Ⅲ―狂気の歯車―(前編)
何もかもが静止し、アクタのみが徘徊する空間『ミッドナイトスペース』は何も無い。何も無い、風も音も他の生物も無く、生きた心地はしない。その静寂をファクターが打ち破った。
「……ターゲット、補足…」
黒いマントで身を包み、顔は銀色の仮面が覆い隠す。だがそこから覗かせるサファイアのような瞳だけは、訴えかけてるようだった。『ヤツを倒す』と。両の手にある二丁拳銃をファクターに向けて放つ。
ファクターは、こちらを向き攻撃を仕掛けてくる。ファクターの伸びる腕をかわして、ファクターにせまる。後ろで束ねた金色の髪を揺らしながら、ファクターの弱点である目に正確に銃弾を撃ち込んでいく。
ファクターは断末魔を上げ、身体を崩れ落ちた。
「デストロイ、完了…」
銃をマントの中にしまう。
『お見事!』
どこからともなく聞こえてきた陽気な声が、ファクターが消えた再びやってきた静寂を破った。
『今回は切り札無しで倒したわね。だんだん磨きがかかってきたんじゃないの?』
「……ユーと話すことはもう無い…」
仮面をした彼女は、声のしたほうから背を向けてその場から去ろうとした。
『つれないわね……ああそうだ、一人新しいアクタの情報があるわよ』
「興味ない…」
『有望な新人なんだけどな。日下天児といって、彼なかなか強いわよ。チェック入れといて損は無いわよ、シャッドちゃん』
「クサカ…?」
シャッドと呼ばれた仮面の女性はその名前に興味を示し、足を止めた。
***********
「シルバーチェイン!」
銀色の鎖でファクターの身体を巻きつけ、動きを止める。それが御影京矢の戦いだ。
そのまま力を加えれば、ファクターの身体をねじ切ることができるが、彼はそんな戦い方を好まない。
「あとは任せたよ」
彼はさわやかに言い、仲間に託すのが一番だと思い、実行している。
「了解ですッ!」
天児はそれに答え、ファクターの身体を斬り裂く。そして目が無防備になったところを美守が翼を刃へと変えて飛び込む。
「シャウイングッ!」
ファクターの目ごと翼はファクターを真っ二つに裂かれた。
ファクターは崩れ落ち、天児達は勝利を確信した。
「いやはや、ナイスなコンビネーションだ」
京矢は鎖をしまい、笑顔で二人の下へ行く。
「思ったよりも上々ね…」
美守は翼をしまう。そう言った彼女はわずかに笑みをこぼした。
「けっこう上手くいくもんなんだな」
まだ日は浅いものの、チームとしてちゃんと機能していることに天児は驚いた。
何しろ、天児は協力やらチームワークというものが苦手であり、部活がやれないのもそれが一因かと自覚しているほどであるのだが、この二人と協力して戦うとそういった苦手意識も克服できているのが不思議だが、それは二人が戦い慣れているせいもあるのだろう。
『新しいチームの誕生ね、情報通としてはこれは見逃せないわね』
どこからともなく声が聞こえた。ついこの前からこの唐突に現れる声にも慣れてきた。
「いつも高みの見物だね、君は。たまには、姿をみせてくれないか?」
京矢は声に向かってさわやかに呼びかける。
『遠慮するわ。素顔に自信がないものだから』
「それは残念だ」
京矢がそう答えると、ミッドナイトスペースでの視界は歪み、元の世界に引き戻される。
『今夜はこれまでね。それから天児君、あなたに伝えたいことがあるのよ』
「俺に?」
『近々素敵な出会いが訪れるわ』
声は楽しそうな口調で言った。そして、ミッドナイトスペースは閉じ、現実の世界に引き戻された。
***********
アクタとして戦いを始めてからすでに二週間も経った。といっても毎日、ファクターと戦っているわけではなく半分は、他のアクタ達の活躍のおかげで戦わずにミッドナイトスペースから帰ってこられている。それになんといっても、天月美守や御影京矢の連携のおかげでどうにか戦ってこれている。
しかし、慣れない連日連夜戦いに駆り出されて、疲労は溜まるばかりであった。今日もガタガタの足腰で新聞配達をして、帰って将達を起こす。
「おい、起きろ」
疲れきった声で、呼びかけても静かな風が流れるだけだった。仕方が無い、こういうときは魔法の言葉を使うしかないと天児は一呼吸おいてから言った。
「早く起きないと、朝ごはんなくなるぞ」
それが耳に入ると、将、空、ソラの三人は飛び起きる。本当に目覚まし時計よりも安上がりで確実な起こし方であった。
「さて、今日は米だな。昨日炊いたヤツがあったな。あとは作りためておいた味噌汁でいいだろ。だけどこれぐらいだとな…」
天児は頭を抱えてぼやいて、茶碗に米と味噌汁をそれぞれ注いで、四人分用意すると残りは綺麗さっぱりなくなった。
「こうなるんだよな…」
朝食を食べながら天児は家計のことで頭を悩ませた。今月は一人増えたせいもあり、やりくりがいっそうむずかしなくなったのだ。蓄えも貯金もする余裕の無い生活でこれはかなりまずいところだ。
(なんとかしないとな…そういえば桑木先輩が新しいバイト、紹介してくれるって言ってたな…)
そんなことを思い出しながら、朝食を食べ終えて制服に袖を通した。
「さて、これで準備完了だ」
と威勢良く声を上げたところで、背後からの視線を感じた。
「ソラ、どうかしたのか?」
天児を見つめていたのソラだった。ソラはどうみても自分と同年代の少女なのだが、6歳の空と同じような仕草をして動き回るのだから、天児は困っているが、不思議とそれには違和感というものが無く、ごく自然な振る舞いに感じてしまう。記憶喪失のせいで年相応の仕草ができないのではとよく思うが、それとと同時にそれだけが原因じゃないと自分の直感が告げていた。直感といっても、根拠がないのだから、この直感が自分の思考のどこからきているのかわからない、まるで自分の中にもう一人誰かがいて警告を発しているようだ。ここ最近は強くそう思うようになってきた。
「おにいちゃん…」
ソラが何やら言いたそうに呼びかけてくる。
「どうした? 留守番が嫌なのか?」
ソラは首を振った。違うみたいだ。
「だったらなんだ? おかわりがしたかったのか?」
もう一度訊いても首を振った。これも違うみたいだ。
「あの、あのね…」
戸惑いながら本題をきりださないソラの口調が、疲れの溜まっている天児の気が滅入らせた。
「時間がかかるなら、帰ってからにしてくれ」
「あ……まって…」
ソラが止める声が天児の耳にわずかに入ったが、構ってる余裕が無かった。今はとにかく学校に行くことだった。
***********
(ソラ、何が言いたかったんだろう…?)
一時間目の授業が終わり、睡眠も十分して余裕が出たところで改めて天児は今朝のソラの様子を思い出した。
「おい天児、何を考えているんだ?」
同級生で友人の安藤が声をかけてきた。
「そんなもの、決まってるだろ。あの可愛い彼女のことだよ」
勝手にもう一人の友人である長尾が代弁した。それもデタラメなことを。
「彼女ってそんなものいないって、何度言えばわかるんだよ」
面倒そうに天児は言うと、安藤が威勢良く人差し指でさす。
「天児、お前もいい加減認めろよ! わざわざ別の学校からやってきて、二人きりのところに連れこんでそのまま帰っちまうなんて、付き合ってなければできない芸当だぞ!」
非常に力のこもった口調に天児は一瞬圧されたが、それでもこの二週間で慣れてきた。
「だから、付き合ってるわけじゃないって何度言えばわかるんだ…」
「だったらもう別れたのか! だったら紹介せいや! 日下天児ッ!」
「いや、俺も美守のことは全然知らないんだけど」
「みかみ? みかみって名前なのか! 呼び捨てで呼び合う仲なのか、お前らッ!」
「ああ言えばこう言うよな、お前って…」
そろそろこのやり取りにも疲れてきて、机に顔を伏せる。もう付き合ってることにしてどうにでも扱ってくれと言いたいが、それを口に出して言うとそれはそれで面倒なことが起きるのは予想できるのでやめている。
「なあ長尾、お前からも何か言ってくれ」
「俺は、別にあんな可愛い義姉がいても問題ないぜ」
「…なんでそうなる? なんで美守がお前の義理の姉になる?」
天児は呆れつつも訊いた。長尾なんて答えるか大体予想はついてるが。
「ほら、俺と空ちゃんが結婚すれば、お二人とは兄弟になるというわけですよ」
「なるわけあるかぁッ!」
天児は思いっきり突っ込んだ。長尾はボケたつもりはないが、それでも突っ込まずにはいられない。というか突っ込まないと犯罪になれりかねないと判断してのことだった。
「またまた、お二人の幸せを願ってますよ、お兄さん」
「そんなもの願わなくていい、それからその呼び方やめろよ、気色悪くたまらん」
「おにいちゃんッ!」
「そう、それはやめろって言って…ってえぇッ!?」
唐突にわいてきたような自分に向けられた声は長尾の声ではなく、明らかに女子の声であった。それもつい今朝聞いたばかりの声だった。
その声の主は、すぐにやってきた。
「ソラ、なんでお前がいるんだッ!?」
留守番していたはずのソラが天児に抱きついてきた。
「おうわッ!?」
安藤は何やら叫びをあげたが、それはどうでもいい。
「お兄ちゃんに渡したいのがあってきたの」
「渡したいの? というかお前どうやってここまで来れたんだ? 記憶が無いはずだろ」
天児が不思議に思ったのはそれだった。ついで、この時間に来たのも疑問に思えた。当然、ソラは歩きでここまできたはずだ。それなら、もっと時間がかかるはずなのだ。ソラが天児が出た後にアパートから学校まで歩いたとすると、ちょうど今ぐらいの時間につく計算でそれ自体はあまり問題ではない、問題なのはちょうどついたということだ。まっすぐ迷わず学校に来れたという事実は、この学校の場所を把握しているということだ。それはひょっとしたら、記憶が戻ったのかもしれない。
「う~ん…」
ソラは大きく首をかしげる。天児はその返答に注目した。
「わからない」
天児は肩を大きく落としてため息をついた。もしかしたらとは思ったが、大方予想通りの返答だったのであてがはずれたのだ。
(そう都合よく、いきなり記憶は戻らないか…)
人間忘れるのは簡単だが、思い出すのは難しいことだとここ最近は思っている。何しろ、ソラと二週間も一緒にすごしているのに回復の兆しすらないのだから嫌でもそう感じてしまうのだ。
「それで、日下君。この子は一体誰なんだい?」
妙によそよそしい口調で安藤は訊いてきた。こういうときは何やら企んでいる状態なのだと天児の直感が告げていた。かといって、無視することもいかない。同級生で友達なのだから。
「ソラっていって、うちで預かっている子なんだ」
「へえ、なんで預かってるんだ?」
「そりゃ事情があるんだ…」
「事情ね…」
訝しげな目で安藤は天児を見た。おそらく今の説明で納得していないのだろう。
「事情ってのはいいけど、なんでここまで来てるんだよ? しかもそんなラフな格好で…」
長尾のもっともな質問であった。部屋には女物の服は無い上、買う余裕もないため天児の薄い生地のTシャツと短パンを着ているため、そのスタイルの良さとふくよかな胸のせいで、男子生徒の目のやり場に困るような状態になっている。
「ああ、これにも事情があってだな…」
天児はあわてて、もはや説明にもならない言い訳をした。
「まったく、よく学校入れたよな」
そういって安藤はソラに鼻の下を伸ばしている。こういうやつだということはわかっているので、今さら注意するのも面倒なので、無視する。
「それで、ソラはなんで学校に来たんだ?」
「お兄ちゃんに会いたくて」
ソラは満面の笑顔で答えた。何故かクラス全体が一瞬どよめいた。
「おいおいおいおいッ!お兄ちゃんってなんだよッ!? お前にこんな大きな妹がいるなんてきいてねえぞッ!」
安藤が悲鳴にも似た叫びを上げる。
「あ、ああ……こいつが勝手にそう呼ぶ。ただそれだけだ」
「呼ばせてるんだろッ! あれか、お前は女の子に『お兄ちゃん』と呼ばせなくちゃ気がすまないのかッ!?」
「なんでそうなる?」
天児は頭を抱える。
「ソラ、お前からも何か言ってくれ…」
そう言って、ソラを見る。ソラは何かハンカチで包んだ『何か』をもってこちらを見ていた。
「ッ!」
その時、耳鳴りがしだした。
――今の君に必要なことがある
また声が響いた。男とも女ともとれる声で、どこからか頭の中に響いた声とともに、天児の意識が遠のいていく。
次に目を開けたとき、何もかもが黒に染まった空間――ミッドナイトスペースに立っていた。
(まだ十一時五十九分じゃないだろ…)
そう思った瞬間に、目の前に誰かがいることに気づく。
「ッ!」
彼は天児そのものだった。鏡を滅多に見る事のない天児でさえも自分の顔だとはっきり認識してしまった。その驚きで立ちすくんでいる間に、彼は動いた。
グサッ!
剣は胸に突き刺さった。彼の剣は天児の使う剣そのものだった。それが天児の胸を貫いた。
「う…」
最後の言葉もなく、天児は倒れた。
***********
天児は気がついたときには、ベッドの上にいた。
「どこだ、ここは…?」
辺りを見回すと、そこにはソラがいた。
「お兄ちゃんッ!」
ソラが抱きついてきた。
「おうわッ! ソラ、どうしたんだ!?」
「お兄ちゃんが急に倒れたから、ソラ心配したんだよ!」
「俺、倒れたのか…」
天児には自覚がなかったが、かすかに覚えはある。それはうたたね程度の感覚であったが、意識を失う感覚は確かに感じた。
(疲れてるのか…? それとも、これも戦っているせいなのか…?)
意識がはっきりとしだして考え始めたが、原因はわかることはなかった。
「お目覚めかい?」
部屋の隅にいた白衣の女性がこちらにやってきた。その女性は白衣を着こなしているため、自然と彼女が保険医でここが保健室だと認識できた。
「あの……えっと…」
「白川教子、保険医さ」
どこかで聞いたような口調で白川教子は自己紹介した。
「あ、どうも…」
天児は一礼した。
「しかし、君とは何かと縁があるみたいだね…」
「そんなことは無いと思うんですが」
「まあ、いいさ。今日もゆっくり休めばいい、なんなら早退するかい?」
白川教子はなかなか愉快げに喋る。その口調は天児を不快にさせた。
「けっこうです。もう大丈夫です」
天児はそっぽ向いた。
「だったらいいけど。今は昼休み、無理して急いでもどることは無いわ」
「昼休み……そんなに気を失っていたのか……まいったな…」
天児はため息混じりに言い、頭をかく。
「じゃあ、昼飯を食べます。たしか弁当があって…」
「はいッ!」
天児の言葉を聞いて、即座に反応したソラがハンカチで包んだ入れ物を差し出した。
「ソラ、これは何だ?」
「おべんとー!」
ソラは元気良く答えた。
「弁当…?」
「お兄ちゃん、作らずに忘れていった」
「忘れていった…?」
その言葉に違和感を覚えた。天児は今朝もいつもどおり過ごしたはずだ。新聞配達をして、空達を起こして、朝食を用意して、制服に着替えて、と順を追って思い出していった。だがその中に、弁当を作ることが思い出せない。
「ちゃんとやったつもりだったのに……やっぱり疲れてるんだな…」
ベッドに倒れそうな勢いでうなだれた。
「………………」
教子は黙ってそれを見つめていた。
「じゃあ、この弁当はソラが作ってくれたのか?」
「うん! ソラ、がんばって作った!」
ソラは誇らしげに言った。天児はその様子を見て、ある程度ソラの気持ちを察した。
(そうか、これを俺に届けるために、わざわざここまでやってきて…)
そう思うと今差し出されている弁当が妙にありがたみが増してきた。
「ありがとう、ソラ」
弁当を受け取り、ハンカチの包みを開く。
(しっかし、どうやって作ったんだ? 材料なんてほとんどなかったはずなのに…)
その謎はこのハンカチを開いたらわかると思い、開いた。しかし、実際はさらなる謎を生む結果となった。
「なんじゃこりゃッ!?」
反射的に声を上げてしまった。何しろ、ソラが『べんとー』といったモノは、どす黒く、まともな形をとどめていない。どうやって作ったのか材料すらわからない有様であった。
(たしか、冷蔵庫にあった残り物といえば…)
そういって冷蔵庫の中の光景を思い浮かべたが、その中のモノをどうやって組み合わせたらこの『べんとー』ができるのか想像もつかなかった。
「あ、あの、これ…弁当だよね?」
「そうだよ、べんとーだよ」
ソラが笑顔で言うものだから、ますます弱った。何しろその笑顔でこちらを見ているソラの前でこれを食べなければならないのだから。
(せっかく作ってくれたんだから、まずい顔はできないよな……一体どうすれば……)
「ねえ、早く食べて」
「あ、ああ……」
天児は『べんとー』の箱を開けてみる。覚悟を決めねばならない時が来てしまったようだ。
(く、くうしかないな…)
そこで、ふと教子のところへ目を向けた。彼女がこの『べんとー』を見てどう反応しているのか気になり、できれば救いの手を差し伸べてくれるのではないかと淡い期待を寄せた。
「まあ、大丈夫よ」
と教子は優しげに声をかけてくれた。そのおかげかいくらか気は楽になった。天児は大きく深呼吸して、はしでそれを掴む。
「いただきます」
天児はそれを口の中に放り込んだ。その直後に教子はこう述べた。
「ここなら、担架の必要も無いからね」
その後ベッドの上でのたうちまわる天児の姿があったが、教子は見て見ぬフリをしてやり過ごした。
***********
そのまま早退して、家に帰り、バイトの時間になったので行くことにした。今日はファミレスのウェイトレスのバイトで今休憩時間で、外に出た。
「おう、天児君。調子はどうだい?」
バイトの先輩である桑木猛が天児に挨拶をしてきた。
「別に、普通ですよ」
「あ、そう……ところで、あの子は彼女?」
そう言って、物陰からこちらを見つめているソラを指差した。何故か今日は天児についていくときかないため、飽きずにそうして見張るように見つめているのだ。
「彼女じゃないよ、ちょっと事情があるだけですよ」
「事情、ね……まあ、そんなこともあるか」
桑木が何かを察したかのように言う。桑木はたいてい深く聞いてこない、よくあまりこっちの事情に深入りして欲しくないということが言わずともわかってくれている。こういうところが桑木が先輩らしい一面なのである。
「おーい、もうちょっと待ってくれないか?」
「うん、待ってる」
そう言ってソラは強くうなずいた。
「聞き分けのいい子だな。それで、そろそろ新しいバイトの件なんだが……そろそろ家計が苦しくなった頃だろ、増やしてみないか?」
「なんでその『そろそろ』がわかるんですか、先輩は…?」
図星をつつかれて天児はため息をつく。
「まあ、年の功ってやつだ」
「俺と二つしか違わないのに、ですか?」
「二年も長く生きてりゃ色々とあるんだよ、色々とな」
桑木は含みのある言い方で言う。
「そんなもんですか……まあ、家計が苦しいのは事実です、う~ん……」
天児は頭を抱えて悩ませた後、決意する。
「わかりました、それで何のバイトなんですか?」
桑木はニコリと笑った。
***********
バイトの時間が終わり、ずっと待っていたソラと一緒に帰る。
「帰る~♪帰る~♪」
ソラは独特のリズムで口ずさみながらスキップしている。
「おいおい、はしゃぐなよ。みてるこっちが恥ずかしくなってくる」
「何か言った?」
ソラはこちらを愉快げに振り向く。それをやめさせるのは気が引けた
「あ……いや、なんでもない……」
「お兄ちゃんも一緒に歌おうよ」
「俺は、……やめておくよ」
「どうして? 前はやってくれたのに」
「前? いや一度も歌ったことなんてないけど……」
そう、この二週間というもの、ソラは突発的に歌いだすことはあったが、天児と一緒に歌ったことなんて一度としてない。
「え? だって一緒に歌ったよ」
「俺は歌ってないよ、勘違いだよ」
「そうかな…」
ソラは大きく首をかしげた。一緒に歌ってないとの返答がどうしても納得がいかないらしい。そこで天児はふと思った。
(もしかして、記憶が戻っているのか? それで誰かと歌った記憶と混ざったのか?)
そう思ってるが、記憶が戻ったらどうするべきか天児は考えてない。ソラにも家族がいるだろうし、その家族に送り届けるのが妥当なところだろう。でもそれは別れを意味する。二週間という時間はそういった未練を作り上げるには十分な時間だった。
「ソラ、何か思い出してないか?」
「ううん、何も」
記憶が戻らないのに明るく振舞えるソラをみると、こっちも明るくなれる。
(記憶がちゃんとある俺が、頑張らないとな…)
そう思った瞬間、足が止まった。
「あ…」
急に視界が黒くなり、夜のようになるものの、夜よりも暗い闇に辺りはなった。
天児は何が起きたのか瞬時に理解した。それが信じられないことであることも。
「ミッドナイトスペースッ!? でもまだ十一時じゃないはずじゃッ!」
天児は驚きの声を上げる。
「おにいちゃん、どうしたの?」
隣にいたソラの声が聞こえる。そう、ソラの声だ。
「ソラ、お前……わかるのか?」
「どうしたの?」
ソラは同じ返事をして、天児を唖然とさせた。
「どうなってるんだ……?」
天児は辺りを見回した。すでに、周囲は黒以外の色素を失い、完全なるミッドナイトスペースと化していた。
(まだ十一時五十九分じゃない……なのに、どうしてミッドナイトスペースが? というかソラがなんで普通に動いている? みんな、止まるんじゃなかったのか? というかファクターは?)
頭が混乱しかけている。とりあえず、ファクターが近くにいないのが把握できたので、一息つく。
「とりあえず、ソラはなんともないのか?」
「うん、なんともないの」
「そうか……」
うなずくソラをみて、とりあえず気分を落ち着けた。ソラはここにいてちゃんと動いている、それは紛れも無い事実だとわかったから、受け入れるしかない。
「ねえ、どうなってるの? 夜になったよ」
「俺にもわからない……」
それが天児の正直な想いだった。
「だから、ソラは俺から離れるな」
「うん…」
ソラは天児の腕を掴む。本当はしがみつこうとしたのだが、ソラの背丈だとしがみつくには天児と背丈が近いせいもあって無理があるのだ。
(ここがミッドナイトスペースなら、ファクターがどこかにいるはずなんだが……)
何度周囲を見回してもそれらしい影も形もない。
「今は下手に動かないほうがいいな……」
天児は一息つく。
「美守か京矢さんがいればいいんだけど……」
弱った天児は呟いた。
――彼らはここにはいない、君達だけだよ
その時、スピーカーのようにあの声が周囲に響き渡った。
「俺達だけ…?」
――そう、君達だけだよ
天児の疑問に声が答えた。どうやら会話が成り立つようだ。
「なんで、俺達だけしかいないんだ?」
――それは君達が逆らっているからだ、時の流れに
「時の流れって……?」
――君達は理の中から外れた存在。君達には配役はない
「言っている意味がわからない……」
――そうか、君はもう消えたんだったね
声は一人納得したかのような口調で言った。
「消えた……? どういうことなんだ?」
――今にわかるさ
「わかるって、わかるものかよ。それよりお前は何者だ? 俺達に何の用だ?」
――私はエージュ。今はそれだけで十分であろう
「エージュ……」
天児はその名前を口にする。
その直後、雷が落ちたときのような轟音が鳴り響いた。
「きゃあッ!?」
ソラはその轟音に驚き、天児に思いきりしがみつく。
「う!」
天児は体勢を崩しかけたが、踏みとどまった。
その時、脳裏に想い出が走馬灯のように浮かび上がってきた。毎日の生活、将がいて、空がいて、自分がいて、学校では友達と馬鹿言って騒いで、そういったモノが次々と天児の中で走り抜けた。
(なんだ、これは……?)
そこからぼんやりとしだした意識がはっきりと目覚めた。
「お兄ちゃん……」
不安げなソラの声が現実へと呼び戻してくれた。
「あ、ああ……大丈夫だ」
ソラを安心させるために言った。それは自分自身にも言い聞かせるためでもあった。
(どうなってるんだかわからないが、とりあえずファクターが現れたってことか…)
直後に天児の予感が的中したことを思い知らされる。
ビルの陰からこの黒い空間よりもさらにドス黒いシルエットをした怪物がこちらをのぞいてきた。
「来たか! ソラはここに隠れてろ」
「でも、お兄ちゃんは……」
「俺は大丈夫だからッ!」
「う、うん」
ソラはビルとビルの間に隠れさせた。
「さてと、やるしかねえか」
天児は思い描く、さっきの走馬灯のように浮かんだ記憶と剣を手にした自分を。そして現れた光はそれに呼応して左手に長剣、右手に短剣を天児に与えた。
「やってやるぜッ!」
天児は精一杯の力を込めて地面を蹴る。
ファクターのシルエットからたくましい太くて大きい腕が現れ、襲い掛かってきた。
天児はそれをかわして、さらに近づく。
(こいつの目はどこだ? どこにある?)
身体全体が見える場所にまで接近しても弱点である目が見当たらない。そこへ地面へたたきつけて無数の瓦礫が舞い上がり、天児へと向かってくる。
「これぐらいならッ!」
剣で弾きながら、瓦礫をかいくぐる。だが、ファクターはその隙をついて、飛び上がり、天児の背後に回る。
(しまった、そっちはッ!)
ファクターが向いている方向にはソラがいた。
「きゃあッ!?」
ソラの悲鳴が天児の耳に響いた。
「まずいッ!」
天児が向かうと、ファクターは2つの腕を力任せに振り回す。ビルというビルにその腕を叩きつけると、その破片は先ほどの比ではないほど飛び散り、ビルも倒壊する。
「ソラッ! ソラァァァッ!!」
ソラのいたビルの陰が瓦礫に埋もれてしまい、そこから赤い液体が流れている。黒しか色を持たない瓦礫の中でその赤は妙に鮮やかに天児の目に映った。天児の叫びに答えることなく、ソラはそこに埋もれてしまった、その事実だけがそこで語っているかのようだった。
「あ、あぁぁぁ……」
天児は震えた。言葉さえ口にできないほど、全身が震えた。
放心する天児にファクターは容赦なく襲い掛かった。大きな腕に振り抜かれて身体ごと飛ばされる。
「ごふッ!」
ビルの壁に叩きつけられて、血反吐を吐く。天児の絶望に呼応して全身が痛みで悲鳴を上げているかのようだった。
「く……ソラ、ソラ……」
天児はそれでも身体突き動かして呼びかける。ここには天児しか人間はいないのにも関わらず。
「くそッ!」
天児は血反吐とともに言葉を吐き捨てて、ファクターと対峙する。
「こいつがぁッ! お前がぁッ!」
天児は激昂して、ファクターに向かって突っ走る。
即座にファクターの太い腕を一振りで斬りすてた。
「めなんてしるかぁぁぁぁッ!」
天児の叫びが暴風を呼び込み、ファクターを退かせた。
そして天児の背後に黄金の大剣、天児の背丈をはるかに越えた大剣が現れる。
「ミッドナイトブレイクッ!」
その黄金の大剣を手にして、飛び上がり力いっぱい振りぬいた。夜空をも斬りかねないほどの力強さと勢いをもって。
ファクターはその津波のような斬撃に飲まれ、消滅する。
「はぁ、はぁ……」
ファクターの消滅を確認すると、疲労が一気に押し寄せた。しかし、今はそれどころじゃなかった。
「ソラ、ソラ……ソラッ!」
ソラのいた場所に走り、その瓦礫をどけた。
そこにはおびただしい量の出血で決して目のさめることの無いソラが横たわっていた。
「う、うぅ……」
とめどなく涙を流し、視界を大いに歪ませた。今はそれでよかったのかもしれない、今のソラの姿を目に焼き付けなくてすんだのだから。
やがて、涙とは別の理由で視界が歪む。ファクターのいなくなった
「やめろッ! やめてくれッ! とじないでくれッ!」
天児は叫んだ。のどが張り裂けんばかりの声で。時間が止まっていて欲しかった。時間が動き出せばいやでも実感させれてしまうからだ。この受け止められない現実を。
「とまってくれッ! 『明日』なんていいッ! 今日このままでッ! 止まってくれぇぇぇぇッ!」
天児の叫びもむなしく、視界が歪み、ソラが姿を消して、ミッドナイトスペースを閉じた。
――発動したか、やはり君は君だよ
――だがあれほど強大なチカラが発動されば、君は……
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