第4話 求道者
「…なんでしょう?」
自分の精神疲労も限界だ、申し訳ないが対応も塩っぱくなる。
「その人怪我してるんですよね? 貴方の魔法で治せないんですか?」
……。
「…え?」
「え?」
間抜けなやり取りだが顔つきはもっと間抜けだったろう。
「いやだって貴方は
いえ違いません、全然違いません! 自分は神官でした! 癒しの奇跡が使えたんでした!
なんというポカであろうか、事態を解決出来る人間は他ならぬ自分ではないか。
傷を治す魔法もやり方も知っている。
考えてみれば通行人に冷笑されたのも『お前が治せばいいんじゃん?』と言った含みがあったのだろう。
早速実践してみることにする。奇跡の行使は初めてだが不思議と不安も緊張も感じなかった。
「女神エリスの名において彼の者の傷を癒したまえ、ヒール!」
男に向けた掌が薄ぼんやりと光を放つ。怪我を治せるとは凄い奇跡だ、生傷の絶えなかった生前に是非とも使いたかった。
「…起きませんね。て言うか傷も治ってませんねぇ」
隣の眼鏡冒険者が呟く。
そんな馬鹿な! 魔法はキチンと発動したはずだ、呪文も手順も間違えてはいないはずだ。
狼狽する彼女をよそに眼鏡冒険者は男の体を検分する。
「これって… ひょっとしてもうお亡くなりになってるとか…? なんか脈とか無いし…」
え?
あぁぁぁ、もうダメだ! 山中ならまだ誤魔化せたがこんな街中で、しかも他人が目の前で死体を確認とか逃げ場がない。
もういっそこの目撃者の眼鏡娘ごとまとめて処理して……。
「いやだから落ち着けアタシ!」
彼女は自分の両頬を手のひらで挟むように叩く、気合いは入るが知恵は湧かない。
叫んだ後に両手で顔を挟んで動かない彼女を見て眼鏡冒険者が呟いた。
「死んだら死んだで蘇生の術とか無いの? あの、えっと、教会とかでさ…」
「…え?」
「え?」
2度目のやり取りである、しかし希望は見えた。
蘇生の術は有るのだ。その名は
駆け出し冒険者が扱える奇跡では無いが、彼女は女神エリスから直々にその手ほどきを受けている。
「やってみます!」
彼女は再び女神エリスに祈りを捧げる。
「女神エリスの名において彼の者の命を蘇らせたまえ、リザレクション!」
男の全身が光に覆われる、やがて光が収まった時に現れた男の姿は傷が癒え、胸が呼吸で上下に動いていた。どうやら成功したようだ。
しかしその光景を確認した彼女の意識は徐々に薄れていく。全身に力が入らない。
やがて立つ力さえも失った彼女は石畳の街道にどう、と倒れ込んだ。
周りが騒がしい。頭痛が酷い。全身がだるい。重い瞼を持ち上げる。知らない天井。ここは何処だ?
「あ、気がついた? 良かったぁ、急にぶっ倒れたから心配してたんだよ」
自分の両脇に1人ずつ座っているようだ。右に今話しかけてきた眼鏡冒険者。そして左は…
「我が姫よ! その目覚めと新たな邂逅を喜ばしく思いますぞ!」
細身の男だ、道化師のような服を着ている。誰だろうか?
「えっと、ここはどこ…?」
重い体を持ち上げて彼女は半身を起こす。両脇の二人が支えに入ってくれた。
「起きて大丈夫? 無理しないでね。ここはアクセルのエリス教会だよ」
眼鏡冒険者が説明する。倒れた自分を2人でエリス教会まで運んでくれたらしい。
「司祭様の見立てでは蘇生の魔法で無理に力を使ったから消耗が激しくて倒れたらしいよ。少し休めば治るだろうってさ」
「そうですか、お手数をお掛けして申し訳ありませんでした」
頭痛の残る頭から何とか言葉を絞り出す。
「何言ってんのさ、目の前で蘇生なんてレア魔法を見せて貰ったし。それにここは『申し訳ない』じゃなくて『ありがとう』の方がポイント高いよ?」
眼鏡冒険者も笑いながら答える、この人も優しい人のようだ。
「じゃあボクは司祭様を呼んでくるからキミはまだ横になって休んでなよね」
そう言って眼鏡冒険者は部屋を出る。残されたのは彼女と…謎の道化師だ。すごく気まずい。
「え、えぇと、初めまして…」
会釈してみた。
「何を仰る我が姫よ! 身を呈して吾輩の命を救って頂いた御恩、このくまぽん一生を姫に捧げてお返し致しますぞ!」
話が全く分からない。大体くまぽんって何? 何かのペンネーム? バカにされてるのか?
「あの、恩って一体?」
静かな苛立ちを抑えながら道化師に問う。
「街の手前で魔獣に襲われて死にかけていた吾輩を姫の魔法で助けていただいたのではありませんか?!」
えー、全然記憶に無いんですけど? 人違いじゃないんですか?
んん? と言うかこの男、私が顎砕きで殺しかけた痴漢野郎じゃ?
恐らく生死の狭間をさまよったせいで彼も記憶の混乱が起きているのだろうが、襲った魔獣とは間違いなく自分の事だろう。
つまりこの男は自分に殺されかけて、自分に救われてそれを恩に感じているのだ。
なんと酷いマッチポンプだろう、やり切れなさで一杯だ。ここで真相を話せば帰ってくれるだろうか?
元はと言えばこの男が出会い頭にセクハラ紛いのことをしてこなければ、事件も起きなかったしエリス様との誓いも守られた筈だ。
そう考えると何か無性に腹が立ってきた。ボコボコに殴って治癒してボコボコにして、を繰り返す拷問とか面白そうに思える。
彼女の奥深い闇のオーラを察して道化師は顔を引き攣らせる。
「大体貴方は何者なんですか? 初対面の女性にいきなりスカート捲りとか失礼にも程がありますよ!」
「おぉっと、これは失敬。では改めまして…」
道化師は大仰なポーズを取り出す。我が名はくまぽん! 紅魔族随一の風使いにして深淵の探求者なり!」
「……」
「……」
重い沈黙が続く。耐えられない。先に折れたのは彼女の方だった。
「えっと、その『くまぽん』さんってのは本名なんですか?」
「如何にも! 誇り高き紅魔族の由緒正しい名前ですぞ!」
誇らしげに反り返るくまぽん、嘘では無いらしい。クマ要素はどこにあるのだろう?
「そうですか…」
としか返しようが無い。どうしよう? この時間が凄く辛い。眼鏡さん、早く帰って来て。
「お待たせ! 司祭様連れてきたよ」
早速願いが叶った、エリス様に感謝を捧げます。
幾つか司祭の問診を受ける、やはり魔力の過剰放出による衰弱であった。
「しかし、まだ幼いとも言える若さなのに蘇生の奇跡が使えるとは凄い子だ。まだ12、3歳だろうに」
いや自分15歳っス… 確かに発育良くないけど15っスから… でもこれは言えない、言ったら何かが終わりそうな気がした。
「君のような凄い子がこの辺に居れば私の耳に入って来ているはずなんだが、君は遠方から来たのかい?」
司祭に問われたが何と答えるべきだろう? 素直に日本から転生してきましたと言っていいものなのか?
日本からの転生者は多いと聞いた、という事はどこに過去の自分の悪行を知っている人間が居ないとも限らない。
知られたくない過去もある、ここは適当にボヤかす方が利口と思えた。
「遠く、名も忘れるほど遠くの村です。エリス様に導かれてアクセルの街へやって来ました」
そう言って女神エリスから授かった聖印を胸元から取り出し司祭に見せた。途端に司祭の目の色が変わる。
「おぉなんと、この聖印の色と紋様は… 大司教以上に与えられる最高位のものではありませんか?! 貴女は一体…?」
そうなのか? まぁ本尊である女神エリス本人が着けていた物だから最高位なのも当然だろう。
しかしそれはそれでエリス様も大それたものを与えてくれた、何だか必要以上に持ち上げられている気がする。
「きっと貴女はこの世界の現状に憂いたエリス様が遣わした聖女様なのかも知れませんね」
概ねその通りだがヤンキー崩れの元不良少女に聖女とか言うのはいくら何でも大袈裟すぎる。
「その通り! 我が姫は魔王を討ち滅ぼし世を救う運命を女神エリスにより賜った勇者様であるぞ!」
くまぽんが誇らしげに歌い上げる。いやまぁ確かにその通りなんだけど、余計ややこしくなるからここは黙っていて欲しい。
「あ、あの… 私は啓示を受けてここに来ましたが、エリス教の事はよく知らないのです。ここでエリス教について勉強をしたいのですがよろしいですか?」
勿論方便だ。我ながらよくこんな出任せをペラペラと言えるものだと感心する。
エリス様が天麩羅がどうこう言ってたのはこれの事か?
しかしエリス教について何も知らないのは本当だし、うまくここに住みつければ宿代や食費も浮く。
教会を頼るのは元々エリス様からも言われていたのだ。何も悪いことではない。
「そうですか、では僭越ながら私がエリス教の教義についてお教えしましょう。粗末な寝台しかありませんが、貴女さえ良ければこの教会にずっと逗留して頂いて構いません」
よし、まずは寝床の確保に成功した。
「勿論信徒としての毎日のお勤めは果たしていただきますが」
まぁそれはそうだろう、上げ膳据え膳で生きて行けるとは最初から考えてない。
「はい、助かります。よろしくお願いします」
「じゃあ落ち着いたみたいだからボクは行くね」
眼鏡冒険者さんには本当に世話になった。この人が居なかったら今頃は牢屋の中で蹲っていたかもしれない。
「あの、本当にありがとうございました」
べコリと頭を下げる。
「うん、いいねその『ありがとう』」
眼鏡冒険者がニッコリと微笑む、他人を元気にする笑顔だと思う。
「ボクは『シナモン』、フハイの求道者で盗賊やってるよ。今はフリーだから用があったら冒険者ギルドで声を掛けて」
「吾輩くまぽんもお忘れなく。冒険者として姫に付いて参りますぞ!」
そこでおもむろにくまぽんがシナモンを覗き込み聞く。
「今『しなもん』と聞いたが、貴様まさか紅魔族… では無いよな?」
くまぽんが何故かおどおどしている様子が見て取れるが気のせいだろうか?
「うん、ボクは紅魔族じゃないよ、名前はただのペンネームだしボクもただの人間」
そう言ってシナモンは瓶底メガネを外す、やや下がり気味だが上品で知的そうな黒い瞳が現れる。
今初めて気がついたが一方のくまぽんは燃えるような紅い瞳をしていた。この眼が紅魔族たる所以であろうか。
くまぽんは安心したかの様に「な、なるほど、では改めてよろしく頼む」と会話を引き上げた。
『シナモン』に『くまぽん』か、2人とも名前は変だが悪い人達ではなさそうだ。
ん、名前?
そう言えば自分はこの世界に来て一度も名乗っていなかったことに気づいた。
田中綺羅々は死んだ人間の名前だ。それに昔から『キララ』という響きが好きでは無かった。人生を振り返れば『ガルル』とか『ゴロロ』の方が相応しかっただろう。
さて、名乗るタイミングは今しか無いが、さりとてゆっくり考えている暇もない。
「『シナモン』さんと『くまぽん』さんですね、改めてよろしくお願いします」
新たな冒険者としての人生がここから始まる。
「私の名前は… アンジェラです!」
それは天使の誕生した瞬間であった。
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