第3話 探求者


 気がつくと彼女は平原に立っていた。死ぬ直前の繁華街、女神エリスと話した空間、

 いずれとも違う新たな風景だ。叩いて均した街道と思しき道が有り、遠くに森が見える。


 反対側には壁で囲まれた街のようなものが見える、距離にして1キロメートル程だろうか。

 街の手前には牧場や農園と思しき施設も見受けられる。その先には山々が連なっている。

 ここが魔王軍の跋扈する異世界なのか?今の所極めてのどかな田園風景しか見えない。


 まぁ、何はともあれまずはあの壁に囲まれた街へと行ってみることにしよう。

 自分の姿を確認する、先程まではジャージにスカジャンという服装だったが、今はローブというか、大きな布の中央に穴を開けてそこから頭だけ出して腰で縛っているいる貫頭衣だ。

 柄や刺繍はなく、簡素だが布地の質は良いし洗いざらしのように真っ白だ。


 ローブの下はすぐに下着だった。見覚えの無い綿のパンツ、臍まで届くデカパンだ。

 上は… 着けて無かった。元から申し訳程度の膨らみだったが下着が無ければ無いで少し悲しいものがある。


 もしかして転移の際に身長や胸を大きくして貰う事も出来たのではないか? もしそうなら痛恨であった、まぁ今となっては後の祭りだが。

 靴は木をくりぬいて作った木靴、思ったよりも足が痛くならない。こういうのを匠の技と言うのだろうか?


 手には丈夫そうな杖を持ち、背中には背嚢を背負っている。

 背嚢の中には水筒やロープ、火打石といった冒険に必要な物が入っていた。

 所持金も5万エリス、1エリス=1円の換算らしいので、

 エリス様は5万円もお小遣いをくれた事になる。大盤振る舞いだ。無駄遣いは出来ない。


 小川がある。自分の姿を水鏡に映してみる。


「うわぁ…」


 思わず声が出た。そこに映っていたのは痩せっぽちで目つきの悪い野生児ではなくて、見るからに荒事に無縁そうな華奢な女の子だったからだ。


 伸ばした髪は透き通るような金髪で、瞳は綺麗なフォレストグリーンになっていた。もう自分を見て嘗ての『鬼キラ』と思う者は居ないだろう。


 髪を伸ばしたのは良いが、今までがショートで通してきた為か少々煩わしい。

 とりあえず背嚢の中にあった紐を使ってエリス様と同じ後ろ二つ結びにしてみる。

 どうにも重苦しく結局後頭部の髪はそのままに側頭部の髪を縛るだけの二つ結びに落ち着いた。


「なんか、普通の女の子みたいだな…」


 少し楽しい。だがここに来て『女子』を楽しんでいる自分に違和感を感じる。


 確かに生まれ変わって人に優しくなろうと決心した。

 しかし今までお洒落なんて考えた事も無かったのに自分はどうしてしまったのだろう?

 自分の変化に不安を覚えると共に妙な期待も抱きながら歩を進める。


 いつかエリス様みたいな素敵な女性になれたら良いなぁ、そんな事を考えながら街へ向かう彼女の行く手から奇妙な歌(?)が聞こえてきた。


「♪ばっくれっつばっくれっつランランラン」

「♪ばっくれっつばっくれっつランランラン」


 見ると自分と同じくらいの年頃の男女カップルがスキップしながらこちらへ向かってくる。

 男の方は緑色のショールの様な短いマントを着て、女の方は派手な赤いワンピースとマント、とんがり帽子だ。

 彼らはこちらに目もくれずに歌いながら去っていった。


 バクレツとは何だろう? この世界でのピクニックか何かの意味だろうか?

 全く平和である。もしかして逢い引きだろうか?


 死ねばいいのに。


 いやいや違う、彼らのような若人が平和に愛を育み暮らせるように祈るのがエリス教だ。

 あの男女が健やかに結ばれ、子を授かり、幸せな生を送るのを応援しようではないか。


 それにしても平和だ。ここまでモンスターの1匹でも見かけるかと思ったが… モンスターが出たら普通に倒してしまっても良いのだろうか?

 彼女の首には現世から持ち込んだ『シショー』がある。


 モンスターならまだしも、人である山賊の類が出たらどうするべきなのだろう? 話し合ってどうにか解決出来るだろうか? いずれにせよシショーはもう首飾り以外の用をなすことは無いだろう。


 シショーはもう人を傷つけることは決して無い。

 エリス様と約束したのだから……。


「深淵よ、我に邂逅せよ! 風よ集え! ウインドブレス!」


 声がするが早いか彼女の周りを風が取り巻く。

 次の刹那、風が上に吹き上がり彼女のローブは大きくはためいた。

 例えるなら彼女の体を芯にしたジャンプ傘のようにその衣服は大きな広がりを見せた。

 当然中身も大公開である。


 考えるよりも体が動いた。この風を使った攻撃をしたと思しき人物に体勢を低くしたまま一気に駆け寄り間合いを詰める。


「ふはははははっ! 我が名はくまぽん! 紅魔族のかぜぇぇぇぇっ!!」


 相手が防御体勢を整える前に彼女の右手は相手の顎関節を捉えていた。


 と言うより棒立ちのまま何かを宣しようとしていたようだが、なに構うものか。

 そのまま腕、腰、脚の全ての筋肉を動員して45度の角度で

 相手ごと持ち上げるようにアッパーで撃ち抜く。体躯の小さい彼女の必殺技『顎砕き』だ。

 これを受けて過去何人の男が顎の骨を粉砕されて病院送りになった事か。


 右手にシショーを装備することによってその威力は何倍にもアップする。

 吹き飛んで倒れた相手に馬乗りになり左手で襟首を持ち上げる。

 右手は次なる打撃に備えて振り上げたまま待機だ。右手のシショーが怪しく光る。


「おいこらテメェ! 一体どういう…」


 違う、そうじゃない。


 …やってしまった…。

 人を傷つけないと再確認した5秒後には人を殴って組み伏せていた。

 あぁ、自分はいつもこうだ。いつもこうして誰かを傷つけ恨まれて輪舞の様に巡るんだ。


 もう自分に絶望した、生まれ変わったばかりだがもう死んでしまいたい、本当に自分は厄災の子なんだろう。

 とりあえずこの男を病院に連れて行って… って、病院はどこだろうか?


 完全に顎関節は粉砕されている、手応えで分かる。これを治せる医療機関はこの世界にあるのか?


 男の意識は無い。体は小刻みに痙攣しており、医療の心得は無いが早急に治療をしなければ遠くないうちに死んでしまうかも知れない。


 そう言えばエリス様サービスだとかでシショーを強化してくれてたなー。

 エリス様のおかげで私は転生初日で殺人犯になりそうです。本当にありがとうございました。


 あー、なんかさっきのカップルが行った方角から爆発音が聞こえたわー、何だろう?


 …じゃなくて!

 まずはこの男を助けなくてはいけない、とにかく今向かってる街へ急いで搬送しなければ本当に殺人犯として余生を暮らすことになる。


 男が細身な事と鍛えられた彼女の筋力が幸いして程なく街の城門へと辿り着いた。


 城門には衛兵が2人立っていた。怪我人を抱えた少女を見ても彼らの顔色は変わらなかった。


「すみません、怪我人なんです。病院はどこですか?」


 確かにそう聞いた。しかし帰ってきた答えは


「ここは冒険者始まりの街、アクセルだ」

「冒険者か? 街で揉め事を起こすなよ」

だった。


「いやそうじゃなくて、怪我人がですね…」

「ここは冒険者始まりの街、アクセルだ」

「冒険者か? 街で揉め事を起こすなよ」


 …もういいです。特に検査とかされずに街に入れるようだったのでそのまま入る。


 通行人に病院を訪ねても同様に結果は芳しくなかった。

 こちらを見て笑いを堪えた様な顔をして立ち去るか。「病院じゃ無くて祈祷所だろうけど、そこでは怪我は治せない」と言われるかの二通りの反応だった。意味が分からない。


 一体何なのだ、この街は? いやこの世界全体がおかしいのか? それとも自分がおかしいのか?

 本当に頭がどうにかなってしまいそうだ。力が抜け、思わずその場にへたり込む。


「あの?」


 薄手の革鎧に小剣を佩いた女が声を掛けてきた。冒険者だろうか?

 見上げると整った顔立ちの様に見えるが瓶底の様な厚い眼鏡のせいで表情は読み取れない。

 綺麗な黒髪をボブカットにしている、歳の頃は自分よりもやや上に見える、20歳前後かな…?

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