Ⅳ―失うモノ―(後編)
教子についていくと、保健室に着いた。
「なんで、ここなんですか?」
校門をくぐった辺りからどこへ連れてかれるのか、見当はついたものの、一応聞いておこうと思ったことからそれが口に出た。
「保険医は保健室にいなくちゃいけないでしょ」
最もらしい理由を教子は答えた。
「いや、それはそうですが……」
天児は釈然としなかった。だが、今はそれよりも訊いておかなければならないことがあった。
「俺に話って何ですか?」
「まあ色々とあるんだけど、まずはあなたのメモリオンについてね」
「俺のメモリオン?」
「あなたのチカラがね、よくわからないのよね」
「俺のチカラって、剣を使うぐらいしかないでしょ」
「それだけじゃないわ。気づいてないのね、自分じゃ」
「一体どういうことなんですか?」
椅子から天児は身を乗り出して訊いた。自分のわかってない部分というのを指摘されるのはかなり気になるところなのだ。
「昨日のあの戦いでね、あなたはファクターの腹に剣を突き刺したあと、背中にも刺したでしょ」
天児はそのときの状況を思い出す。
「ああ、刺した。あれで風穴をあけられると思ってやったんです」
「重要なのは結果じゃないわ、その前にあなた、腹を刺した次の瞬間にはもう背中を刺していたのよ」
「何言ってるんですか?」
天児には言ってる意味がよく理解できず、もう一度訊きだそうとした。
「時が止まっているミッドナイトスペースで妙な話だけど、時間にしてコンマ一秒も経たずして、腹から背中へ移動したのよ。そうまるで瞬間移動みたいにね」
「瞬間移動? ちょっと待ってくださいよ、俺は腹を突き刺した後にちゃんとビルに着地してから背中までジャンプしましたよ」
「おや、それも妙な話ね。私の目でも追いきれないスピードで、っていうなら話は別だけど」
「そんなに速く動けないですよ」
「それなら……」
教子は膝の上で腕を組み考える姿勢をとる。
「君が速く過ぎて、逆に周りが遅くなった、というのはどうかな? 優れたスポーツ選手の体験によくきく話なんだけど」
「なんか、それとも違いますね……遅いというより、止まっている感じかもしれません」
体をゆすりながら、そのときの状況を思い出しながら教子に意見を言う。
「止まっている……時間を止めるメモリオン……いやいや、ミッドナイトスペースでそれもおかしな話なんだけどね」
「どうしてですか? 時間を止めるメモリオンだったら、説明がつくんじゃないですか?」
「ミッドナイトスペースは時間が止まっている空間なのよ。そのミッドナイトスペースで時間を止めることはできないのよ」
「そういえば、そうだったか……」
よくわからない理屈だけど、天児は納得してしまった。
「しかし、不可解なメモリオンね。私の長く太い経験からいってもこんなの初めてよ」
「自分じゃよくわかりませんよ……」
天児はため息をつく。それは自分のチカラでもあるメモリオンについても、現状ということもある。
そこへ保健室の扉が開けられる。
「そろそろ来る頃かと思ったよ」
「みかみ……?」
入ってきたのは汗だくになって息を切らした美守であった。
「天児君、ここにいたんだ…」
美守は天児の姿を確認すると安堵の息をつく。
「美守、どうしたんだ?」
天児は驚きながらも訊いた。
「あなたを探していたのよ…」
美守は真剣な表情で答えた。
「俺を?」
そこで天児は、京矢の姿を思い浮かべた。二人は別々に自分を探していたようだ。その理由も別々なようだけど。
「あ、あなたが昨日の戦いでどうなったのか、気になって……」
美守にしては珍しく落ち着かない口調で言ったため、理由を取り繕っているのが目に見えてわかった。
「俺は大丈夫だよ」
「ただ、全身打撲ね。よくもまあそれだけですんだものね」
教子が頼んでもいないのに天児の今の状態を補足していった。
「そう、だったら私が治して…」
美守は天児に歩み寄り、顔を近づける。
「え、ちょっとま……ッ!」
「こうして……」
天児が止めるのもきかず美守は目から白く細い光を出す。
「はい、そこまで」
教子が止めに入った。
「これぐらいなら自然治癒で大丈夫よ。それよりもあなたがメモリオンを使うことはないわ」
「は、はい…」
美守は、おぼつかない返事をして天児から離れる。
「まったく、あんたは無闇にチカラを使おうとするんだから」
「二人は知り合いだったんですか?」
「でなきゃ、他校の生徒が無断で保健室までやってこれないよ」
(ああ、だから前にも保健室にこれたんだな)
その一言で天児は納得した。
「まあ、お互い長生きしてるからね」
「好きで生きてるわけじゃない」
美守は吐き捨てるかのように言った。その様子から何やら事情があるのかと天児は感じた。だがそれとともに気になってることがあった。
「長生きって、そんなに生きてるようには見えませんけど」
その天児の問いには教子は答えた。
「ああ、それは『アクタとしては』という意味よ。天児君はアクタの寿命ってどのくらいだと思う?」
「………………」
天児は答えられなかった。見当もつかなかったからだ。
「せいぜい一年、長くて二年がやっとってことかな」
「そんなに?」
『短いのか』と言わんばかりに天児は驚いた。
「とはいっても、ファクターと戦う回数が多ければもっと短くなるけどね」
「………………」
天児は身震いした。それはあまりにも辛い現実だ。ある意味、不治の病を告知されたような感覚だ。
その様子をみて教子は一息つく。
「いい機会だから、言っておこうか。メモリオンについてね」
「ちょっと、それは!」
美守は動じるが、教子は構わず続ける。
「何も知らないで、これ以上戦い続けるのは無理よ。特に彼の場合は深刻よ」
「……そう、ね……」
美守は諦めたかのように承知する。
「天児君、よく訊いてほしいわ」
「は、はい……」
「メモリオンの根源は記憶というのは知ってるよね」
「はい、メモリオンを使うときは記憶を強く思い浮かれば、発現できる」
「そうよ、でも問題なのはそのあと。メモリオンを使った後には失うモノがあるのよ」
「失うモノ……?」
天児の全身が震えた。それは何か途方もなく恐ろしいことに思えたからだ。
「それって何なんだ?」
その恐怖に耐え切れずに訊いてしまった。
「記憶というのがエネルギーと見立てれば、メモリオンを使った後に何がなくなるのは想像がつくでしょ」
教子は笑みを消して、天児の目を見つめて言った。
「無くなるのは記憶自体よ」
天児の顔が青ざめる。教子が真剣な表情をして話すのはこれが初めてのため、真実味があった。
「記憶って…?」
ようやく出た言葉がそれだった。
「消えるのよ、メモリオンを使うたびに記憶がね」
「嘘、でしょ…?」
天児は震える声で訊いた。そうであってほしいのに、天児の中でその教子の言葉は本能的に『事実だ』と告げているような気がして、嘘だと教子に言ってほしかったのだ。
「あなたにはその兆候があったはずよ。気づいてない?」
「あ……」
教子の返事に天児はその期待は砕かれた。
そう、答えられて初めて気づいたのだ。自分が抜け落ちている記憶があることを。
初めて戦った次の日に、レポートのことや弁当を作り忘れてしまったことなど思い当たることはあった。何よりも瓦礫に埋もれて血まみれになってしまったソラを忘れていたことがその証拠だと感じてしまった。
「なんてこった……おかしいと思ってたんだが…」
天児はうつむく。それに動じることなく教子は続けた。
「天児君の場合は深刻といったのは、記憶が無くなるペースが異常に早いのよ。普通、先に無くなる記憶っていうのは、記憶の奥底にある取るに足らない他愛のないことよ、誰が何時何分になんて言ったか、幼稚園のときは何をしていたのかといった具合に、どうでもいいことから無くなるんだけど、あなたの場合はそうじゃない」
「ああ、昨日の記憶がなくなったり、これからやるはずのことも忘れていたりなんてこともあった……」
天児はうつむいたまま、感情のこもってない口調で答えた。
***********
今日はそのまま家に帰ることにした。とてもじゃないが学校生活を送るなんて心境ではなかったからだ。
「この場合、早退ではなく欠席になるんだよね。何しろ学校には来たけど、授業は受けちゃいないからね」
などと教子は冗談交じりに笑いながら言っていたが、それでもあれだけのことを言っておいて笑っていられるのは、経験故なのかもしれないと天児は思った。
「ごめんなさい……」
学校でついてきてから、美守はそれだけを言って天児に向けて何度か呼びかけている。だが、天児は答えられなかった。返事をする気力がわいてこない。というよりもどんなやりとりをすればいいのかわからないし、どんな言葉がくるのかが怖いといった方が正しかった。
天児は帰り道を歩きこれまでの戦いを思い出していた。最初の戦いは戸惑いながら美守の指示を聞いて、戦っていた。あの時、敵の動きが止まって見えたため、今思えばあれが教子の言うチカラの発現だったのかもしれない。
(時間が止まっているミッドナイトスペースで時間が止まるってのもおかしな話だよな……)
そう思いながら自分のメモリオンについても考えた。そもそもなんで剣だったのか、不意に自分が戦う光景が見えてしまったのが原因かもしれない。二つの剣を巧みに使い、大剣を振りかざして戦う自分の姿を違和感無く、受け入れたからこそそれを思い描いたのだ。
(あれは何だったんだろうな……?)
天児は空を見上げる。自分が戦う光景を見せられたのに何か理由があるはずだと考えるが、答えは出なかった。
そして最後に浮かんだのは、ソラのことだった。思い出したくないと思えば思うほどあの光景を思い浮かべてしまう。
ソラは一度死んでしまった。だが、あれが幻だと思いたいがあまりにも生々しく、幻だと断言できない自分がいた。だけど、何でソラは今無事でいられているのかがわからなかった。確かに死んだと思っていた。だけど、その後のソラは何事も無かったかのように振舞っている。というか本当に何も憶えてないようだった。
そんなソラの様子を考えていると、すでにアパートの部屋まで帰ってきていた。
「あがってもいい…?」
そこで下校してから初めて美守の『ごめんなさい』以外の言葉を口にした。
「ああ、いいよ……」
天児には断る理由も無く美守を受け入れた。
「おかえりなさい!」
何も知らずに帰りを待っていたソラが出迎えてくれた。
「ただいま」
天児がそう答えると、ソラは美守の方に目を向ける。
「美守お姉ちゃん、いらっしゃい」
「え、ええ……」
美守は少々戸惑ったかのように返事する。
「あのね、ソラね、昨日美守お姉ちゃんが夢に出てきたの」
「夢…?」
「もちろんお兄ちゃんも出てきたんだよ」
天児は美守の耳元で囁く。
「ソラは昨日のこと、夢だと思ってるんだ」
「なるほどね…」
美守は納得してくれた。
「そういうわけだから、今はそういう話を避けてほしいんだ」
「………………」
美守は天児から目をそらして、無言だった。
「ねえ、お兄ちゃん、お昼ごはんはどうするの?」
「あ、ああ……そうだな……」
天児は腕を組んで考えた。元々弁当は作っていなかったから昼食抜きでいくつもりだったのだが、ソラにせがまれては作らずおえないのだった。というわけで急遽昼食の献立を考えなければならない。
「野菜炒めでいいか」
「わーいッ!」
ソラははしゃぐ。
「………………」
美守は無言でその様子を見守った。
野菜炒めといっても、あったのはキャベツとニンジンぐらいなもので、量も満足いくものではなかった。
最も満足していないのは作った天児当人だけで、ソラはあまり食べることないし、美守は少食だということはこの前来た時にわかっているため、量に気兼ねしなくてもよかったためである。
「ごちそうさま…」
小皿程度しかない量の野菜炒めを食べて美守は合掌した。
「こんなものしか出せなくてごめんな」
「いいの…むしろ食べさせてもらえるからうれしい……」
「………………」
天児は眉をひそめた。美守のやせた体型と今の食の細さを目の当たりにすると、どうにも不健康に見えてしまう。
「私に何か…?」
「いや、なんでもない」
あまり見ていたつもりはなかったのだが、美守から訊かれて思わずそう答えてしまった。
「美守お姉ちゃんさ、夢の中で天使みたいだったよ」
不意にソラが美守に話しかけた
「天使…?」
「そ、綺麗な翼があってね」
「そう言われたのは初めて…」
そう答えて今日初めて美守は微笑んだ。
「でも、ひどい人がいたの、お姉ちゃんを鎖でしばっちゃったんだよ」
「ッ!」
ソラの言葉に天児が反応した。
「京矢さんか…!」
「………………」
美守は天児の視線をそらした。
「京矢さんに、されたのか?」
「…なんでも、ない、の…」
美守は声を振り絞って言った。
「なんでもないわけ、ないじゃないか。俺も今日京矢さんに会った」
「京矢に?」
美守は動じて、身を乗り出した。それは今日最初に会ったときと同じあわただしさを感じさせた。
「京矢から何かされたの?」
その美守に対する返答に天児は悩まされた。しばし考えた後にその返答を出した。
「…美守を戦わせるな、だとさ……」
「なんですって!」
美守は、驚きの声を上げた。
「京矢、あなたは…!」
美守は動揺して、身を震わせる。このように動じている美守を見るのは初めてだった。
戦わないのなら危険にさらされることは無い、京矢の頼みを聞いてたときはそんな想いがあるのかと考えた。何しろファクターとの戦いは命懸けなのだ。やらなければすむのならそれに越したことは無いのだ。だが、今はそう思えなかった。あの時の京矢の迫り方は尋常ではなかった。それがメモリオンを使うと失うモノを知った今ではそれだけではないと感じた。もしこのまま戦い続ければ美守は命と同じくらい大切なモノを失うはずだと考えると、そっちの方が動機としては大きいんじゃないかと思えた。
「なあ、それってメモリオンのことと関係があるんだろ?」
美守は震えを止めてビクッとする。
「もしも、このまま戦い続ければ美守はどうなるんだ?」
「………………」
美守は顔を沈ませて無言だった。
「……これ以上、隠しても無駄ね……」
やがて、観念したかのように顔を上げてそう言った。
「……私のメモリオンはね、もうすぐ限界なの…」
「限界って!」
「あと何回か戦えば、全てを失うわ……京矢のことも、あなたと過ごした記憶も全部無くなるのよ」
「そんな…それじゃあ!」
「戦わせられないって言うんでしょ?」
「あ……」
美守にそう言われて天児は気づいた。
(それじゃあ、京矢さんと同じだ……)
というよりも、それを訊いてしまえば京矢と同じ心境にならざるおえなかった。
「戦っちゃダメだ、美守」
「京矢も同じことを言ったわ」
「だったら、やめてくれよ。記憶が全部無くなるなんてひどすぎるだろ」
「そう、そうして、力づくで私を止めようとした」
「………」
怪訝そうな顔をして天児は美守を見つめた。
「京矢さんの気持ちがわかるよ、俺だって君が戦わなければどんなにいいか」
「でもそうやって代わりにあなた達が、メモリオンを使えば…その方が私は耐えられない!」
美守は声を荒げた。
「美守お姉ちゃん、こわい」
ソラにそう言われて、美守は表情を和らげる
「ごめん、こわがらせちゃって…」
ソラをなだめようとする美守の姿に天児は辛さを感じてしまう。
(止めても美守は戦う……俺はどうしたらいいんだ……? 無理矢理なんてやり方はいけないんだ……京矢さんと同じやり方じゃ……)
美守を見ながらそんなことを考えたが、解決策なんて浮かばなかった。そんなモノがおいそれと浮かぶほど自分の頭は都合よくできていなかったことを思い知った。
「私なら大丈夫だから…」
その心境を察してか美守は微笑を浮かべて、天児に言った。その笑みにどんな気持ちがこもっていたか天児にはわからなかった。
***********
今日は新しいバイトを始める日だった。
道路工事の交通整理なんて仕事は初めてだが、なんとかやれそうだった。じっとしていなければならない分、ファミレスのウエイトレスよりも眠気を誘うものであったが、初日にしては上々。
「な、やっていけそうだろ」
先輩の桑木はさわやかな笑顔で言ってきた。
「まあ、なんとか…」
天児は視線をそらした。今はその笑顔がまぶしかったのだ。
「なんだ、お疲れ気味じゃないの、やっぱりきついか」
「そりゃ連日連夜のバイトじゃ、きついですよ」
天児はため息混じりに答える。もちろん理由はそれだけじゃなかったのだが、言っても桑木には理解してもらえないだろうと思った。
「ん、ああ女絡みか」
「はあ?」
桑木の発言に天児は反応してしまう
「お、図星か」
「違いますよ!」
当たらずとも遠からずなんだが、それでも否定せずにいられなかった。
「まあまあまあ、落ち着けよ。別に恥ずべきことじゃないぜ」
「だから、違いますって」
「まあ、いいさ。そうやって話せるうちはな」
「どういう意味ですか?」
「本当にどうしようもないときってのは、他人の言葉なんて耳に入らないもんだからな。つまり、今はどうしようもない時じゃないってわけだ、ははは」
「そんなもんですか…」
天児は呆れ顔で答える。
「じゃあ、俺はこれでな。待たせてる人がいるんだ」
「お疲れ様です」
「ああ、お疲れ様」
桑木はそう言ってその場を去る。
(桑木先輩を待たせている人って……?)
気になって、視線で桑木を追うとその待っている人がやってきた。
「――ッ!?」
面を食らった。驚きのあまりその場を膠着した。
なんであの人がここにいるんだとか、どうして桑木と知り合いなのか、疑問は尽きなかった。
その人は白衣をなびかせて、桑木と会話をしている。そしてこちらに気づく。
白川教子はこちらを見てウインクした。
***********
(明日訊いてみるか……)
結局その結論に達してようやく落ち着いた。桑木と教子が知り合い、それもかなり親しい間柄だということに驚きこそしたが、落ち着いて考えてみると、二人には共通点がある。情報通だということだ。それは顔の広さと行動力もあって、互いに知り合う機会は他の人間よりも多いはずなのだ。
「ただいま」
アパートの部屋に戻ると、いつもどおりの出迎えが来る。
『おかえり!』
ソラは素直に天児を迎えてくれたのだが、将の場合は違った。将の目的は天児の手にあったスーパーのビニール袋であった。
「今日の晩飯はなんだ?」
将は早く教えてくれとせがむ。
「あ、ああ……今日はシチューだ」
「おおー!」
将は喜びの声を上げる。しかし、天児はそれを相手にすることなく奥で待っている美守の方を見た。
「夕食食べていってくれないか?」
「………」
美守は顔をそむける。『遠慮するわ…』と言いたげな様子だった。
(正直、少食なんだから美守が増えたぐらい、どうということはないんだけどな)
そのためのシチューでもあったのだからと言おうとは思ったが口にせず、そのまま台所に立った。
材料を切り、鍋に入れて、アクを抜き、ルーを入れる。この一連の動作は手馴れているため、疲れることは無い。シチューをよく煮込んでから、皿に入れる。美守はそれに見向きもしなかった。
「ソラ…」
その様子を見かねて、ソラに声をかけた。
「何?」
「美守に声かけてくれないか?」
「わかった」
ソラは快く引き受けてくれた。すぐさま美守のもとへ歩み寄る。
「一緒に、ごはん食べよう」
「え、ええ…」
美守はすんなり受け入れた。ソラが誘えば断れないだろうと天児は思っていた、そのとおりになった。
「いただいていい…?」
美守は立ち上がり、天児に訊いた。
「もちろんだ」
そのつもりで作ったのだから断る理由なんてないのだ。
とはいっても皿が足りないので、代わりに茶碗にシチューを入れた。
「これぐらいしかなくて悪いな」
「いいの……十分だから」
そう言って美守は合掌した。それにつられて将達も合掌した。
『いただきます』
一斉にそう言うと食べ始める。
美守は一口入れるとその味を何度も何度もかみしめた。
「……おいしい…」
誰にも聞こえないような小さな声でそうつぶやいた。
***********
三人が寝静まった後は、しばらく天児と美守は重苦しい無言の雰囲気が流れ続けた。
(なにか、しゃべらないと……)
そう思いつつも、口が動かない。それに話すといっても何から切り出せばいいのかわからないのが大きい。メモリオンか美守の記憶、京矢の事もある、それにエージュのことやら、夕方のミッドナイトスペースやら、話しておきたいことはたくさんある。
そして、このまま言葉を交わすことなく十一時五十九分になり、ミッドナイトスペースに引きずり込まれる。そうなれば何かこの無言の雰囲気も変わるだろう。そう思っていた。
――おにいちゃん
その雰囲気を打ち壊す、声が響くように天児の耳に入った。
声の主はソラだった。ソラは布団から起き上がって、棒立ちでこちらを見ていた。
「どうしたんだ…?」
天児はソラに歩み寄る。しかし、ソラが答えることはなかった。
「おにいちゃん、おにいちゃん…」
うわ言のように何度も天児に呼びかけて、天児の腕を握る。
「ダメ、ダメ…」
ソラは腕を震わせた。その震えはあまりにも大きく、天児にもそれが移り、体勢を崩すほどだった。
「お、おい、どうしたんだ……? 落ち着け、ソラ!」
天児は叫ぶように呼びかけた。
その直後だった。目に映る景色が色彩を失い、黒に染められていく。
(ミッドナイトスペースか……! いや、まだ早いはずだ!)
その時、天児が見たアナログ時計は十一時二十九分だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます