2,名前のない部隊
1,M.G.L.Fとは
「……はっ」
と、ベッドの上で眼が覚めた。
一瞬、彼は自分がどこにいて、何をしているのか見失っていた。
寝ぼけた目で周囲を見回し、首を傾げた。
「……ここはどこだ?」
見慣れない家の中だった。
壁際にはパッキングされたままの荷物コンテナが積まれて置いてある。
段々と現実の早さに頭が追いついてきて、自分が何者で、なぜここにいるのかを思い出してきた。
「……そうか。昨日からここに引っ越してきたんだったな」
この家は彼にとっての新居だった。
まるでソーマトーのように次から次へと思い出していき、そして寝る直前まで何をしていたのかもちゃんと思い出すことができた。
「……ああ、そうか夢だったのか。そうだよな、あんなことが現実なわけがないよな……」
彼は夢の中で、魔法少女を自称する見た目は21歳の半分くらいの上官にロケットパンチされて強制的に魔法少女のアニメを見せられ続けるという精神的な拷問を受けていたのだ。
「はは、なんでそんな夢見たんだろうな。オレとしたことが疲れているのかもな。はは、は……はぁ……」
現実逃避も長くは続かなかった。
頭がはっきりと起きてくるほどに、昨日の出来事がはっきりと思い出されてくる。あれこそまさに悪夢だが、残念ながら現実なのだ。
「……ん?」
ふと、何気なく壁の時計を見た。
もうとっくに家を出ていなければならない時間だった。
「って、もう出勤時間かよ!? やばい遅刻する!?」
一瞬で目が冴えた。
彼は急いで着替えた。
「あれ? オマモリどこやったっけ……?」
いざ家を出ようとしてから、いつも首元に下げているオマモリがないことに気がついた。
慌てながらもあちこち探した。
「あった!」
彼は急いでオマモリを首から下げ、服の中に入れ込んだ。オマモリというのは、ようするにオールドジャパニーズの
「って、時間やべえ!?」
μβψ
「……はあ、何とか間に合ったか」
剣斗は疲れた顔で大きく息を吐いてから、すぐに背筋を伸ばした。
少し息を整えてから扉の前に立った。
「おはようございます」
室内にいたのはアルゴスだけだった。デスクの上にちょこんと座っている。
剣斗はぎこちない感じで彼(?)に敬礼した。
「お、おはようございます、アルゴス中佐」
「やあ、おはよう剣斗。何だか眠そうだね?」
「あ、いえ……まだ新しい家に引っ越したばかりで、帰ってから荷物の整理などをしていたら寝るのが遅くなってしまって……」
「なるほど。ぼくはてっきり、ここで散々アニメを見せられて精神的にまいっているのかと思っていたよ」
「もちろんそれもありますが……」
室内は静かだった。なんだか妙にしんとした雰囲気だ。人がいないから当然なのだが、そもそもここは人の気配というものが希薄過ぎるところがあった。それも相まって、何だか妙な静けさが漂っていた。
「……ええと、
「今日はまだ見てないね」
「……まだ出勤してないんですか?」
剣斗は腕時計をちらりと見やった。
あと十秒ほどで出勤時間だ。どう考えてももう間に合わないだろう。
そう思っていた矢先のことだった。
「うーん、眠い……」
「うおッ!?」
突然、目の前にりんごが現われた。
あまりにもいきなりだったので剣斗は心底驚いてしまった。心臓がうるさいほどバクバクいっていた。
前触れなど一切なかった。本当にその場の空間からいきなりぬっと出てきた、としか言い様がない現れ方だった。
「た、大佐!? い、いまどっから出てきたんですか!?」
「……ん? 何だ? 誰だお前は?」
「いや鳥頭ですか!?
「ああ、そういやそんなやつもいたな……」
りんごは眠そうに目を擦りながら大あくびをかました。
「ていうかいまホントにどっから出てきたんですか!?」
「朝からやかましいな……」
りんごは鬱陶しそうな顔をしつつ、定位置に座った。
そこで剣斗ははたと気がついた。
「……ん? あれ? 大佐、今日はあの変な服――」
「あ?」(威圧)
「――じゃなくて、魔法少女の服装はしていないんですね?」
殺気を感じたのですぐに言い直した。
今日のりんごはちゃんと特別部隊の制服を着ていた。子供サイズの制服なんてないだろうから、恐らく特注だろう。見たところちゃんと彼女の体型に合わせてあるようだった。
「そりゃあな。魔法少女にだって日常生活はあるからな。というより、魔法少女とは日頃は魔法少女であることを隠して生活するものだ。いつも変身してる魔法少女なんているわけがないだろう?」
「だろう? って当たり前のように言われても知りませんけど……」
「と、そうだ
りんごがふと思い出したように剣斗を振り返った。
「
「そうか。それは悪かったな。で、
「……なんでしょう、大佐?」
剣斗は色々と諦め、素直に返事をした。彼女はまったく人の名前を覚える気が無いようだ。
りんごは偉そうにふんぞり返りながら続けた。
「貴様には重要かつ重大な任務を課していたな。もちろんそれは遂行してきたんだろうな?」
「そのような重要かつ重大な任務を下命された記憶はありませんが……」
「プリン☆キュピア――もとい、プリキュピを今日の朝までに全て視聴してくるという、重要かつ重大な任務だ」
「……」
ものすごくどうでもいい任務だった。
が、それを言えばどう考えてもロケットパンチなので何も言わなかった。沈黙は時に必要なのである。
「で、どこまで見た? ここでは半分くらいまでしか見られなかったからな。帰ってから、もちろん全部見たんだろうな?」
「……いえ、見てませんが……」
「なんだと!? なぜ見ていないんだ!?」
「まぁまぁ、りんご。彼も引っ越したばかりで色々と忙しいんだよ。今日の所は大目に見てあげたらどうだい?」
瞬間湯沸かし器のようにツインテールが荒ぶったが、アルゴスの仲裁で少し大人しくなった。
「……ふん。まぁいいだろう。じゃあとりあえず今日は昨日の続きから鑑賞を始めることにして――」
「ちょ、ちょっと待ってください」
「あん? なんだ?」
「なんでアニメを見る前提で話が進むんですか。もう勤務時間ですよ?」
「だから?」
「だから? って……いい加減、仕事の話をしてくださいよ。昨日からアニメの話しかしていませんよ?」
「……?? ????」
「いや、その本気で『こいつ何言ってるんだ?』みたいな顔するのやめてもらえませんか???? 自分がおかしなこと言ってるみたいになるんですけれど????」
剣斗は改めて真面目な顔をした。
「……それで、そもそもこの部隊は何なんですか? 公には存在しないことになっている、とダリア将軍からは聞きましたが……」
「ここは朝から晩までアニメを見るためだけの部隊だ」
「いやそんな部隊あるわけがないでしょう!?」
「ちっちっち、あるんだなぁ、これがさ」
「な、何ですかその得意げな顔は……?」
妙にイラッとする顔だった。
(……いや、待て。落ち着け。相手のペースに巻き込まれるな。
剣斗は自らに言い聞かせた。
「……というか〝M.G.L.F〟っていうのはどういう意味なんですか? なにかこう、もしかしてとてつもなく重要な意味が……」
「M.G.L.Fっていうのは〝
アルゴスの補足に剣斗はコケそうになった。
「いや名前!? なに頭文字とってちょっとかっこよくしてるんですか!? むちゃくちゃふざけてるじゃないですか!?」
「名付けたのはダリア将軍だよ」
「ええ……?」
剣斗の中にあった将軍像がとてつもなく揺らいだ。
「まぁここにはちゃんとした名前がないからね。だから司令部が呼びやすいように付けただけの通称みたいなものだよ、それは」
「……そもそも、なぜちゃんとした名前がないんですか? 他の特別部隊はみな名前があるじゃないですか。確か、部隊名は隊長が名付ける習わしですよね?」
「そこはまぁ、りんごが隊長だからね。彼女が名前をつけないのであれば、それもまた仕方の無いことさ」
「大佐、なぜこの部隊に名前をつけないんですか――って、ちょっと!? なにいそいそとアニメ見ようとしてるんですか!?」
「え?」
剣斗が慌ててりんごの後ろに回り込むと、彼女はせっせとアニメを見る準備を進めているところだった。
剣斗はディスプレイの電源を問答無用で切った。
「うおー!? てめぇなにしやがる!?」
「今は勤務時間です! アニメはダメです!」
「いやだい! わたしはアニメを見るんだい! アニメを見るったらアニメを見るんだい!」
「いや本物の子供ですか!? 駄々こねないでくださいよ!? 見た目はともかく実年齢は
りんごは椅子から落転がり落ち、そのまま物凄い勢いで床を転げ回って駄々をこねたが、剣斗は決して譲らなかった。
駄々をこねても無駄と分かったりんごは舌打ちしてから立ち上がった。
「ちっ、アダマンタイトのように頭の固いやつだな。アニメを見て何が悪い。お前もあれか。アニメやゲームは脳に悪影響ガーとかいう旧世界のテレビコメンテーターみたいなこと言うつもりか」
「何言ってるのかよく分かりませんが……休み時間に見てるなら何もいいませんよ」
「待機中は何をしてもいいとダリア将軍から許可を貰ってる。いまは待機中だ。つまりわたしはなにをしてもいいのだ」
「将軍から……?」
困惑している剣斗を前に、りんごはえっへんと胸を張って偉そうになった。風上から吹いてくる先輩風がものすごい勢いである。
「そもそも
「え? な、何をって……そりゃあ、市民の安全と都市の秩序を守るのが
「そうだ。まずそれこそが最優先されるべきことだ。つまり、わたしたちは率先して危険に立ち向かい、これに対処せねばならん。治安部隊の通常戦力では対処できない重大な事件や犯罪、もしくは都市の治安を著しく脅かすほどの〝災害〟にも対応できることが
「え、ええ、それはもちろん分かりますが……」
「では治安部隊では対処できないような重大事件とは主に何だ」
「それはやはり、ファントムが出現した時です」
「そうだ。ではファントムとは何だ」
「
「そうだ。自我では欲望を制御しきれなくなり、欲望のままに
「ええ、まぁ、それは確かにそうですが……」
「だからわたしはアニメを見てるんだ。分かるだろ?」
「すいませんまったく分かりません」
「なぜ分からん!?」
「いや分かるわけがないでしょ!? そうはならないでしょ!?」
「まったく、いちいち口に出して説明せんと分からんのかお前は……」
やれやれ、とりんごは肩を竦めてしまっていた。その反応は剣斗にはとうてい納得のいかないものだったが、いちおう相手は大佐なので我慢した。
りんごはやはり偉そうにしながら続けた。
「イマジナークの発揮するポテンシャルというものは精神的なものに大きく左右される。
「ええ、それはまぁ……」
「イマジナークの強さは心の強さで決まると言っても過言じゃない。我々には科学的、という言葉は通用しない。そう、我々は基体学的に物事を考えなくてはならないんだ。客観的な事実より、主観的な真実のほうが重要だ。つまりだ、わたしにとってはアニメを見ることが精神的な安定を保つ最良の方法なんだ。つねにアニメを見続けることによって、いついかなる時でもポテンシャルを最大限に引き出せるようにしているというわけだ」
「……な、なるほど?」
「ようするにわたしは仕事をさぼっているんじゃない。むしろ仕事をしてるんだ。アニメを見るという重要かつ重大な仕事を。
「う、ううん……おかしい、なんかアニメを見ることが必要なことのように思えてきたぞ……?」
「と言うわけで我が部隊はこれよりアニメ試聴会を執り行なう」
「あ、はい」
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