Ⅹ―甦る記憶―(前編)
私が生まれたからお父さんとお母さんが結婚した。そう小さいときに聞かされた。
小さかった頃は、お金に困っていた記憶ばかりが浮かぶ。
幼稚園でみんなが持っている人形や積み木を私は一つも持っていなかった。お母さんに何度も頼んだけど、その度に「お父さんに頼みなさい」とそっけなく返された。
それで、とうとうお父さんに頼んでみると「お金が無いから無理だよ」と言われた。お父さんは、物静かで素っ気無いけど時々怒るとすごく怖かったのを憶えているから、私はどうしたら怒られないかビクビクしながら喋っていた。
お母さんは、「お金がない」が口癖のように言っていた。実際そのとおりでお金が無かったからと今ならわかる。ご飯も一日一食。幼稚園の弁当だけだった。夕食は父母二人が食べているのを遠めで見ているだけだった。
多分その頃からあまりモノを食べなくなったんだと思う。
「今日はどうだったの?」
「駄目だ……」
お父さんはそう暗く言うとお母さんもため息をついた。
「そのため息はやめろって言ってるだろ!」
お父さんは怒鳴った。私は驚いて身体を引っ込めた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
お母さんが一方的に謝るとお父さんは落ち着いた。
「まあ、夏まで待てよ……そうすりゃボーナスぐらいはでるだろ」
「本当に? だったら頑張るわ、あなたのために」
お母さんは嬉しそうだった。
私もその様子を見て、嬉しくなった。
でも、夏まで父は生きていなかった。
ある日、お父さんはガスに火をつけて家を燃やした。後でわかったことだけど、お父さんは会社から解雇を言い渡されたらしい。それで我が家には収入が途切れてしまった。そうなったら私達家族は路頭に迷って野垂れ死にする運命が待ってるなんて嫌だ、それならいっそのこと……とお父さんは考えてしまったんだろう。
お父さんはすぐに炎に焼かれていった。私はそれを見て泣き叫んだ。
「お父さん! お父さん! 」
でも炎に包まれているお父さんには近づけなかった。
「み、かみ…」
最後の力を振り絞った声でお父さんは私を呼びかけた。多分、こっちに来いって言ってたんだと思う。でもお父さんには近づけなかった。あまりにも怖くて。私はお母さんに抱きかかえながら出口に向かって走った。でも、そこへ屋根が落ちてきてお母さんはそこに埋もれてしまった。
「お母さん……!」
私は必死に呼んだ。すると、お母さんは私の身体を掴んで離さなかった。
「たすけ……! 助けて!」
お母さんは必死に叫んだ。足が燃える瓦礫に埋もれて抜け出せないのだ。
「おかあさん……」
私はそのときのお母さんのおびえる形相は記憶に大きく焼きつけられた。
「ゴホッ! ゴホッ!」
私は逃げることもできず咳き込んだ。
「くる、しい……くるしいよ……」
空気を吸えず、煙ばかり吸ったせいで私は意識が朦朧としだした。それでも死にたくないと思って助けを呼ぶように精一杯の声を吐き出した。
その後、私達は駆けつけてきてくれた救急隊員に助け出された。
お父さんは助からず、お母さんは瓦礫の下敷きになったせいで下半身不随になってしまった。でも私はそれよりもお母さんの意識がなかなか戻らないことの方が気がかりだった。
唯一の幸いといえば私はすぐに退院できたことぐらい。でもこれが幸いだったなんて思えたのはその時ぐらいだった。
私はおじいちゃんとおばあちゃんのところへ行くことになった。この時、二人から聞いて知ったことなんだけどお父さんとお母さんは私ができてしまったことでおじいちゃんとおばあちゃんはいさかいを起こして、親子の縁を切ってしまったらしい。だから私を歓迎してる素振りはなかった。むしろ恨めしい目で私を見て、厄介者扱いされた。
しばらくしてその理由がわかった。
どうやらおじいちゃんはお父さんと同じような境遇で、日当の仕事でその日の食費を稼いでいくだけの生活で、本当なら私に食事を用意する余裕なんて無い。それに元々私が原因でお父さんとの縁を切ってしまったんだから、よく思うはずが無かった。
私はそれを毎晩恨み言のようにおじいちゃんとおばあちゃんから聞かされた。私は耳を何度もふさぎたくなったけど、そんなことするなと言わんばかりの目つきをしていたからできなかった。二人は話をしながら、何度も酒を飲んでいたのが今でも憶えている。時々、その酒瓶を投げつけたこともあった。私はその度に涙を堪えるので精一杯だった。
そんな生活がいつまで続くのかと絶望しかけた頃、母が意識を取り戻したと連絡が入った。もちろん私は母のところへ行った。でも、私が来て母は喜んだ素振りなんて見せなかった。
「お母さん!」
「美守……?」
「お母さん、よかった。もうおきないとおもって」
「おとうさんは……?」
私は喜んで言ったのに、お母さんは気にすることなく訊いた。
「おとうさん、は……」
私は答えられなかった。そんな様子を見てお母さんはわかってしまったらしい。
「死んだのね」
お母さんは睨みつけるような目を向けてそう言った。私の喜びなんてその一言で消え去ってしまった。
「あなただけ、生きてるのね……五体満足で」
私はこのときのお母さんが怖くて、後ずさった。
「どこに行くの…? ねえ、逃げないでよ……私歩けないのよ……ほら、こっちに来て……!」
お母さんは怒りと悲しみが入り混じった顔をしてゆっくりと確実に私に語りかけてきた。
「美守、お父さん、どうだったの…? あなたが見てたんでしょ?」
確かに私はお父さんの最期を見ていた。見てしまったというべきなんだけど、最期は全身が炎に包まれながらも私に来て欲しいというような手を差し伸べたその姿はあまりにもおぞましくて、私はお母さんから目をそらして思い出さないようにした。
「見たんでしょ、ね! ね! ねえ、どうだったの!?」
お母さんは勢いのあまりベッドから身を乗り出した。
「あなたしか知らないんだから……教えてよ……教えてくれないんだったら……なんで生きてるのよ、あなた?」
寒気が全身に駆け巡った。そして恐怖で息が止まりそうだった。次の瞬間、お母さんを見ると、ベッドから落ちて頭を激しく打っていた。
「おかあ、さん……?」
私は恐る恐る呼びかけた。だけどお母さんは返事をしなかった。
それからしばらしくて、私はもう一度母を訪ねた。今にしてもどうして会いに行ったのかはわからない、おじいちゃんとおばあちゃんとの生活から逃れたかったわけでも、お母さんと喋りたかったわけでもない。ただそこにお母さんがいるからって理由だけで言ったのかもしれない。
「おかあさん……」
私は病室を開けて呼んでみた。だけど返事は来なかった。
「おかあさん?」
もう一度呼んだ。やっぱりこなかった。
私は一気にベッドまで駆け出した。そこで、返事が無かったわけを知ることになった。
お母さんが亡くなった原因は、あの日頭を強く打ったわけでも、火事の後遺症でもなかった。お母さんはただ首を強く握り締めただけだった。そこへ私がやってきたのは単なる偶然だったけど、私にはお母さんが私に見せ付けたかったのだと思えた。
(なんで生きてるのよ、あなた?)
火事から生き残ったのが私だけになった時、この言葉が辛く重くのしかかった。
目から出て頬を伝ったそれはお母さんの顔をぬらした。
程なくして、お母さんの死を知ったおじいちゃんとおばあちゃんはいっそう私に憎しみの目を向けてきた。
――お前が生まれてくるから
そんな言葉がどこからともなく聞こえてくるようだった。
ある日の晩、二人はやけに静かだった。いつもならここでお父さんの話のひとつでもするところなのに。
何かあったのかなと私は思いながら、味噌汁を口に含んだ。
次の瞬間には、熱い味噌汁がひざの上にこぼれた。だけど、それどころではないほどの苦しみが私を襲った。
「ア、アァ……エァ……アェ……!」
私は苦しみのあまりのた打ち回り、ついには味噌汁ごと胃液まで吐いた。それでもこの苦しさは止まらなかった。
「た、たふへて……」
おじいちゃんにすがりついた。でもおじいちゃんは私を突き倒した。
嫌いなおじいちゃんに助けを求めた手、最後の希望をこめたその手をはねられて、もうこの苦しみを受け入れるしかなかった。
――らくに、なりたい……
次に目を開けた時、その苦しみは嘘のようになくなっていた。
でも起き上がるにはちょっと力が要るから起き上がれなかった。
この場所には見覚えがあった。お母さんのいた病院だった。このベッドで私が寝るなんて考えたこと無かった。でも、何故かこうなるような気がしたのは後になってからこそなのかもしれない。
おじいちゃんとおばあちゃんは私を嫌々預かっていたのはわかっていた。それはお母さんが入院している間だけだと思い込んでいたらしい。だから、彼女の死は二人にとって許しがたいものだった。このままだと一生、私の面倒をみなければならない。そう思うと今まで我慢していた憎しみが、一気に爆発してあのような形になったのだ。私を殺せば気が晴れると、食事に毒を盛ったのだ。
警察から話を聞いて、私は頭が真っ白になった。その後、ふとしたきっかけで鏡を見ると髪の毛が黒を失っていた。
私は何度も何度もその姿を見た。その髪を触りながら私は考えた。どうして私は生きてるのかなと。
それから私はご飯を食べられなくなった。口に入れる度に、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんの顔が浮かび、あの苦しい記憶が蘇る。そうなるともう口に入れたモノは飲み込むことも、かむこともできず、口から吐き出してしまった。
医者から何度も促されても、看護士から勧められてもまともに食べることができなかった。
時間をほとんどおかず、私は孤児院に行くことになった。
孤児院の人は私の境遇に同情してくれてよくしてくれた。
『時間が解決してくれるよ』
来たばかりの頃、孤児院の人が言ってくれた言葉。
私はその言葉どおり、月日がたつごとに徐々に食べ物を口に入れることができた。まずは飲み物から始めて、米粒を一つずつ食べて、パンくずのような小さなモノを経て、豆腐のような柔らかいモノを食べれるようになった。それでも、栄養失調で何度倒れたか、わからない。
他の子と接することはあまり無かった。私から声をかけることが無かったせいもあったけど、声をかけられても「うん」か「ええ」と相槌を打つようなことをしなかったせいもあった。
そうして人とあまりの関わらない、変化の無い毎日の連続を過ごしていた。
しかし私が中学生になったある日、変化は突然に起きた。私を養子にしたいという人が現れた。
その人の名前は天月命。さっそく彼と会って話をした。
彼は今年で二十九歳って言っていったけど、20歳と言われても信じてしまいそうな若い顔立ちで身体は細いながらもしっかりとした力強さを感じさせた。
「……どうして、わたしなんですか?」
私は単刀直入に訊いた。
「君が魅力的だからだよ」
何の恥ずかしげも無く彼はそう答えた。
「でも、その髪の毛を染めたほうがもっと可愛くなるよ」
「……可愛い、ですか……」
「そうだよ」
このとき、私の髪は黒と白が入り混じっていた。彼はそのことをよく思わなかったらしい。
「できれば銀色にしてほしいな」
「……はい」
私はもう彼の養子になるんだから、彼の言うことを聞こうと思った。
そう答えると彼は笑顔で言った。
「今日から君は天月美守だよ」
彼に連れられて、私は天月家の家に行った。その家はとても綺麗で新居のようだった。こんなところで彼と二人暮らしになるのかと思うと私は期待と不安が五分五分にあったけど、彼の顔を見ていると安心できた。
実際そのとおりに、それからの一ヶ月は私の今までで一番幸せだった。彼に言われたとおり髪は銀に染めた。元々半分ほど白髪だったので、あまり変化がないように感じた。
彼は仕事でいつも遅く帰ってくるのだけど、いつも爽やかな様子で帰ってきて、一緒にご飯を食べた。相変わらず私はあまり食べれなかったけど、彼はそんなこと気にしなかった。
「あせらずじっくり治していこう」
そんなことを食事の度に聞いたような記憶がある。だから私はあせらずに食べて彼を待たせることがしばしばあった。
でも、そんな時間は長く続かなかった。
きっかけは私の十四歳の誕生日の日だった。ケーキを食べることのできない私に彼は二口あれば食べられる程度のミニケーキを作ってくれた。
「誕生日、おめでとう。これプレゼントだよ」
優しくそう言って祝ってくれた。私はプレゼントの包を開けた。
プレゼントは懐中時計だった。
「……ありがとう」
私が懐中時計を握り締めた。
「肌身離さず持っておくね……」
そう言って私は懐中時計を胸元にしまってケーキを食べた。
「もう、いいかな?」
その時だった、彼がいつもと違う低い口調で訊いてきた。
「何が、いいの?」
私はその口調に驚き、手を止めて訊いた。
「一ヶ月我慢したんだ、もういいだろ」
彼はテーブルから身を乗り出して、私の手を掴んだ。
「な、何を…!?」
私は慌てふためいてその手を振り払おうとしたけど、彼は力強く押さえ込むのだから、身動きができなかった。
「本当はずっとしたかったんだ。君が家に来てからずっとね……でも、我慢したよ。まずは好かれなくちゃと思ってたんだけど、無理だね、もう限界だよ」
彼はこれまで見せたことのない汚らわしい笑みを私に向けた。
「い、イヤ……どうして、こんな……?」
私は彼を拒絶した。
「どうしてかって? それは君がよかったからさ、だから好かれたいと思ったんだけどね。その前にもう我慢できなくなったんだ、この一ヶ月は辛かったよ」
「私達、家族じゃなかったの……?」
「家族……? そんなモノ、外面だけ取り繕っただけのまやかしじゃないか。それは君だって良く知ってるんじゃないのか?」
「私の……?」
「君はいつも家族に捨てられてきたじゃないか。だから、もういらないだろ?」
彼にそう言われて私はお父さんとお母さんのことを思い出してしまった。もう、忘れたと思っていた。いや、忘れたと思っていたかったその記憶は私にまたあの光景を見せた。炎に身を焼かれながら私を呼んだお父さんの最期、「なんで生きてるのよあなた?」と問いかけてきたお母さんの鬼気迫る形相。そしておじいちゃんとおばあちゃんに救いを求めて差し出した手を振り払われたとき。
「あ、あぁ……う、うぅ…………う、うぇ……」
「そうさ、君は見捨てられてきたんだ。だから僕が拾ってあげたんだ。僕を満足させるんだ、そうする以外に価値なんてないよ」
「……イヤ、はなして……」
「これだけ言ってもわからないか……だったら思い出してみなさい……君は本当に今まで望まれて生きてきたのか?」
「――ッ!?」
その言葉がとどめになった。私は今まで誰かから必要とされたことが無かった。むしろ、生きているというだけでうらまれたり、憎まれたりした。だったら私は何のために生きてるんだろう? それがわからなくなって、もう何もかもがどうでもよくなった。
「うぅ……ヒックゥ……」
窓から月を見上げていたら無性に涙が溢れた。もう今夜はどれだけの涙を流したんだろう。考えるだけ無駄だって分かっててもそんなことを考えてしまう。そして考えると同時に思い出してしまう。それは辛くて悲しくて苦しいことだとわかっているはずなのにとめどなく記憶が頭から溢れる。
私はいてもたってもいられなくなって台所へ向かった。
そこで包丁を手に取った。これを、喉元に突きさえすれば全てが終わり、解放される。この辛さも、悲しみも、苦しみももう味あわずにすむ。そう思って私は包丁を首につきたてた。そしてゆっくりと首に差し込んだ。
「うッ!?」
思わず包丁を手放してしまった。私は愕然とした。
「どうして……?」
その包丁を拾おうとしない私がいることに気づいてしまった。
それはこんなにも辛いのに、生きたいと願うもう一人の私がいるような気がしてならなかった。そこで脳裏に浮かんだのは、お父さんとお母さんの最期だった。あんなことにはなりたくないと心の奥底で思っていたのではないかと私は考えた。
だから、私にはもう解放されたいという気持ちも失せてしまった。でも、もうここにはいられない。私は着の身着のまま外に出た。後から思うと、彼は私が逃げ出す事を望んでいたのかもしれない。私は家出してしまったことにすれば取り繕えるだろうし、何よりそうすれば同じような子をまたこの家に招いて同じことができるから私が出て行った方が都合がよかったのかもしれない。
でも、この時の私はとにかく家から出る事で精一杯だった。
そうして街の外れまで来ると、私は息を整えてこれからの事を考えた。
疲れきっていた、何に対しても。でも死ぬ事はできない。食べ物と同じでそうしようとする心が、身体が、強く拒絶する。
だったらどうすればいい? 死ねないのなら生きていくしかない。この記憶を抱いたまま、ずっと……。そう考えるだけで私は全部投げ出したくなった。
――いっそ全部忘れられたらどんなにいいか
そんなことを考えると、私は街が歪んで見えた。
目をこすってみた。でもやっぱり涙でぬれたときのように歪んで見えた。だから涙をふき取ろうとした。でも私は泣いていなかった。
しばらくすると歪みは消えて、今までとは違う街の景色になっていた。黒しかない街並み、月が出てないせいかなと思って夜空を見上げると、雲ひとつ見当たらなかった。でも月も見当たらなかった。
ここはどこなのかなと私は街を歩いた。この街には人は誰もいない。まるで私だけがこの街に連れてこられたみたい。もしかしたら、私は一人だけがこの世界に取り残されたのかもとも考えた。
途方に暮れ始めると、どこからともなく声がした。
――君は忘れたい事があるのかい?
「誰…? どこにいるの……?」
私は辺りを見回した。でもやっぱり誰もいない。
――私なら探しても無駄だよ
「無駄……?」
――私はどこにでもいるから
「どこにでも……?」
私はその幻の声に耳を傾ける事にした。たとえ、幻聴でも誰かと話せるならそれはそれでいいかと思ったから。
――君が今いるのはミッドナイトスペースという空間だよ
「ミッドナイトスペース……? それって夢の中とどう違うの……?」
――現実だよ、夢の中って言ってもまあ間違いじゃないけど
「あなたが私をそのミッドナイトスペースに連れてきたの……?」
――君はアクタに相応しい人間だったからね
「アクタ……何それ?」
――メモリオンを扱いファクターと戦える人間の事だよ
「メモリオン……? ファクター……?」
私は聞いた事の無い単語を聞いて首をかしげた。
――君は記憶を持っているのが辛い、無くなってしまえばいいと考えているだろ?
私は頷いた。
――だったらその望みは叶える事ができるのがメモリオンだよ
「かなえる……? メモリオンが?」
――ファクターと戦う事でね
声が言い終わると地鳴りが鳴り響いた。
「なに……?」
――あれがファクターだよ
すると、黒い夜空を全て吸い込んだかのような黒さを持った塊がやってきた。
「ファクター……?」
――君はあれと戦って倒せるチカラがある。そしてそのチカラを使えば君は望みを叶える事ができる。
「望み? 本当に記憶が無くなるの……?」
私は声に問いかけながら一歩一歩ファクターに近づいた。
――本当さ
「だったら戦う!」
声がそう答えると、光の粒があわれた。その光の粒は私の背中へと集まりだして光はまばゆく輝いた。
「……つばさ」
この時、私は背中から翼が生えたのを確かに感じた。
――それがメモリオンさ。君の記憶が戦うチカラになるのだよ
「戦うチカラ……?」
その翼からは力強さがあった。これがあれば戦える、そう強く信じる事ができるほどに。
記憶ならちゃんとあった。思い出したくないけど思い出してしまう記憶。それを思い浮かべると翼は一層輝きを増した。
――そうそう思いっきり声を出すとメモリオンはより強く引き出せるなんて事を見つけたアクタもいたよ
「そうなんだ……」
私はその言葉を素直に受け入れた。どうせなら腹の底から出したくなった。そうすれば何もかも忘れる気がしたから。
「ウイングッ!」
私の叫びと翼は連動しているらしい。翼は突風を巻き起こすほど大きな羽ばたきをして、私を空へと舞い上がった。
――攻撃するなら目を狙うんだ、そこに叩き込めばファクターは倒せる
「目……?」
私は、翼をはばたかせファクターの周りを飛び回った。翼は私の思ったとおりに動いた。まるで生まれたときから私の背中にあったようなそんな感覚だった。でも、これを羽ばたかせる度に私は目の前に見えたような気がした。
私は胸を押さえながら飛び回り、ついにファクターの目らしきものを見つけた。それは真っ黒なファクターの身体の中でも特に目立っていた。まるでそこを攻撃してくれと言わんばかりの真っ白い眼球に、時計の針を思わせる長細い瞳は私にファクターの目と認識させた。
いよいよ攻撃だ。上手くいかなければ殺される。そんな気がした。死にたくないと思ったこの身体に緊張が走った。
――辛いかい? 怖いかい?
私は胸に手を当てた。そして私は心の底からありったけの想いを声に変えて叫んだ。
「ううん、怖くない。だって、思い出す方がもっと怖いから!」
ファクターの目と翼が重なる。
「アイスライドッ!」
翼を目に叩き込み、針のような瞳を白い翼で塗りつぶした。
そうすると、ファクターの身体は形が崩れ、泥のように地上に落ちていった。
「これでいいの?」
――上出来だ。君のおかげで『明日』は守られた
「明日……?」
――ファクターを倒さなければ時は再び動く事は無い。ずっと十一時五十九分のままなんだよ
私はすぐに、胸元の懐中時計を取り出してみた。確かに時計は十一時五十九分のまま秒針までも綺麗に止まっていた。
「じゃあ、ずっと時間は止まったままなの、世界は?」
――そうさ、だから君の『昨日』の記憶が必要なんだ
「私は必要ないけどね……」
私は笑顔でそう言った。
――もうすぐミッドナイトスペースは閉じる
声がそう言うと目の前が歪んで見えた。ここに来た時と同じ感覚。
「また会える……?」
――さあね
次の瞬間には私は街のはずれに立っていた。
それ以来、声を聞く事は無かった。
その時から、私はお父さんの顔を思い出せなくなった。何度も思い出したはずなのに、忘れようもないと思っていたはずなのに。そのせいで私はメモリオンを使うとどうなるかわかってしまった。私は嬉しかった。でもそれと同時に寂しくなった。その理由は今になってもわからないまま。
それから私は戦い続けた。戦って戦って、その度に記憶を消していった。そうすれば今までの辛かった事、悲しかった事、苦しかった事全部消え去って、新しい私になれる。そう信じていたからこそどんなに怖くても、痛くても戦えた。
でも、記憶が消えるたびに、私の中の辛い記憶が大きくなっていくようだった。そして私は気づいてしまった。他の事を忘れてしまうからこそその辛い記憶しか思い出せないようになってしまうのだと。
戦えば戦うほど辛く重く記憶がのしかかってくる。この辛さから逃れるには全て捨て去るしかないと。いつの間にか私の全てになっていった……。
**********
休むことなく全て語り終えると美守は長い沈黙に入った。
天児もソラも口をあけることができなかった。静まりかえった部屋に三人の呼吸の音だけが妙に大きく流れたような気がした。
「ぜんぶ……」
一分か十分。もしかしたら一時間経ったかもしれない沈黙の末、美守はそれまで我慢してきたモノがついに溢れたようだった。
「全部、思い出しちゃった……」
溢れたそれは、美守の頬から滝のように流れ落ちた。
「美守……」
天児はかける言葉も見つからず、ただ名前を読み上げる事しかできなかった。
「……あなたのせいよ……」
「ッ!」
突然、美守は天児にすがりついてきた。
「…あなたが、私の記憶を取り戻さなければ、こんな……こんな!」
美守は歯を食いしばってありったけの想いのこもった口調で言った。そうすることでしかその辛さを紛らせないのだろう。
「……俺のせい……俺のせいなんだな……」
天児はそう言って美守を受け入れた。
「く、うぅ……!」
美守のその心境を察したのか、恨み言を言わずただ泣く事しかできなかった。天児はその様子を見て、決意を固めた。それは美守の記憶を取り戻すと決めたときにしたはずのものだった。
「……わかったよ美守。俺のせいなんだ、憎んでいい、恨んでもいい。殺したければ、殺せばいい……」
「お兄ちゃん!」
後ろからソラが叫んだ。
「ソラ!」
天児は『黙ってくれ』という想いを込めて呼んだ。ソラもその想いをくんで黙った。
「だけど……! だけどな、美守……」
天児は美守に伝わるように想いを込めて言った。
「俺はお前に生きて欲しいんだ……」
「どう、して……?」
「……辛くて、悲しくて、苦しくてそんな記憶ばっかり抱えてるのはよくわかった……でも、そのおかげで俺は美守に救われた……」
「救った……?」
「美守がいなかったら戦えなかったし、死んでいたさ……」
天児は美守に笑顔を向けてから言葉を継いだ。
「そんな記憶が無ければ俺達は出会えなかった……運命ってあんまり使いたくないけど、これまで歩んできた時間とこれまでやってきた事が引き起こすモノだったとしたら、俺は運命を信じる……」
「でも、私は、そんな記憶が……」
「記憶が無くなったら美守じゃなくなる……そんなの絶対に嫌だ……」
「……勝手、なのね…」
「そうさ……だから恨んでもいい……」
「恨むわ……」
「それでいい……」
「でも、それができるのは記憶があるから……これまで積み重ねたモノがあるから……そうでしょ?」
「ああ……」
「正直、私は何がしたいのかわからない……こんな記憶を捨てたかったのに……無くなってしまったら、捨てたことなんて全然うれしくないのよ……多分、嬉しいって感覚も一緒に忘れてしまったから……」
美守は天児の身体を握り締めた。離したくないと言わんばかりに強く。
「でも不思議よね……記憶が戻ったとき、苦しかったのに……でも、今は嬉しい……なんでだろうね……?」
「……多分、それが美守なんだよ…」
天児は笑顔で答えた。美守はそれを見ると落ち着いた、憑き物が落ちたような顔を向ける。
「約束、憶えてる……?」
「忘れないさ」
「でも、私は忘れていた……」
「ああ、だから……」
二人は顔を合わせても、声が合わさる。
「俺【私】達は今日、初めて出会った」
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