Ⅸ―超越法則―(前編)

――初めは小さなものであった


――初めは大海の小さな波紋に


――過ぎなかったものが留まることを知らず、


――勢いをつけ続けた結果大波へと成長するかのように


――彼女の存在は歪みを生み続けた


――私の予定を変更しなければこの世界の存続すら危うくさせるほどに


――だが私にはどうすることもできない


――見守ろう、この世界の成り行きを


――もしも滅びを迎えるのであれば、その時は――




「相変わらず、汚いなあ」


 文句を言いながら、二人はアパートに入ってきた。


「悪かったな」


 天児はそう言われた事に対して苛立ちを覚え、言い返す。


「……むくれるなよ、冗談だって。こういうのは味があるって言うんだろ」


 なんだかあわてた様子で、言った本人は床を見る。


「ほら、掃除とかちゃんとしてあるし、すげえよな天児って」


「長尾、そこまで言うとかえって嘘臭いぞ」


 すかさずもう一人の方が駄目出しする。かなり慣れたやりとりにみえて、二人の付き合いが一朝一夕ではないということが容易に想像できた。そこに本来は自分も加わるはずであろう事も


「許してくれよ、天児。俺はお前が元気だってわかってうれしくてな」


「別に気にしていないけど」


「おう、それはよかった」


 長尾は元気よく答えてくれた。天児はその元気さに申し訳なささえ感じた。


「天児、お前なんかおかしいぞ」


 もう一人の友人であろう男が不意に言ってきた。


「おかしいってどこが?」


「別にどこがってわけじゃねえが……ただ、お前真顔で冗談言う奴だったかなって…」


「そうか……」


 はっきり言えないのは仕方が無いと天児は思った。このやり取りは友達のつもりで接しているわけなのだが、この二人は天児という人間をよく知った上で接しているので違いが生じてしまうのだが、それを上手く言葉に言い表せない以上、そういう事しか口にできないのだ。その証拠に、自分が真顔で冗談を言う人間ではないということをこの二人が知っていることを天児は思い出せなかった。そもそもあれは冗談ではないのだが、そう受け止めてしまうほど現実離れした言動だったということだろう。自分がこの二人のことを『誰だ?』と訊くのは。


「お邪魔します」


 二人はそう言って上がりこんだ。


 正直天児は早く帰ってほしいと思っている。自分と過ごした記憶のある友達と接することなんて自分にその記憶が無いと実感させられるだけのことなのだから。だがそれを口にすることはできない。何しろこの二人とは友達なのだから。


「おかえりなさい」


「ただいま」


 留守番をしていたソラに、天児は普通に答えたが、二人は凍りついた。


「そういや、そうだったな…」


「おい、安藤落ち着けよ」


 安藤と呼ばれた方は何やら震えていた。


「ど、どうかしたのか?」


 天児もなんだか落ち着かない口調で訊いた。記憶には無い、ただ反射的にこんな口調になってしまった。


「いつから新婚した?」


「は?」


 天児は衝撃のあまり素っ頓狂な声を上げた。


「とぼけるな。こんなかわいい子が君の帰りを待っているということはそうとしか思えないだろ」


「なんでそんなに極端なんだ?」


 天児は呆れた口調で返した。


「だってお前が休んでる理由ってそうなんだろ?」


「………」


 天児はソラを見た。ソラは何も言わず人形のように座っている。どこをどう見たら自分達が新婚なのかと思いたくなり、口から出そうだったが堪えた。


「どうしてそんな考えになったのか、一から順に答えてくれ」


「了解」


 長尾と安東はテーブルのイスに座った。


(居座るつもりか…)


 天児は呆れながら冷蔵庫からお茶を取り出した。


「前に、この子学校に来たことあったろ?」


「ああ、まあな」


 天児はそんなこともあったな程度で長尾に答えた。


「んで、お前らが付き合ってるってわかったからな」


 ちょっと待てと言いたかった。どうしたら、そんな飛躍した結論に至るのか、即座に否定したかったが、ここはゆっくりと話を聞こうと腹に決めた。


「それに一緒に住んでるって聞いちまったからな」


 安藤が続きを担当することになったようだ。


「さらにはお前のタイミングのいい休学だ。バイトに専念して結婚資金貯めてるんだろうなって」


「なるほど…」


 天児はため息交じりの声を漏らした後、二人にお茶を出した。


「それでここに来たら、推論は事実だったわけだ」


「事実無根の邪推だ!」


 自信満々に言った安藤の台詞を天児は即座に否定した。


「それじゃあ、どうしてお前ら一緒に住んでる?」


「それは…」


 天児は答えられなかった。


「そうくると思った」


 そう言って安東はソラの方を見た。


「じゃあ、君と天児の関係を教えてくれないか?」


 天児が答えないとわかると、ソラに訊こうとしたのだ。ソラは戸惑うことなく


「関係といわれても、お兄ちゃんだけど」


「――!?」


 ソラの返答は、二人に多大な衝撃を与えた。


「や、ややや、やっぱり、お、お、お、お前はそういう奴か」


 長尾はおぼつかないが勢いの入った口調で天児に迫った。


「どういう奴だよ?」


「気に入った女の子に『お兄ちゃん』と呼ばせる趣味を持ってたなんてな」


「断じて違う!」


 天児は声を大にして否定した。


「前にもやったな、これ」


 安藤は飽きたよと言いたげだった。


「前にも…?」


 その言葉が頭に引っ掛かって、その『前』を思い出そうとした。だが、無理だった。


「おい、どうかしたか?」


 長尾が天児の様子を見て態度を一転して真剣に訊いてきた。


「いや…なんでもない……」


 天児はそっぽ向いて答えた。


「なんかあったか…」


 そんな様子を察して安藤は言ってくれた。


「まあ、元気なところ見れたから今日はこのへんにしておこうか」


 安藤はお茶を飲み干して立ち上がった。


「おい、ちょっと待てよ」


「もう用は済んだだろ?」


「いやまだだ!」


 長尾は勢い良くテーブルを叩いた。


「まだ空ちゃんに会ってない!」


 長尾は声を大にして言った。


 天児にはこの二人に関する記憶は消えてしまっている。二人は冗談だといったあれも本音なのだ。だから二人とどう接していいのかわからないため、ただ勢いとその場の雰囲気に合わせようと心がけた。だが、長尾のこの発言だけに関してはどう対処するべきか、この状況でどう発言するべきか、記憶ではなく本能が教えてくれた。


「とっとと帰れ!」




**********




 二人は陽気に手を振りながら帰っていった。天児はそれを見えなくなるまでアパートの手すりから見送った。


「帰ったか…」


 天児は一言呟いて、部屋に戻った。


「帰ったんだね」


「ああ…」


 ソラに二つ返事で返して、イスについた。「帰れ」とはっきり言ったのに、内心でも帰ってほしいと思っていたのに、いざ二人が帰ると寂しく感じた。だけど、まだ居座って欲しくないとも思った。


「つらかった?」


「つらい……っていうのかな、これは?」


 それすらももう忘れたかのようだった。


「友達ってさ……ああやって喋っているだけでさ、楽しくなるもんなんだよな……すっかり忘れていたよ、でもさ……」


 天児は息が詰まりそうになりながらも続けた。


「思い出したくなかった……」


 そこから止められなかった。一度出た想いは頭から溢れて口に出てしまう。


「あの二人がどこの誰かわからない、なのにあいつらは俺を知っている……知らないあいつらと接している時、俺はどうしようもないんだ、記憶が無いからどう喋ればいいか、どう反応すればいいか……辛いんだ…今までは友達だったけど、今は友達を演じなくちゃならならなかったのが……向こうは俺を友達だって思い込んでくれてる分……」


「………………」


 ソラは天児の言葉を黙って見つめて聞き続けた。


「それで、さっき一瞬全部消しちまえばラクなのになって思っちまったよ……」


 天児は自嘲した。


「ダメ」


 ソラは焦って天児の手に手を重ねた。


「……わかってるよ」


 天児はその手を振り解いた。


「魔が差しただけさ……まだ俺はやらなくちゃならないことがあるからな」


「それは、お姉ちゃんのため?」


 天児は美守の眠っているはずの閉じられた襖の方を見る。


「ああ、そうだ。美守の『明日』のためだ…」


 天児はそう言いながらある事に気づき、胸に手を当てる。


「まだ消えてないな……俺の一番大事な記憶…」


「そんなに、大事なら……」


 ソラは突如低い声で言い出した


「その『明日』が手に入れられるとしたら?」


「手に入れられる?」


 天児は飛びつくようにソラに迫った。


「どういう意味だ?」


「お姉ちゃんの記憶を取り戻せるって意味」


「本当か、それ?」


 ソラは天児の顔を一瞬そらしたが、すぐに向きなおした。


「今のお兄ちゃんならできるわ」


「どうやって?」


「もう一度、時元牢に行くの」


「時元牢……」


 天児はその言葉をかみ締めるように言った。言うと同時にあの時元牢に引きずり込まれた記憶を思い起こされた。暗いが冷たさも温かみも無い、ただ波に揺られ海を漂うあの感覚は心地よささえ感じたが、今ではそれはさっき魔が差した願望を叶えてくれるからこその感覚だったと思える。


「あそこに行くってどうして…?」


「あそこにはありとあらゆる記憶が内包されている……メモリオンの貯蔵庫って言うらしい」


「らしい? 誰かから聞いた情報か、一体誰から?」


「………………」


 ソラは答えたくないと言わんばかりの辛そうな表情をする。


「言いたくないなら、別にいい。問題はそれからどうするかだ。教えてくれ」


「……内包されている中から美守お姉ちゃんの記憶を持ち出す…」


「できるのか、そんなこと?」


「お兄ちゃんのチカラならできる」


「あのチカラか……脱出できたのはあれのおかげだけど…」


 その時の事を思い出すと、今でも不思議な感覚だった。不可能を可能にしてしまえるようなそんな奇跡を起こせるような確かな実感もあった。


「でも、危険も大きい……チカラを使いこなせなければ、永遠に時元牢を彷徨う事にもなるし……お姉ちゃんの記憶を見つけ出す前にメモリオンが尽きるかもしれない……」


 ソラは天児を止めてほしいと言いたげであった。


「……できるなら、可能性があるならやる。それで美守が救えるのなら…」


 天児は決意のこもった声でソラに言った。


「お兄ちゃんならそう言うと思った」


 ソラは天児に笑顔を向けた。その笑顔の瞳は潤んでいるようだった。


――こういうのは『善は急げ』と云うべきか


 脳裏にエージュの声が響いた。


「これは……!」


 天児は反射的に身構えた。それが無意味だとわかるのは一瞬の後だった。


 夕日の明かりも、その明かりが照らし出す様々な鮮やかな色も、全てを失ったような空間―ミッドナイトスペースは開かれた。


「どうなっているんだ…?」


 天児は愕然とした。ミッドナイトスペースが開かれるのが早すぎるというのは、もう驚くべきことではなくなった今、天児を驚愕させたのは、エージュの言葉だった。


(まるで、今からミッドナイトスペースを『開く』って言ってるみたいじゃないか…!)


 そう考えた時、天児は身体全体が震えた。


「エージュ!」


 天を貫かんとする勢いで空を見上げて叫んだ。


――騒々しい


 エージュはその叫びに答えるかのように声を出した。


「どうなってるんだ? 今の言葉……お前がミッドナイトスペースを開いているとでも言うのかッ!?」


――その通りだ


「――!?」


――私がミッドナイトスペースを開いているのだ


「お前が、ミッドナイトスペースを…!」


――さらに言うのであれば時を止めているのも私だ。そうしなければ世界は乱れ崩壊してしまうからだ


「崩壊するなんて、大げさ……いや、そうとも言えないか。俺達は『明日』のために戦っていたんだからな」


 天児はエージュの言葉を受け入れるように言った。


――随分簡単に信じられるんだ


「もう十分経験してきたからな、そういうのは」


――十二分に経験しているよ君は


「………………」


――十分すぎるほどって意味だけどまあこの際どうでもいいか君にとっては


「ああ、ミッドナイトスペースはお前が開いてるって事はファクターは何だ?」


――ファクターはアクタのメモリオンを回収するためのファクター(装置)


――そうなるように私が創ったモノだよ


「そうか、そういうことか…!」


 天児は剣をメモリオンで出した。


「お前がファクターを創って、俺達に戦わせていたのか…!」


――その通りだ


 エージュのその言葉と共に大地が割れる。


「話が早い…!」


 剣を構え、刃先を地鳴りとともに現れたビルのような直方体のファクターに向ける。


 天児は、踏み込んでそのファクターの側面を斬った。だが、ファクターの身体は柔らかく確かに斬ったのだが、その部分には斬った後も残らずに、元のままになっていた。


 直後、その側面から四角い角が飛び出た。


「ぐ…ッ!」


 ボディブローのようにそれは天児の腹にぶち当たった。たまらず後退した。ファクターはそれを察知したのか。直方体の側面から、様々な大きさの四角形の角が直進して飛び出てきた。天児はそれを払いのけるがさっきファクターを斬った時と違い、その身体は硬く、金属を斬っているかのような感触だった。それからかわすのは簡単だった。四角の角は直進してくるだけなので、交差点から曲がるだけでよかったのだ。


(手強いな……だけど今回は倒すわけじゃない……時元牢にさえ行ければいいんだ……)


 そう考えると気負いが消えていくのが不思議だった。倒さなくてもいいと思うとヤツを倒すためには、と余計なチカラが入るため今はそれがないためなのだろう。


 だが、それもほんの一瞬のことだった。天児はファクター以外のモノに注意を向けなければならない事態が起きた。


 一瞬顔面を狙ったその爪を短剣で反射的にはじいた。


「ワイルドクロウ…!」


 爪がはじかれるとわかるとワイルドクロウは距離をとった。


 その目は獲物を狙う狼のように鋭く、まばたきを一切せず天児を凝視している


「俺が獲物か…!」


 天児は剣を構えた。今はファクターで手一杯なのだが、そうも言ってられない。油断や気の緩みが死につながる。最初に対峙したときから、そんな印象だった。


 ワイルドクロウは走り出す。獲物である天児に向かって一直線に。その速さはかろうじて目に映るほどで、一瞬の後に爪が喉元の手前まで届いた。天児はそれを短剣で防いだ。身体が勝手に動いたからだ。片方の長剣で反撃を試みたが、ワイルドクロウは速すぎて、空を切る結果になってしまった。


 そこから防戦一方だった。襲い来る爪に長剣でけん制して、短剣で防ぐを繰り返した。反撃なんてする余裕は無い。休む間も無い猛襲に徐々に息が上がり、ついには防御がおいつかず、爪が天児の左肩から腹を切り裂いた。


「ガ、ハァッ!」


 一度攻撃を許すと、容赦の無いワイルドクロウは一気に攻勢に出た。その爪は天児の顔を、肩を、腹を、足を次々と切った。


「おおぉぉぉぉッ!!」


 天児は雄叫びを上げ、後ろへ大きく飛んだ。


 その後、天児はワイルドクロウを睨みつける。睨まれたワイルドクロウは警戒してそれ以上踏み込まない。


(やっぱりまともにやったんじゃ、勝ち目は無い……使うか、あのチカラ…)


 天児は剣を強く握り締める。


 それと同時に、銃声が響いた。銃弾はワイルドクロウに向かって行った。ワイルドクロウは銃弾をかわすと、それに合わせて追撃の銃弾がワイルドクロウを襲う。たまらず、ワイルドクロウはその場から姿を消した。


「シャッドか…」


 天児は背後にいるシャッドの方を見た。すぐにシャッドに助けてくれた礼を言おうとしたが、それどころではないことに気づく。


 シャッドの黒いマントに血がにじんでいたのだ。


「おい、大丈夫か!」


 天児が呼びかけると、シャッドは視線を返すだけで言葉が無い。これだけなら別にたいしたものではないのだが、その視線が弱弱しく今にも途絶えそうな不安を掻き立てるようなものだった。天児はすぐに駆け寄った。


「……テン、ジ…」


 その声もまた弱弱しかった。


「どうしたんだ? ファクターにやられたのか?」


 マントの奥から服ごと引き裂かれたような傷がいくつか見えた。


「ワイルドクロウか…」


 シャッドは頷いた。


「どうしてメモリオン使って治さないんだ…?」


「記憶が、ほとんどもう無いから……」


「だからって……こんな…もっと自分の事を考えて…」


「それができないのがアクタよ」


 背後からまた声がした。振り向くと教子が歩み寄ってきた。


「教子さん…」


 教子が自分から姿を見せてやってくるなんて珍しいことなので天児は驚いた。


「大事な想いだけ残して記憶を消していくのは、それだけしか考えられなくなるって事なのよ」


「どういうことですか…?」


「人間、他愛の無い事やどうでもいい事を憶えていると、意識や考えを一つに集中できない。逆に言えば、それを忘れてしまえばどうしても一つのことに目的が行ってしまうものよ。あなたも経験無い?」


「一つに意識が…?」


「例えば、美守のことよ。あの子の『明日』のため戦う……それが恐れも迷いも無くここまで言えるのは、他の事が意識どころか記憶からも消えていってしまっているからよ」


「………………」


「美守もそうだった。戦う恐怖の記憶を消して、記憶を消したい願望の記憶で上書きして戦っていた」


「そんなことって…!」


 教子の話を聞き入れ、天児は青ざめた。『そんなことはない』と言えなかったから、教子の話には心当たりがあったからだ。記憶が無くなる度に、美守との約束が天児の中で大きく占めてきているのを、今改めて実感させられた。


「シャッド、あなたもそうでしょ?」


 教子に訊かれてシャッドは仮面の顔を背ける。


「図星だったかしらね」


 教子は得意げに言った。


「やめてください…」


 天児はそんな雰囲気に耐えられなくなり、シャッドに迫った


「な……」


「いいから…」


 天児はシャッドの傷口に手を当てる。その手からメモリオンの光を放ち、治癒を念じた。


「これくらいなら俺が治してやる」


「………………」


 シャッドはおとなしくその手を黙って見守った。


「教子さん、あなたもそうなんですか? 生きるというたった一つの目的で動いているというんですか?」


 治癒を念じながら、天児は背後にいる教子に訊いた。


「ええ、そうよ」


「だからいつも戦わずに、遠くから見ているだけにしているんですか」


「その方がメモリオンも少しですむのよ。細く長く、糸のようにね」


 教子ははっきりとした口調で言った。それが嘘偽りないと語るように。


「……そうですか」


 天児は納得して、治癒に専念した。


 シャッドの傷が全快するまで、時計は無いためわからないがおそらく十秒足らずですんだだろう。たったそれだけのメモリオンでどれほどの記憶が無くなったのか、もう天児にとっては取るに足らないことだった。


「センキュー」


「どういたしまして」


 それだけのやりとりをして、シャッドは銃を構えた。


「いくのか?」


 天児が訊くとシャッドは頷いた。


「ワイルドクロウを倒す、そうしなければあのファクターは倒せない」


「…確かにあんなのがうろつかれたら、ファクターと戦っているときに後ろからバッサリといきかねないからな」


 天児はそう言うとメモリオンで剣を出す。


「俺がやる!」


「ノー…」


 シャッドが銃口を向けて止めに入る。


「そのケガではワイルドクロウとは戦えない」


「ああ、これぐらいなら平気さ。君ほど重傷じゃない」


 天児が言い返すと、視線を感じた。殺気に満ちた獲物を射抜くような視線だ。視線の主の正体は即座にわかった。


 しかし、わかったときにはすでにその主の懐だった。


「チィ!」


 二人はとっさに銃と剣をワイルドクロウに向けた。だがそれよりも速くワイルドクロウの爪が二人の喉元に伸びてきた。が、喉元まで届くことは無かった。ワイルドクロウの腕にはごく細い一筋の光が見えた。


「教子さん…!」


 天児には教子が『糸』を使ってワイルドクロウの腕に絡ませて止めたのがすぐにわかった。


「世話がかかるわね…」


 教子はそう呟くやいなや、ワイルドクロウはその『糸』を振りほどくために腕を強く振り、その場から離れた。シャッドが逃がすものかと言わんばかりに二丁の銃から同時に弾丸を放つがかわされる。だが、体勢をわずかな時間稼ぎにはなった。


 仕掛けるも反撃するもできるようになった二人を察知して、ワイルドクロウも機を伺うようになった。迂闊に仕掛ければ、反撃をくらい返り討ちになるかもしれないのがわかっているのだ。それは天児もシャッドの同じなため、辺りに一触即発の空気が流れた。


(このコート…どこかで…)


 その空気の中、天児はワイルドクロウを見つめることで、そのボロボロのコートに見覚えがあることに気がついた。前に見たときは、そんなことは無かった。おそらくそれも夢の影響なのかもしれない、とその考えが脳裏をかすめると頭から飛来するかのように推測が閃いた。


 直後、大地が大きく揺れた。おそらくファクターが地面に向かって角を突き出した影響だろう。攻撃も反撃もできる体勢にあった二人が崩れるほどの地震だった。


 だが、ワイルドクロウのバランス感覚は二人のそれとは違い、地震の中だろうと体勢を崩すことなく、むしろ体勢の崩れた二人に向かって一直線に向かってくる。地震が収まる頃には爪が届く距離まで詰められていた。防御が間に合わない、やられると感じた瞬間、天児の身体が動いた。自分で動いたのではなく、突き飛ばされたのだ。それと同時に目の前で赤い液体が目の前に水しぶきのように舞った。


「あ、あぁ……」


 天児は呆然とその血が地面に落ちるまで見ることしかできなかった。かすれた声が自分の耳に届くと、我に返った。


 見ると、自分がいたはずの場所にシャッドがいて、自分の負うはずだった傷をシャッドが負っていたのだ。それがわかると、天児は我慢できずに腹からこみ上げてきたものに我慢できなかった。


「うわあぁぁぁぁッ!!」


 叫びを上げたが、シャッドは振り向きざまにワイルドクロウに抜いた日本刀で一太刀浴びせた。


 だが、ワイルドクロウは叫びを上げることなく後退した。シャッドが浴びせた一太刀は浅いものの、彼に脅威を与えるには十分な傷だった。


「シャッドッ!」


 ワイルドクロウの後退などどうでもよく、天児は倒れるシャッドを抱き上げた。


「おい、しっかりしろッ!」


 天児は必死に呼びかけた。仮面を外れた彼女の血にまみれた顔でその目に天児は映ってなかった。


「シャッド…ッ! どうしてこんな…?」


「助けてもらったから…」


 彼女は今にも消えてしまいそうな弱弱しい声で答えた。


「そんなこと、どうでもいいってのに……!」


「天夢が言ってた……助けてもらったから助けるって…」


「天夢、が…!」


「だから、助けた……そうすれば…また逢える…」


「そんな、そんなために…」


 天児は語りかけようとすると、彼女は目を閉じた。


「おい! おい!」


 天児は必死にゆすって目を開けるようにしたが、駄目だった。


「やめてくれよ……目を開けてくれ、開けてくれよ…!」


「落ち着いて!」


 背後から教子が声を荒げてやってきた。


「これが落ちついてなんて!」


「今だからよ、まだ彼女は息をしている」


「え…?」


 そう言われて天児は耳をすませて、彼女の呼吸を聞き取ろうとした。目でまだ彼女の息があるか視ようとした。掴んだ腕で心臓の鼓動を感じようとした。


 そして、彼女は呼吸の音を上げ、目でわずかに口元が動いているところを視て、腕は身体の奥底からのわずかな鼓動を感じ取り、それが天児の全身を突き動かすようだった。


「よかった……」


 天児は大きく長く安堵の息をついた。ついた後、天児は早く治療させなければという想いが手からメモリオンの光を出させた。


「待って、私がやる」


 教子が止める。


「でも…」


「さすがに、ここまで近いと見てみぬフリもできないわよ」


「……ありがとうございます」


「お礼なんていわれたの、いつ以来かしらね…」


 教子がそう言うと、その手に細い銀の糸が毛玉のように束ねられて、輝くそれを金髪の彼女に押し当てた。


 彼女は大きく息をついた。その呼吸には先ほどの微弱な呼吸ではなくはっきりとしたものだった。


「天児君、あなたは行ってきなさい」


「え…?」


 天児に背中を向ける教子は突然そう言った。


「あなたの目的はファクターでしょ? 時間稼ぎぐらいはやってやるから、ここは任せて」


「どうしてそれを…?」


「ちゃんとあなたを視てたからね、わかるわよそれぐらい」


「視てたんですか…」


 天児は呆れ気味に言ったが、自分の事情がわかってくれる人がいるという安心感がわいた。


「でも、時間稼ぎって無茶ですよ」


「無茶ね……それは心外ね」


 教子は顔だけ振り向く。その眼光は鋭く、視線を合わせるだけで気圧されるそんな凄みを持っていた。


「勝算があるから提案してるのよ」


「勝算…?」


「速く行きなさい。ここで時間をかけてちゃ、私が頑張らないといけないじゃないの」


「……いいんですか?」


 天児は訊いた。一緒に戦わなければならないと天児は考えているが、教子はそんなこと望んでいない。何より自分の目的はファクターと戦い、時元牢に入ることだった。それを後押ししてくれるのだから無駄にしていけないという気持ちがこみ上げてきた。


「無論よ」


 その一言で踏ん切りがついた。天児は一礼してファクターの方へ向かった。


 教子はその場に出血が止まり、安らかな顔で眠りについている彼女を寝かせた。


「仕方ないわよね、ケジメぐらいはつけなくちゃ……そう思うでしょ?」


 一人でそう言いつつ、教子はその鋭い視線をワイルドクロウに向ける。


「……あなたも」

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