第2話 異世界へ

「え?」女神の反応は予想済みだ、誰だって猛獣の様な女が女神の様になりたい等と思わないだろう。


 そんな事は百も承知だ。彼女は思いの丈を吐き出していく。


「アタシの人生はずっと誰かを殴りつけていた。親、教師、警官すら殴った事もある…」

「その挙句がこのザマだ、無様に屍をさらして悲しむ人も居やしない」


「……」


 エリスはその告解を無言で受け止める。


「さっきのアンタの『ありがとう』って言葉が凄く刺さったんだ。今まで誰にも言われたことが無かったから凄く新鮮で、凄く… 嬉しかった! もし新しい世界でアンタみたいに振る舞えたら『ありがとう』の数も増えるかな? ってさ…」


「……」


「な、なんか馬鹿なこと言ってるよなアタシ、そんなこと出来っこないのに…」


「…出来ますよ」


 女神エリスは静かに微笑んで言った。慈愛に満ちたその顔は見ているだけで安らぎを与える。


「人に優しくすればそれだけ人から優しさを貰えます。そうして優しさを拡げていくのがエリス教です。エリス教は貴方を歓迎しますよ」


 !!


 受け入れられた、自分は赦されたのだと思えた。じわじわと気持ちが満ち足りていく。


「はい… エリス様…」


 こういう時の作法など分からない。だが彼女は誰の指図を受けるでもなく、その場に膝まづいて両手を組んだ。訳も判らず涙がこぼれてくる。止まらない。


 だがとても満たされた気分だ。心が洗われた、というのはこういうことなのだろう。


「…ではそうですね、貴方には私の持つ奇跡の全てを使いこなす力を授けましょう。本来ならば経験を積み教会に勤めて初めて習得出来る奇跡を最初から全部覚えています」


 後半はよく分からないが、とにかく勉強的な事をせずに済むらしいのは助かる。


「ただ、『覚えている』と『使える』は別物ですから、消費魔力の大きな奇跡は

 始めは使えないと思います。その辺は地道に成長して自分を鍛えて下さい」


 エリスはイタズラっぽい顔をして言う。その程度の試練は超えて見せろという事だろう。


「分かりました。ありがとうございます!」


 先刻までの『アンタ』呼ばわりとは打って変わって彼女は恭しく神に頭を垂れる。


「ではここに信徒の証としてエリスの聖印を授けます」


 エリスは自らが掛けていたペンダントを外し彼女に掛ける。


「あとは… 何か希望はありますか? 私に出来ることなら善処しますよ」


 いきなり希望と言われても特に何も…。

 いや、1つあった。

 彼女は首から紐で無造作に下げた金属の枠の様なものを取り出す。


「それは?」


「『シショー』って言います。アタシの御守りです。ずっと一緒に生きてきたんだ…」


 一見ベルトのバックルのように見える。それは殴打に使うメリケンサックという武器だった。


 幼少の頃から家出とケンカを繰り返してきた彼女には安住の地が無かった。

 たとえ自宅に居ても親は自分を人に慣れない猛獣の様に扱った。

 檻に入れて餌だけ与えればそれで義務は果たせたとばかりに。親子の絆はそれだけだった。


 今にして思えば愛に飢えていたのだろう。そして何処にあるのか分からない愛を求めて彼女は放浪した。

 その中で唯一の愛情と言えるのが、このメリケンサックをくれた不良の事だ。


 と言っても大した話ではない。彼女が小学2年生の頃に道端で中学生とケンカになった。

 素早さでは勝るものの体格差によるリーチの差は如何ともし難く彼女は劣勢に追い込まれた。


 そこに現れたのが件の不良である。彼は単に見物している勝負を面白くしたかったのだろう、

 声をかけ勝負を一旦止めると彼女に「頑張れよ」と武器を渡し観衆の中に戻っていった。


 しかし彼女にとってはその頑張れよの一言が千万の援軍に等しかったのだ。

 街中でのケンカで自分に加勢した人物などこれまで居なかったのだから。


 貰ったメリケンサックで中学生の繰り出した拳を狙い打つ。相手の拳は砕け、いとも簡単に勝利した。

 その後その不良に礼でも言おうかと観衆を探したが、彼は何処にも居なかった。


 それだけだ、たったそれだけの繋がり。

 しかし彼女は以降の戦いに於いて常にメリケンサックを装備し、その勝率は100%だった。


 これは自分にとって戦いを教えてくれた師匠であり御守りでもある。

 漠然とだが彼女の人生観に現れた変化であった。猛獣が人になった瞬間とでも言えようか。


「…そんな訳でこれを持って行きたいのですがダメですか?」


 エリスは暫し思案をして答えた。


「まぁそのくらいなら衣服の一部として許可しましょう。…でも一つ教えて下さい。エリス教の神官となった今、貴方はその武器をどう使うのですか?」


 エリスが問う。


 答えは既に準備してある、今の気持ちをそのまま話せば良い。


「これは武器ではありません、私にとっての戒めです。二度と人を殴らないという誓いです」


「うふふ、いい答えですね… 85点と言った所でしょうか」


 再びエリスがイタズラっぽい顔を見せる。

 これでは100点が取れないのか、と少し残念に思ったが持ち込み許可という本懐は果たせた。


「許可ついでにその武器を女神エリスの名において祝福してあげましょう。今後その武器は魔法の武器として扱われ、打撃に耐性のある魔物にも痛痒を与えるでしょう」


 至れり尽くせりの神様である。全くもって頭が上がらない。


「本当は規定違反なのですがこのくらいなら問題にはならないでしょう。でも、くれぐれも内緒にして下さいね」


 そう言って首を傾げ片目を瞑り立てた人差し指を口元に寄せる。


 なんと蠱惑的なポーズであるか、女の自分でも引き込まれそうになる。

 ここは話題を変えて精神を立て直さなければ、またみっともない姿を晒してしまいそうだ。


「ま、まぁ荒くれ男たちに殴りかかられるのはもうウンザリですからねぇ。エリス様は美人で優しくて、男に殴られた事なんて無いですよね?」


「……」


考え込むように返答は無かった。エリスは右頬をポリポリと掻いている。

 軽い雑談のつもりだったが意外に重く受け止められたようである。


「うーん、殴られた事はさすがにありませんね。でも下着を盗られた事なら…」


 え?


「あ… な、何でもありません! 忘れて下さい、女神エリスの命令です、忘れて下さい!」


 女神が顔を真っ赤にしながら取り乱す様などと言うのは一生のうちで何度見られるものなのだろう? その貴重な一度が目の前で起きた。


 しかし女神の下着を盗もうだなんてどれだけ肝の太い奴なのか?

 そして女神とはどの様な下着を身に付けるものなのだろう?

 女同士なのだから頼めば見せては貰えないだろうか?


 色々な思いが頭を渦巻くがこれ以上突っ込んだら怒らせてしまいそうだ。

 折角ここまで優遇してもらっているのにつまらない好奇心で全て引っ繰り返されたら堪らない。よしここは自重だ。


「ほ、他に何かありますか?」


「えっ、と、髪型とか変えられますか?」


 今の自分の髪型は『少し伸ばした茶髪の角刈り』とでも言おうか、あまり長くするとケンカの際に髪を掴まれて不利になるので敢えて短くしていたが、凡そ若い女子の髪型では無いのは確かだ。


 しかしこれからは愛と信仰に生きることに決めたのだ。少しくらい洒落っ気を出してもバチは当たるまい。


「はい、造作もありません。なんなら色も変えられますよ?」


 おぉ、色か。確かにしょっちゅう脱色してきたがかなり面倒臭かった記憶がある。


 せっかくのサービスなので髪を金髪にし、背中の辺りまで髪を伸ばして貰った。

 ついでに瞳を自分の好きな色、緑色にしてもらう。これで俄然異世界感が増してきた。


「後は… そうですね、仮にもエリス教の神官となるならあまりに乱暴な言葉遣いは慎んで頂きたいので、脳への言語入力の際に一般的な受け答えのテンプレートも記憶に入れておきましょう」


 確かに野生児一歩手前の神官なんて誰も相手しないだろう。これで少しは頭が良く見えるかも知れない。

 脳がどうとか聞こえたが、まぁ大した事では無いだろう。


「エリス様、何から何まで本当にありがとうございました。何だか新生活やれそうな気がします」


「はい、私も貴方の様な素敵な方とお話し出来て楽しかったです。向こうで会えたらお友達になりましょうね」


 多分に社交辞令で間違いなかろうが、ここまで庶民の目線に降りてきてくれる神も居ないだろう。


「では私から幾つかアドバイスを。向こうに着いたらエリス教の教会を尋ねると良いでしょう、先程渡したペンダントを見せれば無碍な扱いは受けないはずです」


 当面の寝食の心配はクリアという事だろうか?


「もし冒険で何か困った事があったらダクネスという女騎士に相談してみて下さい。彼女はエリス教の敬虔な信徒で、とても高潔で誠実な人です、必ず親身になってくれます」


 ダクネスという女騎士、覚えておこう。


「最後に、もし向こうでセンパ… いえ、水色の髪と瞳を持った女性を見かけた時は決して関わらずに速やかにその場を去って下さい」


 え? どういう事でしょうか?


「詳しい事は私の口からは言えないんです、ごめんなさい」


 よく分からないが水色の髪の人は避けておきます。


「それでは名残惜しいですがお別れです。えー、コホン、それでは魔法陣から出ないように」


 その言葉を受けて彼女の足元に魔法陣が浮き上がり光に覆われていく。


「貴方の希望は規定に則り受諾されました」


 周りの光が渦を巻き空に舞い上がっていく。


「さぁ勇者よ、願わくは数多の勇者候補達の中から貴方が魔王を打ち倒すことを祈っています。さすれば神々からの贈り物としてどんな願いでも叶えて差し上げましょう」


 光に包まれた体が浮き上がり、そのまま天へと昇っていく。


「さぁ、旅立ちなさい!」


 光が一段と強くなり視界と精神の両方を埋め尽くした所で彼女の意識は光の中で途絶した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る