第6話 ゆきずりのぶち猫

その日はとにかく日差しの強い日であった。

いつものように出版社へ出向き、編集者と打合せする。

帰り際、書店に寄り新刊をチェックする。


新刊コーナーには子供っぽいアニメの絵が描かれた、若者向け小説が沢山並んでいた。

ポップには「50万部突破!」「アニメ化決定!」など、人気が伺えるあおり文が書かれている。


この手の小説を少しだが読んだことがある。

どれも表現力、語彙力に乏しく馬鹿げたご都合主義のライトファンタジーだ。

このような類いの読者は文章力など求めず、ただアニメのようなキャラクターの活躍さえ愛でていられればいいのだ。


私はこのように稚拙な作品ばかりが書店に溢れかえる現状に、嫌悪感を抱く。

しかしそれは、低俗だと心で見下している作品の方が、私の小説よりずっとずっと売れている現実への嫌悪感なのだ。


私がどれだけ全力を尽くして書き上げた作品でも、平積みされたアニメのような小説と肩を並べる事すらできない。

私は無性に悔しくなって、書店を後にした。


しばらく歩くと、もう店らしい店もない辺鄙な住宅街になる。アパートまで幾分かからないという時だ。

視線の片隅に黒い物体が入り込んだ。道路際の小さな空き地に、黒い子猫の背中が見えた。

まさか、黒兵衛か?いや、そんなはずはない。

確かに戸締まりはしたはずだ。


黒い物体はこちらに振り返った。

それは背中こそ真っ黒いが、顔の半分と腹が白い、ぶち猫であった。

なんだ別人、いや別猫か。

しかし黒兵衛と同じような大きさだ。

歳も同じくらいだろうか。


まだ幼さの残るぶち猫は、力ない様子でうずくまっていた。

まあ猫というのは、日がな一日眠ってばかりいるものだ。

こいつも眠たいだけだろう。


暑さが厳しい。

これ以上ただの野良猫に構っている訳にもいかないので、私は足早に帰宅した。


アパートに着くと、黒兵衛はクーラーの効いた部屋で伸びていた。

今までなら外出時などクーラーを止められたのに、こいつが来てからは外出中もクーラーを付けっぱなしにしなければいけない。

いっちょまえに猫も熱中症を起こすようなので、外出時はクーラーを付け、新鮮な飲み水とドライフードを用意してから出掛けねばならぬのだ。

そのせいで今年の電気代は、去年の夏よりぐっと跳ね上がったのは言うまでもない。


しかし暑い。

涼しい部屋にいる黒兵衛でさえ、床でぐったりと伸びている。

先程のぶち猫みたいに、炎天下で過ごす野良猫はさぞ苦しいだろう。

ましてやコンクリートの道路に囲まれた住宅街。

飲み水すらまともに確保できないのではないか?


私はどうも、あのぶち猫が気になってしょうがない。

よりによってこんな暑い日に、道端に転がっているのを見てしまったのだ。

はじめから目撃しなければ、こんなに後味の悪い事もなかろうに。


仕方がない。

気にしすぎと思うが、もう一度見に行ってみよう。

私はすやすやと眠る黒兵衛を横目に、ぶち猫の居る空き地まで向かった。


雑草が生い茂る小さな空き地に、ぶち猫は先程と変わらぬ様子でうずくまっていた。


「おい、猫。大丈夫か?」


ぶち猫の背中は微かな呼吸で動くだけだった。


「おいブス猫、じゃなかった。ぶち猫」


指先で背中を突くが、反応無し。

もしかすると、こいつは熱中症を起こしているのではないだろうか。

もしこのまま放っておけば、黒兵衛に似た見知らぬ野良は、暑さに苦しみ空き地の片隅で死んでしまう。


そんな最期は後味が悪い。悪すぎる。

私はそっとぶち猫を抱き上げた。

微かに鳴いたようだが、最早その声もかすれており声なき声であった。


ぶち猫を抱えて帰宅すると、黒兵衛は何かの気配を感じたのか目を見開いてキョトキョトと落ち着かない。

私は微かな意識のぶち猫に、水の入った器を近付けた。

ぶち猫は舌を小さく動かしたが、飲む姿は実に弱々しく、ほとんど口に入っていないようだった。

私が思う以上に、ぶち猫は衰弱していた。


もしここで死なれたら、私は見ず知らずの野良猫を葬ってやらなければいけない。

それは流石に面倒だ。

私は落ち着かない黒兵衛に一声かけて、かかりつけの獣医までぶち猫を連れていった。


幸い獣医はすぐに診察をしてくれた。


「軽い脱水症状ですね。しかしこのまま放っておいたら熱中症になっていたかもしれません。連れてきてくれてよかったですよ」


どうやらぶち猫は重症ではないらしい。


「点滴を打っておきます。それと蚤取りも」


ぶち猫はしばらくの間管で繋がれ、点滴を打たれていた。

これで最悪の事態は逃れた。

まったく目の前で死なれたらたまったものではない。

それからしばらくして、点滴を終えたぶち猫は安心した様子ですやすやと眠っていた。


私は黒兵衛の為に買ったキャリーバッグにぶち猫を詰め込み、驚くほど飛んでいった万札に目眩を覚えながら帰宅した。


さて、ぶち猫はというと点滴が効いているのか、ぼんやりとした顔でキャリーバッグに入っている。


「まったくうちの猫みたいな顔しやがって」


とりあえず死は逃れたものの、恐らく腹が減っているはずだ。

それに病院から帰ったばかりの身を、今すぐ外へほっぽり出すのは酷であろう。


仕方がないので、せめて容体が落ち着くまでここに置いてやろう。一食だけ与えて、動けるようになったら外へ逃がす。

野良猫なのだから外へ放てばすぐどこかへ行くだろう。


黒兵衛はというと、少し離れた位置から様子を伺っている。

とりあえずは黒兵衛に餌をやろう。

そういえばぶち猫を連れ帰ってから獣医に行って帰宅するまで、黒兵衛の食事を忘れていた。


いつものように猫缶を開けると、黒兵衛はもうぶち猫なんてどうでもいいという風にニャーニャーとまとわりついてきた。

すると、黒兵衛の声に反応したのか猫缶の匂いを感じたのか、ぼうっとしていたぶち猫まで私の足元にやって来た。


ぶち猫は黒兵衛を真似るように、ニャーニャーと必死に鳴いている。


「わかったわかった、お前にもやろう」


来客、もとい来猫用の食器などないので、私が普段使っている食器にぶち猫の餌をよそった。

念の為少し離した位置で、黒兵衛とぶち猫に餌を与える。


ぶち猫は余程腹が減っていたのか、ミャウミャウと声をあげて餌に食らいついた。

あまりの迫力に黒兵衛も圧され気味だ。

こんなに貪る程腹が減っていたのか。


飼い猫と野良猫の立場の違いを目の当たりにし、私はなんとも言えぬ気持ちでぶち猫を眺めていた。

ぶち猫は器に食べかす一つ残さず、舐めるように食べ終えた。

満足したのか優雅に顔の掃除をしている。


「さて」


私はぶち猫を抱き上げた。


「これで満足だろう?さ、出ていけ。ここはお前の家じゃない」


窓を開けぶち猫を外に出した。

さらば、放浪の猫よ。

しかしぶち猫の奴は体をグニャリとひん曲げ、あっという間に部屋へ引き返した。


「こら、だから出ていけって」


私はぶち猫を押し出そうとしたが、スルリと手元から逃げ出すと部屋の奥へ行き、抵抗の態度を見せた。

そうこうしているうちに、黒兵衛が窓から出ようとした。

私は慌てて窓を閉める。


先日の行方不明騒動(まあ実際は家の中に居たのだが)からすっかり神経質である。


「こうなったら黒兵衛、お前が追い出せ」


動物には縄張りがある。

この部屋は黒兵衛の縄張りだから、ぶち猫は縄張りに侵入した余所者なのだ。

邪魔な余所者は縄張りの主が追い出せばよい。

猫同士が揉めてくれれば、人間が心苦しい思いで追い出す必要もない。


さあ黒兵衛よ、牙をむき爪を立て、奴に飛び掛かれ。

恐怖で居られぬ程のトラウマを味わわせてやるがよい。

私の祈りが通じたのか、黒兵衛はおもむろにぶち猫へ近付いた。

黒兵衛はぶち猫の口元に自身の口元を近付けると、しきりにお互いの匂いを嗅ぎ出した。


しばらく匂いを嗅いだ二匹は、もう用を終えたようにさっと離れた。

待て、何故離れる。

離れるんじゃない、お前はあいつを追い出すのだろう。


黒兵衛はなんとなく気になるけど話しかけられない微妙なお年頃のような素振りで、チラチラとぶち猫を眺めている。

一方ぶち猫は本格的にこの家を探る気なのか、悠々と廊下や部屋を見回り始めた。


やがて私のベッドを目にすると、ぶち猫は軽やかにジャンプしベッドで寝る体勢をとり始めた。


「こら!」


私は慌ててぶち猫を抱き下ろした。

たかがゆきずりの猫を、ベッドで寝かせてやるほど受け入れた訳ではない。

ぶち猫は恨みがましい瞳でこちらを見つめると


「アオン」


と抗議の一声を挙げた。

何故猫は自分が正義ですと言わんばかりにこちらを責めるのか。

少し離れた位置には黒兵衛が居た。


黒兵衛もまるで私が人でなしであるかのように、何か責めたげな顔をしている。

何故猫二匹にここまで責められなければならぬのだ。

何故この家の主である私が、猫ごときに悪人扱いされなければならぬのだ。


ぶち猫は猫背をますます丸めて、これ見よがしにトボトボと廊下へ向かった。

そして廊下の隅で身体を丸めると、うっすら目を開けたまま動かなくなった。

いや、死んだわけではないのだが。


黒兵衛はそっとぶち猫に近寄ると、スンスンと匂いを嗅ぎやがて隣に座って見せた。

その様子はまるで、生まれた頃から一緒にいる兄弟のようであった。

二匹の子猫が廊下の隅で身を寄せ合い、こちらを見つめている。

なんと気分の悪いことか!


これではまるで、私が猫どもをベッドから追い出し、廊下に追いやったようではないか。

私はいたたまれなくなり、二匹を抱き上げるとベッドの上に乗せた。

二匹は多少距離を置いたものの、同じベッドの上で兄弟のように眠った。


不思議なもので、あの憎たらしい猫どもが眠り出すと、なんともほのぼのした、柔らかなムードを醸し出すのだ。

猫どもはスウスウと寝息を立て、時折腕を伸ばしたり、体を捻ったり、非常に豊かなポーズを披露しながら眠り続けた。


さて、このぶち猫をどうしてくれよう。

目が覚めれば、自分から出ていってくれるかもしれない。

こうして馴染んでいるのは、今だけ寝場所が欲しかっただけではないだろうか。

それならそれで良い、きっとこいつは出ていくはずだ。


あと数時間……あと数時間……。

私は呪文を唱えながら、書きかけの小説を執筆し始めたのだった。

夜は更け、私もすっかり眠たくなってきた。


ここいらでそろそろ切り上げ、少し眠るか。そういえば猫どもはどうしているだろう。

奴等はやはり呑気な寝相でベッドに転がっている。

仕方がない。なんの義理もない野良猫と寝床を共にするのは気が乗らないが、今夜はこいつらと寝るしかない。

私は猫を爪先で突きながら、布団に入り込んだ。


「ニャアン」


睡眠を邪魔された黒兵衛が不満そうに鳴く。

黙れ。ここは私の布団だ。

黒兵衛の声に反応し、ぶち猫も目を覚ました。

猫どもは何故自分達の寝床に人間が入り込んでくるのか、と言わんばかりに不服な表情を浮かべる。


私は猫どもの視線を払いのけ、布団に潜った。

今日のごたごたで疲れたのか、私は一瞬で眠りについた。が、今まで眠りこけていた猫どもは、すっかり目が冴えてしまった。


黒兵衛は興奮した様子で布団を前足で叩く。

それを見たぶち猫も、布団の中に手を突っ込んだりガサガサと動き回ったりと、はしゃぎ出した。

やがて黒兵衛は挑戦的にぶち猫をパンチすると、ぶち猫は黒兵衛に飛び掛かり喉笛に噛み付いた。


「ギャアッ!」


黒兵衛の悲鳴を聞き私は飛び起きた。


「今のはお前がやったのか!?」


ぶち猫は毛を逆立て、鼻息を荒くしている。

まさかこのぶち猫は、黒兵衛を追い出し我が家を乗っ取ろうとしているのか?

それはいかん。極めて遺憾だ。


もしぶち猫がそのような計画を企てているなら、今すぐにこやつをつまみ出さなければならない。


しかし予想は外れた。

黒兵衛は再びぶち猫を挑発し、パンチをしたり挑戦的に尻尾を振り振り見せ付けたりしている。


ぶち猫はもう一度黒兵衛に飛び掛かると、お互いに噛み付いたり蹴飛ばしたりしながら激しく揉み合った。


ようやく私は理解した。

これは子猫同士のじゃれ合いなのだ。

月齢が同じ程の子猫が二匹。遊び盛りの奴等が顔を会わせたらすぐに打ち解け、遊び相手となってしまうのだ。

二匹ははしゃぎにはしゃぎ、ドタバタと追いかけっこを始めた。

とりあえず、私が想像した乗っ取り計画は杞憂だったようだ。


私は再び布団に入った。

黒兵衛とぶち猫はますますヒートアップし、激しくプロレスをしている。

まったく子猫というのは、初対面の相手であってもこんなに早く打ち解けてしまうのか。


無邪気に戯れる子猫達に、私はどこか子を見守る親のような気持ちを抱いた。

しかし猫どもよ、貴様らがプロレスをしているのは私のベッドだ。

貴様らが踏みつけているのは私の腹だ。


きゃつらは仮にも飼い主である私に一切の敬意を抱かず、一晩中私の腹上で寝ずのプロレスを続けるのであった。

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