Ⅲ―狂気の歯車―(後編)

「う……ッ!」


 天児は頭を抑えた。急に痛みが走ったからだ。


「頭痛かな? 疲れてるのか……」


 原因がそれくらいしか心当たりが無かった。他に頭痛になる原因があるとすれば、それは昨日のミッドナイトスペースでの戦いぐらいだ。


「お兄ちゃん、大丈夫?」


 ソラが心配そうに上目遣いで天児をみてきた。


「ああ、大丈夫だ」


 天児はそう答えた。


「さ、早く帰ろう。二人が待ってるからな」


「うん!」


 ソラは元気良く答えてくれた。


 それでも、帰り道の途中で何度も頭が痛み出した。


(なんだっていうんだ……これは?)




***********




 アパートにつく部屋の扉を開ける。そこには腹を空かせた将と空が待っているはずだ。


「ただいま!」


 将と空はすぐさまやってきた。


「兄ちゃん、今日のメシはなんだよ?」


「今日はだな……」


 天児は一度頭に描いたはずの夕食のメニューが思い出せなかった。


(あれ……?)


 気づいたときには、目の前には天井があった。


「おにいちゃんッ!」


 心配する空の声が聞こえるが、それでも身体に力が入らない。


 そのまま、目蓋を閉じて意識は闇の中へと溶け込んでいった。




***********




 天児が次に目を開けたとき、そこには黒以外の色を失った世界が広がっていた。


「ミッドナイトスペース……!」


 天児は勢い良く起き上がった。


「気がついた……お休みだったのね…」


「み、かみ……?」


 傍らに美守がいることに気づいた。


「おはよう、といってもまだ朝にはまだ早かったけど」


「君はそういう冗談が好きなのか?」


 美守は否定しなかった。


「お兄ちゃんッ!」


 不意にソラの声がして、背中からのしかかってきた。


「そ、ソラッ!?」


「よかった、このまま目をあけないかもって!」


 ソラにそういわれて意識が無くなる直前までのことを思い出せた。


「そ、そうか……俺、いきなり寝ちまって、そのまま十一時五十九分になっちまったのか……」


 ここで天児は根本的な問題に気づく。


「って、なんでソラがいるんだ!?」


 天児はソラを引き離し訊いた。


「わからない」


 ソラはあっさりと答えた。


「そうだよな……お前はわからないことは全部そう答えるもんな……」


 ソラに明確な答えを求めるのはやめた。


「でも、寝て倒れているのを見て、驚いたわ……あんなところ、ファクターに襲われたらひとたまりもないわ、気をつけなさい……」


「ああ、気をつけるよ……」


「それにしても、死んでるみたいに眠っていたわね……よっぽど疲れてたのね……」


「死んでる、みたい……?」


 美守のその言葉が頭に引っかかった。


「死んでる……」


 天児はもう一度その言葉を呟いた。それとともにある光景がよみがえる。


 ファクターの攻撃で瓦礫が降ってきてソラを襲い、ソラはその瓦礫に埋もれてしまった。天児は必死に瓦礫をどけると、そこにはおびただしい出血で身体を真っ赤に染めたソラがいた。


「あ、あぁ……」


 天児は震えた。その光景はあまりにもおぞましくかつとてつもなく現実味のある光景だったからだ


「お兄ちゃん?」


「あ!」


 天児は驚いた。ここにはそのソラがいるからだ。ソラはあの光景とはまるで関係なく明るかった。出血どころか傷一つの無い身体をしている。


(……どうなってるんだ?)


 思い出した光景は現実にあったことだ。いきなり、ミッドナイトスペースに引きずりこまれ、声が語りかけエージュと名乗り、ファクターが現れて戦ったところ、ソラが巻き込まれてしまったことは全てあったことだ。なのに、天児はそのことを忘れかけてソラにいたっては忘れているどころか、傷一つ無い様子だ。


「なあ、ソラ?」


「なに?」


「お前、なんともないか?」


「なんともないけど」


「どこか痛くないか? ケガはしていないか?」


「あ、ソラ、ちょっと痛いところある」


「それはどこだ!?」


 天児はいきなり迫り、ソラはたじろぐ。


「ちょ、ちょっと……転んですりむいただけだけど……」


 ソラはすりむいたひざを見せる。


「ひざか……これぐらいなら、大丈夫だな」


 天児は大きく安堵の息をつく。


「帰ったら、手当てするよ」


「やったー!」


 ソラは喜び飛び上がる。もはや見慣れた仕草であった。


「でも、なんでソラがいるのかしら…?」


 冷静な美守も天児がわかるぐらいの困り顔をする。


「こいつはわからないって言うし……俺にもわからない……ところで、一つ訊きたい事があるんだ?」


 天児は一呼吸おく。美守が何を答えても動じないために。


「夕方ごろにミッドナイトスペースに引きずりこまれなかったか?」


「夕方に……? そんなわけないじゃない、ミッドナイトスペースは十一時五十九分にしか開かない空間よ……」


「……じゃあ、あれはなんだったんだ……?」


 天児は独り言に呟く。


「何か、私の知らないところで何かあったの?」


 そんな天児の様子を見て美守が訊いてきた。


「ああ、それが……」


 天児が説明しようとしたとき、それを遮る足音がなる。


「美守、ファクターだ!」


 御影京矢がやってきて、足早にそれを伝えた。


「ファクター…!」


 美守はそれと聞き取ると、背中から翼をはやす。


「うわあ、お姉ちゃん天使みたい!」


 事情の知らないソラは美守の翼を見てはしゃぎだす。


「そんないいものじゃないわ……」


 美守は、ソラにそう言ってやる。その眼は悲しみと寂しさがにじみ出ているようだった。


『いやあ、まいったわね』


 またどこからともなく声がやってくる。すっかり慣れてきたのだが、いつもの口調と違ったモノだった。何やら焦りを感じさせる、そんなものだった。


「どうかしたのか?」


 天児はそれを只事じゃないと判断した。


『ファクターから逃げられそうに無いのよ、助けてもらえない?』


「襲われているのか?」


『もう、大ピンチよ』


「わかった、それでファクターの場所を教えてくれ」


『それならすぐわかるわよ』


「すぐって…?」


 天児がそう返した直後、雷のような轟音が辺りに響いた。


「この音…!」


 天児には聞き覚えがあった。だが、それがいつ聞いた音だったか思い出す前にファクターが姿を現した。


「!」


 天児はその姿を見て、唖然とした。


「あいつは、そんなバカなことって……!」


「どうしたの?」


 美守が訊いてきた。


「あいつは、倒したはずだ……! なんでこんなところにいやがるんだッ!?」


「倒した……? あのファクターとは戦ったこと無いけど…」


 いつも美守と戦っていたから、天児が知っているということは美守が知らないはずがないのだがら、美守は不思議に思った。


「戦ったんだよ、つい今日なッ!」


 天児は焦って走り出した。


「あ、天児君…!」


 美守とソラも後を追った。


(あれが暴れる前に目を潰さないとッ!)


 天児は両手に剣を出して、ファクターと対峙する。


「勝手に突っ走るものだね、君は」


 いつの間にか、隣にいた京矢が注意を呼びかける。


「京矢さん?」


「腕ぐらいなら僕が止めるから、君が目を潰すんだ。いけるかい?」


「はい」


 天児は即答した。


「ようし、よくいった」


 京矢は、鎖を取り出して鞭のようにしならせ、一気にファクターの腕に巻きつく。


 ファクターの腕は長く太く大きいものの、縦横無尽に駆け巡る鎖に巻きつかれている。


「つぅ…すごい力だ! ねじきれないよ、こりゃ」


「動きを止めればッ!」


 天児は大地を蹴って飛び立つ。


「カットブレイドッ!」


 短剣で傷をつけてから長剣で思いっきり斬り付けた。


 それでも、ファクターの腕は斬れることなく、傷をつけるだけにとどまった。


「硬いな、これじゃ駄目か……!」


 天児は体勢を立て直す。


「!」


 すると、ファクターが暴れ出す。


「こりゃ無理だ」


 京矢がそう言うと腕に巻きつけた鎖が断ち切られる。その後、ファクターは自由になった腕を振り回してビルにぶつけていく。


(デジャブ……!)


 天児にはそう思わずにいられないほどその光景に見覚えがあった。


 ビルにぶつかるとそれは無数の瓦礫が舞い上がり、こちらにも襲いかかってきた。


「これじゃ近づけないな……」


 鎖を振るい、瓦礫を弾きながら京矢は言った。


「ソラは……! ソラッ!」


 天児は叫んだ。もし、このままファクターの攻撃が続くのならと思うと、瓦礫に埋もれるソラを思い出してしまった。


「お兄ちゃん!」


 ソラは呼びかけに答えた。天児がそのほうを見ると、そこには翼で瓦礫をはじいてソラを守る美守の姿があった。


「私達は大丈夫よ、天児君」


「あ、ああ…」


 美守の一言で安心できた。彼女がソラを守ってくれるなら安心できた。


 だが、ファクターの攻撃は続いていた。これが続く限りはまだソラは危険にさらされていることに変わりは無かった


(あいつをぶった斬るしかないが……)


 一度試してわかったが、今のファクターには生半可な攻撃では効果が無い。


(さっき倒したときも無我夢中だったみたいだから記憶にない……本当にどうやってあんなヤツ倒したんだ俺…?)


 自分に問いかけてみても、答えは返ってこない。


「どうする? かなり厄介なファクターみたいだけど」


 京矢が訊いてきた。こんなときでも落ち着いているのは、やはり、こういう事態にも慣れているからなのだろう。


「………………」


 天児は考えた。恐怖と忌まわしき記憶を押し殺して。


「まずは目を見つけましょう」


「では、彼女に協力してもらうべきか」


「彼女?」


「さっき助けを求めてきた『糸』の彼女さ。目を見つけるなら彼女が一番いい」


 京矢が断言する。そこから天児は判断して、発言する。


「じゃあ、早く合流すべきだな」


「そういうことだ」


 京矢が返事をして、天児は美守とソラに目をやる。


「ソラなら大丈夫、私が守る」


 美守は力強さをもった言葉で返した。


「わかった!」


「じゃあ、手分けするか」


 天児と京矢は二手に分かれた。


(しかし、あの人って誰なんだ。とりあえず、人がいれば訊けばいいか)


 暴れるファクターの腕とそれと激突してできる瓦礫の嵐をかいくぐりながら人影を捜し求めた。


「早く、もっと早くだッ! ソラをいつまでもこんなところにいさせるわけにはいかないんだ!」


 それが天児の原動力だった。この記憶喪失でソラがやってきてから、二週間足らずとはいえいつの間にか家族同然になっていた。そのソラは失う悲しみをもう一度味わいたくないがために。


「どこだ! どこだッ!?」


 天児は呼びかけるように叫んだ。だが、返事は返ってこなかった。


 その時、ファクターが暴れ回り轟音の中でも際立つ銃声が鳴り響いた。


「誰だ…?」


 天児は思わず足を止めた。三人の中で銃を扱う人間はいなかったため、天児の知らないアクタが現れたということだ。それは天児の探している『声の主』かもしれなかった。


 さらに銃声が響く。天児はその方向を見ると、銃を持った人間が飛んでいた。長い金色の髪と黒いマントをなびかせて、ビルからビルへ飛び移り、手にしている二丁拳銃でファクターの身体に次々と撃ち込んでいる。


「あの人か…!」


 天児は走った。その人よりも速く、その次に飛び移るであろうビルの屋上に先回りして飛び乗った。


「待ってくれ!」


 天児はその人を呼び止めた。


「!」


 その人は天児に気づき、足を止めた。


「あんたが、いつも声を送っている人なのか?」


「………………」


 その人は銀でできたような仮面をつけて、サファイアのような瞳と小さな口だけが見えた。


「テン、ム…?」


 その小さな口で開いた言葉がそれだった。轟音の中だったため、よく聞き取れなかった。しかし、自分の姿を見て驚いたということは天児が探している『彼女』ではない気がしてきた。


「俺は日下天児だ!」


 何やら自分が驚いているみたいなので、名乗れば多少は落ちつくだろうと


「クサカ、テン、ジ……?」


 仮面の人は、こちらに歩み寄ってきた。両手に銃を手にしながら。


「くッ!」


 突然、仮面の人は銃を天児に向けた。


「オアッ!? ちょっとまてッ!」


 天児は止めるまもなく仮面の人は引き金を引いた。


 轟音が鳴り止んだ。弾丸は天児の頬をかすめて背後に迫っていたファクターに当たった。


 そして、また轟音が鳴り響く。ファクターは天児達のいるビルに殴りつける。


「く、くずれる……ッ!」


 屋上に立っていた天児が実感させられるほどの震動が伝わってきた。


「こっちッ!」


 仮面の人は叫んで、天児を誘導させた。


「わかった!」


 天児は言うとおり、仮面の人が指した方のビルへと飛び移り、その後もついていき、ファクターから遠ざかることができた。


「助かった…」


 天児は一息つく。仮面の人はそれをじっと見つめているだけだ。


「ありがとう」


「………………」


「あの?」


 天児は訊こうとしたとき、仮面の人は間近にまで迫っていた。


「テン、ジ……」


「はい、何ですか……?」


 天児はたじろいだ。仮面をつけて素顔を隠す人の得体の知れなさもあったからだが、その仮面から覗かせるサファイアのような瞳からは迫力のようなモノを感じたからだ。


「ムグォッ!?」


 仮面の人は、突然天児を抱きしめてきたのだ。


「な、なななななッ!?」


 天児は赤面し、激しく動揺した。


「おやおや、そんな出会い方もあったのか」


「はぅッ!」


 別方向からの声に驚き、すぐさま目を向ける。そこには白衣を着た女性が立っていた。


「えぇっと…」


 天児は知っている顔に戸惑った。


「なんでここにいるんですか、保険医さん?」


「夜には白衣が映えるからね」


 白川しらかわ教子のりこは得意げに答えた。

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