Ⅳ―失うモノ―(前編)
ミッドナイトスペース―それは、静止した十一時五十九分という時間の中でアクタと呼ばれる人間とファクターと呼ばれる怪物が戦う空間。ただ今回のファクターは少々巨大で力強く、手強かった。
「まったく厄介なファクターだな」
京矢はメモリオンで出した鎖をしまい、美守とソラのもとへやってきた。
「京矢、天児君はどうしたの?」
「ああ、彼ならうまくやっているだろ」
「うまく? 天児君一人じゃ無茶よ」
美守の顔が険しくなる。
「そうでもないさ、彼けっこうやるから」
「でも一人じゃ危険すぎるわ」
美守はいきり立つ。
「待ちなよ、君はもう限界だろ?」
「そんなこと……」
美守がそう言おうとした時、背中の翼が光となり、消滅する。
「く……」
美守はその場にへたり込む。
「ほらね、やっぱり君のメモリオンはもうほとんどないだろ。無理は駄目さ」
京矢は美守の肩にそっと手を乗せる。
「それでも、私は戦わなくちゃ…」
「君はもう戦う必要は無いさ」
京矢がそう言うと、美守は鎖を縛りつける。
「く……何をするの京矢?」
「何もしないさ。君も何もする必要は無い」
「お姉ちゃん!」
ソラは縛り上げられた美守へ心配そうに声を上げる。
「君もちょっと黙ってくれないか。彼が来られると面倒だ」
「むぐッ!」
京矢はソラの口に手をそえてふさぐ。
「暴れないでくれよ。ちょっとでもおかしなことをすれば…」
京矢のもう一つの手に、美守を縛ったモノとは別の鎖を持っていた。
「やめなさい、京矢! でなければ、私が!」
美守が珍しく声を荒げた。
「やめてくれよ、そんな鎖を引きちぎるために、どれだけのメモリオンが必要だと思ってるんだ?」
「そんなの関係ない、あなたがやるというのなら…」
「それは困ったな……君が引きちぎる前に、僕は飛ばすよ」
京矢は人差し指で、ゆっくりと確実にソラの首をなぞった。
「!」
美守はその意味を理解し、青ざめた。途端に、身体中の力も抜けていく。
「なかなか魅力的だよ、君のその姿は」
「京矢、あなたは……」
今度は怒りの眼差しを向けた。しかし、京矢はそれにたじろぐことなく、むしろその顔は喜びに満ちていた。
「怒らないでくれよ、全部君のためさ。僕は君のためだったら、何でもするよ。たとえ、君に恨まれようとも、君さえ君でいてくれれば、僕は満足さ」
***********
「……夜と白衣って、答えになってませんよ」
天児は呆れながらも、白川教子に言い返した。
「そうかな? なかなかいいシチュエーションだと思ってたんだけど」
「それどころじゃないでしょ」
「うむ、そうだったね。特に君は……」
金髪の仮面の人から抱きつかれている天児を教子は見つめて言う。
「あ、あの……」
天児は、仮面の人に顔を向けて離れてくれと目で訴える。とても言いづらいのだが、仮面の人は女性であり、とても大きな胸が思い切り当たっているのだ。
「テンム……」
そう彼女は言い続けている。それは天児を呼びかけているようだった。
「俺は天児だ!」
天児は強く言った。
「テン、ジ…?」
仮面の彼女は離れて、天児の顔をじっくり見る。
「違う……テンムじゃない……」
「テンム…? テンムって誰だよ?」
「日下天夢よ」
天児の問いに仮面の彼女に代わって教子が答えた。
「クサカ、テン、ム…?」
「ほんの一年前にいたアクタの名前よ……偶然にも、あなたとよく似た名前ね……」
「偶然、ね…」
天児にはそうは思えなかった。
(日下天夢……どこかで、俺の記憶の中でどこかで……?)
その名前が妙に引っかかった。
だが、その不意に襲ってきた轟音がその思考を止める。ファクターがこちらに向かってやってきたのだ。
「話は後だ。今はあいつを倒さないと!」
すぐさまその判断に行き着いた。
「そうね、あんなのがいたらぼちぼち話もできないし」
「………………」
仮面の彼女は、無言で二丁の銃を構える。そのまま、ファクターに向かって飛び込む。
「ちょっと待て!」
天児は呼び止めるのもきかず、彼女は弾丸をファクターの身体は撃ち込んでいく。
「やっぱり、生半可な攻撃じゃ駄目だ」
その様子を見て、天児はそう言わずにはいられなかった。目にも止まらぬほどの速さで、引き金を引き、そこから繰り出される無数の弾丸は金色の光をまとい、一発一発にメモリオンの力が込められているのが遠めで見ていてもわかる。と同時にそれらは全てファクターに命中しているにも関わらず、ファクターはほとんど動じていないことから、ダメージはほとんど無いのは明白だった。
「やっぱり手数じゃどうにもならないヤツっているものなのね」
白川教子は汗もかかない涼しい顔で述べた。
「呑気に言ってる場合ですか」
「ああ、こういう性分なんで、気にしなくていいよ」
「気にします。なんでもいいですから、なんとかしてくれませんか?」
「私が? 私には君が期待するようなチカラはないんだけど」
「京矢さんが言っていました。あなたのチカラならファクターの目を見つけられるって」
「ほう……それは目のつけどころがいい」
教子はニヤリとする。
「しかしまあチカラを使うのならもう少し距離をとった方がいい。チカラを使うと動けないからね」
「……了解」
「いい子だ」
天児は呆れながらも彼女の言葉に従った。他に有効な手段が思い当たらないため、従うことに抵抗はあったものの、そうする他なかった。
「よし、ここからなら安全だろう」
十分にファクターから距離の離れたビルの屋上でファクターを見据えた。
「それでどうやって目を見つられるんですか?」
「私のメモリオンでなんとかするさ」
「あんたのメモリオンって何なんですか?」
「『糸』だよ」
教子がそう答えると、彼女の周囲には細く、わずかに光る銀色の糸があらゆる方向に伸びていた。
「この糸が私の耳となり、鼻となり、口となり、目になってくれるのさ」
教子が言うやいなや動かず、ただじっと立ったままだ。
「見えたわ。右腕の脇……そこにヤツの目があるわ」
「右腕? 右腕ってどっちなんですか?」
天児は思わず訊いてしまった。何故ならファクターは真っ黒な身体をして左右対象でもあるため、どちらが左腕でどちらが右腕なのか区別がつかないのだ。
「私からみて右腕だよ」
教子は得意げに答える。
「なるほど、わかりました」
天児は呆れながらも納得した。
「行くのかい?」
「そりゃ、そうしないといけませんから」
天児の脳裏には、血まみれになってしまったソラの姿が目に浮かんだ。あんなことは二度とあってはならないことだと天児は強く思った。
「わけありだね……まあそんな奴ばっかりよ、アクタってやつはね」
教子は笑みを浮かべて意味深に言った。
「そういうことです」
わけありだということを肯定して、天児はファクターに向かって踏み出した。
ビルからビルに飛び移り、確実にファクターへ近づいた。
「右腕となると、あそこか!」
天児は両手に剣を握り締めて、足に精一杯のチカラをこめる。そして思い浮かべる、楽しい想い出を。それがメモリオンとなり、鳥のように羽ばたける力をくれる。
ミッドナイトスペースの上空に漂う暗黒の雲にもとどきそうなほど高く飛び、ファクターの肩に斬りこむ。
「くそ、脇を斬るなんて難しいな」
別のビルの屋上に降りて、天児は悔しげに言った。まだメモリオンによる力のコントロールが制御できてないのも。何しろ、このチカラを手にしたのはごく最近だ。美守や京矢のレクチャーである程度なんとかできるようになったが、それでも不慣れというのはいかんともしがたいものなのだ。
『脇まで飛ぶのはかなりむずかしいな』
隣から教子の声がした。しかし、隣には誰もいない。いつもの声はすれども姿は無い状態だ。
「そうですね、なんとかできませんか」
『無理ね』
「簡単に言ってくれる」
『私は戦闘向きではないからね、それよりも彼女に協力を仰いだ方が賢明だね』
「彼女……」
天児はそう言われて、ファクターに向かって弾丸を撃ち込む仮面の彼女の姿を見た。
「協力してもらえるのか?」
天児は不安だった。仮面をつけているということはそれだけで得体の知れない部分があり、言葉が通じるのか不安があるからだ。
『私から言ってみるよ。彼女は素直ないい子だから快く引き受けてくれるよ』
「俺の知っている素直ないい子は仮面なんてつけていないんだけどな」
天児は呆れながらも言うと、声は途切れた。そして、ファクターはこちらに腕の振り下ろし先を決めたようだ。天児はすぐにそのビルからまた別のビルへ飛び移った。
「ソラや美守は大丈夫かな……?」
天児はどこにいるのかもわからなくなった二人の身を案じた。飛んできた瓦礫を翼ではじいてソラを守る美守の姿を思い出したが、それもこんな危険な状況では、いつまでも持つはずがないと不安にかられてきた。
「早く……速く…! なんとかしないと!」
その不安が焦りを生み、足にチカラがこもる。
「こいつッ!」
天児は右肩を力一杯斬り付ける。短剣と長剣を交互に繰り出して、右肩ごと目を斬るつもりだった。それでも右肩には手ごたえはある、だがそれは地面に向かってバットを叩いているような感触で斬った手ごたえというものは一切無い。
「くそッ!」
天児は悔しさで叫んでビルの屋上に降りる。
「ダメだダメだッ! こんなんじゃダメだッ!」
ファクターを見据えて、天児は叫んだ。
「やっぱり、目だ! 直接目を潰すんだッ!」
天児は見上げる。ファクターの右脇にかすかに確認できる目を睨む。
「私が撃つ」
そこへ仮面の彼女が天児のいるビルに降り立つ。
「君は!」
「シャッド……そう呼んでほしいわ、テンジ」
「シャッドか……わかった」
言いたいこと、訊きたいことはたくさんあるが、今はそれだけで十分だった。この危険な状況、いつソラや美守の身に万が一のことがあっても全くおかしくないからだ。
「私なら確実に撃ち込める。ヤツのウィークポイントに撃てる」
「できるんだな?」
「できる」
シャッドは断言する。
「わかった、それで俺はどうすればいい?」
「ヤツの右腕を振り回せばいい」
「つまり、俺はヤツをひきつければいいんだな」
「イエス」
シャッドはうなずく。それで自分のするべきことがわかったような気がした。
「よし、頼む! ヤツを必ず撃ってくれよ」
シャッドにそう言って、天児は飛び立つ。
シャッドはその姿を見送った後、銃を眉間にそえる。
「ヤツを撃ち抜くためにはシルバーね、テンム……」
シャッドが呟いた一方で、天児はファクターに飛び、脳天に向かって斬りつける。
「でぇぇぇいッ!」
叫びながら、ファクターの脳天を斬るものの、そのダメージはほとんどない。
だが、ファクターの注意は天児にいった。
「そうだ、こっちだッ!」
言葉が通じているかどうかはわからないが、とにかく叫んだ。そうして自分にさえ注意が向けば、誰も傷つかずにすむ、そう思えてからこその叫びだった。
「俺にだけ向けばいいんだ! 他には目もくれるな!」
天児はファクターの身体を斬りながら、叫び続けた。
(これだけ腕を振り回してくれれば、いやでもまだ足りないッ! もっと目一杯ヤツを引き付けないとダメだッ!)
天児は意を決して、ファクターの懐まで飛び込む
「ソードライナーッ!」
ファクターの腹に、長剣を深々と突き刺さる。だが、それでもファクターは動じることは無い。
「まだだッ!」
残った短剣を両手でもち、ビルの屋上に着地した直後にファクターの背後に回り、また飛んだ。
「これでどうだッ!」
天児はファクターの背後から短剣を突き刺す。
そこへ、正面から刺さった長剣が呼応し、前の長剣と後の短剣からファクターへ衝撃を与える。
その衝撃が重なり、ファクターの腹に大穴を空ける。
「空いたぜ、風穴ッ!」
しかしファクターに大きな一撃を与えて気が緩んだのか、直後に振るわれた腕にぶつけられた。
「ぐッ!」
その勢いのままに、地上に叩きつけられる。
「うぐぅ……!」
普通の人間だったなら間違いなく即死の衝撃だったが、メモリオンによる衝撃を抑える作用が働いたおかげでそれは免れた。しかし、そこへファクターがとどめささんばかりに両腕を大きく振り上げる。
「今だぁッ! 撃てぇぇぇッ!」
天児は声を張り上げて、あらんかぎりの力で叫んだ。チャンスは今をおいて他に無いと思えばこそだった。
その声は聞いたシャッドは遠く離れたビルでファクターを見据えていた。
「これなら……討てるッ!」
腕を大きく振り上げて露になったファクターの脇にある目に照準を合わせる。
「ブレイクブレッドッ!」
銃から繰り出された力強く光る弾丸が光の速さでファクターの目を貫いた。
目を貫かれたファクターは断末魔を上げることなく、一瞬でそのドス黒い身体は崩れて闇夜に同化していった。
「なんとか……倒せたか、いてて……」
安堵の息をついた瞬間に全身に激痛が走った。
『ご苦労様~やるじゃないの天児君』
教子は『糸』を通して上機嫌に言ってくる。
「あなたのおかげですよ、あんなところにあるなんて思いもよりませんでした」
『そんな、褒めても出ないぞ、天児君』
「いいえ、感謝してるんです。本当に助かりました、ありがとうございます」
『ふむ、人から感謝されるのなんて随分と久しぶりね。いい気分だわ』
教子がそう答えると、景色が歪む。それはミッドナイトスペースが閉じる兆しだった。
「ソラ、美守……無事なんだろうか? 無事でいてくれよ……」
天児はその場に倒れこんだ。だが今は全身の激痛よりも、ソラと美守の安否が不安だった。
もし、ソラが記憶の中に浮かぶ血まみれの姿に今なっているとしたら、と思うと勝利の余韻に浸ることなどできなかった。
***********
次に目を開けたとき、そこにあったのは見慣れたアパートの部屋の光景だった。
「おにいちゃんッ!」
そこへ空が飛び込んできた
「おうわッ!」
天児は起き上がった身体を支えると同時に全身に激痛が走った。
「そ、空、お前どうしたんだ…?」
「だって、おにいちゃん、おきないんじゃないかって」
空にそう言われて思い出す。帰ってすぐに倒れて一瞬で気を失ってしまったことを。
(そうか……そのままミッドナイトスペースに引きずり込まれたのか…)
事の成り行きを知ると、天児は空の頭をなでる。
「ごめんな、心配かけて。俺は大丈夫だから」
「ん、ん~」
空は笑顔でこちらを見た。
「そら、そらね、いっぱいしんぱいしたんだよ」
「あ、ああ、わかってる。ありがとう」
十二時まで起きているのだから、本当に心配していることが実感できた。心配してくれるというのは本当にありがたいことだった。ミッドナイトスペースでの恐怖を抑えて戦って帰ってきたから、それがなおさら感じられる。
「そうだ、ソラは…!」
天児は、辺りを見回してソラを探した。もしや、無事にミッドナイトスペースに帰ってこれなかったのではないかと不安にかられた。
「お兄ちゃん!」
背後からソラの声がしたので安心したが、振り向いた瞬間にその安心は凍りついた。
「ソラ、ちょっ…ッ!」
天児が止めるのもきかず、ソラが飛び掛ってくる。
六歳児の空だからなんとか受け止めることができたのだが、十六歳前後の立派な身体つきをしたソラが飛び掛ってきたのだから、天児の身体は、勢い良く床に叩きつけられる。
「うぎゃあああああああッ!」
全身の激痛が走った。骨が何本か折れたような痛覚に襲われたが、決して錯覚ではないと確信できるほどの痛みだ。
「兄ちゃん、大丈夫か?」
やけに冷静な将が見下げてこちらを見てきた。
「大丈夫、じゃない……」
天児は弱りきった声で答えた。
しかし、ソラも無事だということがわかったので身体の痛みがいくらかやわらいだ。
「ソラ、無事でよかったよ」
「うん、お兄ちゃんもケガとかない?」
「ああ……」
「なんのはなし?」
事情を知らない空が訊いてきた。
「いや、なんでもないさ」
天児は笑顔で答えた。そう答えられるだけでいいと、天児は思った。わからないことは確かに多いが、今は無事ファクターを倒して、ソラも無事で、将と空がいて、笑い合える。今はそれだけで十分だった。
***********
翌日、身体を動かすたびに全身に痛みが走る状態でも、新聞配達をした。
帰ってくると、布団で寝ている将達がうらやましく思えた。このまま、自分も一緒に眠っていたい。できればそうしたいところだが、今日は平日だからそうもいかない。
「起きろ!」
天児はいつもどおり三人を起こそうとする。
「兄ちゃん、朝ごはん何?」
まず将が起きて、すぐにそれを訊いてきた。
「あ~、朝ごはんはな……」
天児が答える前に、将と空はテーブルについた。
「おにいちゃん、あさごはんはどうしたの?」
「今日は朝ごはん、無いんだ」
『えー』
予想通り、二人は不満の声を上げた。
「おいどうして朝ごはんねえんだよ!」
「なんで、なんであさごはんがないの?」
二人揃って迫るが天児は少しも動じない。
「文句ならあいつに言ってくれ」
そう答えて、今起きたばかりで眠気眼をこすっているソラを指差した。
「あいつが勝手に冷蔵庫の材料を使ったからな」
その一言で納得してくれたのか、怒りの矛先をソラに向けてくれた。
『ソラーッ!』
その間に、天児は部屋を出た。
***********
「ま、二食ぐらいなら大丈夫だろうな……」
天児は腹をさすりながら、校門から校舎の時計台を見つめる。材料がないため、弁当を作れなかったため、朝昼抜きというのは別に初めてということではないが、昨日のミッドナイトスペースでの戦いのせいか、かなり空腹である。
「なるようにしかならんか……」
そう言い、校門をくぐろうとしたとき、足が止まった。
「見つけたよ」
背後から聞き覚えのある声がしたので振り向いた。
「京矢さん?」
そこにいたのは京矢だった。
「なんでここに?」
「君に話があってね。ちょっと付き合ってくれないか」
「でも、俺これから学校なんですけど」
「大事な話なんだ」
笑みを浮かべながらも迫力のある口調で迫ってきた。
「来てくれないなら、来てもらうよ」
京矢がそう言うと、天児は身体が引きづられるような感覚に襲われた。
「これは、メモリオンか……! なんでこんなことを!」
天児は声を荒げた。
「どうしても来て欲しいからだよ、天児君」
それでも京矢は笑みを崩さなかった。その姿勢が天児の身体を震わせた。
「……わかりました」
やむをおえず、天児は了承した。
***********
学校のチャイムがなる頃には、すでに学校の見えないところにまでつれてこられた。
「話って何ですか?」
怒りと困惑の混じった声で天児は訊いた。
「美守のことだよ」
京矢はおもむろに振り向き、答える。
「みかみ?」
意味深な京矢の口調は、天児に不安を抱かせた。
「美守が怪我をしたのか?」
「いや、怪我はしてないよ。ただそれよりももっと深刻なんだよ、美守は」
「深刻……?」
「美守はもう戦っちゃいけないんだよ……」
京矢はそう言って天を仰ぐ。
「戦っちゃいけないって、どういうことなんですか?」
「だから、君にも協力してもらいたいんだよ」
天児の問いに意に介さず、京矢は話を続けた。
「僕だけじゃダメだから、君にも協力してほしい……してくれないなら」
「ぐッ!」
締め付けられる鎖に力が加わる。
「バラバラの肉片になってもらうよ」
冷たい眼差しと言葉が天児に突き刺すように向けられた。
(京矢さん、本気だ……! もし、ここで断ったら本当にバラバラするつもりだ、嫌だな、そういうのは……!)
締め付ける鎖の痛みに歯を食いしばり、今自分の身に降りかかっている現実をみる。
(断っちゃダメだ……京矢さんがなんでこんなことをするのか、美守がどうして戦っちゃいけないのか、そういうのを訊くのは後だ……今は受け入れることが先決だ……)
その考えに行き着くと天児は自嘲する。
(まるで前にもこんなことあったみたいな感じだな……)
意外なまでに冷静な自分に驚きつつも呆れていた。本当ならもっと騒ぎ立てるはずだというのに、二週間に及ぶ命がけの戦いで気づかないうちに肝が据わったせいなのかもと思ったが、どうやらそれだけではないようだ。もっと記憶の底から湧き上がってくるような感覚がある。久しぶりにスポーツをしたときに味わう『身体が覚えている』に近い状態だ。
「……わかった」
その感覚が導き出した返答がそれだった。京矢は、それを聞いてニコリと笑った。
「いや、話は早くて助かるね。君だったらもっともめるかと思ったんだけどね」
「話はまとまったんだから、離してくれませんか?」
「あ~ダメだよ」
「へ?」
「まだ、話はまとまっていないからね。全部話してからじゃないと解放しないよ」
「全部って他に何か教えてくれるんですか? どうして美守は戦ってはいけないとか」
「そりゃ君がどうやって美守を戦わせないか、だよ」
それがそもそも京矢にとって最も重要なことなのだと天児は思った。さっきの協力するしないなど、これに比べたらたいした問題じゃない。何しろ選択肢は二つしかない上に、『ノー』と答えれば『イエス』と答えさせるように仕向ければいい。たとえば今のように延々と縛り付けるか、腕の一本でも折れば『イエス』と答えてくれるとふんでいたはずだ。今の彼なら本気でやっただろうと天児は感じた。対して、今の選択肢は二択ではないし、どれが最良なのか、またそれが本当に最良なのか、確かめる手段もお互いに無いし、それゆえに天児にも選択する余地があるため、京矢としては思い通りになり難い部分もあるためだ。
しかし、それでも京矢に何か考えがあるかもしれない、まずそれを聞き出さなくては
「俺はどうすればいいんですか?」
そう訊くと、京矢は顎に手を当てて答えた。
「そうだな、一番いいのは君一人でファクターを倒すことさ。昨日みたいな強いファクターでもなんとか倒せたんだし、いけるんじゃないの?」
「そ、そんなこと、」
「そう、できないよね」
天児の返答を待つまでも無く京矢はそれを代弁した。
「いくらなんでも一人でどこに現れるかもわからない速やかにファクターを倒すなんてちょっと無理があるよね」
京矢は微笑みながら、語り続ける。
「でも、それに協力者がいてくれたら話は違うよね?」
「協力者……?」
思い当たるモノが連想できない単語が出て天児は言葉がつまった。
「そう、たとえばどこからでも声を発したり、場所を見ることができる人が……」
京矢がそう言うとこちらにやってくる足音が聞こえた。
「私の話がここで飛び出るなんてね」
白衣を着た白川教子が京矢とはまた違う余裕を持った笑顔でやってきた。
「いや~男同士の密会って興味そそられるんだけど、さすがに不穏だし、私をダシにしようってんなら黙っちゃいられないしね」
白川教子はこの場の空気にそぐわない陽気な口調で語る。
「へえ、あなたもアクタなんだ。いや待てよ、その声、聞き覚えがあるな……」
京矢は顎に手をあて、思い出す姿勢に入る。
「そうか。君とは初対面だったか」
「私をダシにってことは……僕はあなたと関係のある話をしていた、それに、その声……ん、ああ、あなたか」
京矢は教子が何者なのか把握したかのように言った。
「そういうこと。私は『糸』……まあ、ここに現れるのは想定外だったでしょうから、わからないのも無理ないけど」
「確かにそうだけど、うれしい誤算ってやつだね。わざわざ探す手間が省けたよ、いやはや幸運ってのはこういうことを言うんだね」
「それはいいんだけど、京矢君と話すようなことはあまりないんだけど」
「こっちにはあるんだよ……」
京谷は笑みを浮かべながら、鎖を教子に見せる。
「誘ってくれるのはうれしいけど、先約がいるから」
教子はそう言って天児に視線を送る。
「僕の話を先に聞いてもらうよ」
「言うことをきいてもらうの間違いじゃないの?」
教子も笑みで返す。しかし、視線は京矢には向いてない。
「そうかもね」
京矢はその態度に不満があったのか、すぐさま鎖を教子の下へ飛ばした。
しかし、寸前のところで鎖ははじかれた。
「戦うのは好きじゃないんだけどね」
「よく言うよ。そんな涼しい顔で」
もう一度、鎖が飛ばされるがそれも教子には届かずはじかれた。
「じゃあ、そういうことで」
教子は、天児のもとへ歩み寄る。
そうすると、天児を縛る鎖が切れた。
「え……?」
解放された天児は唖然とした顔で教子を見つめた。
「さあ、行きましょう」
教子は天児に手を差し出した。
「あ、ああ……」
天児にはそう答えるしかなかった。その微笑に気圧されたからだ。
「ちょっと待ってくれないかな……」
京矢が教子の後ろに立ち、止めに入る。
「僕の話を聞いてもらえないかな、こっちは切羽詰ってるんだ」
「自分勝手な人の話はきかないことにしてるのよ」
「自分勝手……どっちが?」
「お互い様よ」
教子は振り向くことなく答えた。
「で、帰してもらえない?」
「帰さないよ」
京矢がそう答えると、鎖は彼の周りに蛇のように群がり、うずまいた。
「私は戦いなんて怖くてできないのよ。だから通してもらえないかしら?」
「通せないんだね、僕の話を聞いてもらうまでは」
京矢がそう言うと、鎖は全て教子に向かって襲い掛かった。
しかし、その鎖の数々はことごとく切り裂かれた。見えない何かに引っかかったように。
「糸か」
京矢は、ここで初めて笑みを崩して真剣な表情を教子に向けた。
「迂闊ね、そうやって手の内を見せちゃ……底が見えるわよ」
「そんなものが戦いに何の支障があるっていうんだ!」
さらに声を荒げて、鎖を教子に差し向けるが、それもことごとく教子に届く前に見えない何か引っかかり斬られていく。
「別にこれといったことはないわ」
教子は余裕の表情を崩さない。続けざまにこう言った。
「ただ死ぬだけだけどね」
「――ッ!」
京矢は言葉にならない悲鳴を上げた。それとともに、滝のように汗が彼の額から流れ落ちる。
「今、のは……?」
京矢の声が震えていた。それは教子に対する恐怖が生まれたためだ。
「わからないでしょ、自分が何をされたのか? 怖いでしょ?」
「…………………」
京矢は押し黙る。
「わかった、じゃあ私達はこれで」
教子は微笑み、それだけ言うと天児に『ついてきて』と言わんばかりに視線を送る。
「今首が飛んだ、飛ぶはずだったんだな……」
震えながらも京矢は教子に見つめる。追うこともなく、ただ見つめるだけだ。
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