Ⅸ―超越法則―(後編)
ファクターを追うのは簡単だった。見失うことの無いほどの巨大さだったからだ。だが、直方体の側面には目は見当たらなかった。
(目は上と下の面のどこかか…)
だが今は目を潰すつもりは無い。目的は倒すことではないのだ。
「時元牢に入るにはファクターの中に入る必要がある……そうするために、こいつで斬るんだ」
手順を口ずさむことで確認し、長剣を構える。
ファクターと一直線上の道路に立つと、もう一度手順を確認する。
「もし失敗したら……いや、そんなことは…!」
天児は剣を握り締める。その強い意志を剣に伝えるために。失敗は許されない、失敗すれば美守を救うことができず、ソラを守ることもできず、時間稼ぎをかってくれた教子の想いも無駄になる。そんなことは絶対にあってはならない、成功させなければならない、そう天児は自分で自分を鼓舞する。
「無い! 絶対に無いッ!」
剣が輝くとき、直方体の側面から四角形の角が襲い掛かってくる。道路の端から端までは10mはある。その道路を覆いつくさんばかりの四角形の角が来る。
天児は、臆することなく角を斬り捨てた。それでも全てを斬ることできず、飛び出る角の隙間に飛び込み、ダメージを負うことなくゆっくりではあるが確実に近づいた。
集中はできている。自分でも恐ろしくなるほど感覚が研ぎ澄まされていく。剣を振るう度、メモリオンを使う度に、鋭利になっていくようだった。
(届く!)
そう判断するやいなや、短剣をファクターの側面に突き刺した。息つく暇も無く短剣を引き抜き、長剣で斬る。それを交互に繰り返す。もちろん、突き出る四角形の角をかわしながらだ。目にも止まらぬ速度でやってくる角を目でとらえる。視えて『来る』と感じる前に、身体が動く。凄まじい量の角をかいくぐりながら斬っていく。
もう何太刀浴びせたのか数え切れなくなった頃、さすがに天児にも疲れがたまり苛立ちが募ってきた。
(このままじゃ駄目だ…!)
その考えにいたると、天児の身体全体から金色の光を放たれる。その光は天児の身長を遥かに越える大剣の形を成し、目の前に出現する。すかさず天児は柄を握り締め、黄金の大剣を大きく振りかぶる。
「ミッドナイトブレイクッ!」
そこから発生した衝撃は、斬撃の嵐を巻き起こし、周囲の角を斬りおとした。そして最も大きな斬撃はファクターの側面に深々と突き刺さり、貫かん勢いでファクターの身体に走った。
「今だ!」
天児は斬撃でできたファクターの穴へ飛び込む。そこが時元牢への入り口だから。
ただちにファクターの身体は崩れ落ちる。飛び込んだ天児はその中で穴が閉じていく内側から見守った。穴が埋めるように崩れるファクターの身体に飲み込まれていく。だが、そこに痛みも苦しさも無かった。
――君なら辿り着けると思っていたよ
エージュの声がそこかしこから反響して響く。その声が耳に響いた時、目の前には黒しかない上も下もない空間『時元牢』に辿り着いたことを嫌がおうにも実感させられた。
「お前の相手をしているヒマはない!」
天児はそう言い切って、辺りを見回す。見渡す限り何も無い虚構の空間の中で記憶の手がかりは無いか必死に探した。
『お兄ちゃんのチカラならできる』
脳裏にソラの言葉がよぎる。その言葉が天児に希望を与える。
「あのチカラ…チカラをもう一度…!」
天児はそう声を上げて、記憶を呼び覚まそうとする。その輝きは黄金の大剣よりも力強くまばゆいものだった。
――法則を無視して超えるチカラ『オーバーロウ』。
「オーバーロウ、それがこのチカラの名か?」
――そう、もっとも名づけたのは君だけどね
「俺が…?」
――どうでもよかったか。それよりも君は本当に彼女を救いたいと思っているのかい?
「当然だ! それが俺の戦う理由だから!」
――そうか
「何が言いたいんだエージュ!?」
エージュは何も答えなかった。
エージュが答えるまで待っていられない。時間は限られている、天児のメモリオンが尽きる前にこの空間で美守の記憶を探してあてなければならない。
「オーバーロウ……やってやる!」
メモリオンの光が一層輝きを増す。
その瞳は、細長く針のようなものが回転して渦巻くように円を描いているようだった。
「おおぉぉぉぉぉッ!!」
天児の叫びとともに黒い空間が消え失せ、目の前に現れたのは人間だった。それも一人ではない、老若男女問わない様々な人間が天児を取り囲むように現れた。彼らは今にも消えてしまいそうな弱い光を放っているだけだった。
「なんなんだ、あんた達は…?」
天児は呼びかけても、彼らは返事をしない。代わりに彼らは手をかざす。その手はそれぞれまばゆい光を放った。
「く…!」
天児は思わず目をふさいだ。
だが、次の瞬間には手や足を無数の腕に掴まれた。さっきの人影が残らず、天児の身体を掴んだようだった。
「なんだ、これは…ッ!」
そこで浮かんだのは見たことのないファクターと知らない人々の顔。
「これは、まさかこいつらの記憶なのか……! だけど、こんなもの……!」
天児はメモリオンの光を強める。そうすればこんなものは払いのけられると信じて。
事実、人影達は光を浴びて消滅していった。その掴んだ腕から開放されると、天児はそこから飛び上がって逃げた。
「一体あれは…ッ!?」
天児はその場から飛び去った。
――あれは時元牢に飲み込まれていったアクタだよ、この空間では君の光はまぶしすぎるのさ
「あれがアクタ……? まるで亡者じゃないか?」
――悠久の時を彷徨う彼らには最早人間と呼べるほどの生気は残っていないのだよ
「なんで、そんなむごいことが…!」
――君達のメモリオンを集めるためさ
「メモリオン、あのファクターで俺達をこの時元牢に閉じ込めて集めさせていたのか」
――否
――メモリオンはあくまで君達の意思でしか放出されない
――だから君らの闘争本能と生存本能を駆り立てるためにファクターと時元牢を用意したのさ
「……お前の言いたいことはわからない…」
天児はエージュの声から逃れるように飛ぶ速度を上げた。
「だけど、どうしても美守の記憶が必要なんだッ!」
天児は叫びを上げると共に、美守の記憶がどこにあるか気を張り巡らせた。そうすれば見つかるような気がした。
「あ…!」
天児は声を上げる。光さえ暗闇に吸い込まれ、黒と化すこの空間で唯一煌めく光の珠が目に見えた。
「あれなのか…? あれが美守の記憶なのか…? あんなところにあったのか!」
何の根拠も無い、ただ確信にも似た直感が天児にそう言わせたのだ。その言葉とともに天児はその光の珠の元へ向かった。
――『あった』……違う
――オーバーロウによって君の目の届くところまでやってこさせられたんだよ
突然振ってわいたような声が天児の耳に入ったが、止まらなかった。目的のモノは見つかった。だからもうこれ以上時間を無駄にするわけには行かなかったのだ。
「これを…」
天児はその光の珠に触れると、その珠はバスケットボールの大きさであることがわかり、それを抱えた。
「ここから出て美守の所に持って行けば」
具体的な方法は知らない。ただ今は直感の行動は全て正しく思えた。他に頼るものがないだけに余計にそうするしかないのだ。
「美守まで運べばいいんだ」
――そうさ、君は間違っていない
エージュの声が空間内に反響する。
――だけどそれでいいのかい。君の一番は本当にそれなのか?
「どういうことだ?」
天児は訊いた瞬間、それは不意に現れた。
「ソラ!?」
天児は叫んだ。目の前に現れたソラの影をすぐに追いかけた。だが、どこまで行ってもソラに近くなることはない。まるで近づけば近づくほど遠ざかっていくようだった。
「なんでソラが…?」
――君に選択させるためさ
「選択…?」
――今の君にとって何が一番大事かね
「ふざけたことを…!」
天児は剣を振りかざす。
「お前が、関係の無いソラをここに引きずり込んだのか!」
――そうさ。だけど関係無いということはない
「何?」
――彼女は時間軸の理から外れ歪みを生む害悪なのだよ
「ふざけるな! ソラが害悪だって! そんなはずはあってたまるか!」
天児は叫んだ。だがエージュは構わず続けた。
――君は彼女が何者なのか、考えた事は無いか?
「……記憶が無くなる前のことか? 考えたさ、どうして俺のことをお兄ちゃんと呼ぶのか? 美守とも会ったことがあるようだし……謎だらけだ…」
天児はソラと過ごした記憶を振り返る。おぼろげながら思い出した光景はいつも部屋にいて楽しそうに過ごしているソラの姿だった。まるでそこにいるのが当たり前だが、なくてはならないように思えた。
「赤の他人じゃないってことはわかっていた…」
――そう家族だよ、彼女は日下空なのだよ
「な、ソラが、空…?」
天児は驚愕した。
「そんなはずが……あるわけないじゃないか…だってソラは…」
――信じるか信じないかは君次第だ
――それよりも重要なのは君は彼女と記憶――二つに一つどちらを選ぶかだよ
エージュがそう言うと、天児の抱える光の珠が天児をすり抜けた。
「く…!」
天児は手を伸ばしたが、光の珠には届かずソラとは正反対の方向へ行ってしまう。
「くそ!」
天児は光の珠とソラを交互に見た。
――二つは持ち帰れない
「どちらか選べってワケか……バカげている…!」
天児はエージュに向かってはき捨てるように言った。
美守の記憶を持ち帰るのが目的だった。そのために、この時元牢に再びやってきた。危険を乗り越えてここまでやってきたのは、それで美守が救われると信じていたからだ。その救うための手段が目の前にあるのなら是が非でも手にしたい。だが、ソラよりもというと迷いが出た。ソラは家族だ、過ごした時間は短いがそれを実感させるには十分な生活を共に過ごした。天児にとってかけがえのない存在なのだ。その比べようの無い二つを天秤にかけてどちらか選ぶなんて、まさにバカげているのだ。
「美守の記憶とソラ……選べるはずが無い…」
――ではどうするのだ?
「お前は言ったな? このチカラ、『オーバーロウ』は法則を無視するって…! だったら…!」
天児は勢いよく跳び、ソラに手を伸ばす。
「……お兄ちゃん…」
ソラがか細い声でそう呼びかけた。
「心配するな」
天児はそれだけ言って、メモリオンの光を輝かせる。
「エージュ! お前の選択も無視してやる! 二つに一つじゃない! 俺は二つとも選ぶッ!」
天児はそのチカラで光の珠も掴む。すると光の珠は、天児の手に吸い寄せられるかのようにその手に納まった。
「後は、脱出だ!」
天児が叫びを上げるやいなや、ソラと右手でつなぎ、左手で光の珠を抱えた。
そしてメモリオンを放出することで飛び上がる。それはさながらロケットのようだった。時元牢とミッドナイトスペースの境を目指して一直線だった。すぐに辿り着ける、直感はそう告げていた。
その通りになった。飛び上がってその先に辿り着いたのは、ミッドナイトスペースの夜空だった。
――やはり君はそう選択するか
エージュの声がどこからか耳に入ったが、今はそんなこと気にしていられない。
「後はファクターを倒すだけだ!」
天児はソラにそう告げる。ソラは息を荒げているものの、意識ははっきりしており天児の言葉を素直に聞いた。
「うん…気をつけて」
天児はそれを聞いて、ソラに光の珠を渡して、ビルの屋上に下ろした。
「大事なものなんだ、預かってくれ」
「うん!」
ソラは力強く頷くと、天児は飛び立つ。ソラは不安げにその行方を追った。
「これが…!」
そして、ソラは託された光の珠を見た。
「お兄ちゃんはこれのために……」
ソラは顔を歪めて、光のためを振り上げた。
「頑張って傷ついて……それで…!」
怒りと悔しさで震えたその腕は、今にも光の珠を放り投げてしまいそうだった。
でも、できなかった。
「でも、これがないとお姉ちゃんは……お兄ちゃんは…!」
それだけ言うと光の珠を抱え、泣き崩れた。
そうしていると景色が歪んだ。ミッドナイトスペースが閉じること、天児がファクターを倒したことを告げるようだった。
「もう、決めたはずなのに…」
――彼女は私にはどうすることもできない
――ああしてわずかな時間とらえることしかできない
――だからこそ彼に選択を迫った
――そして彼は望んだ結果を残した
――だけど万事上手くいくものではない
――まったくもって予定外――『運命』というものは質が悪い
記憶が混乱する。ファクターの目に短剣を突き刺したのはいつだったのか、思い出せない。というよりも本当に刺したのだろうか疑問を感じた。手に刺した感触はあるものの、記憶がおぼろげだとどうしても素直に信じられない。
だけど、はっきりと認められるものはここにあった。
「ソラ、そいつを渡してくれ」
ソラが手に持っている光の珠に向かって天児は手を伸ばした。
「うん」
ソラはそう言って天児に渡した。その光に照らされた顔は、無理に取り繕ったような笑顔だった。
「これで、美守の記憶が……」
天児は光の珠を奥で眠っている美守の上でかざす。
すると光の珠は、形を崩して粒子となり、美守に降り注いだ。
「……あ」
美守は声を上げた。記憶が無くなった後から息をするだけだった彼女から声が出たのだ。
「美守!」
天児が呼びかけると、美守は目を開けた。
「うぅ…」
その次は、口を開ける。
「ゴホッ! ゴホッ!」
咳き込んだ。それも苦しそうに。
「美守! 大丈夫か!」
天児は呼びかけても、咳は止まらなかった。むしろよりひどくなっていった。咳のしすぎで窒息しかねないほどであった。
「ゴホッ、ゴホ!」
「美守! 美守!」
一向に止まる気配は無い。天児はどうしたらいいのかわからずただ呼びかけることしかできなかった。
やがて咳が落ち着きだすと休む間もなく、首を押さえる。
「オウウオォ…!」
苦しみ、悶え、のた打ち回った。
「美守! しっかりしろ!」
「ア、アウア…!」
天児は押さえようとしたが、納まるどころか、いっそう強い力で首をおさえる。自分の首を絞め殺さんばかりの勢いだ。
「やめろ! やめ…!」
天児が止めに入ろうとして、美守は口から胃液を吐き出した。
「み、かみ…」
その直後に、首を押さえていた手を離してゆっくりと天井を見上げる。
「………………」
その目には何も映ってないかのようで、天児は声をかけられる雰囲気ではなかった。
「美守…」
それでも天児は呼びかけた。
「――ッ!」
だが、美守は応えることなく、不意に立ち上がり飛び出さんばかりの勢いで天児をよぎった。
「おいッ!」
天児が振り返ると、美守はテーブルにぶつかった。テーブルとイスと美守が転げまわる。だが、美守は痛がることなくすぐに大泥こまで滑り込み、包丁を手にする。
「やめろッ!」
天児は美守が何をするか、想像がついて急いで止めようとした。
「あ…!」
台所に血が舞い、ソラは驚きの声を上げた。
「あ、あぁぁぁ……ッ!」
美守はおびえた目で出血する天児の腕を見た。
「大丈夫だ、これぐらい大丈夫だって」
天児は腕を押さえながら包丁を美守から取り上げた。
「それより、こいつはそんなことを使うためにあるんじゃないんだ……」
「う、うあぁ…!」
それでも怯え、震える美守を落ち着かせようと必死に言い聞かせた。
「俺がわかるか、美守?」
「……て、ん、じ…く、ん…?」
美守は一文字ずつ確かめるように言った。
「美守、お前記憶が…?」
「天児君?」
美守はもう一度名前をはっきりと言った。
「記憶が戻ったんだな?」
「記憶…?」
美守がそう言うと硬直する。
「私の記憶……」
もう一度言うと、頭を抱えてうつぶせになる。
「いや……いや…」
怯えきったその声は天児を愕然とさせた。
「どうしたんだ、美守…?」
恐る恐る天児が訊くと、美守はこちらを見上げた。
「全部、思い出した…!」
歯を食いしばって、恨めしそうな顔して美守は言った。
そして、美守の手が天児の包丁を持った手を掴んだ。それを奪うために。
「死なせて!」
「なッ!?」
「死なせて! 死なせて! 死なせて! 死なせて!」
「駄目だ、そんなの駄目だ!」
天児は叫んで、その手を振り解こうとしたが、美守も必死でその力強さは今までにないものであったため解けずにいた。
「うぐッ!?」
出血する腕を強く掴まれたため、激痛が走ると同時に血の気が引くのは感じた。
「あ…!」
美守はそんな天児の有り様とその血で真っ赤に染まった自分の手を見て、叫ぶのを止める。
「……わたしは、いったい…なにをしていたの…? なにをしてきたの…? なんのためにいきて…こうしてここにいるの……どうしていきてるの…? いきているなんて、いたくて……くるしくて…」
焦点が合わず、せわしなく瞳を動かせ、全身の震えを一手に引き受けたようにガタガタする口で囁き続けた。
「美守、どうしたんだ…?」
「わたし……わたし…!」
美守は天児を見上げて、自分の手を見ながらおぼつかない口調で語りだした。
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