第22話 新たなる勇者の誕生(アクシズ教の野望:序章):前編

 磯川いそかわ りょうという名前の少年が居た。

 素行の悪い15歳の少年だ。

 とある事件のショックで彼は心神喪失状態になっていた。


 その状態でふらふらと外を出歩き、遂には車道に飛び出した所で大型トラックに撥ねられて短い生涯を終えた。


 そのとある事件とは、『殺人』である。


 昨日の午後、彼は友人2人と連れ立って騒ぎながら歩いていた。やがて正面から1人のガキが歩いてきた。

 チビで体格はガリガリ、髪は茶髪の変な角刈りみたいな頭、それでいて刺すような視線をこちらに投げかけていた。


 1対3で正面で対峙する。「どけよ」ガキが言う。友人の1人が「あ? ふざけんなガキ。お前がどけよ!」と煽った矢先に、その鼻先に鋭いパンチが食い込んだ。ガキが手を出してきたのだ。


「てめぇ!」彼を含めたこちらの3人は戦闘態勢を取る。この生意気なチビに土下座させてやる。

 チビも胸元に手を入れて何かを取り出す。右手に金属を握っている、恐らくはメリケンサックだろう。


 ガリガリのチビがそんなもん手にした所で3人相手にどうなると言うのか? 彼は自分達の勝利に微塵も疑ってはいなかった。

 20秒後、彼以外の2人はチビに倒されていた。1人は右の拳を砕かれ、もう1人は今まさに顎の骨を骨折させられた瞬間だ。


『鬼キラ…』

 彼の脳裏に浮かんだ言葉、恐怖の象徴とも言える存在。


 この武器、この戦い方、間違いない。こいつは『あの』鬼キラだ。触るもの皆殴りつけ、病院送りにしていく悪魔の女、鬼キラだ。


 そんな奴の事なんて信じてなかった。よくある都市伝説の1つだと思っていた。この目で見るまでは…。

 伝説の鬼キラはたった今、自分の仲間を2人ぶちのめして、次は自分が怪我人の仲間入りをするんだろう。血を吐きながら地面に這いつくばる、勝ち誇った悪魔の様な目でそれを見下ろす鬼キラ。


 …嫌だ。


 ポケットの中には折り畳み式の粗末なナイフが入っていた。


 誰かを刺そうと思って持っていた訳では無い。災害に巻き込まれたり、猛獣に襲われたりといった、命の危険に遭った時に使うつもりで只の保険の様なもので、ケンカに使うつもりなど全く無かった。


 しかし、目の前のこの光景は誰がどう見ても災害であり、猛獣であり、命の危険だった。自分が生き残るにあたり、この障害は排除されて然るべきだと思えた。


 後ろを向いてる今がチャンスだ。今なら鬼キラを倒せる。

 鬼キラが振り向くと同時に奴の腹にナイフを突き立てた。


 …そこから先はよく覚えていない。鬼キラは笑っていたような気がする。そしてそのまま倒れた様な気もする。

 パニックを起こして走り回り、気がついたら自分の部屋で布団を被って震えていた。


 鬼キラはどうなったんだろう? 一緒に居た友人達は無事だろうか? もしかしてまだ元気な鬼キラが復讐をしに自分を訪れるかも知れない。

 置き去りにされた友人が自分を恨んでいるかも知れない。

 もし鬼キラが死んでたとしても現場には自分のナイフが放置されたままだ。ナイフには指紋がべったりと付着しているだろう。


 このままには出来ない。


 友人も鬼キラもナイフも全てを放り投げてきてしまった。その全て、もしくは一部でも回収しなければ、自分の人生に不都合な事が起きる。

 そう思って外を歩いた。そして大きな衝撃を受けて意識が遠のいた…。


「磯川涼さんですね? ようこそ死後の世界へ。私は幸運の女神エリス…」

 日本担当の天使が慰安旅行から戻るのは明日らしい。


 以下略、磯川涼は転生した。奇しくもアンジェラ ~かつて鬼キラと呼ばれた少女~と同じ世界に…。


 しかし

「ここは… 何処だ?… 俺は… 誰だ?」

 何も思い出せない。自分が何者でどこから来てどこにいるのか?


 場所はどこかの人里の外れという事ぐらいしか分からない。

 待て… 名前はぼんやりと思い出せる。リョウ、そうだ、俺の名前はリョウだ…


 思い出せたのはリョウという名前だけ。いや、もう1つ思い出した、大事な使命だ。

 俺は魔王を倒さなければならない、その為にこの世界に送り込まれたのだ!


 ここに勇者リョウの冒険が幕を開ける!


 リョウは自身の懐を確かめる。ポケットの中には硬貨が数枚以外は何も無かった。

 見た事の無い文字の書かれている硬貨だ。何故か文字は読める、『1000エリス』と書かれていた。それが10枚。

 腰には剣の様な武器を装備していた。鞘から抜いてみる。

 刀身が無かった。

 握った柄を眺めながら途方に暮れる。舞台の小道具か何かを間違って持ち出してきてしまったのだろうか?


「あ、あの、そこの幸薄そうな貴方。少し私とお話ししませんか…?」


 若い女の声がした。

 声をかけてきたのは神官の服を着た少女だった。幼い面立ちに怯えた瞳が伺える。かなり勇気を振り絞ってリョウに声をかけたのだろう。


「あ、あの、私、この先のアクシズ教会の者でベラって言います。何かお困りの様子なので、私で良ければお話し聞きますよ?」


 リョウは自分の境遇を神官の少女に話した。記憶が無いことと、恐らくは身寄りも行く宛ても無いことを。

 ベラは目の前の迷える子羊を救う事を女神アクアに誓う。


「そういう事でしたらまずは教会にいらして下さい。粗末な物しかありませんが、体を温める食べ物くらいはお出しできますよ」



「そうですか、魔王を…」


 本人の記憶が欠如、或いは混乱している為にリョウの話は理解するのに時間がかかったが、方針が定まっているのならやる事は1つだろう。


「それでしたら冒険者として生活されたらどうでしょう? 冒険者ギルドまでご案内しますよ」


「いよぉ兄ちゃん、見ない顔だな!」


(中略)


「ではリョウさんは戦士として登録されました。良き冒険者人生を!」


 情報の書き込まれたカードを確認する。取り立てて突出した能力の無い、全てが平均値に近い数値だった。

 魔王を倒す勇者がこんな事で良いのか? という気がしなくも無いが…。


「逆に欠点も無いという事だから、ここは明るく考えましょう」

 というベラの言葉に励まされる。優しい娘だと思う。


「あの、世話になりついでで悪いんだけど、俺の魔王退治に君も手伝って欲しいんだ」

 リョウの告白にベラの動きが止まった。


「え? えぇっ?! そんなの無理ですよ! 一応冒険者の登録はしてますけど、それは形だけだし、レベルも1のままだし… 鈍臭い私に冒険なんて無理に決まってますぅ!」


「頼むよ、頼れるのは君だけなんだ…」


「そんな…」

 ベラも困惑する。新米で失敗ばかりの自分を頼ってくれる男が居る。ちょっと強面で怖いが、根は優しい人物の様に思えた。


『この人なら引っ込み思案なワタシも変われるカ、モ』とか思ってしまう。頭はまだ混乱しているが心は既に決まっていた。

 リョウはリョウで『この女は押せば通せるタイプ』だと本能で見破っていた。


「あの、えと、えと、それなら1つ条件があります。私と共にアクア様の御子となりアクア様を支える誓いをして下さい」


 軽く流される安い女じゃないのよ、言いたいが為の詭弁だったが、リョウは快く入信申込書にサインをした。その潔さに今日出会ったばかりの少年に仄かに心惹かれている自分をベラは発見した。

 リョウとしてはアクシズ教だのエリス教だのまるで分からないし、自身の記憶すら危うい状況で選択肢は無かったとも言えたが。


 2人は装備を整えに武器屋に向かった、今リョウの持っている武器は柄だけしか無いからだ。それなりに上等な素材を使っている様で、こんなのでも売れば買い物の足しにはなりそうだった。


「お客さん、これ魔法で強化されてるよ? 本当に売っていいのかい?」

 武器屋は言う。


 そうは言っても役に立たない武器を持ってても仕方が無い。柄があり、その上下に指を覆う様に半月状の板があつらえられている。このままでは剣ではなく格闘用のメリケンサックにしか…。


 メリケンサックという単語を思い出した途端にリョウは鋭い頭痛に襲われた。心配して駆け寄るベラにリョウは言う。


「1つ思い出した。魔王の名は… 魔王の名は『オニキラ』だ!」


「オニキラ… 魔王とはそのような名前なのですか? 何者なのです?」


 ベラに聞かれるが、思い出せたのは名前だけだ。

「それ以上は分からない、済まない…」

 それでも名前が分かれば居場所の特定に有益かも知れない。小さくても無視出来ない一歩だ。


「それはそうと兄ちゃん、護手の後ろに何か書いてあるぜ」

 武器屋に促される様に確認すると漢字で『神剣しんけん翔武しょうぶ』と書かれていた。リョウには読めたがベラには読めなかったらしい。


「異国の文字でしょうか? リョウさんの記憶を探る手がかりになりますかね?」


『しんけん、しょうぶ…』柄を握ったままリョウが呟く、その瞬間、柄の先端から1メートル程の長さの光の剣が出現した。

 やはりこれは剣だったのだ。とても軽く取り回しが良い。

 武器の確保が出来た為に金は全て防具に注ぎ込めた。準備は完了だ。

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