第29話


 俺は防御魔法を寒さ対策で発動した。

 セリュール山脈の景色は、まるで春の野原のように緑色が強いのに対して、気温が恐ろしく低い。

 景色に囚われて油断していると、すぐに凍死してしまうような過酷な環境なのだ。


「ミーシャは寒くないのか?」


 俺は防御魔法のおかげで、ほんの僅かに肌寒いと感じる程度ではあるが、ミーシャは防御魔法を使っていない。


「大丈夫よ。私の周りの寒さ……ううん、寒いって概念を、成り立たなくしてるから。心配してくれるなんて、サクヤは優しいね」


 ミーシャはそう言って笑っている。

 ミーシャは、自分が言っている事の凄さに、気付いているのだろうか……。

 概念を成り立たなくさせるという事自体が、世界の法則、摂理を完全に無視している。


「別に優しくしたつもりは無いが。ところで、それが破滅神の神通力か?」


「そうよ! っていうか、破滅神言うな!」


 ミーシャはそう言って俺に飛びつき、首元に手を当ててきた。

 その手は、寒さの概念を成り立たなくしたとはいえ、少し冷たかった。

 だが、不思議な事に、なんとも言えぬ気持ちよさもあったのだ。


 とはいえ、アリアにここまでされた事が無かったので、俺は密着したミーシャにどう対応していいのか分からない。


「首筋が冷えて気持ちいいぞ。それより……ミーシャは大胆な奴だな?」


 いきなり飛びついてきた事をからかうように、俺はニヤリと笑ってそう言う。


 すると、ミーシャは顔を赤らめてすぐに離れた。

 俺も正直ドキドキしたのだが、それをミーシャに悟られないように冷静を装った。


「あんまり私をからかうと、サクヤが存在しているって概念を消すからね!」


 ミーシャはそう言っているが、これは彼女なりの照れ隠しなのだろう。

 その表情と言葉が明らかに矛盾しているのだから。


 俺はミーシャをそれ以上イジるを止めて、話題を戻す事にした。


「……ミーシャの神通力は恐ろしいな」


「いきなり何? 私もサクヤが使う魔法っていうの……。聞いた事無い力だから、そっちの方がよっぽど怖いわ!」


 ミーシャはそう言い返した。

 魔法と神通力という異なる力を持っているからこそ、お互いが恐れ合ってしまう。


「それに、私の神通力はそんなに強くないから恐くないよ? ……たぶん大丈夫」


 ミーシャはそう言って俺を見つめた。

 力が強くないと言いながら、世界の法則をいとも簡単に狂わせる。

 そんなミーシャの存在に、俺は背筋が凍るような感覚を覚えたのだった。


「そういえば……何でサクヤは、ここに来た時に凍死しなかったの?」


 ミーシャは俺に聞いてくるが、俺もその時は気を失っていたから分かる筈もない。


「分からない。もしかすると、転移する際の神通力に対して、防御魔法が効かなかった。だから、転移後もしばらく力を維持していて、ミーシャが俺を助けてくれるまで、凍死する環境から守ってくれたのかもしれないな」


 それが、俺の考えた一番無難な解答だった。


「そうかもね。サクヤは運が良いのだか悪いのだか……。まあ、どっちでもいっか」


 ミーシャは自己完結して、何かに納得したように頷いた。


 そういえば出発してから、かなり山を歩き続けた。

 だが、人はおろか、生き物の気配すら感じない。

 この世界の僻地と呼ばれていた理由を痛感した。


「なあ、ミーシャ……」


 俺は歩きながらミーシャに話しかける。


「どうしたの?」


 ミーシャも歩きながら返事をする。


「この世界には、魔物は生息しているのか?」


「生息してるけど、この辺は滅多に出てこないから安心して」


 俺の問いに、ミーシャはそう言った。


 この世界にも魔物が存在するのか……。

 転生してからは、王都に向かう際に出会ったファング・ウルフ一体だけだから、実戦になると少し心配だな。


 ミーシャはこの辺には滅多にでないと言っていたし、それを信じる事にしよう。


 俺がそう思ったその時、目の前の地面がいきなり盛り上がって、3体の生き物がそこから飛び出してきた。


「ファング・ウルフ……!! いや、違う……こいつは……?」


 ファング・ウルフに似た姿をしているが、色や雰囲気がかなり違った。


「フロウド・ウルフよ。この辺みたいに凄く冷たい地域に生息しているの」


 ミーシャはそう言いながら臨戦態勢に入った。

 滅多に出て来ないって、さっき言ったばっかりだよな……。

 俺も収納魔法に収めておいた、父から貰った剣を取り出し構えた。



 俺は自らに身体強化魔法を発動して剣を振る。

 一方、付与魔法で鍛え抜かれたその剣は、その切れ味を存分に発揮して、フロウド・ウルフに傷を負わせる。


 ミーシャは……軽やかな動きで手刀を放ち、フロウド・ウルフと戦っている。

 神通力を使うものだと思っていたが、肉弾戦で魔物と互角に戦えるとは……俺も負けてはいられないな。


 俺が一体のフロウド・ウルフと戦っていると、もう一体の仲間が背後から俺に攻撃を仕掛けてきた。


転移魔法ヴァンデル


 防御魔法が使えるのだから、転移魔法が使えない訳が無いだろう。

 背後から飛びかかって攻撃を仕掛けたフロウド・ウルフの軌道を予測して、そのさらに背後へ回り込むように転移した。


 目の前から攻撃対象が消えたフロウド・ウルフは驚いているようだ。

 そして、俺が容赦無く背後から斬りつけたところ、遠吠えの如く大きな声で鳴いた後絶命した。

 それを見た一体はすぐに逃げ出したので、俺はミーシャの戦況を確認する。


「ミーシャ……今戦っていたフロウド・ウルフはどうなった?」


「何発手刀を当てても倒れなくて……しつこかったから、つい存在を滅ぼしたわ」


「……そうか」


 笑顔で報告してくれるミーシャに俺は苦笑いをするしかなかった。

 つい……で存在を滅ぼされたら、たまったものではない。


「さて……と、行きましょうサクヤ!!」


 ミーシャはそう言って俺の手に抱きついて歩き始めた。


「待て待て、俺の腕に抱きつかなくてもいいだろ」


「寒いんだからいいでしょ!」


 お得意の神通力はどうした?

 俺はミーシャに防御魔法をで発動した。


「寒いか?」


「寒……くない? サクヤ、私に何かしたでしょ!?」


「寒くないように防御魔法を使っただけだ」


 俺はそう言ってミーシャを見た。


「もう……ありがと……」


 そう言うとミーシャは腕から離れて歩き始めた。



 しばらく歩いていると、建物が見えてきた。


「あれがアルル村よ」


 ミーシャはそう言って建物の方を指さしながら、俺を見つめて微笑んだ。



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