Ⅷ―追想―(後編)
次に目を開けた時、自分が立っていたのはアパートの部屋だった。
「助かった…のか…」
天児は力が抜け、その場でへたりこんだ。
(力が入らないな…)
あのチカラが使ったせいなのか、今日はたくさんの出来事が起こり、そのせいで疲労があふれるようにたまったせいなのだと考えると、今日(正確にはもう昨日)の起きた出来事を思い出し始めた。
(ソラ、やっと会えたのにな…)
天児は久しぶりに会えたソラの姿を思い浮かべる。ここ最近、彼女を探し続けて動いていた。それが自分の動く最大の理由になっていた。ついさっき達成されたような気がして、報われたような充実感が訪れようとした。
「お兄ちゃん…」
そんなとき、天児を呼ぶ声がして、勢い良く起き上がった。
「ソラ…ッ!」
天児が呼んだ先に、ソラはいた。暗くて顔まではわからないが確かにソラはそこに立っていた。
「ソラ!」
天児はもう一度呼び、ソラを抱きしめた。本当にそこにいるのか確かめたかったからだ。力強く抱きしめてその感触を実感すると、無性に嬉しさがこみ上げ、涙まであふれ出た。
「どこにもいくな、もうどこにもいかないでくれ…!」
言いたいことは他にもあった。訊きたいことも同じくらいあった。だけど、それでも最初に出てきた言葉はこれだった。
「お兄ちゃん…」
ソラもその言葉だけ返事をして天児にこたえた。
その部屋の隅で、記憶が何もかも失い、起きたまま寝ているような美守の呼吸をする以外は、動かないはずの口が動き、こう呟いたことを誰も知らなかった。
「……そ、ラ…」
**********
翌朝、天児はいつもと変わらない新聞配達をしていた。
朝起きて出かける前に、ソラの寝顔を確認すると安心できた。だから今は以前よりもペダルを踏む足は軽かった。ソラが帰ってきたおかげで今までのことが報われたような気がして気分が晴れやかになったのだ。
だが、天児は急に頭が真っ白になった。
「あ、れ…?」
天児はその足を止めた。
(次は、どこの家だった…?)
汗がどっと流れては落ちる。憶えている、身体が憶えているはずだと天児は自分に言い聞かせては記憶の底から呼び起こそうとした。だが、無理だった。どうやっても次に進むべき順路がまったく思い出せなかった。
(くそ…! こんなはずじゃ! こんなことって!)
たまらず、配達順路の地図を見て確認した。それでひとまず新聞配達は問題なくできた。
だが天児は記憶の消失をいやおうなしにも実感させられ、言いようの無い悔しさと不安で頭が支配された。
(せめて美守が、元に戻るまでは…! )
それこそ天児を支える原動力だったのだが、あまりにもそれが達成されるのは気が遠く思え、この不安を消し去るどころか増幅されるようなものだった。
そんな不安で押しつぶされそうになりながらも天児はアパートの部屋に帰ってきた。
「おかえり」
天児は驚いた。いつもならくるはずの無い出迎えの言葉が来たからだ。何故ならこの時間にはみんな眠っているはずなのだから。
「今日は早いんだな」
天児は感心しながら上がると、テーブルに座って朝食のバタートーストを食べている将と空と、ソラの姿があった。
「ずいぶんはやいね」
「え?」
思いもよらない空の言葉に天児はキョトンとした。
「早いってどういうこと?」
「おにいちゃん、さっきでていったでしょ?」
「さっき?」
天児は新聞配達のことかと思った。だけどその時には空は眠っていたはずで、しかもさっきっていうほど短い時間でもなかったので、違和感を覚えた。何かが食い違っている、そう思わざるおえなかった。
「さっきってどれくらい前だ?」
「え~とね…」
空は大きく首をかしげて、時計を見た。
「じゅっぷんぐらいまえ」
「十分…」
もちろん天児はその時間にこの部屋にいなかった。だとすると他の誰かがいたと考えるのが自然なことだった。
「天夢…」
ソラが呟いた。将と空なら空耳かと思うような、しかも天児には確実にその言葉は伝わる。
(天夢……そうか、天夢か…)
天児にはその言葉だけで点のような手がかりとヒント、情報が線でつながったような気がした。
(天夢がここに来たのなら、将と空が俺と勘違いするのも無理ないな……でも、どうして天夢がここに?)
その理由はどうしてもわからなかった。どうして十分前に出て行ったのかそれもわからなかった。
「兄ちゃん、早くしろよ」
不意に将が急かした。そこで天児は時計を見た。
「こんな時間か…」
天児は残っているパンをトースターに入れた。
「ソラ…」
その間にソラに声をかけようと思った。だが、ソラは返事をすることなく、うつむいたまま顔がよく見えなかった。将と空もいつものソラとは違う様子であったためか声をかけづらそうだった。
そうこうしているうちに、トーストが出来上がり、バターを塗り、食べた。
「早くしないと遅刻するぞ」
天児は食べ終えてからそう告げると、二人はあわてだした。
「……お兄ちゃん」
二人が準備をしているとき、ソラが呼びかけてきた。
「ソラ、どうかしたのか?」
ソラは立ち上がり、天児を見た。その目つきは今まで見たことの無いほど鋭く、天児はその動向を見守った。
「……本当にお兄ちゃん?」
その問いかけに寒気が発した。
「な、何言ってるんだ? 俺がお兄ちゃんじゃなかったのか?」
返答の声が震えていた。
「そう、だよね…」
そう言ってソラは一転して笑顔になって天児を見つめた。
「どうしたんだよ? お前、おかしくないか?」
「おかしいよ」
ソラは即答した。
「おかしいって…」
「私はね…」
「いこー!」
ソラの言葉を空の声が遮った。
「おにいちゃん、いこー!」
「あ、ああ…」
天児は空の元気な様子にとりあえず返事をする。すると、将もランドセルを背負ってやってきた。
「ソラ、留守番…」
天児は頼みづらそうに言った。
「うん…」
ソラは頷いた。
「ありがとう」
天児はたったそれだけの礼を言って、将と空と一緒に部屋を出た。
空を幼稚園に見送った後、天児はアパートに帰ろうとした。ソラと話したいことがたくさんあったからだ。
アパートの部屋に戻ると、ソラはちゃんと部屋で留守番していた。その様子を見て、天児は一安心した。
「おかえり」
ソラはそう言ってくれた。
「それはこっちの台詞だ」
そう言い返したのに、ソラは落ち着いた物腰だった。
「話したいことはたくさんある」
「私もだよ」
ソラは笑顔で言ってくれた。
「お前、記憶が戻ったのか…?」
ソラの様子を見ると、まるで別人のようになっていることから、天児は記憶喪失が治ったのかと感じた。
「ちょっと違うかな…」
少し考えた後、ソラは答えた。
「記憶は確かに戻ったよ、あんまり思い出したくなかったことだけど…」
「そうか…」
「記憶が混乱していて、何がなんだかわからなくて心配かけたのは謝りたい…」
「いや、いいよ。こうしてまた会えたんだから…」
天児は心底そう思っていた。それに記憶が戻ったことは、ソラがソラでなくなったような気がしたが、記憶がなくなる辛さを知っているだけに喜ばしいことだと思えた。
「記憶、戻ってよかったな…」
「よかったのか、どうかわからない…」
「嫌な記憶だったのか?」
ソラは頷いた。
「できれば、思い出したくなかった…」
「嫌な記憶か……俺にはわからないな……どんな記憶でも失くすと辛いんだ…どんなつまらなくても、他愛の無いことだって…」
天児は声を振り絞って言うと、その気持ちが伝わったのかソラも辛そうな顔をする。
「……お兄ちゃん…」
「まだ、そう呼ぶのか。記憶が戻ったってのに」
「ううん、記憶が戻ってもお兄ちゃんはお兄ちゃんだから」
ソラがそう言って、首を振った。
「そうか…」
天児はそのたった一言で首を振った。
「……そういえば、さ」
天児はこの話題はソラにとっても辛そうだったことから変えようとした。
「……天夢が、ここにきたのか?」
「うん」
「……朝飯、食ったのか?」
「うん」
「どうだった?」
天児は天夢がどんな人間なのか気になった。あそこまで自分と姿が似ているが、性格や仕草が同じなのか、気になって仕方が無かったのだ。
「お兄ちゃんにそっくりだった…」
「そうか…」
その一言だけで十分だった。たった一時だけでその男がどんな人間なのかまでわかるはずがないのだから一言だけでよかった。
「天夢、天夢か…」
天児はその名前を呟くと、自然と外に向かっていることに気づいた。
「探しに行くの?」
「ああ……美守を頼む」
ソラは美守の寝ているであろう奥の部屋に目を向けた。
「いってらっしゃい」
ソラは一言、そう言ってくれた。
「いってくる」
天児は外へ出た。
「ふう…」
天児は出て行ったあと、ソラはため息にも安堵にも似た一息を大きくついた。
「……お兄ちゃんが二人いて、私はどうすれば…」
ソラは途方にくれ、起き上がらない美守の方へ歩み寄った。
「お姉ちゃん…」
ソラは、彼女を見下ろし、呼びかけた。
「……う…」
美守はわずかに声を上げた。
**********
天児は自転車を走らせた。天夢がどこに向かったのかまったく知らない。ただ闇雲に街中を走り回っているだけだった。
(会ってどうするんだろうな…?)
走っている間にそんなことを考えていた。彼がどんな人間なのか興味がある。ソラが自分とそっくりといった人間なのだから、どこまでそっくりなのか確かめたい。でも、それ以上に何か会わなければならない衝動にかられていた。
――君は誰だ?
あの時、天夢が発した言葉が頭から離れない。あの言葉の意味を聞きたい。彼と会うことにはそんな目的もあった。だけど心当たりも無く、闇雲に探すにはこの街は広すぎる。ソラを探していて思い知ったことだった。だが、今回はそれほど焦ることはなかった。見つからなければそれはそれでいいと、部屋を出た時は思っていた。なのに、何故こんなにも夢中になって走り回っているのか、天児は時々自分のことがわからなくなる。
そんなこと、考えているうちに天児の脳裏にある場所がよぎった。
(あそこなら…!)
時元牢の中で見た夢のようなものの中で見えた光景を思い出した。
天児は歩いた場所を思い出しながら、そこに向かった。
「あった…!」
半信半疑であったため、それを見つけたときは驚きの声を上げた。
天児は即座に入った。扉を開けると、来客の合図である鈴の音が鳴る。
「いらっしゃい」
天児は驚きのあまりと呆然と立ちつくした。そこにいた店員が桑木猛だったからだ。
(じゃああの夢は、俺の記憶…?)
だが、天児にはこの喫茶店『黒豆』の記憶は無かった。だとするとメモリオンによる記憶の消失でこの店の記憶が無いのが妥当なところだが、それだけではないような気がした。一度消えた記憶があんな形で出るものなのか、時元牢の中で見た夢なだけによくわからないところがあった。
「珍しい客だな…」
猛は一瞬驚いたものの、あとはいつもの物腰でお冷やとお絞りを出した。
「コーヒー、淹れてもらえますか?」
「もちろん」
猛はすぐにでもコーヒーを淹れて天児に出した。
「砂糖はいるか?」
「いりません」
「やっぱり、そうか」
「え?」
「いや、なんでもない」
どことなくぎこちない口調だった。いつもの猛は落ち着いついた物腰なだけに、そういうのがわずかでも目立つものだとわかった。では、どうしてそんなことになっているのかが気になるところだった。
「猛さん、ここでバイトしてるんですか?」
天児は探りを入れることにした。
「ああ、まあな」
この返答はいつもの落ち着いた口調だった。
「マスターはいないんですか?」
「ああ、ちょっと留守にしていたな。マスターに何か用か?」
「いえ…」
そうこうしているうちに、コーヒーが出された。
「しっかし、お前がこの店に来るなんてな」
「意外ですか?」
「ああ、コーヒー代踏み倒しても全然意外じゃないな」
「いくら金に困ってるからってそこまでしませんよ」
「そうだよな、あんな可愛い弟と妹のためにもお前を前科持ちにさせるわけにいかねえよな」
「じゃあ、ここのコーヒー代」
「ビタ一文もまけねえぞ、経営苦しいんだからな」
「そ、そうですか…」
すっかりいつものやりとりになっている。ここが喫茶店で客と店員という関係を忘れてしまいそうだった。
「いつからここでバイトしてるんですか?」
「うーん、いつ頃からかな。思い出せねえや」
「いい加減ですね」
今の天児にとって『思い出せない』という言葉は辛いものであったが、猛は軽く言ったためにその心境の違いに少々苛立ちを感じた。
「今日は教子さん、来ないな…」
何気なく猛は扉を見つめて言った。
「教子さん、来るんですか?」
「ああ、よくな……貴重な常連さんだよ」
(夢と同じだ……)
天児は唖然とした。こうなるとやはりあの夢は過去に体験したことなのではないかと思えてきた。
(あれは、俺の消えた記憶の中のものなのか…?)
そうとは言い切れないし、違うとも言えなかった。猛に問えば何かわかる気がしたのだが、訊いて何が返ってくるのか怖くて口が開かなかった。そうなってくると落ち着かなくて辺りに目を配るようになった。
「…まだ、十二時じゃないですか…」
天児は時計を見てふと呟いてしまった。
「それがどうかしたのか?」
「いえ…なんでも…」
天児は携帯電話の着信が鳴り出した。
「ん? 誰からだ?」
天児はすぐに応答した。
『あーもしもし』
天児は驚いた。その声の主が件の教子だったからだ。
「どうしてこの番号を知ってるんですか?」
番号を教えた記憶は無かった。いやもしかしたら忘れてしまっているのか。天児は気になって仕方が無かった。
『私は情報通だよ』
その一言でその疑問が不思議と晴れた。
「それで、何の用ですか?」
『いや、君に教えるべきかどうか迷ったんだけど…』
「なんですか? 電話をしてそんなことを言う時点で教えるつもりなんでしょ?」
『そういうことよ』
「何を教えてくれるんですか?」
『天夢と会ったのよ』
天児はその言葉を聞いて、一瞬耳を疑った。
「……どうして会ったですか?」
『たまたま、街を出歩いてるところにバッタリとね』
「何か話したんですか?」
『一緒にコーヒー飲まない? っとか』
「ナンパしたんですか?」
天児は呆れた態度で訊いた。
『それは冗談なんだけど、一緒に保健室まで来てもらったわ。あなたも来るかしら?』
「………………」
天児は考えた。天夢を探しに出たのだから、そこに行けば会えるのなら行くのが当然のことながら、反対に会うのが怖いということもある。会えば何か取り返しのつかないようなことが起きそうな、そんな予感がするのだ。しかし、それよりも会わなければならないという何か使命感みたいなものが自分を駆り立てた。
「すぐに行きます」
『了解』
天児は電話を切って、出された熱いコーヒーを飲み干した。
「いくらですか?」
「二百円」
「置いておきますね」
「毎度あり」
**********
校門をくぐり、校舎に入ると天児の心臓は高鳴った。保健室に行くまでの一歩一歩が緊張を積み上げてくる。自分と瓜二つというだけでは済まされない存在である天夢と会う。会うだけなのだ。別に何か重要なことを話し合うわけでもなく、死刑宣告されるわけでもないというのに、それと似たような緊張が天児の中で募っていた。
保健室の扉の前に立つとその緊張は頂点に達する。
(ここに天夢がいる…!)
その緊張を振り払い、天児は保健室に入った。
「いらっしゃい」
教子がコーヒーカップを持って出迎えた。天児は気にすることなくゆっくりと保健室を見渡して天夢を探した。だが、天夢どころか人影すらそこにはなかった。
「……天夢は?」
「出て行ったわ、ついさっきね」
それを聞いて、天児は落胆した。と同時に安堵していることにも気づいた。
「どこに行ったんですか?」
「さあ、私にはわからないわ」
教子はいつもの余裕を持った口調で答えた。
「探しに行く?」
「………………」
天児は答えられなかった。そんなの返事は決まっているはずなのに。ここに来た目的が天夢と会うことなんだ。ここにいないとなればまた探しに行くのは当然のことだというのに、「はい」と答えられない自分がいる。
「会いたいのに、会いたくない。複雑なものね」
教子はそんな天児の心情を察して、言い当てた。
「別にそういうわけじゃ…」
「ま、座って落ち着いて。コーヒーでも飲みなさい」
「いりません、今さっき飲んだばかりですから」
「へえ、珍しい。もしかして黒豆で飲んだ?」
「ええ…」
「あら?」
これには意外そうな顔をした。
「…それで、コーヒーはブラックだったわね」
「聞いていましたか?」
「ええ、聞いていたわ。とりあえず、さあさ飲んでみて」
「………………」
天児は不満顔でコーヒーカップを手に取り、口に含んだ。
「……この味…」
「どう、同じでしょ?」
「いえ、ただなんとなく、ですが…」
天児は直感で出た声をすぐには認めなかった。
「あの……質問なんですけど…」
「いいわよ、何でも訊いて」
天児はカップを置いて、コーヒーの水面に映った自分の顔を決意の表情に変えると顔を上げた。
「俺とずっと前に会ったことありませんか?」
教子はその質問を聞いても、笑顔を崩さないで平成に答えた。
「夢の中でなら、って答えるところなんだけど」
「実際そんな感じなんです」
教子はコーヒーを飲もうとして動かそうとした手を止めた。だが、一度出た天児の口は止まらなかった。
「あの……ファクターに飲まれて時元牢を彷徨っているときに見た夢なんですけど……その夢、俺の記憶みたいなんです。全く憶えがないんです。多分メモリオンの使いすぎで失くした記憶みたいなんですけど、それは随分前みたいで……その記憶の中であなたと会ったみたいなんです…」
「そりゃ、夢幻なんじゃないの?」
「いいえ、そんなはずはありません」
「そう、だったら質問に答えるわけにはいかないわね」
教子は止めていた手を再び動かしてコーヒーを口に含んだ。
「やっぱり何か知ってるんですか?」
「ううん、答えるのは簡単だけどさ……ちょっと、手順ってものがあるんだと私は思うのよ」
「手順って何ですか?」
「まずは覚悟することね」
「覚悟…?」
「事実を受け止める覚悟ね」
「そんなもの……」
『できている』とは言い切れない自分がいる事に気づいた。
「とりあえず、覚悟を決めるまではいえないわね。その時が来るまでこの話は無しよ。大丈夫よ、ちゃんと待っていてあげるから。私がいなくなるなんてことはないから」
「どうしても生きたいからですか?」
「ええ、ちゃんと記憶を持ってね」
**********
「覚悟、か……確かに無いよな…」
自転車を走らせる天児は思わず自嘲した。天夢のたった一言で動揺するようなんだから、実際に会って話したらどうなるかもわからない。自分の中の何かが、そうなることに拒否反応を示しているようだった。
そんな状態では教子から話を聞くどころか、覚悟を決めることさえできないと今の自分が情けなく思えた。
一体どうすればそんな覚悟決められるのか、見当もつかない。途方に暮れているうちに夕日も暮れ始めた。
(今日は、バイトは無かったな…)
天児はその記憶が消えてないか、手帳を見て確認した。今日のバイトの予定は入っておらず一安心した。休みだということよりその記憶がちゃんと残っていることが何より嬉しかった。こんなにも記憶があるということが嬉しいはずなのに、それを消したいと願った美守や記憶が戻らない方がよかったというソラの気持ちがよくわからなかった。だからこそ、二人がいる部屋に帰って話がしたくなった。そのせいで岐路についたときの足取りはやけに軽かった。
(さてと、将と空はもう帰ってるかな?)
いなければ迎えに行くか、と考えながらアパートの階段を登った。
「やっとお帰りか」
不意に自分に向けられた声を聞いて驚いて顔を上げた。自分と同じ学生服を着た同年代の男が二人、部屋の前に立っていた。
「お、なんでいるんだって顔してるな」
「空ちゃんに会いに来た。ついでにお前の様子を見に来た」
「ついでの方が目的だろ。まあ、天児が元気でよかったよ。ずっと休んでたから病気かと思ったよ」
あまりにも親しげに話してくる二人は友達なんだろう。しかもわざわざここまでやってくるんだから、相当親しいのだろう。だが、天児には彼らの記憶が無かった。思い出そうとした。呼び起こそうとした。記憶の底から彼らの姿、名前、彼らと過ごした記憶が無いか、必死に捜した。だが見つからなかった。
言葉が出なかった。何を喋ればいいか、言葉を探した。相手は友達だ、たとえ天児の記憶に残っていなくても友達だから、何かちゃんとした事を言わなければ、と天児を焦らせた。焦って悩んでその挙句、出た言葉は天児が最も言ってはならないと思っていたものだった。
「……お前ら、誰だ…?」
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