Ⅴ―無情な爪―(前編)
――これは予定外であったな。予測よりも歪みは大きい
――然るに修正が必要。予定調和から外れてはならない
――彼はその目でどうとらえ、どううごくか、活目しよう
目を開けるとそこに、黒のみの色が目に映る光景が広がっていた。
「こんなこと、初めて…」
すぐそばに立っていた美守が呟いた。
「ここは、ミッドナイトスペースで間違いないんだよな?」
天児は訊いた。
「わからない…」
美守は動じていた。それはおぼつかない口調からも聞いてとれた。
「十一時半……いつもよりも早い、こんなことってあるのかしら…?」
「あるよ、前にも一度あった」
「そういえばそんなこと言っていたわね…」
美守は、天児から顔を背ける。
「そのときは……そのときはどうだったの…?」
「声がしたんだ……エージュとかいうやつがわけのわからないことを言って……そしたらファクターが、」
天児の言葉が途切れた。その後のおぞましい記憶を思い出したからだ。
「どうしたの……?」
「ソラ、ソラが……」
天児は、震えながらうわ言のように言った。そして、辺りを見回した。
「ソラはいないのか?」
辺りにソラの姿は見当たらなかった。
「いないわね……」
「…………」
天児は、無言で彼方を見つめた。
「ソラはきてないのか……?」
そう呟いた天児には、まだここに来る前のソラが腕を握った感触が残っていた。
「ソラは、ソラは…!」
天児は、焦って辺りを見回す。だが、そこにソラの姿は無く天児の焦りを積もらせた。
「引きずり込まれた時にはぐれてしまったのかしら…?」
そう考えるのが妥当だった。そうなるとこのミッドナイトスペースのどこかにいるということになる。いつどこでファクターに襲われるかもわからないここで目の届かない場所にいるということは、たまらなく天児を不安にさせた。
(また、あんなことになったら……いや、そんなことはさせないッ!)
天児は確固たる想いをかためて、美守に言う。
「俺はソラを探す、美守は待っていてくれないか?」
「いいえ、私も探すわ。飛べばそれなりに探しやすい…」
「ダメだッ! それはやっちゃダメだッ!」
天児は美守に訴えかけるように言った。
「大丈夫よ、大したチカラがいるわけじゃないから……」
「それでも、消えるんだろ……記憶が、想い出が消えていいはずがないだろ」
「………」
美守はそう言われて、うつむく。
「……どうして? そんなものを大事に…?」
美守は天児に聞こえない声で呟く。
「美守…?」
天児は美守に呼びかける。それを聞いて美守は顔を上げて睨むような強い視線を天児に向ける。
「わかったわ、私も探す」
美守はそれだけ言って天児から背を向ける。
「お、おい…」
天児はそれを追いかけた。
「彼女がいればすぐにすむんでしょうけど…」
美守は夜空を見上げて言った。
「彼女って教子さんのことか…?」
「ええ…」
『私ならいるわよ』
美守が答えた瞬間に頭上からいつもの声が聞こえた。
「地獄耳ね、相変わらず…」
『それだけが自慢だからね』
「そんなことはどうでもいい、ソラはどこにいるかわからないか?」
天児は声のした方向に訊いた。
『わかったから声をかけたんだけど』
「本当か! どこにいる?」
天児は食いついた。
『それよりもまずいことになっちゃってるんじゃないの?』
「え…?」
天児はそれを訊いて、反射的に後ろを向いた。何らかの身の危険を背後から感じたからだ。
その予感は当たった。黒い空間からさらにドス黒いモノが炎のように勢いよく湧き上がる。
「う…!」
その得体の知れなさに、天児は一瞬たじろいだ。
その一瞬でそれは突如、肥大した。それも天児と美守の間近に迫るほどの大きさになって。
「なッ!?」
目に映ったのは、ファクターの目だった。それも一つではなく、無数の目がそれから出てきた。
「う、うぅぅ……ッ!」
天児は震えた。何故だか、わからない。真っ白な眼球の中において目立つ針のように伸びた黒い瞳を見ると震えだす。自分の目に映ると、それに引き込まれるようだった。そして、その瞳が時計のように傾くとそれにあわせて自分の焦点も傾いたようだった。
「なんなんだ…ッ!」
身動きがとれない、今はこの定まらない焦点を落ち着かせることをしなければどうすることもできない。
その時だった。
身体が浮いた。それもこれは前に味わった事のある感覚だ。
「美守…!」
そう、美守が翼を使って天児を抱き上げて空高く舞い上がったのだ。
「あれは何…?」
美守は地上を見下ろした。そのファクターは肥大するというよりも、その身体は引き伸びて、ミッドナイトスペースの道路という道路を駆け巡る。
「く!」
天児はそれを見ることなく、目を抑えた。その瞳にはファクターの目が焼きついたからだ。
(なんなんだ、これは……!)
ファクターの目が頭の中に何度も何度も浮かび、それは回転して迫ってきているようだった。天児にはそれは気味の悪い感覚であった。やがて、回転は止まるとその目は天児を凝視した。
――振り切れ、ヤツの支配から
誰ともわからない声が脳裏に響いた。
と同時に、自分が何をしているのかここで認識できた。
「大丈夫…?」
美守が心配そうにこちらを見て、訊いてきた。
「あ、ああ…」
冷や汗をびっしょりと流しながら天児は答えた。ここはビルの屋上で美守は降りたらしいということが今になってわかった。
「あいつは…!」
天児は屋上の壁から身を乗り出した。
ファクターは身体を引き伸ばして、道という道を走り抜けていた。それは黒しかない道においても、それはより映える漆黒だったのだったのと、その中に含まれているのが、その黒しかない空間の中でも特に目立つ白色の目があったので、すぐに見分けがついた。
「あれはファクター……なのか?」
今までの自分の目の前に現れたファクターは明らかに異質なものを感じた。
「多分、そう……でも、目がいくつもある……あんなのは初めて」
『六十個ね、ざっと数えたところ』
不意にした声はどこか落ち着きの無い口調だった。
「六十個……」
美守はその数を訊いて唖然とした。
「それを全部潰さないといけないのか……」
天児は拳を握り締めた。
『本気でやるの?』
「本気だッ! そうしなければミッドナイトスペースは閉じる事は無いんだからな」
天児は声のした方向に向かって力強く言い放った。
『…そう、わかったわ。あなたの覚悟が』
「ああ、六十個全部潰す!」
天児はメモリオンで剣を取り出す。そのことで失うものを考えるとやや抵抗を感じながらもそうするしかないと割り切って。
『それなら、私が六十個の位置を教えてあげるわ』
「でも、一人じゃ無理よ」
美守が天児の隣に立つ。
「美守、でも」
「止めないで、これは私の問題だから」
「………」
美守の力強い口調に天児は止められないと思った。
『それでも、二人ね。こりゃ厳しいけど……あ、でもそうでもないかな…』
「どうかしたんですか?」
『一応この近くにいたアクタが戦ってくれてるわ、天児君あなたの知り合いよ』
「知り合い……って誰だろう?」
『シャッド……そういえばわかるでしょ?』
「シャッド、か……なるほど」
天児は納得がいった。前にシャッドと一緒に戦った時、見境無くファクターに攻撃を仕掛けていた印象があったからだ。
「シャッドも戦ってくれるならありがたい」
『彼女にもそう伝えておくわね』
声は上機嫌にそう言った。
「それじゃあ、俺達もやるか」
「数が多すぎるから、手分けして片っ端から潰すのよ」
「ああ、わかった」
天児は飛び降りて、美守は飛びたった
「まず一つッ!」
まっしぐらに、ファクターの伸びきった体の中にある目に目掛けて剣を突き刺した。
それでいつもの、ファクターを倒した手ごたえはあったのだが、ファクターは形を崩すことなく、そのまま動いている。天児はそのファクターの目に刺した剣を引き抜く。すると、ファクターの目は消えて、身体の黒に同化していった。
(六十個の目、全部潰さないとダメなのか……)
その様子を見て天児はそう実感せざるおえなかった。
「う…!」
突然、天児の頭が痛み出した。その脳裏にはまたファクターの目が浮かんだ。
(まただ、なんなんだ。あれがなんだっていうんだ…?)
しかし、その一瞬でファクターの引き伸びた身体がその場から消えた。
(どこに行ったんだ…?)
今は考える暇などなく、ファクターを探し、その目を潰していく事しかない。その想いが天児を走らせた。
ファクターは身体を引き伸ばしながら街中を走っているため、それに再び遭遇するまでそれほど時間はかからず、また目も簡単に見つかりすぐさま潰した。
「これで十個目だ…ッ!」
その目を潰して、天児は息を切らして、立ち止まった。
一つ一つの目を潰していくのに予想以上に疲労が溜まってきたのだ。それとともに言い様の無い不安が天児を襲った。
(今俺はどのくらいメモリオンを使った…? 何が俺の記憶の中から消えているんだ……?)
メモリオンを使えば記憶が消える。それはこんなにも長く使ったのは初めてなだけに、何か大事な事を忘れてしまっているのではないかと不安にかられるのだ。
「俺は日下天児16歳、高校一年生、家族は弟の将と妹の空……両親の交通事故で死んでいる……」
天児は念じるように言った。何か忘れてないか、違和感を覚えながらも自分のことを暗唱した。
「よし、大丈夫だ…」
その言葉に確信は無かった。ただ自分に言い聞かせて身体を突き動かすしか今はできることがないためだ。
そこから、さらに天児はファクターの目を五個潰した。順調だった、ファクターはそれまで抵抗らしいものはみせておらず、ただ逃げ回るかのように、街中を走り抜けているだけで、これまでの戦いに比べれば楽だ。だが、それでも再び天児は不安に襲われた。
(今ので、いくつ目だ……?)
メモリオンを使いすぎたせいなのかはわからない。ただ単に疲れからの数え忘れということもあるのだろうが、それでも今回はメモリオンを使いすぎているので、記憶が消えているのではないかと考えてしまった。
「ダメだ…ッ! 俺は一体どうなっちまうんだよ! 何を忘れているんだ、何を思い出せばいいんだ!?」
天児は夜空を見上げて叫んだ。記憶が消えているという確かで実感の無い事実からくる恐怖と不安を消し去るために。だが、それでも不安は消えることは無い。いっそこのまま放り出して、戦いをやめればいいのではないかと自分の中で魔が差した。
「……情けないな…」
天児は吐き捨てるように言った。魔が差しかけて美守が戦う姿が思い浮かんだのだ。
「美守は、ずっとこんなことしてきたのか……戦って大事な事忘れ続けて、なのにそれでも戦おうとして……」
天児はまた走った。今は一刻も早く目を潰さなければならない。あといくつ残っているかわからないが、それでも走って潰していくしかなかった。
「――ッ!?」
そこで天児が思わず立ち止まるような出来事が目の前に起きた。長い金髪に黒いマントがゆれ、仮面をつけた女性・シャッドがこちらに向かって飛んできたのだ。
「シャッド、どうしたんだ!?」
天児は呼びかけた。
「テン、ジ…」
シャッドはこちらに気づき、天児の下へ駆け寄った。彼女はそこでひざをついた。彼女が抱えている腹には赤い液体が流れていた。
「血だ! 大丈夫か?」
天児はシャッドの腕を無理矢理払ってその傷を見ると、腹をえぐられたような凄まじいもので、反射的に一瞬目を覆ってしまった。
「な、なんでこんな……?」
天児が訊くとシャッドは彼方を見つめる。
「すぐに来る……」
弱った口調でシャッドは確かにそう言うと、そこからファクターではない何かがやってきた。
「――ッ!?」
それを見た天児は凍りついたように固まった。それは人間のような姿形をして、古びた黄土色のロングコートを羽織っているが、人間ではなかった。かといって黒以外の色素を持っていたため、ファクターでもなかった。
それは指から長くて鋭い爪を天児に向けた。その爪には血がこびりついていた、もちろん誰のものかはすぐに連想できた。
(まずいッ!)
本能的にそれを感じ、シャッドを抱えてその場を離れようとした。
だが、それは一歩で飛び上がり一瞬で天児に追いついた。
「なッ!?」
とっさに天児は剣を掲げて、防御の姿勢に入った。案の定それはその長い爪を突き出してくる。天児はその爪をはじく。
はじかれた衝撃からなのか、それは体勢を崩した。その一瞬のうちに天児はシャッドを抱えてそれの視界から姿を消した。
そこからは、もう必死で走った。とにかくあれから逃げらればよかった。どこまでも追ってくる猟犬のような恐ろしさを感じたため、中々休めなかった。
「ハァ、ハァ……」
息を切らしてビルの物陰で立ち止まった。ここなら大丈夫だろうという確信は無かったが、とにかく休まないと身体が動きそうになかったからむしろそっちの方が危険なんじゃないかと判断しての事だった。
「大丈夫か、シャッド…」
「ええ…」
弱弱しくシャッドは答えた。
「あれは何なんだ…? どうみてもファクターじゃないし……」
「アフターアクタ……」
シャッドは確かに天児の伝わるように言った。
「アフターアクタ…って何だよ?」
「アクタの末路……だそうよ、彼女が言うには」
「末路って…それって……」
天児は身震いした。
『それは私から説明しましょうか』
またどこからともなく現れた声だが、もう驚きはしなかった。というよりも驚いている余裕が無い。
「ノリコ……」
『シャッドちゃん、やられたみたいね』
「やつはとてもワイルドね…それにあのクロウは厄介……さしずめワイルドクロウとでもいうのかしら……」
『ワイルドクロウ、いいわねそれ』
教子の冗談交じりの口調に天児は戸惑った。
(どうして、そんなに余裕をもってられるんだ……?)
『あ、そうそう。アフターアクタの話だったわね』
「それって何なんだよ?」
天児は即座に訊いた。
『天児君は記憶が全部無くなるとどうなると思う?』
「全部記憶が無くなる…?」
想像した事の無い、いや想像したくない事だった。それは記憶喪失であるソラを見ていればわかる、何も思い出せないし、自分が何者なのかわからないのはとてもつらいことだ。それでもソラはまだいい方なのではと思う。何しろまだ将や空と仲良くできて笑顔でいられるのだから。
「多分何もわからなくなって、どうすればいいのかわからなくなるんじゃ……」
『わからないってこともわからなくなるのよ……』
「え?」
教子の言葉に天児は寒気が走った。
『大事な人や想い出どころか、考える事や喋る事すら忘れてしまう、ちょうど赤ん坊のようになるのよ……想像できるかしら』
「赤ん坊……」
『いえ、赤ん坊の方がまだ幸せかもしれないわね……最悪の場合、息をするのすら忘れて……』
「やめろ、やめてくれ…!」
教子の発言に天児は強い拒否を示した。想像するだけでも耐え難いことだった。
「そんな、そんなのが末路なんて……信じられるかよ……」
『信じる信じないはあなたの自由よ。でも、あのワイルドクロウはかつてアクタだったものよ』
「ああ……それならわかる」
天児はワイルドクロウの姿を思い出す。あれは化け物と呼ぶにふさわしい風貌だったが、ファクターと呼ぶにはこのミッドナイトスペースの中ではあまりにも人間らしく、アクタだったといえば妙に納得がいくものがあった。
「どうしてあれが、あんなものになっちまったんだ? 記憶が無くなるだけでああなるなんて考えられない」
『そう、無くなるだけでああなるのよ。戦う事以外の記憶が無くなれば戦う事しかできなくなる、そういえばわかるかしら?』
「…………」
天児は絶句した。
「理解したみたいね」
シャッドは腹を抑えながら銃を構える。
「……おい、今戦ったら危ない」
「このぐらいなら、平気」
「平気なわけないだろ、下手したら出血多量で」
天児はシャッドの腕を握って止めようとする。
「ファクターを仕留める、邪魔しないで!」
仮面のせいで顔色をうかがうことはできないが、切羽詰った口調と腹の出血のせいでその焦りと執念は嫌というほど伝わってきた。そんな姿を目の当たりにして天児はある決意をする。
「だったら、せめてその血は俺が止める」
天児は手をシャッドの腹に当てる
「ッ!?」
シャッドが驚く一瞬の間に天児は思い浮かべる。以前に美守が天児の痛みを和らげたようなことをすれば止血もできるはずだと考えた。
(止まれ!)
その一念が通じたのか、腹の血が止まるどころか消えて、綺麗に服の裂けた箇所まで元通りになった。
「………」
シャッドはエメラルド色の瞳を見開き、不思議そうに天児を見た。
「テンム……」
またその名前をシャッドは口にした。
「いや、俺は天児だ。テンムじゃない」
それを訊くと、シャッドはため息のような息を仮面からもらした。
「やはり、天夢ではないのね……」
「天夢って誰だよ?」
「………」
天児がそれを訊くとシャッドは走り去っていく。
「何なんだよ、まったく……」
止める間もなかったため、追いかけようとしたがあっという間に姿が見えなくなってしまったため諦め気味に呟いた。
(しかし、こいつはとんでもないな……)
天児は自分の手を見て、先ほどのシャッドの傷を治したメモリオンの凄さを改めて認識させられた。
(これだけのことができれば、記憶ぐらいなら安っぽく感じちまうんだろうな……そして、こいつを使いすぎればアフターアクタに……)
天児は頭の中でワイルドクロウのことを思い出す。メモリオンを使い戦い続けて記憶が無くなった末に行き着くのがあの姿ならば、想像しただけで怖気がする。
(嫌だな、そんなのは……)
心底そう思った。そして、そうならないための方法ならすぐに思いついた。だがそれを天児は即座に否定した。
(今は目を全部潰すんだ……後の事は、後で考えればいい!)
そして、天児は両手に剣を握り締めて走り出した。
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