリンの巣穴や、群れの規模を調査していたが、その矢先に森で襲撃を受けたのだという。


「仲間はいないのか?」


 俺が尋ねると、リリアは首を横に振った。

 いくら腕の立つ剣士とは言え、一人で危険な山歩きをするのは正気の沙汰ではないと思ったが、何か事情がありそうだ。深入りはしないことにする。


「エイジさんは、なぜあんな場所に?」


 リリアに素性を聞かれたので、俺は自分の身に起きたことを話した。

 こことは違う世界で事故に巻き込まれたこと、地獄で女神に会ったこと、この世界に飛ばされたこと。

 ただ、女神の言う廃棄物がどうとかいう話や、スキルの説明はめんどくさいので、割愛させてもらった。俺自身もよく分かってないし。


 リリアは俺の説明をいぶかしげな様子で聞いていた。

 目の前の男が異世界からやってきたなんて、にわかに信じられないのだろう。


「まぁ、こんな話、信じろってほうが無理があるよな。俺だって、まだ信じられないでいる」


 俺が笑うと、リリアは慌ててかぶりを振った。


「いえ! エイジさんの話、たしかに不思議です。でも、パルネリアには昔から、異世界人の伝承が数多く伝わっています。真偽不明のおとぎ話が多いですけど、中には本物もあると言われています」


 リリアは「それに」と続け、俺の着ている安物のシャツ(ポリエステル製だ)を指でつまんだ。


「エイジさんの着ている服には、私が知らない布が使われています。縫い目も異常なほど正確です。異世界から来たと言われても、あまり不思議ではありません」


「そのわりには、いぶかしげな顔をしてたぜ」


 俺が軽口を叩くと、リリアは「お話の中に出てきた女神が気になったのです」と答えた。


「パルネリアには数多くの神がいますが、その中の誰なのかと」


「えーっと……。名前は確か、〈復讐の女神アルザード〉と言ったような」


「アルザード!」


「わわわ! おっとと!」


 急にリリアが大きな声を出したので、俺は転びそうになった。


「急にどうしたの?」


「あ、ごめんなさい! 少し……驚いたんです。アルザードはこの世界を作った神々の一柱です。主神ディアソートの妹にして、地獄の守護者と言われています。でも、その実体は謎に包まれていて、一説によれば、ディアソートに敵対する〈邪神〉で、地獄に封じ込められているとも……」


「マジかよ」


「邪神かどうかは分かりませんが、一般的にパルネリアでは不吉な神とされています。だから、ほかの人の前では、その話はあまりしないほうが良いと思います」


 最初に話したのがリリアでよかった。

 確かにあいつ、見た目は邪神っぽかったもんな……。


 そうこうしていると、村の入り口に立っていた村人がこちらに気がついたらしく、警戒した様子で近づいてきた。

 村人は十代後半くらいの男で、手には鋤を構えていた。しかし、俺に背負われたリリアの姿を見ると、ほっとしたように鋤を下ろした。


「リリアさん、ご無事でしたか!」


「ええ、スレン。偵察中にゴブリンの群れと遭遇しちゃって……。巣の場所は分からなかったわ。私とこの人——通りすがりのエイジさん——で二十匹くらい斬ったから、しばらくはおとなしくしていると思うけど……」


 スレンと呼ばれた青年は俺に好奇の目を向けつつ、「ありがとうございます」と会釈。


「ただ、ゴブリンが残っていたとしたら心配ね。もしかしたら報復に来るかもしれない」


「いまはそんなこと、どうでも良いですよ! よくぞご無事で——」


 ここでスレンはリリアの姿を見て、ぎょっとした表情になった。そしてすぐさま目を背ける。

 リリアはスーツを被っているとはいえ、その下が裸か下着なのは、近づけば一目瞭然だった。


「こ、これは、あの」


 しゃべろうとしたリリアの身体が、小刻みに震え始める。

 さきほどの恥辱と恐怖が蘇ってきたのだろう。俺の首に回された手にも、力がこもった。彼女の心臓が早鐘を打つように鳴っているのを感じる。


「こ、これはだな!」


 俺が急に大声を出したので、スレンは驚いてこちらを見た。


「リリアは、戦闘中にゴブリンに毒を浴びせられたんだ! あ、いや、毒かどうかは分からないが、なにか奇妙な色をした液体だったんだ。臭いも凄まじかったよ! その毒は、鎧だけじゃなく、下着にまで染みそうだったから、安全を期して全部捨ててきたってわけ」


「な、なるほど。毒ですか。まさか、そんなものを使うゴブリンがいるなんて。我々も気をつけな——」


「あー、いや! 毒とは限らない! でも気をつけるにこしたことはないね! それは間違いない! うんうん!」


 俺がスレンにウソをまくし立てているうちに、リリアの身体からこわばりが抜けていった。


「まあ、そういうわけでスレンくん! リリアの荷物をここに持ってきてくれないか? さすがにこの格好で村を歩くわけにはいかないので。あと、リリアが危険な目にあったというのは、なるべくほかの人に言わないように。余計な心配をするといけないからね!」


 リリアがこの格好で村に入れば、村人からは奇異の目で見られるだろう。

 人の良さそうなスレンは騙せても、勘の良い者なら、リリアが陵辱を受けたのではないか、と推測するはずだ。そういう憶測の種は、なるべく潰しておきたかった。


「分かりました。あの、毒のこともみんなには——」


「それは言っても良い! でも、毒であるとは限らないからね! 毒かもしれない謎の液体を持っていた、ぐらいでお願い。みんなをあまり不安にさせないように! あくまで注意喚起に止めて」


「分かりました。少し待っててください」


「ついでに、何か飲み物を持ってきて!」


 話が終わると、スレンは俺たちを残して村の中へ入っていった。

 ふう、なんとか乗り切ったぜ。疲れとしゃべりすぎで、喉がカラカラだった。


「ありがとう、エイジさん」


 スレンの姿が見えなくなると、背中のリリアがそう呟いた。

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