2,旧世界秩序の崩壊と新世界秩序の誕生

……今から約200年ほど前、この宇宙で五回目となる真空の相転移現象が発生した。

 この現象はそれまでにもこの宇宙ではすでに四回発生しており、その度に物理法則が変化してきた。

 少しばかり昔の話。

 その頃の物理法則は、突き詰めれば重力、強い力、弱い力、電磁気力の四つの基本的な力の相互作用に還元できた。

 物理法則とはつまりこれらの力を媒介する素粒子のふるまい、やりとりによって決定されている。素粒子のふるまいが変わると、それがすなわち物理法則の変化となる。

 もしくは、新たな素粒子が生まれることにより変化が生じることもある。

 第五の相転移によって物理法則に加わった新たな力を人類はクインテッセンスと呼び、その力を媒介する素粒子にイプシロンという名をつけた。

 イプシロンが生まれたことにより、人間の世界にも大きな変化があった。。

 イプシロンという素粒子は、簡単に言えば非実在的情報――〝主観〟というものに干渉する素粒子だった。

 このことが彼ら――〝イマジナーク〟と呼ばれる特殊な人間たちを生み出した。

 第五の相転移が発生する前、人類は科学を完成させていた。

 それは決してまやかしや勘違いではなかった。

 科学は全知科学となり、本物の万物の理論を完成させた。

 かつて十九世紀、物理学は完成されたと言われたことがあった。それは結局、量子力学の登場により幻想であったことに後の人類は気づくことになったが、それと同じことを再び人類はしでかしてしまったのだろうか?

 初めの内は誰もがそう思った。

 だが、旧世界の天才科学者エイゼンシュタインの生み出した量子重力理論は完全であり、それはまさしく、人類がひたすら追い求め続けて来た万物の理論そのものだった。

 ……しかし、その理論が生み出されてから間もなくして第五の相転移が発生した。

 人類は再び万物の解から遠のいたかに思われたが――しかし、エイゼンシュタインはすでにその時点で予言をしていた。第五の相転移が起こることと、それによって必要になるであろう、人類にとっての新たなる知恵の存在を。

 その新たな叡智はまだ手探りの状態だと言える。エイゼンシュタインは人類にその入り口の在処を示しただけであって、そこから先はまったく未知の領域だった。

 全知科学でも届かぬ領域――意識のさらにその向こうに踏み込むための新しい学問のことを、人類は『基体学』という形で体系化させた。

 基体学とはつまり、科学では到達できぬ領域についての学問だ。

 生物の脳は〝主観〟を生み出すことのできる唯一の情報処理装置である。これは人間が生み出した情報処理装置には決してできないことだった。

 この〝主観〟というものは科学的に観測できる範囲の外側にある。

 全知科学であっても〝心〟というはこの中に入っていくことはできなかった。

 脳は〝主観〟と〝客観〟を繋ぐものだ。

 脳の活動状況そのものはデータとして客観的に、科学的に記録することができる。だが、脳の活動が生み出している主観、もしくは心というものはまったく、どこを探しても科学では見つけられなかった。人間はその目前まで科学で到達できたが、そこから先へ行くことはできなかった。

 物理法則の変化は、この客観的に実在を証明することのできない非実在的な情報のやりとりに干渉する物質を生み出してしまった。これを〝科学的〟に証明することは不可能である。なぜなら科学は客観的にしか物事を見ることのできない学問であるからだ。科学的という言葉が絶対的に、それこそ神をも超える言葉として長年定着してきた人間の世界においては、イプシロンの生じさせる現象は中々受入れられるものではなかった。というのもイプシロンの生み出す作用は追証可能な現象ではなく、作用する主観によっていくらでも現象が変化したからである。

 主観の数だけ法則が存在する。

 これが基体学における前提となる考え方だ。この学問はつまり、秘術とも言える一つ一つの法則と現実的な物理法則とがどのように作用し合っているかを追求するためのものだと言えた。

 そして、この物理法則の変化を通して、人類は初めて一つの事実に気がつくことになった。

 そもそも、なぜ人間だけが霊長の座を手に入れることができたのか。

 人間にあって、他の生物には存在しなかったもの。それは大きく二つある。

 一つは数学。

 人間は数学という言語を用いて世界と対話することができた。他の生物にこの手段はない。彼らが科学的に利に適った能力を持っているのは、ただ膨大な時間をかけて環境に適応した結果でしかなく、それを対話と呼ぶことはできない。世界と対話できた存在は、地球上では人間だけだった。

 そして、もう一つこそがそう――〝想像力イマジネーション〟だ。

 人間には想像力があった。故に他の生物とは根本的に異なった。これが存在しなければ、人間は未だに類人猿の一種類でしかなかっただろう。

 どちらが欠けても今の人類は存在しなかった。

 想像力だけでは妄想でしかなく、数学だけでは数の遊びでしかない。

 数学を用いて想像力を具現化する。

 それがすなわち人間が生み出した科学というものであり、人間が霊長たる所以だった。

 それは単なる妄想ではない。

 人間の想像したものは形となり、力となり、破壊となった。

 知は力なり――これこそが真理だった。

 だが、もし人間が想像力に見捨てられてしまったらどうなるだろうか? ということを一度でも人間は考えたことがあっただろうか。

 残念なことに、想像力は人間に与えられた知恵の実ではなかった。

 結論から言えば、人間が想像力と呼んでいたものは一種の知性体だった。

 人間や他の生物のように実体はもたず、自分たちの能力を発揮できる情報処理能力を持った存在を探して宇宙を彷徨う思考寄生体とでも言うべきもの――それが、人間が〝想像力イマジネーション〟と呼んでいたものの正体である。

 想像力はそれ自身では実体を持たず、単体ではその能力を発揮することのできない言わば寄生生物のようなものである。彼らは高度な情報処理能力を有する媒体に寄生して初めて意味をなす存在だった。

 人間の祖先となった類人猿の脳にはたまたま彼らの要件に足るだけのスペックがあった。

 故に彼らは人間に寄生し、以後、人間と想像力は相利共生によって生きてきた。

 滑稽なのは人間自身がそのことを知らず、自分たちの手で文明を発展させてきたのだと思い上がっていたことだろう。

 想像力のもたらす恩恵――〝生み出す能力〟は文明を築き上げ、多いに発展させた。だが、それは文明の発展が彼らにとっての繁殖と同義だったからだ。想像力にとっての種としての繁栄が、人間の文明活動の高度化と比例していただけのことでしかない。

 だが、第五の相転移により事情は変わった。

 想像力は人間という宿主を持たずとも自立できる存在になってしまった。これまでの物理法則では主観的情報処理の中にしか存在できなかった彼らが、科学的に観測可能な〝客観的実体〟を獲得できるようになってしまった。

 想像力が繁栄するには他者に寄生するしかなかった。人間に寄生した想像力は様々な形となって繁栄した。人間は彼らの生み出す能力を使って、様々な恩恵を受けた。あらゆる分野の芸術や学問、その中でもとりわけ繁栄した想像力こそが科学という種であったと言えるだろう。唯一これだけは、生物としての人間の根幹にあった絶対的な価値観である神をも超えたのだ。

 それは結果的に超常、あるいは奇蹟としか言いようのない現象を引き起こす人間を生み出す結果となった。

 人間と想像力はもはや切っても切れない共生の関係にあった。故に想像力が実体を得るということは、人間の心の具現化に等しかった。

 そのため彼らイマジナークは〝兵器〟にすらなり得る存在となった。

 〝imaginarchイマジナーク〟とは〝想像力の支配者〟という意味で生み出された造語である。

 そして、彼らが使役する想像的能力のことは〝アーク・イマジネーション〟――通称A/Iと呼ばれるようになった。

 彼らの持つ想像力は、本人の思考の影響を受けた形で〝主観〟と〝客観〟の境界線を超えて、現実的に存在するようになる。これによって、脳は実在と非実在のゲートウェイのような役目を果たすようになった。

 この現象は科学では一切の説明はできない。故に、この現象及びイマジナークに関する事象については基体学を用いねばならない。

 現代において科学的という言葉は、もはや神をも否定する絶対の言葉ではない。

 基体学的なくしては真理には到達できない領域に、人間はようやく気がついた。

 科学では入っていけない領域にこそ本質を置く第五の力。

 その力の全容を人間はまだ知らない。

 ……この物理法則の変化は、人間に大いなる試練を与えることになった。

 人間という動物は利口ではなかった。知恵はあるが賢くなく、根本的に愚かだった。そんな生物が想像力という存在の恩恵を受けて、身に余る暴力を手に入れて、自滅すれすれのところでずっと争いあってきた。数千年も、それこそ何万年も。

 この世で最も深くてくらい場所は人間の心の中であり、その奥底にはずっと化け物が潜んでいた。

 その化け物を、人間はずっと〝欲望〟という名で呼んでいた。

 欲望それを持たぬ人間など存在しない。

 イマジナークの持つアーク・イマジネーションは万能の力である。

 使える力を使わないでいることは非常に難しい。

 化け物はどこまでも貪欲で、人間はそいつらの与える快楽に抗うことができなくなっていく。

 そうやって化け物に心を喰われたイマジナークはやがて力そのものに溺れてしまい、その挙げ句に自分自身さえも見失ってしまう。それが自分の意思であるのか、あるいは化け物の意思であるのか、その判断は非常に難しいものになるだろう。

 ファントム。

 力に溺れ、自分自身を見失ったイマジナークのことはそう呼ばれた。

 旧世界秩序は世界各地に現われたファントムたちによって大きな混乱に見舞われた。

 彼らの持つ能力――アーク・イマジネーションは強大な力だ。

 通常戦力ではまず歯がたたない。

 アーク・イマジネーションを持つ存在を止められるのは、同じアーク・イマジネーションを持つ存在だけだった。

 混乱と無秩序は拡大し、それはやがて三度目の世界大戦――最終戦争へと発展していった。

 ……だが、その段階ではまだ誰も知らなかった。

 力に溺れ、ファントムと化したイマジナークが、最後の僅かなかたちさえ失ってしまうと――いったいどうなってしまうのか。

 かつて、量子重力理論を完成させたエイゼンシュタインはこういう言葉を遺している。

『想像とは、人間の手の届く範囲にあるから想像と呼べるのであって、人間の手を完全に離れてしまったそれを想像と呼ぶことはできない。それはもはやただの空想だ』

 ――と。

 この時点ですでに、人間に寄生していた想像力たちは、物理法則の変化によって羽化することができるようになっていた。

 これまでずっとサナギの中にいたものが、自分自身の姿を獲得し、自分自身の羽根で飛ぶことができるようになったのだ。新しい物理法則は、それを許可していた。

 純粋な知性体である想像力と、人間の持つ感情から生まれた欲望の結晶。

 想像を超えて空想となり、人間という宿主を捨て去った異形の存在。

 人間はをこう呼んだ。

 ファンタズマ――と。

 何より人間にとって最悪だったのは、ファンタズマが人間の思考の影響をあまりにも色濃く受けていたことだ。

 それらは一言でいえば邪悪だった。

 人間が制御できなくなった挙げ句に生まれたであるから、それは当然と言えば当然だったのかもしれない。

 旧世界における最終戦争の結末は、このファンタズマの大量発生による文明の完全なる崩壊だった。

 戦争という極限の状況下において、人の心は激しく摩耗する。イマジナークが戦争に兵器として投入された結果、最終的に人間は人間である意義を自ら失いかけたのだ。

 イマジナークが力に溺れてファントムとなり、そしてファントムがわずかな人間性さえ失って、最後には本物の化け物へと変わり果ててしまう――

 こうして地上はファンタズマの跋扈する地獄と化し、全てが焼き尽くされた。

 これが後に言う〝厄災の時代〟である。

 第五の相転移、最終戦争、そして厄災の時代――

 旧世界秩序は完全に崩壊した。

 想像力に見捨てられ、そのまま霊長の座を失ってただの獣となるしか道がないかに思われた人間だったが……しかし、その世界に希望を灯した存在があった。

 彼らはニューワールド・オーダー、通称NWOといった。

 地上に蔓延ったファンタズマを駆逐し、この世界に人間が人間たる存在として生きていくことのできる秩序ある場所を彼らは造り上げた。

 それが〝世界都市コスモポリス〟。

 いまこの地球上で唯一の人類居住区域エクメーネである。

 ……そして、都市が生まれてから数百年ほどの月日が流れた。

 世界都市コスモポリスには都市警備隊ポリスガードと呼ばれる治安維持組織が置かれ、その組織にはイマジナークだけで構成された特別部隊が置かれた。

 特別部隊に所属するイマジナークは特別兵トルーパーと呼ばれた。

 特別兵トルーパー都市市民コスモポリタンたちにとっては都市の治安を守るヒーローも同義であり、尊敬と憧れの対象そのものだった。特別兵トルーパーになれるのはイマジナークだけであるが、しかしイマジナークであれば誰でもなれるというわけでもない。特別兵トルーパーになることができるのは鍛え抜かれた肉体と精神を持った、優れた〝人間〟でなければならなかった。

 イマジナークの力――A/Iアーク・イマジネーションは大いなる危険を伴うものだ。

 その力を持った者が欲望エピルシスに飲み込まれればどうなるか。

 それは歴史の語る通りである。

 物理法則の改変により、人類が新たに足を踏み入れたのは心が形になるという新しい時代だった。

 これはそんな時代の――とある魔法少女(自称)にまつわる物語である。

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